第18話 中原中也記念館にて。
文字数 4,851文字
6月14日、水曜日の朝。
るるせさんとの待ち合わせ場所である新山口駅へと向かうため、最寄り駅のホームにて電車を待つ。
次の電車の到着まで30分ほどあるため、まだだれもいない。貸し切り状態である。
事前の週間天気予報では晴れの見込みだったが、いざ蓋を開けてみると、当日の天気予報は「曇りときどき雨」
実は桐乃、子どもの頃から雨女疑惑がある。修学旅行などの野外イベントはことごとく雨。たいてい、ここぞというときに雨が降る。
今回は、天気予報を見る限り、梅雨の時期にしては上々では、と淡い期待を抱いたものの、なにやら雲行きが怪しい。予断を許さない空模様である。雨天兼用日傘を手に持ち、いや、でも、日差しがあるとものすごく蒸し暑くなるので、曇りなのは、これはこれで良いのでは、などと思いながら電車を待つ。
やがて定刻通りに到着した電車に乗り込み、新山口駅へ。ここで山口線へと乗り換えるため、るるせさんと待ち合わせをしている2番ホームへと降りていく。
ずいぶん早い時間から待ってくださっていたるるせさんと、無事に合流。
ラッシュ時を過ぎたあたりなのでスムーズに席に座れる。
ちなみにるるせさん、上着の下は赤いTシャツ姿である。以前のルポで、
「るるせさんは赤がお好きらしい」
と書いたのを読んでくださったようで、
「赤ですよー」
とTシャツをアピールしてくださる。お茶目だ。
というか、本当に赤がお好きなのだな、とあらためて認識する桐乃であった。
新山口駅から目的地までは地味に距離がある。駅でいうと、5つか6つほど、町中にぽつりとある無人駅へと停まりながら、電車は進む。
そして目的地、湯田温泉駅へと到着する。
湯田温泉駅名物、お馴染みの白狐、ゆう太くんがお出迎えしてくれる。いつ見てもでかい。
先日、湯田温泉に来たときと同じ道をたどって、るるせさんをご案内していく。
「もうすぐですよ。楽しみですね」
と、わたし。
「はい、楽しみです」
と、るるせさん。
これから向かう場所が、今日のメインである。
途中、ひとりで登校している小学生の男の子を見かける。ランドセルに黄色いカバー。
「新一年生だ。かわいい。小さい」
登校するには微妙な時間帯という気もするが、などと不思議に思っていると、男の子はすれ違うわたしたちへ、
「こんにちはー」
と挨拶をしてくれる。
「「こんにちはー」」
と、るるせさんとわたし。
田舎あるあるな、のどかな場面である。
そして、ついに到着。
中原中也記念館である。
そのとき、入口へと続く道を、黒と白の斑猫 がトトトと歩いていくのが目に入る。
「あっ、猫ちゃんです」
「猫ですね」
「あの子、先日ここを通ったときにもいたんですよ。ここの猫ちゃんなんでしょうか」
確か、あれは尾道 だったか、美術館に入ろうとする黒猫と、それを優しく阻止する警備員さんとの微笑ましい攻防をネットでたびたび目にしていた。それがふと頭に浮かぶ。
猫はすっと姿を消す。それを見送り、記念館の入口でしばし足を止めて周囲を見渡す、るるせさんとわたし。
「行きましょうか」
「はい、行きましょう」
自動ドアを抜けると、外の喧騒 からは切り離されたような静寂に包まれる。館内には日傘の持ち込みはできないため、入口の傘立てに日傘を差し込み、受付へ向かうるるせさんのあとを追う。二人ぶんの入館料を一緒に支払ってくださったるるせさんからチケットとリーフレットを受け取る。お礼をいってそれを受け取り、ひとまずバッグにしまう。
るるせさん同様、実はわたしもはじめての、中原中也記念館である。
生まれながらの山口県民でありながら、実は桐乃、中原中也の詩を、きちんと読んだことがない。もちろん存在は知っていた。なので、るるせさんが山口県へいらっしゃる予定だと聞いたときに、
「そういえば、山口には中原中也記念館があります」
と観光の候補のひとつとしてお伝えしたところ、
「マジですか」
との前のめりの反応をいただき。
るるせさんは『文豪ストレイドッグス』というアニメ(漫画)がお好きだそうで、そのなかのキャラのひとりとして、中原中也も登場するらしい。
高校時代に、中原中也の詩と出会ったそう。
「
という、一見なんの呪文かと思うような印象的なフレーズを、はじめにわたしに教えてくれたのは、ほかならぬ、このるるせさんである。
受付をあとにし、館内へと進むと、中原中也の自筆原稿、あるいはその複製原稿が惜しみなく展示されている。
ランボー詩集の原稿を前にしたるるせさんが突然、
「このランボーとヴェルレーヌは、できていたのですよ」
などといいだすので度肝を抜かれる桐乃であった。
藪 からスティックにもほどがある。
受付のお姉さん、たぶん聞こえていただろう。いや、べつに問題はないのだが。るるせさんの声はよく通るのである。
……今、スマホでこの文章を書きながらタブレットでランボーとヴェルレーヌについて調べてみたのだが、二人のあいだに起きた劇的なできごとを読めば読むほど、まるで森茉莉さんの小説の世界のようだ、という思いにとらわれている。あとでもう少し詳しく見てみよう。
中原中也に思い入れのあるるるせさんと、ほとんどなにも知らずにのこのことやってきたわたしでは、おそらく見えるものが違うだろう。館内では、お互いそれぞれのペースで展示を見ていくことにした。
驚くべきことに、中原中也の毛筆はおそろしく達筆である。小学生くらいと思われる年頃の書が、まるで模範かのようなきっちりとした美しい筆致で綴られている。舌を巻くほどの達筆である。
そうかと思えば、原稿用紙を埋める文字は、全体的に小さくまるまるとした親しみのあるもので。毛筆とは打って変わって、いっそ愛らしいようななよなよしい文字なのであった。
毛筆が、キリッと背筋を伸ばして姿勢よく書かれたものだとすると、こちらの原稿は、背中をまるめて猫背になりながらちまちまと綴られたのではないか、と、その執筆姿が想像できるような気さえしてくる。
中原中也自身が書いた文章以外にも、交流のある友人たちが彼について綴ったものも展示されており、そのなかの、だれの書いたものだったかまではあいにく覚えていないのだが、
「(中原中也が)家にやって来ると、早く帰ってほしいと思うが、いざ彼が帰ってしまうと、寂しいような気持ちになる。彼に申し訳ない」
というような想いを吐露 した文章があり、わたしはそれがなぜかとても印象に残っている。彼らの関係性はまったくわからないが、この複雑な心境は、なんだかわかるような心持ちがするのだ。
もうひとつ、こちらは中原中也が友人へ宛てて書いた手紙で、とても印象的なものがあった。
というか、中原中也は原稿用紙に手紙を書いているのである。この時代はそれがごく普通のことだったのか、単に中原中也がそうだったのかはわからない。
手紙の内容は、詩集の原稿を書店だか印刷所だかに持ち込んだが断られた、というもので、それについての心情が、包み隠さず赤裸々 に綴られている。原稿用紙のマス目をはみ出すようにして切々 と綴られた文章は、それが肉筆ということも相俟 って、読む人間の胸を打つ。
とても緊張した、とか、自身を省みる内省的な文面を読むうち、わたしは不思議な感覚にとらわれていた。
……なんだか、るるせさんみたいだ、と思った。
わたしはるるせさんの『珈琲フロート·ダークリー』の愛読者である。交流をさせていただく前から、るるせさんのことはもちろん知っていた。最初に読んだるるせさんの作品は、もしかしたらこの『珈琲フロート·ダークリー』かもしれない。そうだとすると、珍しいパターンの読者のひとりといえるのではないだろうか。
おそらく、邪道、ともいう。
『珈琲フロート·ダークリー』で綴られる文章は軽妙で、それでいてどこか中毒性があるように思う。水を飲むように、息をするようにすらすらと読めてしまえるし、その垣根のない語り口から、まるで近しいひとであるかのような錯覚すら覚える。
時に文章に吐き出される生々しい感情を目にして、
ああ、このひとは苦悩のひとなのだ、と思い、
書くことで息をつけるひとなのだ、と思う。
書かなければ生きてはいけないひとなのだ、と思い、
このひとは、おそらく生まれながらにして作家であるのだ、とも思う。
中原中也が綴った手紙を読むうち、その文面に、るるせさんの姿が重なって見えた。
中原中也もまた、詩を書くことで、ようやく息をつけるひとだったのだろうか、と思う。
展示は2階へも続いていた。
2階は企画展。【中原中也と関東大震災】である。
2階の一室では、中原中也の生涯を映像化したものが随時流れていて、るるせさんとわたしは貸し切り状態でその映像作品を鑑賞した。15分ほどの映像である。
ひとことで表すなら、衝撃的だった。
いくつかある衝撃的事実のうち、ぶっちぎりで驚いたのは、小林秀雄との関係性だった。
かつては神童と呼ばれた中原中也は、読書や短歌を詠むことに傾倒し、成績不振のため学校を落第。本人の意思と、世間体を気にした親の手配により、京都の学校へ転校する。そこで出会った年上の女優·長谷川泰子と同棲を始める。
その学校を今度は中退した中原中也。長谷川泰子とともに上京し、そこで自身の最大の理解者となる小林秀雄と出会う。
その後、長谷川泰子は小林秀雄のもとへと去り、彼と同棲を始める。
このできごとでもじゅうぶんに度肝を抜かれるのだが、驚いたのはそこではない。
結局、長谷川泰子と小林秀雄は別れることになり、長谷川泰子はべつの男性と結婚し、子どもを生む。その子どもの名づけ親は、中原中也だという。
それも驚きだが、まだまだ、そこではない。
中原中也は遠縁にあたる女性と結婚し、自身も子どもに恵まれる。その子どもを彼はとても可愛がっていたが、目に入れても痛くないほどの存在を病気のため喪ってしまう。失意のどん底へと陥った中原中也は、悲しみのあまりノイローゼ気味になり、病を得る。
故郷である山口への帰郷を望んだが、それは叶わず、30歳という若さで夭逝 する。
最後に、亡き愛息子の死を悼む言葉を綴った『在りし日の歌』の清書原稿を、小林秀雄に託して。
わたしが驚いたのは、ここである。
露悪的な言い方をすれば、かつて自分の恋人を寝取った友人に、中原中也は自分自身にとってなにより大切な原稿を託したのだ。
それほどまでに、相手への信頼が、そのときもまだ続いていたのだろう。そのことが驚きだった。
これについては、るるせさんもわたしと同様、驚いていらした。
映像を観終わったあと、
「びっくりしました」と、わたし。
「びっくりしましたね」と、るるせさん。
「小林秀雄に、原稿を」
「まさかの、ですよね」
「あの、言葉は悪いけど、寝取られた相手に」
「そうですよね」
でも、とるるせさん。
「男って、そういうところがあるのです」
「まじですか」唖然とする桐乃。
「はい」とるるせさん。
「女だったら、たぶんありえない、ですよね」
「おそらくは」
男のひとってわからない、と思う桐乃であった。
ちなみに、その映像の最後にテロップが出てきてはじめて気づいたのだが、ナレーションは吉行和子さん。女優であり、エッセイストであり、俳人でもあるという女性。この方の兄は、作家の吉行淳之介である。
そんなことを思いながら、わたしは言葉にして良いものかと思いあぐねていたことを、口にする。
「なんだか、中原中也が、るるせさんと重なって見えます」
「そうですね」
と、うなずくるるせさん。
「僕も、そう思います」
映像の最後には、中原中也の『四行詩』が朗読された。その四行の言葉が、るるせさんとわたし、おそらくそれぞれの心に、深い余韻 となって響いていた。
中原中也記念館にて購入したクリアファイル。
『四行詩』が印刷されている。
るるせさんとの待ち合わせ場所である新山口駅へと向かうため、最寄り駅のホームにて電車を待つ。
次の電車の到着まで30分ほどあるため、まだだれもいない。貸し切り状態である。
事前の週間天気予報では晴れの見込みだったが、いざ蓋を開けてみると、当日の天気予報は「曇りときどき雨」
実は桐乃、子どもの頃から雨女疑惑がある。修学旅行などの野外イベントはことごとく雨。たいてい、ここぞというときに雨が降る。
今回は、天気予報を見る限り、梅雨の時期にしては上々では、と淡い期待を抱いたものの、なにやら雲行きが怪しい。予断を許さない空模様である。雨天兼用日傘を手に持ち、いや、でも、日差しがあるとものすごく蒸し暑くなるので、曇りなのは、これはこれで良いのでは、などと思いながら電車を待つ。
やがて定刻通りに到着した電車に乗り込み、新山口駅へ。ここで山口線へと乗り換えるため、るるせさんと待ち合わせをしている2番ホームへと降りていく。
ずいぶん早い時間から待ってくださっていたるるせさんと、無事に合流。
ラッシュ時を過ぎたあたりなのでスムーズに席に座れる。
ちなみにるるせさん、上着の下は赤いTシャツ姿である。以前のルポで、
「るるせさんは赤がお好きらしい」
と書いたのを読んでくださったようで、
「赤ですよー」
とTシャツをアピールしてくださる。お茶目だ。
というか、本当に赤がお好きなのだな、とあらためて認識する桐乃であった。
新山口駅から目的地までは地味に距離がある。駅でいうと、5つか6つほど、町中にぽつりとある無人駅へと停まりながら、電車は進む。
そして目的地、湯田温泉駅へと到着する。
湯田温泉駅名物、お馴染みの白狐、ゆう太くんがお出迎えしてくれる。いつ見てもでかい。
先日、湯田温泉に来たときと同じ道をたどって、るるせさんをご案内していく。
「もうすぐですよ。楽しみですね」
と、わたし。
「はい、楽しみです」
と、るるせさん。
これから向かう場所が、今日のメインである。
途中、ひとりで登校している小学生の男の子を見かける。ランドセルに黄色いカバー。
「新一年生だ。かわいい。小さい」
登校するには微妙な時間帯という気もするが、などと不思議に思っていると、男の子はすれ違うわたしたちへ、
「こんにちはー」
と挨拶をしてくれる。
「「こんにちはー」」
と、るるせさんとわたし。
田舎あるあるな、のどかな場面である。
そして、ついに到着。
中原中也記念館である。
そのとき、入口へと続く道を、黒と白の
「あっ、猫ちゃんです」
「猫ですね」
「あの子、先日ここを通ったときにもいたんですよ。ここの猫ちゃんなんでしょうか」
確か、あれは
猫はすっと姿を消す。それを見送り、記念館の入口でしばし足を止めて周囲を見渡す、るるせさんとわたし。
「行きましょうか」
「はい、行きましょう」
自動ドアを抜けると、外の
るるせさん同様、実はわたしもはじめての、中原中也記念館である。
生まれながらの山口県民でありながら、実は桐乃、中原中也の詩を、きちんと読んだことがない。もちろん存在は知っていた。なので、るるせさんが山口県へいらっしゃる予定だと聞いたときに、
「そういえば、山口には中原中也記念館があります」
と観光の候補のひとつとしてお伝えしたところ、
「マジですか」
との前のめりの反応をいただき。
るるせさんは『文豪ストレイドッグス』というアニメ(漫画)がお好きだそうで、そのなかのキャラのひとりとして、中原中也も登場するらしい。
高校時代に、中原中也の詩と出会ったそう。
「
ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん
」という、一見なんの呪文かと思うような印象的なフレーズを、はじめにわたしに教えてくれたのは、ほかならぬ、このるるせさんである。
受付をあとにし、館内へと進むと、中原中也の自筆原稿、あるいはその複製原稿が惜しみなく展示されている。
ランボー詩集の原稿を前にしたるるせさんが突然、
「このランボーとヴェルレーヌは、できていたのですよ」
などといいだすので度肝を抜かれる桐乃であった。
受付のお姉さん、たぶん聞こえていただろう。いや、べつに問題はないのだが。るるせさんの声はよく通るのである。
……今、スマホでこの文章を書きながらタブレットでランボーとヴェルレーヌについて調べてみたのだが、二人のあいだに起きた劇的なできごとを読めば読むほど、まるで森茉莉さんの小説の世界のようだ、という思いにとらわれている。あとでもう少し詳しく見てみよう。
中原中也に思い入れのあるるるせさんと、ほとんどなにも知らずにのこのことやってきたわたしでは、おそらく見えるものが違うだろう。館内では、お互いそれぞれのペースで展示を見ていくことにした。
驚くべきことに、中原中也の毛筆はおそろしく達筆である。小学生くらいと思われる年頃の書が、まるで模範かのようなきっちりとした美しい筆致で綴られている。舌を巻くほどの達筆である。
そうかと思えば、原稿用紙を埋める文字は、全体的に小さくまるまるとした親しみのあるもので。毛筆とは打って変わって、いっそ愛らしいようななよなよしい文字なのであった。
毛筆が、キリッと背筋を伸ばして姿勢よく書かれたものだとすると、こちらの原稿は、背中をまるめて猫背になりながらちまちまと綴られたのではないか、と、その執筆姿が想像できるような気さえしてくる。
中原中也自身が書いた文章以外にも、交流のある友人たちが彼について綴ったものも展示されており、そのなかの、だれの書いたものだったかまではあいにく覚えていないのだが、
「(中原中也が)家にやって来ると、早く帰ってほしいと思うが、いざ彼が帰ってしまうと、寂しいような気持ちになる。彼に申し訳ない」
というような想いを
もうひとつ、こちらは中原中也が友人へ宛てて書いた手紙で、とても印象的なものがあった。
というか、中原中也は原稿用紙に手紙を書いているのである。この時代はそれがごく普通のことだったのか、単に中原中也がそうだったのかはわからない。
手紙の内容は、詩集の原稿を書店だか印刷所だかに持ち込んだが断られた、というもので、それについての心情が、包み隠さず
とても緊張した、とか、自身を省みる内省的な文面を読むうち、わたしは不思議な感覚にとらわれていた。
……なんだか、るるせさんみたいだ、と思った。
わたしはるるせさんの『珈琲フロート·ダークリー』の愛読者である。交流をさせていただく前から、るるせさんのことはもちろん知っていた。最初に読んだるるせさんの作品は、もしかしたらこの『珈琲フロート·ダークリー』かもしれない。そうだとすると、珍しいパターンの読者のひとりといえるのではないだろうか。
おそらく、邪道、ともいう。
『珈琲フロート·ダークリー』で綴られる文章は軽妙で、それでいてどこか中毒性があるように思う。水を飲むように、息をするようにすらすらと読めてしまえるし、その垣根のない語り口から、まるで近しいひとであるかのような錯覚すら覚える。
時に文章に吐き出される生々しい感情を目にして、
ああ、このひとは苦悩のひとなのだ、と思い、
書くことで息をつけるひとなのだ、と思う。
書かなければ生きてはいけないひとなのだ、と思い、
このひとは、おそらく生まれながらにして作家であるのだ、とも思う。
中原中也が綴った手紙を読むうち、その文面に、るるせさんの姿が重なって見えた。
中原中也もまた、詩を書くことで、ようやく息をつけるひとだったのだろうか、と思う。
展示は2階へも続いていた。
2階は企画展。【中原中也と関東大震災】である。
2階の一室では、中原中也の生涯を映像化したものが随時流れていて、るるせさんとわたしは貸し切り状態でその映像作品を鑑賞した。15分ほどの映像である。
ひとことで表すなら、衝撃的だった。
いくつかある衝撃的事実のうち、ぶっちぎりで驚いたのは、小林秀雄との関係性だった。
かつては神童と呼ばれた中原中也は、読書や短歌を詠むことに傾倒し、成績不振のため学校を落第。本人の意思と、世間体を気にした親の手配により、京都の学校へ転校する。そこで出会った年上の女優·長谷川泰子と同棲を始める。
その学校を今度は中退した中原中也。長谷川泰子とともに上京し、そこで自身の最大の理解者となる小林秀雄と出会う。
その後、長谷川泰子は小林秀雄のもとへと去り、彼と同棲を始める。
このできごとでもじゅうぶんに度肝を抜かれるのだが、驚いたのはそこではない。
結局、長谷川泰子と小林秀雄は別れることになり、長谷川泰子はべつの男性と結婚し、子どもを生む。その子どもの名づけ親は、中原中也だという。
それも驚きだが、まだまだ、そこではない。
中原中也は遠縁にあたる女性と結婚し、自身も子どもに恵まれる。その子どもを彼はとても可愛がっていたが、目に入れても痛くないほどの存在を病気のため喪ってしまう。失意のどん底へと陥った中原中也は、悲しみのあまりノイローゼ気味になり、病を得る。
故郷である山口への帰郷を望んだが、それは叶わず、30歳という若さで
最後に、亡き愛息子の死を悼む言葉を綴った『在りし日の歌』の清書原稿を、小林秀雄に託して。
わたしが驚いたのは、ここである。
露悪的な言い方をすれば、かつて自分の恋人を寝取った友人に、中原中也は自分自身にとってなにより大切な原稿を託したのだ。
それほどまでに、相手への信頼が、そのときもまだ続いていたのだろう。そのことが驚きだった。
これについては、るるせさんもわたしと同様、驚いていらした。
映像を観終わったあと、
「びっくりしました」と、わたし。
「びっくりしましたね」と、るるせさん。
「小林秀雄に、原稿を」
「まさかの、ですよね」
「あの、言葉は悪いけど、寝取られた相手に」
「そうですよね」
でも、とるるせさん。
「男って、そういうところがあるのです」
「まじですか」唖然とする桐乃。
「はい」とるるせさん。
「女だったら、たぶんありえない、ですよね」
「おそらくは」
男のひとってわからない、と思う桐乃であった。
ちなみに、その映像の最後にテロップが出てきてはじめて気づいたのだが、ナレーションは吉行和子さん。女優であり、エッセイストであり、俳人でもあるという女性。この方の兄は、作家の吉行淳之介である。
そんなことを思いながら、わたしは言葉にして良いものかと思いあぐねていたことを、口にする。
「なんだか、中原中也が、るるせさんと重なって見えます」
「そうですね」
と、うなずくるるせさん。
「僕も、そう思います」
映像の最後には、中原中也の『四行詩』が朗読された。その四行の言葉が、るるせさんとわたし、おそらくそれぞれの心に、深い
中原中也記念館にて購入したクリアファイル。
『四行詩』が印刷されている。