[1-29] フレッシュミキサー

文字数 4,699文字

 奇妙なものが旧道を疾走していた。

 それは二頭立ての馬ソリの残骸、のような物体だ。
 馬車から御者席と座席付きの床以外全てを切り取ったものが馬に引かれて高速で移動している。
 
 馬は泡を吹きながら一心不乱に走り続けていた。走ること以外の思考を頭から削除されてしまったように。自分たちの背後に存在する何か巨大な恐怖、人の姿をした絶望から逃げるように。
 必死で手綱を繰るデリクも同じような心地だった。剥き出しの座席にどっかりと座った少女が何をしたか、一部始終を見てしまったから。

 馬ソリも、馬も、荷物も、人も、全て等しく彼女には邪魔なものであり、等しく破壊の対象だった。
 30人は居たはずのナイトパイソン構成員たちは……中には荒事の経験が豊富な者も居たというのに……風に吹き散らされる木の葉のように殺された。
 馬二頭と馬ソリの残骸、そしてデリクだけが残った。それは幸運だったからでも、抵抗したからでもなく、単に彼女が必要だと見なしたからだ。

 壁と天井を取っ払われたこの惨状は、少しでも軽くして速度を出すためであり、また周囲に警戒するためにと彼女が行った改造の成果だった。
 彼女は何らかの魔法で防寒を行っているようだが、デリクはその恩恵にあずかれず、すでに涙と鼻水が凍ってツララになっている。

「この先にお前らの見張り小屋があるんだな」

 背後から突然飛んできた声にデリクはすくみ上がった。可愛らしい少女の声なのに全く抑揚が無く、人を相手に喋っているとは思えないほど冷たい。
 デリクは、自分が『まだ利用価値があるゴミ』程度にしか思われていないのだと分かった。

「はい! 私どもは街道付近の各所に前線基地を設けています! 今日は私がこの旧道を通って逃げる手筈となっておりましたので、偵察・安全確保のため数人が詰めております!」
「それはさっきも聞いた」
「はい申し訳ありません! ……ですが先ほど通話符(コーラー)で話を通しましたので邪魔をされることは無いでしょう!」
「よし、ならば全速前進」
「かしこまりましたっ!!」

 デリクは既に全力疾走している馬に、少しでも速度を上げろとばかり無茶苦茶に鞭を入れた。

 彼女の命令は単純。『一番偉いやつのとこへ連れてけ』。
 領チーフであるデリクは首領との連絡手段もあるし、ある程度は首領の日常的な行動を知っている。つまりはそれを当てにしているのだ。
 別にデリクは身を挺して首領を守る気など無い。利益と恐怖によって従っているだけだ。だから、この少女に首領を売り渡して自分が無事解放されるならそれでも構わないと思ったのだが、言う通りにしたからといって無事解放されるとは思えない。子分たちが薙ぎ払われた惨劇を思い出すだけで震えが来る。きっとデリクが用済みになった時、同じ運命が待っているのだ。

 ――畜生、化け物め……! 見てろよ、吠え面かかせてやる!

「おい。今何を考えた?」
「はひっ!? な、なんでもございません!!」

 デリクは御者席に座った状態から器用に飛び上がる。

 ――殺気を感じたのか!? それともこいつは心を読むのか!?

 反攻について考えた瞬間に釘を刺され、ただでさえ雪風に冷やされた身体が凍り付いたかのように錯覚する。
 デリクは必死で何も考えないよう努力した。
 我慢も、今しばらくだ。

 先ほどデリクは、彼女が見ている前で通話符(コーラー)を使って行く手の見張所へ連絡を入れた。
 そこで喋った内容を要約すると『妙な状態で通るが気にせず通せ』というもの。このスピードでは、何かおかしいと気付いた時には通過してしまっているだろう。

 しかしデリクは、その短い通話の中に暗号を混ぜた。
 端で聞いている分には普通の会話だが、助けを求め、排除の対象が何であるかまで伝えた。知恵者のデリクだからこそできた事だろう。
 後は待ち受ける者らが何らかの対処をしてくれるはず。

 旧道は起伏の多い辺りにさしかかる。大きめの丘の影に隠れるようにして、山小屋的なナイトパイソンの拠点が存在しているのだ。
 そして、兵を伏せ隠れるにも適した地形である。

「ん……?」

 座席を蹴るように少女が立ち上がる。そして一面の銀世界を見回した。

 ――気付きやがった? だが……遅ぇ!!

 どこからか飛んで来た魔法がデリクを包み、防御する。
 その直後。雪の中に埋められていた魔動地雷が大轟音と共に炸裂した。

 * * *

「はあああっ!!」

 ベネディクトが気合いと共に大剣を振り下ろす。
 大剣や大槌のような超重武器は前衛のロマン……というだけではなく、巨大な魔物にも有効な打撃を与えられる事からよく使われる武器だった。
 さらにベネディクトの大剣は斬撃の鋭さを増す魔化が付いている。安い魔化だったが、氷塊を切り裂くには充分だった。

 巨大氷塊に丸ごと埋まっていた死体から、腕の部分だけが切り出される。
 その切断面からは鮮血が滴った。

「凍ってるかと思ったが、ちったあ出るか」
「血は凍りにくいんだよ。それに死にたてみたいだしね。……さてと」

 ディアナは防寒着の胸元をはだけさせる。
 未だ、彼女の胸元に刻まれた紋からはじわりと血が染み出し続けていた。

 その上に、さらにディアナは血を垂らす。切り出された腕より滴る血を。
 突然の奇行にベネディクトとヒューは物問いたげだが、しかしディアナを見守った。

「……見えた、この先だ! 近いよ!」
「本当か!?」
「ああ。……ちょっと待ちな」

 ここでディアナは自分の荷物からイリスの着替えのシャツを引っ張り出す。
 探知用の触媒として持ってきたものだ。

「≪託宣:尋ね人(シークパーソン)≫!」

 イリスの反応を探ったディアナは、すぐ弾かれたように顔を上げる。

「やっぱり反応は同じ場所……!」

 ウェンディゴに飛び乗ろうと駆けだして、しかしディアナは雪の中にへたり込む。

「ディアナ!」
「大丈夫。久々に『紋』を使ったもんで、ちとめまいがしただけさ。それよりも早く追いかけないと!」
「そんな状態でウェンディゴに乗るのは無理だろう。追いついたところで何があるか分からん、お前がそんな状態で戦闘にでもなったらどうする?」
「……そうだね。あたしがこれじゃ何にもならない」

 意外にもディアナはベネディクトの言葉を素直に聞き入れた。

「……なあ、教えてくれ。そいつは何なんだ? その話を聞く間、休憩って事にしよう」
「だな。それが何なのか分からないままじゃ戦闘時の連係にも差し支える」

 ウェンディゴに掛けていた荷物から簡易椅子を降ろしたディアナは、それに腰掛けてキセルに火を付ける。
 吹きだした煙が宙に舞う雪を一粒溶かした。

「ディレッタ神聖王国の『滅月会(ムーンイーター)』っての、知ってるかい」
「噂くらいは……」

 急な切り出しにふたりは顔を見合わせる。

「アンデッドと邪術士を潰すことに血道を上げるディレッタ最強の精鋭部隊。腕は確かだが、邪術士ひとり殺すために村を丸ごと焼くような連中だって……」
「そういう噂は話半分に聞いときな」

 ヒューの言いぐさにディアナはひらひらと手を振る。

「噂の倍は酷いから」

 そう言って、また細長く煙を吐き出した。

 ディアナは闇空を見上げる。雪が舞い落ちてくる空の向こうに、遠い日の記憶があるとでも言うように。

「うちの一家はね、それだったんだ。別に世襲でもないが代々滅月会(ムーンイーター)でね。
 親父は自分の技を子に継がせたがったが男が生まれなかった。仕方なくあいつは長女であるあたしにそれを託した。
 8つの歳からあたしはクソみたいな修業を散々させられた。子どもが望めない身体になるほどの厳しすぎる修業をね……」

 家族について語るディアナの言葉は、これっぽっちも懐かしむ調子が無かった。

 ベネディクトもヒューも、反応に困るような重い雰囲気を察してちょっと気まずい。
 と同時に、ディアナについての謎が解けて納得する部分もあった。彼女は僧侶(プリーステス)でありながら格闘家(グラップラー)並みに体術ができるのだ。取っ組み合えば男にも負けないし、鉄板入りのブーツから繰り出される蹴りはオークの首の骨を折って一撃で仕留めたこともある。
 それは滅月会(ムーンイーター)としての修行の賜物だったわけだ。

「その親父はあたしが15ん時に死んだ。戦って殺されたわけじゃない、命を使い果たして死んだんだ。滅月会(ムーンイーター)の奥義は、人の限界を超えた力の代償に命を削るのさ。所属者は実質消耗品だ。
 そしてあたしは親父の死を機に逃げ出した。その頃にはもう、そこそこの使い手になっちゃいたが……滅月会(ムーンイーター)の連中のやり方は気にくわなかったからね。連中に従って村を焼くのは御免さ」
「胸元のそいつが滅月会(ムーンイーター)の?」
「そう。これが滅月会(ムーンイーター)の奥義『戦闘聖紋(スティグマ)』。
 あたしの全身には紋が刻まれてる。……全部で27に別れてて、それぞれに別の力がある。あたしは普通に僧侶(プリーステス)やってる分には並だよ。でも、こいつを使えばとんでもない力を出せるんだ。
 胸元のこいつは探査だ。ろくでもないもんしか探せないけどね」

 探査と言うが、何に反応するのか。ディアナは言わなかった。

「本当にどうしようもない時は使おうと思ってたんだ。……たぶん、それは今だ」

 闇の奥を睨み付け、ディアナはキセルから吸い殻を捨てた。雪の上に落ちた吸い殻はジュッと音を立てて小さな穴を開ける。

「お喋りしすぎたね。休憩はもう充分だろう。行くよ」

 ディアナが服に付いた雪を払い、立ち上がった時だった。
 前方から地鳴りのような音が響き、辺りが震えた。

「なんだ今の音は!?」
「急ぐよ!」

 * * *

「なるほどなるほど、暗号かなんかで連絡して罠に嵌めたのか。さすが犯罪組織」
「あ、あ、あ……」
「連絡の時に変な感情が見えたと思ったらこういう事か、クソッ」

 デリクは言葉が喉に絡まったようで、ぱくぱくと口を開閉するしかできなかった。
 藤色の双眸が雪よりも冷たい光を宿してデリクを見下ろしている。
 焼け焦げて所々肌が露出したローブ。その下から覗く柔肌には傷ひとつ無い。正確には、あったけど消えた。

 デリクは全てを見ていた。
 必殺の罠が発動するところも。ソリの残骸と馬がバラバラに吹き飛ぶところも。舞い上げられた雪煙と土煙の中から少女が飛び出すところも。彼女を取りまく防御の魔法も。
 待ち伏せていたナイトパイソンの構成員たちが少女に襲いかかるところも。それを少女が魔法によって、木っ端のように吹き飛ばすところも。さっきまで生きていたはずの者らが物言わぬ骸となって雪の上に身を横たえるところも。
 そしてついに自分と少女ふたりにきりになるまで、デリクは腰を抜かしてみているしかできなかった。

「少々しつけが必要だな。んー……指をおろし金に掛けるのはマジで痛かったなあ。あれやってみよう。ソリもトンじまったし手足要らねえな。
 手足を先っぽから()りおろしてやれば4本ともなくなる頃には素直な気持ちになるだろう。
 抱えて飛んでやるから、頭と胴体だけで俺を案内しろ」
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