[1-54] トラップ・オブ・グランドサン・チャイルド
文字数 5,085文字
赤々と炎が燃えていた。
冒険者や騎士たち……街壁を越えて街の中へ侵入したアンデッドに対応していた遊撃部隊が、荷車や何かにアンデッドの残骸を積んで、神殿の前庭に運び込んで来る。
積まれた残骸は片っ端から聖なる油を掛けられて、炎の中に突っ込まれて行った。
術者の手を離れたアンデッドの残骸も放置してはいられない。可能ならちゃんと聖気によって処置するのが望ましい。
穢れた力は残骸にも依然として残留している。このまま放っておけば、残骸が独立したアンデッドとして再復活してしまうこともあり得る。
アンデッド達はあまり散らばらず、部隊として行動していた。神殿からそう遠くない場所でまとめて討ち取れたので、ここへ持ってきて火葬しているのだった。
「街の中に侵入したアンデッドはこれで全部か?」
「まだ隠れている可能性はあるが……」
第二騎士団所属の騎士カーヤ・ランナーはお焚き上げの聖火を前に、積まれたアンデッドの死体を数えているところだった。
カーヤは猟犬のような雰囲気の目つきをした30手前の女だ。領地経営を行う貴族としての騎士はやはり男ばかりだが、王宮騎士団は実力主義であり身分も性別も関係ない(……少なくとも建前は)。
卓越した剣才で頭角を現したカーヤは第二騎士団で隊長を務めるうちのひとりであり、自らの隊を率いて遊撃に当たっていた。
今、街の中に侵入したアンデッドは駆除しきり、外のアンデッド達も攻撃を止めているらしい。
だがカーヤはそのことをどうしようもなく不安で不気味に思っていた。
弓は大きく引き絞るからこそ強く矢を放てるもの。『嵐の前の静けさ』という例えもある。
何かが胸に引っかかったようで……
「うん?」
やいやいと騒ぐ声が聞こえて、羊皮紙を睨んでいたカーヤは顔を上げた。
ふと見ると、同じくアンデッドの残骸を運んできていた第一騎士団の隊長のひとりアーノルドが、どこからかやってきたらしい市民に取り囲まれていた。
「騎士様! 外はどうなってるんですか! 街は大丈夫ですか!」
「大丈夫だ、この街は我々が守る。市民の皆様は落ち着いて……」
ちょうど敷地の入り口の所に立っていたせいで捕まってしまったらしい。
あしらおうとするアーノルドだが、追われる獣のように憔悴しきった様子の市民たちが次々に集まってくる。
「守りの魔法が破られていましたが、ありゃなんですか!」
「空から騎士様が落っこちてくるのを見ましたよぉ!」
「街ん中にアンデッドが入り込んでましたよ!」
「本当に大丈夫なんですか!」
――まずいわね……あんなものを見せられたら恐ろしくなるのも道理。このままじゃパニックが起こりかねないわ。
口々に不安を訴えられ、アーノルドはお手上げ状態だ。
助け船を出してやろうとカーヤが一歩踏み出した時だ。
「あんたらのしたことが……あれを呼び込んだんじゃないのか」
ぼそりと。
集まった市民のうちのひとりが呟き、時間が凍った。
アーノルドがさっと顔を赤らめて腰の剣に手を掛ける。
「ききき貴様ぁ! 言うに事欠いて何を!!」
「だってそうじゃないか、ありゃ首を切られた王女なんだろ!?」
「王様を差し出せば助けるって言ってたぞ!」
「俺は殺すのはよくないと思ってたんだ!」
それが口火であったかのように、口々にアーノルドを非難する市民たち。
普通ならこんな事を面と向かって騎士に言うなどできないだろう。
だが、彼らは生きようと必死だった。
死の淵に追い込まれていると思った彼らは、その原因を糾さずにいられないのだ。
「たわけた事を言いやがる! 全員不敬罪で……!?」
今にも剣を抜いて斬りかかりそうなアーノルドの肩をカーヤは後ろから掴んだ。
「落ち着いてください。それこそ今やる事ではありませんでしょう」
「う……ぐ。おい! 貴様らの顔は覚えたぞ! 後で覚えていろ!」
アーノルドは収まりがつかない様子ではあったが、それ以上にもう関わり合いになりたくないようで、捨て台詞を吐いて大股に歩み去って行った。
必然的に、アーノルドに代わってカーヤが矢面に立つことになる。
収まりがつかない様子なのは市民たちも一緒だ。
わずかに殺気立った空気を感じる。
カーヤは兜の前面覆いを押し上げた。
市民たちがちょっと戸惑ったような顔をする。
『女を武器にする』というのはあまり好きではないが……こういう時は、女である自分が出た方が丸く収まるのだとカーヤは分かっていた。
女だてらに王宮騎士団の隊長であるカーヤは、王都ではちょっとした有名人だ。
「第二騎士団のカーヤ・ランナーです。
皆様の不安なお気持ち、察するに余りあります。ですがどうかご安心ください。
少数のアンデッドが市街に侵入しましたが、騎士団はこれを市民の犠牲無く駆除いたしました。
街壁・街門も未だ破られてはおらず、我々は優位に立ち防衛戦を行っております。
……我ら王宮騎士団、皆様をお守りするため最後のひとりの命が尽きるまで戦いましょう。ですから、どうか今は落ち着いて行動してください。家族や大切な方と一緒に居てあげてください」
自分でもちょっとズルイ言い回しなのは自覚していた。
しかし、方便というやつだ。ここでパニックになれば守れるものも守れなくなる。
一ヶ月前の騒ぎをカーヤは思い出す。苦い記憶だ。“怨獄の薔薇姫”から逃げようとする市民が折り重なって倒れたり転んだ者を踏みつぶしたりして、それだけで十数人が死んでいる。
モンスターが来る前から死人が出るような馬鹿馬鹿しい事態だけは御免だった。
「……分かった」
「俺も……言い過ぎたよ」
「頑張ってください」
渋々という調子だが、集まった者たちが退いていく。
収まったらしいと分かって、カーヤは溜息をついた。
アーノルドに詰め寄っていた市民の中にだって、ルネの処刑に快哉を上げていた者は居るだろう。きっと。
それでもこの期に及んでは、(自分以外の誰かから)危機の原因を探して吊し上げたいという意識が働いている。
ヒルベルトと引き替えにアンデッドの軍勢が退くなら、その方が良いと考えている市民は居るだろう。きっと。
それでも彼らが実力行使に出ないのは、アンデッドも怖いが王を守る騎士団も怖いから。そして騎士団が勝つのではないかと希望を持っているからだ。
もし騎士団が崩れていけば……どうなるだろう。この場はカーヤがうまく収められたけれど、こういう手合いが出てくるということは、つまり同じ事が街中で起こっていても不自然ではない。市民が混乱を起こせば騎士団の行動にも差し支える。
カーヤだって心のどこかでは『ヒルベルトを差し出せばいいじゃないか』と邪神が囁いている(なお本当に邪神が囁いているわけではなく慣用表現なので、邪神にしてみれば風評被害である)。
だが、今は団結しなければならない。心を乱せば付け入られるだけだという予感があった。
「隊長、来てください! 喧嘩が……」
声を掛けられて、カーヤは暗澹たる物思いから覚める。
部下のひとりが慌てた様子でこちらへ走ってきていた。
* * *
「……何が起こった」
いかに誇りある王宮騎士団と言えど、血気盛んな武人たちが諍いを起こすことは珍しくない。
だが、それが刃傷沙汰にまでなることは稀だ。異常事態だった。
神殿の裏手で、カーヤの部下のひとりとアーノルドの部下のひとりが、それぞれ同僚たちに拘束されるようにしてへたり込んでいた。
よりによってお互いに抜剣しており、しかもお互いに手傷を負っている。
駆けつけた神官が≪治癒促進 ≫を掛け、周囲の騎士たちが傷の手当てをしていた。
「おい、お前らは喧嘩のために剣を抜くのか。どこの山賊だ。
よしんば決闘をするとしても、今するべきではないだろう」
「こいつが!」
カーヤの部下が剣を突き出して、相手の方を指し示した。
「第二騎士団はアンデッドどもと取引をしているんだろうって……!」
「何?」
どういうことだ、とカーヤが相手の方を見ると、そちらもそちらで怒鳴り返す。
「おかしいだろう! 俺の前で3人も同僚が死んだ! しかし一緒に居た第二の奴は擦り傷ひとつ負ってないんだ!」
「そんなの偶然だろう!」
「偶然も何もあったもんか! あれだけの激しい戦いで第二騎士団員は全然死んでいないだろう!!」
そう、それはカーヤも何か不自然に思っていたことだ。
アンデッドの兵たちは第一騎士団だけを選んで殺していた。
街中に侵入した者さえ、市民に手を出していないという徹底ぶりだ。
カーヤはそれを不気味に思っただけだったが、第一騎士団の者からすれば別だろう。
「……アーノルド」
『お前が収めろ』という意味で水を向けると、アーノルドは苦い溜息をつく。
そして、喧嘩をしていた騎士の前にかがみ込んだ。
「落ち着け。それは今言うことではない。お前が勝手に決めることではない。調べて判断するのは団長殿だ。
……その疑いの件は、俺から団長殿のお耳に入れる。だから今は無駄口を叩かず、言われた通りの仕事だけしておけ」
「団長殿に……今何ができるって言うんですか!
だいたい俺はクーデター なんか反対だったんだ! だのに第一騎士団員だってだけで殺されんなら……こんな鎧捨ててやるっ! 俺は母ちゃんと逃げるんだ!!」
「おい!? 言うに事欠いて何を! 敵前逃亡は重罪だぞ!」
「うるさいっ!!」
「くそ、取り押さえろ!!」
暴れ出した騎士に、周囲の騎士が飛びつくようにして殺到する。
兜を投げ捨てた騎士の首筋に手刀が叩き込まれ、気絶した騎士はそのまま引きずられていった。
「全く。部下を落ち着かせるのも上官としての……」
悪態をつきかけたカーヤはの言葉は、尻切れトンボになった。
アーノルドは部下たちを庇うような立ち位置で、殺気に近い圧を掛けてきている。
「……冗談でしょう?」
「決めるのは、団長殿だ。だが身を守れる程度には用心させてもらう」
「お、落ち着いてください。そんなことをするわけが……」
「…………」
ひりつく空気の中、戦場で向かい合ったようにふたりは睨み合い、そしてお互いに退いていった。
* * *
未だ、お焚き上げは続いている。
煌々と輝く聖火は、不浄のアンデッドどもを倒した勝利の成果だが、しかしそれを見てもカーヤの心は晴れなかった。
「なあ……もし取引でアンデッドどもが退いていくとしたら、その取引を受けるべきだと思うか?」
「あ?」
「仮の話だよ。もしあいつらが最初から第一騎士団と陛下にしか興味ないなら、刺激するのはよくねぇんじゃねえかって……」
部下たちは声を低めながらも、騎士としてあるまじき会話をしていた。
……カーヤも気持ちだけは理解できてしまう。
こんな状態で第一騎士団と第二騎士団がまともに連係できるわけない。
今はまだいいが、戦いが始まった時に何が起こるか……
――アンデッドども、どうして退いたのかしら?
まさか『疑い合うための時間を作った』とか言うんじゃないでしょうね?
八つ当たりかも知れないが、それでもカーヤは苛立っていた。
市民が騎士団に猜疑の目を向け、騎士たちがお互いに敵の影を見る……
危険に晒された者と安全だった者の間で意識が乖離する……
もしずっと戦いが続いていたら、余計なことを考える暇も無く誰もが必死だっただろう。
一息つく時間ができてしまったことで、どこかで歯車がズレ、軋む音が立っている。
その時、チリ、と胸の内で何かが焼けるような感覚があった。
しまっていた通話符 を取り出すと、表面の文字が赤く輝き、力の波動を放っている。
「……団長殿」
表面を撫でて起動すると、そこから声が聞こえてきた。
ちょっとやさぐれていい加減な雰囲気だが、しかし機知に満ちた声が。
『聞こえるか? みんな。次の作戦を伝える。配置が大きく変わるから、間違えないようによく聞いてくれよ』
カーヤは正直ホッとしていた。
我らが団長殿には、まだ次の手がある。なら自分たちはまだ大丈夫なのだ、と。
冒険者や騎士たち……街壁を越えて街の中へ侵入したアンデッドに対応していた遊撃部隊が、荷車や何かにアンデッドの残骸を積んで、神殿の前庭に運び込んで来る。
積まれた残骸は片っ端から聖なる油を掛けられて、炎の中に突っ込まれて行った。
術者の手を離れたアンデッドの残骸も放置してはいられない。可能ならちゃんと聖気によって処置するのが望ましい。
穢れた力は残骸にも依然として残留している。このまま放っておけば、残骸が独立したアンデッドとして再復活してしまうこともあり得る。
アンデッド達はあまり散らばらず、部隊として行動していた。神殿からそう遠くない場所でまとめて討ち取れたので、ここへ持ってきて火葬しているのだった。
「街の中に侵入したアンデッドはこれで全部か?」
「まだ隠れている可能性はあるが……」
第二騎士団所属の騎士カーヤ・ランナーはお焚き上げの聖火を前に、積まれたアンデッドの死体を数えているところだった。
カーヤは猟犬のような雰囲気の目つきをした30手前の女だ。領地経営を行う貴族としての騎士はやはり男ばかりだが、王宮騎士団は実力主義であり身分も性別も関係ない(……少なくとも建前は)。
卓越した剣才で頭角を現したカーヤは第二騎士団で隊長を務めるうちのひとりであり、自らの隊を率いて遊撃に当たっていた。
今、街の中に侵入したアンデッドは駆除しきり、外のアンデッド達も攻撃を止めているらしい。
だがカーヤはそのことをどうしようもなく不安で不気味に思っていた。
弓は大きく引き絞るからこそ強く矢を放てるもの。『嵐の前の静けさ』という例えもある。
何かが胸に引っかかったようで……
「うん?」
やいやいと騒ぐ声が聞こえて、羊皮紙を睨んでいたカーヤは顔を上げた。
ふと見ると、同じくアンデッドの残骸を運んできていた第一騎士団の隊長のひとりアーノルドが、どこからかやってきたらしい市民に取り囲まれていた。
「騎士様! 外はどうなってるんですか! 街は大丈夫ですか!」
「大丈夫だ、この街は我々が守る。市民の皆様は落ち着いて……」
ちょうど敷地の入り口の所に立っていたせいで捕まってしまったらしい。
あしらおうとするアーノルドだが、追われる獣のように憔悴しきった様子の市民たちが次々に集まってくる。
「守りの魔法が破られていましたが、ありゃなんですか!」
「空から騎士様が落っこちてくるのを見ましたよぉ!」
「街ん中にアンデッドが入り込んでましたよ!」
「本当に大丈夫なんですか!」
――まずいわね……あんなものを見せられたら恐ろしくなるのも道理。このままじゃパニックが起こりかねないわ。
口々に不安を訴えられ、アーノルドはお手上げ状態だ。
助け船を出してやろうとカーヤが一歩踏み出した時だ。
「あんたらのしたことが……あれを呼び込んだんじゃないのか」
ぼそりと。
集まった市民のうちのひとりが呟き、時間が凍った。
アーノルドがさっと顔を赤らめて腰の剣に手を掛ける。
「ききき貴様ぁ! 言うに事欠いて何を!!」
「だってそうじゃないか、ありゃ首を切られた王女なんだろ!?」
「王様を差し出せば助けるって言ってたぞ!」
「俺は殺すのはよくないと思ってたんだ!」
それが口火であったかのように、口々にアーノルドを非難する市民たち。
普通ならこんな事を面と向かって騎士に言うなどできないだろう。
だが、彼らは生きようと必死だった。
死の淵に追い込まれていると思った彼らは、その原因を糾さずにいられないのだ。
「たわけた事を言いやがる! 全員不敬罪で……!?」
今にも剣を抜いて斬りかかりそうなアーノルドの肩をカーヤは後ろから掴んだ。
「落ち着いてください。それこそ今やる事ではありませんでしょう」
「う……ぐ。おい! 貴様らの顔は覚えたぞ! 後で覚えていろ!」
アーノルドは収まりがつかない様子ではあったが、それ以上にもう関わり合いになりたくないようで、捨て台詞を吐いて大股に歩み去って行った。
必然的に、アーノルドに代わってカーヤが矢面に立つことになる。
収まりがつかない様子なのは市民たちも一緒だ。
わずかに殺気立った空気を感じる。
カーヤは兜の前面覆いを押し上げた。
市民たちがちょっと戸惑ったような顔をする。
『女を武器にする』というのはあまり好きではないが……こういう時は、女である自分が出た方が丸く収まるのだとカーヤは分かっていた。
女だてらに王宮騎士団の隊長であるカーヤは、王都ではちょっとした有名人だ。
「第二騎士団のカーヤ・ランナーです。
皆様の不安なお気持ち、察するに余りあります。ですがどうかご安心ください。
少数のアンデッドが市街に侵入しましたが、騎士団はこれを市民の犠牲無く駆除いたしました。
街壁・街門も未だ破られてはおらず、我々は優位に立ち防衛戦を行っております。
……我ら王宮騎士団、皆様をお守りするため最後のひとりの命が尽きるまで戦いましょう。ですから、どうか今は落ち着いて行動してください。家族や大切な方と一緒に居てあげてください」
自分でもちょっとズルイ言い回しなのは自覚していた。
しかし、方便というやつだ。ここでパニックになれば守れるものも守れなくなる。
一ヶ月前の騒ぎをカーヤは思い出す。苦い記憶だ。“怨獄の薔薇姫”から逃げようとする市民が折り重なって倒れたり転んだ者を踏みつぶしたりして、それだけで十数人が死んでいる。
モンスターが来る前から死人が出るような馬鹿馬鹿しい事態だけは御免だった。
「……分かった」
「俺も……言い過ぎたよ」
「頑張ってください」
渋々という調子だが、集まった者たちが退いていく。
収まったらしいと分かって、カーヤは溜息をついた。
アーノルドに詰め寄っていた市民の中にだって、ルネの処刑に快哉を上げていた者は居るだろう。きっと。
それでもこの期に及んでは、(自分以外の誰かから)危機の原因を探して吊し上げたいという意識が働いている。
ヒルベルトと引き替えにアンデッドの軍勢が退くなら、その方が良いと考えている市民は居るだろう。きっと。
それでも彼らが実力行使に出ないのは、アンデッドも怖いが王を守る騎士団も怖いから。そして騎士団が勝つのではないかと希望を持っているからだ。
もし騎士団が崩れていけば……どうなるだろう。この場はカーヤがうまく収められたけれど、こういう手合いが出てくるということは、つまり同じ事が街中で起こっていても不自然ではない。市民が混乱を起こせば騎士団の行動にも差し支える。
カーヤだって心のどこかでは『ヒルベルトを差し出せばいいじゃないか』と邪神が囁いている(なお本当に邪神が囁いているわけではなく慣用表現なので、邪神にしてみれば風評被害である)。
だが、今は団結しなければならない。心を乱せば付け入られるだけだという予感があった。
「隊長、来てください! 喧嘩が……」
声を掛けられて、カーヤは暗澹たる物思いから覚める。
部下のひとりが慌てた様子でこちらへ走ってきていた。
* * *
「……何が起こった」
いかに誇りある王宮騎士団と言えど、血気盛んな武人たちが諍いを起こすことは珍しくない。
だが、それが刃傷沙汰にまでなることは稀だ。異常事態だった。
神殿の裏手で、カーヤの部下のひとりとアーノルドの部下のひとりが、それぞれ同僚たちに拘束されるようにしてへたり込んでいた。
よりによってお互いに抜剣しており、しかもお互いに手傷を負っている。
駆けつけた神官が≪
「おい、お前らは喧嘩のために剣を抜くのか。どこの山賊だ。
よしんば決闘をするとしても、今するべきではないだろう」
「こいつが!」
カーヤの部下が剣を突き出して、相手の方を指し示した。
「第二騎士団はアンデッドどもと取引をしているんだろうって……!」
「何?」
どういうことだ、とカーヤが相手の方を見ると、そちらもそちらで怒鳴り返す。
「おかしいだろう! 俺の前で3人も同僚が死んだ! しかし一緒に居た第二の奴は擦り傷ひとつ負ってないんだ!」
「そんなの偶然だろう!」
「偶然も何もあったもんか! あれだけの激しい戦いで第二騎士団員は全然死んでいないだろう!!」
そう、それはカーヤも何か不自然に思っていたことだ。
アンデッドの兵たちは第一騎士団だけを選んで殺していた。
街中に侵入した者さえ、市民に手を出していないという徹底ぶりだ。
カーヤはそれを不気味に思っただけだったが、第一騎士団の者からすれば別だろう。
「……アーノルド」
『お前が収めろ』という意味で水を向けると、アーノルドは苦い溜息をつく。
そして、喧嘩をしていた騎士の前にかがみ込んだ。
「落ち着け。それは今言うことではない。お前が勝手に決めることではない。調べて判断するのは団長殿だ。
……その疑いの件は、俺から団長殿のお耳に入れる。だから今は無駄口を叩かず、言われた通りの仕事だけしておけ」
「団長殿に……今何ができるって言うんですか!
だいたい俺は
「おい!? 言うに事欠いて何を! 敵前逃亡は重罪だぞ!」
「うるさいっ!!」
「くそ、取り押さえろ!!」
暴れ出した騎士に、周囲の騎士が飛びつくようにして殺到する。
兜を投げ捨てた騎士の首筋に手刀が叩き込まれ、気絶した騎士はそのまま引きずられていった。
「全く。部下を落ち着かせるのも上官としての……」
悪態をつきかけたカーヤはの言葉は、尻切れトンボになった。
アーノルドは部下たちを庇うような立ち位置で、殺気に近い圧を掛けてきている。
「……冗談でしょう?」
「決めるのは、団長殿だ。だが身を守れる程度には用心させてもらう」
「お、落ち着いてください。そんなことをするわけが……」
「…………」
ひりつく空気の中、戦場で向かい合ったようにふたりは睨み合い、そしてお互いに退いていった。
* * *
未だ、お焚き上げは続いている。
煌々と輝く聖火は、不浄のアンデッドどもを倒した勝利の成果だが、しかしそれを見てもカーヤの心は晴れなかった。
「なあ……もし取引でアンデッドどもが退いていくとしたら、その取引を受けるべきだと思うか?」
「あ?」
「仮の話だよ。もしあいつらが最初から第一騎士団と陛下にしか興味ないなら、刺激するのはよくねぇんじゃねえかって……」
部下たちは声を低めながらも、騎士としてあるまじき会話をしていた。
……カーヤも気持ちだけは理解できてしまう。
こんな状態で第一騎士団と第二騎士団がまともに連係できるわけない。
今はまだいいが、戦いが始まった時に何が起こるか……
――アンデッドども、どうして退いたのかしら?
まさか『疑い合うための時間を作った』とか言うんじゃないでしょうね?
八つ当たりかも知れないが、それでもカーヤは苛立っていた。
市民が騎士団に猜疑の目を向け、騎士たちがお互いに敵の影を見る……
危険に晒された者と安全だった者の間で意識が乖離する……
もしずっと戦いが続いていたら、余計なことを考える暇も無く誰もが必死だっただろう。
一息つく時間ができてしまったことで、どこかで歯車がズレ、軋む音が立っている。
その時、チリ、と胸の内で何かが焼けるような感覚があった。
しまっていた
「……団長殿」
表面を撫でて起動すると、そこから声が聞こえてきた。
ちょっとやさぐれていい加減な雰囲気だが、しかし機知に満ちた声が。
『聞こえるか? みんな。次の作戦を伝える。配置が大きく変わるから、間違えないようによく聞いてくれよ』
カーヤは正直ホッとしていた。
我らが団長殿には、まだ次の手がある。なら自分たちはまだ大丈夫なのだ、と。