第2話 『おいしいごはんが食べられますように』

文字数 4,718文字

 ネットでたまたま書評を目にして、気になったので取り寄せて読みました。
 帯にも「心をざわつかせる」と書かれているとおり、読み終えたとき、いや、読んでいる最中からずっとモヤモヤしていたので、それを表現するためにかなりネタバレします。
 未読の方はどうぞご注意ください。

 ***

 『おいしいごはんが食べられますように』高瀬準子 (講談社)

 二谷(にたに)は三ヶ月ほど前に現在の職場に転勤してきた。
 支店長補佐の藤さん、
 頼りない先輩の芦川(あしかわ)さん、
 しっかり者の後輩の押尾さん、
 おしゃべりなパートの原田さん、
 一癖あるメンバーに囲まれながらも、それなりにうまくやり過ごしていた。
 社外研修の帰り道、一緒に研修を受けた押尾さんと夕食を共にすることになり、適当に選んだ居酒屋で、ビールを飲みながらふいに押尾さんが(ささや)いた。
「わたし芦川さんのこと苦手なんですよね」

 ***

 このお話は、二谷と押尾さん、それぞれの視点から語られていきます。

 二谷は芦川さんより一年早く入社していましたが、配属先のいまの職場では芦川さんから仕事を引き継ぐことになりました。
 その過程でミスが発生し、取引先からクレームが入ります。
 二谷が先方へ謝罪に出向き、藤さんが電話対応をしてくれたお陰でなんとか事なきを得るのですが、ミスの元となった芦川さん自身は二谷に同行することもなく、彼に対する謝罪はあったものの、クレーム対応にはいっさい関与しません。
 そのことを(いぶか)しく思う二谷に、藤さんが説明します。
「芦川さんは以前の職場でハラスメントに()って、声が大きい男性が得意ではないらしい」と。

 芦川さんは、わりとおっとりとした女性です。年齢は三十歳。近くの実家からいまの職場に通っていて、実家に住んでいるのに料理上手だと、おしゃべりなパートの原田さんがわざわざ二谷に情報を流してきます。
 その原田さんいわく、
「みんなに優しいし、いつも笑顔で、悪いところがひとつもない」
 という芦川さんですが、正直、仕事はぱっとしません。配属されて芦川さんから仕事内容を引き継ぐまでの二週間で、
「このひとは追い抜ける」
 と二谷が評価を下す程度には。

「芦川さんのことが苦手なんですよね」
 と気持ちを吐露(とろ)した押尾さんもまた、早い段階で芦川さんに対して見切りをつけたのだろう、と二谷は想像します。

 押尾さんが芦川さんを苦手だと思う理由は、

を周りが理解しているところ。しかも芦川さん本人がそう説明したのではなく、周りがなんとなく察して、そういうふうに配慮しているのがむかつく」
 とのことで。

 この、

というのは「仕事ができない」ことだけを指すのではなく、たとえば、急な予定変更に心理的に対応できず当日になって急に社外研修を欠席したり、二、三日残業が続くと体調不良で休んでしまうため、大きな仕事が入ってみんなが二ヶ月以上のあいだ深夜まで残業するなか、芦川さんだけは
「そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」
 とみんなから声をかけられて毎日十八時過ぎには退社することなどが含まれています。

 

と思われて、そのように扱われているわけです。
 芦川さんだけ報酬面での待遇が違うというわけでもなく、みんなと同じお給料で、なんとなくみんなから配慮され、当然のように優遇されている状況が、押尾さんからすると気に食わないのですね。

 さらに、みんなが深夜まで残業続きのなか、ひとり先に帰宅する芦川さんは、
「自分だけ先に帰してもらっているので」
 といって、お詫びの代わりにお得意の手作りお菓子を職場に頻繁に持参するようになります。
 もともとちょくちょく手作りお菓子の差し入れをしていたのですが、みんなが残業しなくてはならない状況になってから、その回数に拍車がかかります。
 みんなが喜んでそれを受け取り、口々に芦川さんにお礼をいったり料理の腕を誉めたりするなか、押尾さんだけはどこか冷ややかな態度でため息をつくのです。

 二谷もまた、表面上はさもうれしそうにお菓子を受け取り、
「夜の楽しみに取っておきます」
 とおべんちゃらをいっておきながら、じつは深夜、職場にひとりになってから、芦川さんからもらったお菓子を握りつぶし、ゴミ箱に捨てていました。

 捨てるならせめて会社の外のゴミ箱にしなよ、と思いましたが、たぶん問題はそこじゃないですよね。

 二谷は二谷で、屈折した複雑な自我を抱えていて、ものを食べる、食事をすることに対してめんどくさくて仕方ない、嫌悪感にも似た感情を抱いています。
 二谷の食事は基本的にカップのインスタントラーメンで、家にも常備してあります。
 ただでさえ仕事で忙しいのに、自炊なんてしていたら調理や後片付けに時間を取られて自分の時間がほとんどない、という言い分はすごくわかるし、そこだけは共感しましたが、週末になると芦川さんが二谷のために食事の用意をしに来てくれる(泊まりに来る)のに、いかにも身体によさそうな料理を平らげておきながら、深夜にこそこそ起きてカップ麺を食べないと落ち着かない、という習性は、病んでいるなと思いました。

 そうなんです、二谷と芦川さんはじつは肉体関係を結んでいるのです。

 二谷は芦川さんのような女性が好みのタイプだそう。
 でも彼女の、料理に手間暇(てまひま)をかけることを(いと)わないところなんかをしだいに苛立たしく感じてきて、おいしいごはんを食べたあとに隠れてカップ麺をすすったり、職場でもらったお菓子を握りつぶして捨てたりしているのです。

 このあと、芦川さんのお菓子をめぐって、ある事件が発覚します。


 流れとしてはこういうお話なのですが、触れていない部分も多々あるので、以下はあくまでもわたしの主観での感想だとご理解いただければと思います。

 わたしも芦川さんは苦手だなと思いました。
 仕事ができないとかメンタル弱そうとかそういうところではなく、
 自分以外のみんなが残業しているなかで、先に帰らせてもらうお礼として手作りのお菓子を持ってくるという選択をするところが苦手。

 えっ、どうして? と思われるかもしれません。
 藤さんや原田さんのように素直にありがたく受け取ればいいじゃん、と思われるかもしれませんが、わたしのなかではこの選択肢はまずありえない、と感じてしまいます。
 それならいっそ、なにもしてくれなくていい。
 そのほうが断然まし。
 そう思ってしまうのです。

 あまりにも頻繁に手作りお菓子を持参する芦川さんに、とうとう藤さんが
「材料費だけでも」
 と提案し、結局、月に二回、社員は千円、パートは三百円ずつ、芦川さんに材料費として渡すことになります。
 はじめ、芦川さんは固辞するのですが、結局はそれを受け取ることを了承し、
「これまで以上においしいものをたくさん作ってきますね!」
 とさらに気合いを入れてお菓子作りに励むのです。

 …………本末転倒では?

 お詫びやお礼のために差し入れしていたのに、あまりに度が過ぎるため、もらうほうがかえって気兼ねをしてお金を払うことになるなんて。
 芦川さんはあくまでも善意でお菓子作りにいそしんでいるのでしょうけれど、相手に気を遣わせるほど回数を重ねて、そこに思い(いた)らない(にぶ)さがわたしはどうにも苦手です。
 この職場で働くひとが全部で何人いるのかはわかりませんが、最低でも八人は存在することが作中で明かされています。
 社員とパートの比率も不明ですが、社員は月に二千円、パートは六百円を芦川さんに払うわけです。そしてこのなかには二谷や押尾さんも含まれるわけです。

 先ほど、芦川さんはメンタルが弱い、という表現をしましたが、実際はかなりの(はがね)メンタルではないかと思います。
 本来なら社員は二谷のように数年で転勤となるはずが、芦川さんだけは、実家からすぐに通える距離のこの支店にずっと在籍していて、それは支店長や支店長補佐である藤さんが、
「芦川さんはここで自分たちが守らないと」
 と

しているためなのです。
 そして芦川さんはその配慮をすんなりと受け入れています。

 ここまで、芦川さんに対してかなり辛辣(しんらつ)なことをいってきましたが、これがもし芦川さん視点での物語になっていたら、また別の感想を抱いたかもしれません。
 わたしが得た情報は、すべて二谷と押尾さんの視点から語られたものが元になっているので、芦川さんに対してフェアではありません。

 (ちなみに、ずっと「二谷」「押尾さん」と表現しているのは、二谷視点で語られる作中での呼び方をそのまま(もち)いています。二谷は「私」ではなく「二谷」という表記ですが、これが押尾さん視点になると、語り手は「押尾」ではなく一人称の「わたし」に変化します。)

 この作品は、読むひとのそれまでの経験や価値観によって、受け取り方がかなり変わってくるのではないかなと思いました。
 だから、わたしはこのように感じたというだけで、まったく違う印象や感想を抱く方ももちろんいらっしゃることでしょう。

 支店長補佐の藤さんは、立場上、芦川さんのようなひとに対して強く出られないことを、
 「


 と表現します。
 ちょっと注意しただけのつもりでも、相手の受け取り方しだいで「パワハラ」「モラハラ」といわれてしまう時代です。もちろん、パワハラやモラハラは許されることではないし、時代うんぬんは関係なく、いままでそれらが見過ごされてきたことのほうがおかしいというのは理解しています。
 ただ、「逆パワハラ」というのか、自分の弱さや傷つきやすさを前面に押し出してくるようなひとに対して、上司のみならず、周りの同僚たちまで腫れものに触るような扱いをせざるを得なくなり、そのひとのぶんまで余分に仕事を背負う羽目になり、でも報酬面での待遇はみんな同じとなると、当然、押尾さんのように不満を感じるひとは少なからず出てくるだろうと思うのです。
 その不満すらも、
「いまはそういう時代だから、(こら)えてよ」
 といわれて封じられてしまったり。

 仕事ができるひと、キツくても我慢して黙ってがんばるひとには、ますます負担が増え続けるだけ。
 がんばるひとが損をする、というと語弊(ごへい)があるかもしれませんが、そういう側面もたしかにあると思います。

 どの立場から物事を見るかによって、印象というのはガラリと変化します。どちらの言い分も理解はできる。ただ、自分がいざその立場になったとき、どのように感じるか。
 とても考えさせられるお話でした。

 以前、『しあわせは食べて寝て待て』という漫画をご紹介したときに、急な体調不良などで職場のひとたちに迷惑をかけてしまうことがあるけれど、それは「お互いさま」だと思う、と書きましたし、いまもそう思っています。
 でも、それが「お互いさま」ではなく、何年ものあいだ、互いに同じ待遇のまま、ずっと片方のひとが一方的にフォローし続ける状態だったとしたら。
 やむを得ない状況だと頭では理解していても、時には不公平だと感じてしまうことはあると思います。
 
 そういったことを考えながらモヤモヤと読み進め、読み終えたあともモヤモヤしてしまいました。

 登場する人物、みんなそれぞれちょっとずつ変で、素直に感情移入できる対象がいない、というところも、この作品の不穏さをさらに深めているように感じます。
 (ちょっとずつ共感できる部分もあるんですけど)

 モヤモヤをうまく表現できず、長々とした文章になってしまいました。あとで少し修正するかもしれません。
 最後までお読みくださった方、ここまでお付き合いいただいてありがとうございます。
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