[1-34] 美味礼賛
文字数 3,677文字
「よっ……と」
空間をくぐる、という自分でもよく分からない感覚の果て、足を付いた先は雪の上だ。
≪集団転移 ≫によってイリス が転移した先はウェサラの街からほど近い林だ。夜闇の中で、木々はさらに黒く、僅かな月明かりや星明かりさえ遮る。いかにも何かが出そうな場所だが……むしろイリス 自身が『出る』側である。
イリス の転移から僅かに遅れて、まだ血の滴る死体が辺りにぼたぼた降ってくる。魔法で一緒に転移させたのだ。
中には公爵と、そして散々回りくどい真似をして探し出したナイトパイソン首領の死体も混じっている。
「さて、出ておいで」
イリス が呼びかけるとややあって、宙に青白い鬼火がいくつか浮かんだ。
それが群れ集うと青白い光は徐々に人型をとる。
青白く半透明の女性がそこには居た。
濡れたようにも見える、愁いを帯びた眼差し。艶やかな髪と唇。際だった美人とは言えないが、旅装姿でもどこかにじみ出る色香を感じる。
ナイトパイソンへの恨みを抱えて死んだ娼婦、ミリアムだ。
彼女に代わって復讐を果たすという契約を結んだ瞬間から、ミリアムの魂はルネに紐付けられている。呼ぼうと思えばどこででも呼び出せるのだ。
「ご所望の、ナイトパイソンの大ボスの死体だ」
苦悶の表情で事切れている妖怪ジジイの死体を指さすと、ミリアムは驚きに目を見開く。
『本当にやってしまったんですね……』
「いやあ、苦労した苦労した」
『ありがとうございます。これで私の両親の魂も安らうことでしょう。
……いえ、きっとこの国に住まう多くの人々に正義がもたらされたのです。私の弟や妹たちも助かるかも知れません』
「はは……正義ねえ」
苦笑しか浮かばなかった。間違っても正義のための行為ではない。
もし一時的に多くの人に利益をもたらすとしても、所詮、イリス の最終目的は全てを滅ぼすことだ。少なくともシエル=テイラはこれから滅ぼす。
そのためにミリアムの魂を手に入れる必要があったというだけだ。
あらためてイリス はミリアムを観察する。視覚的にではなく魔法的な感覚で。
肌の表面を焼かれるような感覚だった。
魂の奥底に秘めた可能性……命の終わりまで終ぞ解き放たれることのなかった膨大な力の波動を感じる。
――この子、すごい才能があるな。少女娼婦になんかならないで魔術師の修行してたら、国一番の使い手になっていたのかも……
魔法の使い手は貴重だという。素質を持つ者が少ないのだ。
だが、それならそれで素質有る者を探す制度……たとえば健康診断みたいに国民全員の魔法の素質を計るとか……を実現できないものなのかとイリス は思う。貴重な才能の持ち主を本人すら知らぬまま埋もれさせておくのは大きな損失だろう。
まあ、だからこそルネにとっては都合の良い餌なのだが。これだけの魂を食って力にできるなら潜入捜査みたいな真似をした苦労も報われるというもの。
イリス に目を向けられて、ミリアムはちょっと怯えたように身をすくませた。
「さて、それじゃあ代金徴収タイムだ」
『あ……』
ほんの少し、ミリアムは後退した。
幽霊的に『一歩後ずさった』というところか。
『た、魂を食べられるって、具体的にどうなるんでしょう。どんな気分なんでしょう……』
「食べられるのは未経験だからどんな気分かは分からないけど、どうなるかって話なら説明できる。
あなたの魂はひとりの人としての個我を永久に失い、俺を構成するパーツになる。
魂って普通、そう簡単に消えたり形を無くしたりしないんだけどね。輪廻で記憶を失ったとしても『個』ではありつづけるから。
でも俺は今からあなたの魂を分解し、吸収して自分の魂 を強める材料にする。あなたという存在はこの世界と輪廻から永久に消え去ることになる」
『っ……!』
ミリアムの目にあからさまな恐怖と嫌悪が浮かんだ。
この世界において、死せる人族の魂は大神のもとに帰り、やがてまた現世に生まれ来るのだとされる。信仰の中核を為す輪廻思想だ。魔法的に実証されているので『思想』と言うより『理論』かも知れない。
だからこそ、そこから魂を奪って魔族やアンデッドを作り自らの軍勢とする邪神は厭われているのだ。しかし魔族となった魂も、行いを悔い改めればまた大神の所へ帰れるのだと神殿は説いている。
その魂を喰らい、輪廻からすら消滅させるというイリス の言葉は冒涜の極地だった。経典を焼くよりも聖人を侮辱するよりも窓からイアイアするよりも冒涜的だ。
魂を使う魔法というのは結構あるが、それは例えるなら出汁を取るみたいな意味での『使う』だ。魂そのものをいじくるとか消し去るというのは神の領域。邪神直々に加護 を賜ったルネだからこそ為し得ることだった。
今更ながらミリアムは理解したようだ。自分が恨みのあまり、何に手を出したのか。
気付いたようだ。縋るべきでないものに縋り、願うべきでないことを願ったのだと。
「これね。契約って体裁を取ってるけど、実際は『成仏できないほどの恨み』っていうセキュリティホールを突いた、魂の乗っ取りなんだよね」
『え……? え……?』
「その恨みを晴らすってプロセスによって穴をこじ開けて、中身を美味しくいただくって言う……うん、まあ、要するに」
イリス の身体から十重二十重に細い金鎖が飛び出し、ミリアムの身体を巻き取った。
これは実際に鎖があるわけではない。ミリアムとルネの魂の繋がりが可視化されているだけだ。
「どんなに怖がってもどうせもう逃げられないから、遠慮無く泣き叫びなよ」
『――!!』
声にならない悲鳴をミリアムは上げた。
背を向けてイリス から必死で逃げようと足を動かすが、それは宙を掻くばかりで全く前進しない。契約が果たされた瞬間、既にミリアムの魂はルネに囚われているのだ。
「そうだ、こんな時にこそ言う言葉があるね。糧となる者への感謝の心」
『な、何……!?』
こっちの世界には……少なくともシエル=テイラにはそういう文化が無いっぽいのだが、それでもイリス は敢えて、前世の自分に馴染んだスタイルで手を合わせる。
「いただきます」
『い、いや……いや……いや……!
いやああああああああっ!!』
ミリアムの悲鳴と呼応するように風が湧き起こった。
それは現実の風ではなく、魂への引力。
風に巻き上げられる木の葉のようにミリアムは舞い上がり、金の鎖に巻き取られ、イリス に向かって飛び込んでくる。
悲鳴がぶつりと途切れ、そしてイリス は温かなものが全身に染みいってくるのを感じた。
ミリアムという存在は糧となり、消滅した。
「その恐怖、口に甘し……ふふっ、ごちそうさまでした」
ミリアムの断末魔と、その際に魂から放たれた恐怖を味わい、イリス は上機嫌で手を合わせた。他人の恐怖や絶望を『美味』と感じるのはアビススピリットとしての性質だった。
身体の中には……正確には本体たるルネの魂には、力が増していく高揚感が満ちていた。
――……よし、見立ては合ってた。かなり良い! 普通に魂食うのがスライムの経験値なら、これメタルキング倒したくらいの効果はあったんじゃないか!?
イリス は自らの中にある魔力の流れを感じ取る。
血潮のように轟々と流れる力の奔流が感じられた。大まかな感覚としては今までの倍くらい。
これが即ちMP2倍とか魔法ダメージ2倍とは行かないのが難しいところだが、その代わりに狙い通りの新 技 を手に入れた。生まれた時から持っていたかのように、新たな能力が身に馴染んでいる。
とにかくルネがアンデッドとして大幅にステップアップしたことは間違い無い。
――今なら勝てる。あのローレンスに……つまりは、この国に!
「さて、これで当初の目標は達成したけど……」
いくらレベルアップしたからと言ってそのまま真っ直ぐ王都に突っ込んでいく気は無い。相応の準備をしてからだ。
そのために必要なのがジェラルド公爵だ。別に彼である必要はなかったが、ナイトパイソンのボスのついでに手に入ったので良しとする。
散らばる死体を眺めながら、今後の方針について考えるイリス 。
だが、ふと、接近する感情を察知して身構える。
――誰だ……? 街から出て……まっすぐここへ来る? 何か気付かれたのか? さっきの悲鳴が聞こえでもしたか?
……なわけないよな。この林も結界アイテムで囲んでるんだから。
音も気配も漏れ出ないはずの林めがけ、何かを察したように真っ直ぐやってくる何者か。
その数は、3人。
空間をくぐる、という自分でもよく分からない感覚の果て、足を付いた先は雪の上だ。
≪
中には公爵と、そして散々回りくどい真似をして探し出したナイトパイソン首領の死体も混じっている。
「さて、出ておいで」
それが群れ集うと青白い光は徐々に人型をとる。
青白く半透明の女性がそこには居た。
濡れたようにも見える、愁いを帯びた眼差し。艶やかな髪と唇。際だった美人とは言えないが、旅装姿でもどこかにじみ出る色香を感じる。
ナイトパイソンへの恨みを抱えて死んだ娼婦、ミリアムだ。
彼女に代わって復讐を果たすという契約を結んだ瞬間から、ミリアムの魂はルネに紐付けられている。呼ぼうと思えばどこででも呼び出せるのだ。
「ご所望の、ナイトパイソンの大ボスの死体だ」
苦悶の表情で事切れている妖怪ジジイの死体を指さすと、ミリアムは驚きに目を見開く。
『本当にやってしまったんですね……』
「いやあ、苦労した苦労した」
『ありがとうございます。これで私の両親の魂も安らうことでしょう。
……いえ、きっとこの国に住まう多くの人々に正義がもたらされたのです。私の弟や妹たちも助かるかも知れません』
「はは……正義ねえ」
苦笑しか浮かばなかった。間違っても正義のための行為ではない。
もし一時的に多くの人に利益をもたらすとしても、所詮、
そのためにミリアムの魂を手に入れる必要があったというだけだ。
あらためて
肌の表面を焼かれるような感覚だった。
魂の奥底に秘めた可能性……命の終わりまで終ぞ解き放たれることのなかった膨大な力の波動を感じる。
――この子、すごい才能があるな。少女娼婦になんかならないで魔術師の修行してたら、国一番の使い手になっていたのかも……
魔法の使い手は貴重だという。素質を持つ者が少ないのだ。
だが、それならそれで素質有る者を探す制度……たとえば健康診断みたいに国民全員の魔法の素質を計るとか……を実現できないものなのかと
まあ、だからこそルネにとっては都合の良い餌なのだが。これだけの魂を食って力にできるなら潜入捜査みたいな真似をした苦労も報われるというもの。
「さて、それじゃあ代金徴収タイムだ」
『あ……』
ほんの少し、ミリアムは後退した。
幽霊的に『一歩後ずさった』というところか。
『た、魂を食べられるって、具体的にどうなるんでしょう。どんな気分なんでしょう……』
「食べられるのは未経験だからどんな気分かは分からないけど、どうなるかって話なら説明できる。
あなたの魂はひとりの人としての個我を永久に失い、俺を構成するパーツになる。
魂って普通、そう簡単に消えたり形を無くしたりしないんだけどね。輪廻で記憶を失ったとしても『個』ではありつづけるから。
でも俺は今からあなたの魂を分解し、吸収して自分の
『っ……!』
ミリアムの目にあからさまな恐怖と嫌悪が浮かんだ。
この世界において、死せる人族の魂は大神のもとに帰り、やがてまた現世に生まれ来るのだとされる。信仰の中核を為す輪廻思想だ。魔法的に実証されているので『思想』と言うより『理論』かも知れない。
だからこそ、そこから魂を奪って魔族やアンデッドを作り自らの軍勢とする邪神は厭われているのだ。しかし魔族となった魂も、行いを悔い改めればまた大神の所へ帰れるのだと神殿は説いている。
その魂を喰らい、輪廻からすら消滅させるという
魂を使う魔法というのは結構あるが、それは例えるなら出汁を取るみたいな意味での『使う』だ。魂そのものをいじくるとか消し去るというのは神の領域。邪神直々に
今更ながらミリアムは理解したようだ。自分が恨みのあまり、何に手を出したのか。
気付いたようだ。縋るべきでないものに縋り、願うべきでないことを願ったのだと。
「これね。契約って体裁を取ってるけど、実際は『成仏できないほどの恨み』っていうセキュリティホールを突いた、魂の乗っ取りなんだよね」
『え……? え……?』
「その恨みを晴らすってプロセスによって穴をこじ開けて、中身を美味しくいただくって言う……うん、まあ、要するに」
これは実際に鎖があるわけではない。ミリアムとルネの魂の繋がりが可視化されているだけだ。
「どんなに怖がってもどうせもう逃げられないから、遠慮無く泣き叫びなよ」
『――!!』
声にならない悲鳴をミリアムは上げた。
背を向けて
「そうだ、こんな時にこそ言う言葉があるね。糧となる者への感謝の心」
『な、何……!?』
こっちの世界には……少なくともシエル=テイラにはそういう文化が無いっぽいのだが、それでも
「いただきます」
『い、いや……いや……いや……!
いやああああああああっ!!』
ミリアムの悲鳴と呼応するように風が湧き起こった。
それは現実の風ではなく、魂への引力。
風に巻き上げられる木の葉のようにミリアムは舞い上がり、金の鎖に巻き取られ、
悲鳴がぶつりと途切れ、そして
ミリアムという存在は糧となり、消滅した。
「その恐怖、口に甘し……ふふっ、ごちそうさまでした」
ミリアムの断末魔と、その際に魂から放たれた恐怖を味わい、
身体の中には……正確には本体たるルネの魂には、力が増していく高揚感が満ちていた。
――……よし、見立ては合ってた。かなり良い! 普通に魂食うのがスライムの経験値なら、これメタルキング倒したくらいの効果はあったんじゃないか!?
血潮のように轟々と流れる力の奔流が感じられた。大まかな感覚としては今までの倍くらい。
これが即ちMP2倍とか魔法ダメージ2倍とは行かないのが難しいところだが、その代わりに狙い通りの
とにかくルネがアンデッドとして大幅にステップアップしたことは間違い無い。
――今なら勝てる。あのローレンスに……つまりは、この国に!
「さて、これで当初の目標は達成したけど……」
いくらレベルアップしたからと言ってそのまま真っ直ぐ王都に突っ込んでいく気は無い。相応の準備をしてからだ。
そのために必要なのがジェラルド公爵だ。別に彼である必要はなかったが、ナイトパイソンのボスのついでに手に入ったので良しとする。
散らばる死体を眺めながら、今後の方針について考える
だが、ふと、接近する感情を察知して身構える。
――誰だ……? 街から出て……まっすぐここへ来る? 何か気付かれたのか? さっきの悲鳴が聞こえでもしたか?
……なわけないよな。この林も結界アイテムで囲んでるんだから。
音も気配も漏れ出ないはずの林めがけ、何かを察したように真っ直ぐやってくる何者か。
その数は、3人。