[1-1] 地獄への道はいろんなもので舗装されている

文字数 3,461文字

 シエル=テイラ王国に母とふたり慎ましく暮らしていた少女ルネは、10歳の誕生日に、家に踏み込んできた騎士たちに捕らえられた。
 印象に残っているのは、騎士たちの兜越しにも感じた恐ろしい視線、山鳥の胸肉を香草焼きにした精一杯のごちそうがただの邪魔な物としてテーブルごと蹴散らされたこと、そして母の絶望的な表情だった。

 それから牢獄に閉じ込められ『拷問』を受けた間のことは実はよく覚えていない。
 朦朧とした意識の中で、激痛によって気絶し激痛によって目を覚ます。それを繰り返した。
 とりあえずルネは『回復魔法は拷問中に相手が死なないようにして、更なる苦痛を与えるためにも使える』という知識を得た。
 ルネへの質問は父のことから、どこか別の国の話まで様々だったが、そもそも何も知らないであろうルネから拷問で情報を得られる道理など無く、単に責め苦を与えるのが目的だと言う事をやがてルネは悟った。

 その中でルネは聞いた。
 ルネ・“薔薇の如き(ローズィ)”・ルヴィア・シエル=テイラ。
 それがルネの本当の名前なのだと。

 雨あられと投げかけられる罵倒の中から、ルネは少しずつ自分を巡る事情を知った。
 母は平民の出であるが王と愛し合って妃になったこと。忌み子たる銀髪銀目のルネを産んだために宮廷を追われたこと。その後は忌み子への偏見が薄い国境地域へ隠れ住んでいたこと。
 王弟がクーデターを起こして王を殺したこと。王弟の背後にはシエル=テイラの豊かな鉱物資源を狙う四大国の意図があるということ。王弟は示威として、そして後顧の憂いを絶つために兄の血筋を根絶やしにしようとしていること。そのためにルネ達を探し出したのだということ……

 ルネは年齢相応に、社会や産業のことに対する関心は薄かったけれど、シエル=テイラが西の大国ジレシュハタール連邦と仲が良かったことくらい知っている。
 だが、いくらシエル=テイラに鉱物資源という手札があっても、小国であるシエル=テイラの立場は弱く連邦に無理を言われることは多々あった。それを不満に思う王弟は急進的な反連邦派であり、他の大国の支援を取り付けて連邦と仲が良い兄王を殺したそうなのだ。ルネを捕らえた騎士たちも王弟と同じ反連邦の意見を持っていた。
 ……もし王弟の背後に四大国の支援があるのなら、これで王弟に貸しを作った国々が連邦に代わって無理を言ってくるだけではないかとルネは子どもながらに思ったが、それを口に出すことはできなかった。

 一日の拷問が終わると死なない程度の食事と水を取らされ、鞭打たれズタボロの下着一枚きりで、石の牢獄で怒りと寒さに震えながらルネは眠った。
 ルネは何もしていない。だがルネの知らない場所でわけのわからないことをしている人々が、勝手な都合で全てをメチャクチャにしに来たのだ。
 そして、どんなにルネが恨もうが、その怨みは届かないという事も分かった。
 最初は泣いてわめいたが、声が枯れるまで悲鳴を上げてもやめてはくれなかった。次にルネは抵抗を試みたが、身を守ろうとしただけで責めは激しくなった。一度は拷問官を引っぱたくことに成功したが、報復として手の指を全て折られ、ルネが気を失うまで往復ビンタを食らった。

 そのうちルネは泣くことも叫ぶこともしなくなって、責められている間はただじっと足下を見ているようになった。どうせ痛いだけだ。

 永遠無限に続くかと思われた拷問の日々は1ヶ月ほどで終わった。
 ルネと母を公開処刑する準備が整ったのだ。

 母と別々の場所に閉じ込められていたルネは、処刑の日に親子揃って市中引き回しをするため母と再会することができた。だが、もうこれ以上何があっても心は動かないだろうと思ったのに、処刑の日に久々に見た母の姿は衝撃だった。

 最初、ルネはそれをゾンビだと思った。
 着ているのはボロ布を無理やり巻き付けたようなものだけ。全身薄汚れて悪臭が漂い、肌という肌には深く傷つけられ、無理やり塞がれたような傷痕があった。美しかった薄紫色の髪は獣のたてがみみたいにボサボサで、所々に血がこびりついていた。
 頬はこけ、歯は半分くらい折られていた。目だけは爛々と輝き、口から泡を吹きながら延々と訳の分からないことを口走っていた。

「……ま、私はあなたに従います。はいご主人様、私はあなたに従います。はいご主人様、私はあなたに従います。はいご主人様、私は……」
「おか……ぁさ…………」

 優しく美しかった母の面影は、もはや無かった。
 母には、そこにルネが居るという事も分かっていないようだった。

 ルネは、もしかしたら母が助けてくれるかも知れないと心のどこかで思っていた。
 子どもにとって親とは、特に母は良くも悪くも全能の神にも等しい存在だ。母に愛されて育ったルネは、身の回りのことを何でも器用にこなし自分が困った時にはいつだって助けてくれた母が、また今も自分を救ってくれるのではないかと思わずにいられなかったのだ。
 その希望は容易く潰えた。

 ルネと母は鎖で繋がれ、処刑場まで引っ立てられていった。騎乗した騎士が鎖を引き、まず母が、その後ろにルネが繋がっていた。その両脇を徒歩の騎士たちが固める。
 雪の降る日だった。
 だが、血のにじむ素足で雪を踏んでも、もうルネは何も感じなかった。
 狂乱する母は猿のように暴れたので、終いには騎士が籠手を付けたまま頭を思い切り殴って母は動かなくなった。そのまま母は、ふたり掛かりで両脇から抱え込むように引きずられていった。ルネはその後を黙って付いていった。腹の底で黒い炎が燃えていた。しかし、その怨みは決して届かない。

 ふたりが大通りを行く間、道脇には大勢の人々が詰めかけてその様を見ていた。
 老若男女も貴賤も問わず、多くの人が集まっていた。

「死ね!」
「連邦の手先が!」
「薄汚い売国奴め!」
「穢れた血め!」

 飛んできた石がルネの頭にぶつかって、どろりと血が流れた。

 罵倒は、意外なほど多かった。それがルネは不思議だった。武力によって無理やり王位を奪い取った王弟が受け容れられるとは思っていなかったからだ。国中のみんなが武力と恐怖によって抑え込まれているのだと思っていた。だが違うのだ。王弟を歓迎する人が居て、ルネと母が酷い目に遭うのを『胸のすくような楽しいショー』として見ている。それが、鍋の底に焼き付いた焦げのように、ルネの胸中に黒い影を落とした。

 ルネが捕らえられていた王都の、城下街の中心にある広場には、さらに多くの人が集まっていた。
 その中央には処刑台がしつらえられ、ノッポのギロチンが犠牲者を待っていた。

 ぐったりとしたままの母がギロチンに首を固定され、身体を枷で留められていく。
 騎士が高らかに『薄汚い女』だの『不当な王に身体を売った』だのと口上をのたまい、それからあっさりと刃が落とされた。
 処刑台の下に居るルネからは見えなかったが、頭がごろりと転がる音は聞こえた。

 大歓声が上がった。喝采が、そして割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 ――そうか。わたしも今からこうやって死ぬんだ。そしてみんなが喜ぶんだ。

 そう思った瞬間、ルネはまるで自分が、物語に聞く魔王城の広間にでも立っているような気分になった。
 あれは化け物だ。みんな化け物だ。自分たちの死を笑いに来た、人の姿の化け物なのだ、と。

 ルネは引きずられるようにして処刑台に引っ張り上げられた。
 化け物たちがみんなでルネを見ていた。これから血が流れるのだと知ってわくわくしている。
 ルネはもう逃げられないと知っていた。しかし、その無力感と反比例するように、気の狂いそうなほどの怒りと怨みが身体の奥底から吹き上がっていた。

 ルネの身体は処刑台に固定され、ギロチンに首が嵌められる。
 すぐ隣では騎士が羊皮紙を見ながら、『穢れた血筋』だの『悪魔の子』だのと意味が分からないことをまくし立てていた。

 そして、決定的な瞬間はほんの刹那だった。
 視界があり得ない方向に巡り、落ちきったギロチンの刃をルネの目は天地逆さまに見た。

 首が身体から離れた瞬間、思考の霧が晴れるかのようルネは何もかもを思い出した。
 自分は、かつて地球に生きた人間・佐藤長次朗であり、死後、この世界の神に誘われて転生してきた『転生者』であるということを。
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