[1-40] 壁に耳あり背後にメリー

文字数 4,150文字

 ウェサラの一等地である商業地域の、その中でもさらに一等地と言える場所にトーマン商会の本部は位置していた。

 トーマン商会の長であるウルリッヒ・トーマンのところへ、ジェラルド公爵領の役人として通商に携わっているホルガーが訪ねてきたのは、ちょうどウルリッヒが休憩を取って、広い執務室の応接スペースで脂ぎった焼き菓子を食べている時だった。

「トーマン様、お久しぶりです。ざっと70時間ぶりくらいでしょうか」
「ああ。最近は妻よりも君の顔をよく見ている気がするよ」

 ふたりは気安く笑み交わし、握手をする。
 どちらも年齢は40代半ば。役人の証である青黒の官服を着たやせぎすのホルガーと、真っ赤で豪奢な服を着ていてどんな初対面の子どもにも『豚』と呼ばれる特技を持つウルリッヒは対照的な外見。神経質そうなホルガーと豪放そう(無神経とも言う)なウルリッヒだが、どうも馬が合うらしく、ふたりは仕事上で気脈を通じて意気投合していた。

「それで、色よい返事は貰えたかね」
「はい、先方は是非話がしたいと」
「それはありがたい! これも公爵様とお前と……いや、何よりも新王陛下のおかげだな!」

 ウルリッヒは膝を打とうとして、間違って張り出した自分の腹を引っぱたいた。

 トーマン商会は主に輸出を、そしていくらかは輸入も手がけている貿易商だ。扱う品の中にはシエル=テイラが誇る目玉産品・グラセルムも含まれる。
 今までグラセルムは国に言われた通りの値段で鉱山から買い、国に言われた通り(即ち、連邦が言う通り)の値段で連邦に輸出するばかりだった。
 その値段がどれほど不公平なものだったか! お上の許可を受けて超高級品を取り扱っているはずなのに儲けは雀の涙だった。『グラセルムを扱わせてもらえるほどの商人』という名誉だけで飯は食えない。

 だが、そんな屈辱の日々も遂に終わろうとしていた。
 新王が立ったことでグラセルムの取り扱いも変わろうとしているのだ。

 ジェラルド公爵はノアキュリオやディレッタにも人脈があり、グラセルムの販路を開拓するべく領として調整に当たっている。その件で最近のウルリッヒは、ホルガーとしばしば打ち合わせをしていたのだ。
 このままならウルリッヒはグラセルムを連邦以外へ売れるようになる。
 ザマを見ろ、と思っていた。今までグラセルムを買い叩いていた、連邦のしみったれどもの慌てた顔が目に浮かぶ。連邦が国としてシエル=テイラを見下しているのはもはや論を待たないが、グラセルムを買う連邦の官許商人さえもがウルリッヒを下男か何かのように見ていたのだ。それがウルリッヒは我慢ならなかった。

 ウルリッヒはもちろん、グラセルムの()()()()()を知っている。グラセルムを有るべき値段でノアキュリオに売れたらどうなるだろうか。鉱山にちょっと多めに金をやっても、ウルリッヒの懐には今までとは比較にならないほどの利益が残るはずなのだ!
 考えるだけでヨダレが垂れそうだ。垂れた。

 ……ウルリッヒは明日も明後日もその先も、今日と同じように鉱山からグラセルムが買えるものと信じていたが、四大国がグラセルム鉱山の経営権を要求していることを彼はまだ知らない。

 そして、そもそも生きて明日の朝を迎えられる可能性が限りなく低い状況であることを、やっぱり彼はまだ知らない。

「そう言えば公爵様が兵を集めていらっしゃるそうだね」
「……ええ」

 ウルリッヒが世間話的に切り出すと、ホルガーは目を泳がせた。
 その反応を見てウルリッヒは、得たりとばかりに笑う。
 街がこんな状況だから公爵が兵を集めているのは子どもでも知っているが、ウルリッヒはその裏にある事情まで察している。

「ここだけの話、あれがまだ逃げとるっちゅう話は本当かね?」
「それは……」
「言わん言わん、誰にも言わんよ! だから教えてくれんかね」

 ウルリッヒがぶんぶん首を振ると、だぶついた首回りの肉がぶるんぶるん鳴った。

 ウルリッヒほどの商人ともなれば一般市民が知り得ないような情報もどこからか耳に入ってくるものだ。
 王都で第一騎士団長に討伐されたはずの“怨獄の薔薇姫”が逃げ延びているらしいという話も彼は聞いていた。そして、それを国が隠したがる理由も分かる。
 よりによって王都で大暴れしたネームドモンスターを、それも前王の娘がアンデッド化したものを取り逃がしたとすれば、民を守るのが仕事である騎士団にとっては大失態であり新政権にもミソが付いてしまう。未だ政権が移行したばかりで盤石とは言えないヒルベルト2世の治世を不安定化させるような噂が市井に流れるのは好ましくないのだ。

「安心したまえ、私はあの日の王都の有様を知っている。あれで騎士団が取り逃がしたとしてもヘマをしたとは思わんよ。むしろよくやったと言いたいね」
「はあ……」
「広場にはもう、トロッコに原石を詰め込んだみたいに人が溢れていてな! みんなが叫んでいたよ、『殺せ!』『売国奴に死を!』ってな。
 あの日首を切られたのはふたりだったがな、まずは母親の方が運ばれてきて首を切られるだろう。その後に娘の方がな、来たんだがな……ギロチンがバラバラになったと思ったら、切られた首を持って、そいつが宙に浮かび上がったんだ。
 驚いたのなんの! しかしそこからだよ、奴め妙な魔法を使って、集まった人をまとめて殺したんだ!
 そりゃあもう大騒ぎさ。みんな慌てて逃げ出すだろう。雪崩みたいなもんさ! 私も慌てて逃げたね。その間も奴は魔法を使って……」

 ウルリッヒはここ最近、会う人会う人みんなにこの話をしていた。彼はあの処刑の日、仕事のために王都まで来ていたのだ。
 この話をするとみんな聞き入ってくれるのでウルリッヒは大得意だった。助かったのが単純に幸運の産物だったとしても、あの大事件からの生還が聞く者の耳を引きつける武勇伝なのは間違い無い。なにしろ当事者の話なのだから吟遊詩人の語りなんかを聞くよりも迫力があり、生々しいリアリティに満ちている。

「……騒ぎが収まってから街を見て歩いたが、酷いのなんの。美しいテイラリアーレの町並みが滅茶苦茶だった。建物がこう、まとめて壊れていたりね。人が積み重なって倒れて……」

 ホルガーはもうこの話を五回くらい聞いていたが、何度聞いても面白いのかウルリッヒに気を遣っているのか、少なくとも嫌がるような素振りは見せなかった。

「あれだけの化け物を相手に、少なくとも撃退を為し得たのだ。騎士団は仕事をしたと言うべきだろう。
 ……うん? 何の話だったかな?」
「ええと、公爵様が兵を集めている件で……」
「ああ、そう、それだ!」
「奴への対策というのは間違っていません。領内の村がアンデッドの群れに襲われたわけですが、公爵様は背後に奴の影がちらついているとお考えのようです」
「ふむーん、そうだろうねえ。だとすると、今度こそ奴も終わりかなあ。ぶひゃひゃひゃひゃ!」

 『かはははは!』と快活に笑ったつもりだったウルリッヒだが、顔の肉に邪魔されて押しつぶされたような笑い声になっていた。

「あの時は、いきなり街のど真ん中に現れて大暴れされたわけだが、まあ二度も三度もし損じはするまいて。王宮騎士団も冒険者も出てくるだろうし、公爵様の兵もお強い。これで今度こそ陛下はシエル=テイラから前王の影を払うことになるだろう。害虫は早めに駆除するに限る!」
「ええ。きっと上手くいくでしょう」
「そして素晴らしき繁栄がもたらされるのだ」

 これから始まるであろうシエル=テイラの栄光の日々に想いをはせて、ふたりはにんまりと笑う。

「全ては陛下と公爵様のご英断あってこそだ。いくら感謝しても足りないよ。
 それに引き替え暗愚の先王は! ……最後のひとりはあんなことになってしまったが、あいつらの首が切られていくのは胸のすくような思いだった。
 まあ私にしてみれば、連邦に殺された数百数千の金貨の弔い合戦をしてくれたってところだねえ。これで我が国も私の商会も安泰だ。
 先王ご一家は、墓の下で連邦名物のスライム茶でも飲んで団欒を楽しまれるがよろしかろうて。ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 ちなみにスライム茶はよく連邦関係のエスニックジョークで引き合いに出され、地元民からもゲテモノ扱いされている『飲み物のような何か』である(薬効があると主張して頑なに飲み続けている人も居るが多くの錬金術師が薬効を否定している)。

「はは……   」

 つられて笑ったホルガーだったが、その笑い声がぶつ切れになった。

 轟音。
 砦のように堅牢な石組みの、トーマン商会本部が揺らいだ。

 ホルガーはソファから床に崩れ落ち、血だまりを作っていた。
 爆発の魔法で外壁と廊下と部屋の壁が壊され、その余波として飛んで来た瓦礫がホルガーの頭を直撃し、()()()()()のだとウルリッヒが気付くには10秒くらい掛かった。

「…………わたしは正しかった」
「ひ?」

 もうもうと立ちこめる土煙の向こうから、冷たく燃えさかるような少女の声がした。

「まだまだこんな奴らが溢れているのに……安らかに眠ってなんかいられないわ……」

 カツーン、と高く石床を鳴らす靴音が響いた。

「は、あ、あ、ああああああああ!?」

 ウルリッヒはソファの背もたれに縋り付きながら不格好な悲鳴を上げた。

 部屋に侵入してきたのは、スカート部分に鮮血の薔薇を描いた白いドレスを着た首無しの少女だ。
 右手には宝石を削り出したような赤い剣。
 左手には自分自身の頭。銀髪は輝くように美しいが、あどけない顔は怒りのあまり無表情だった。銀色の目には凍てつく湖のように冷たく輝く殺意が宿る。

 ウルリッヒの話から飛び出してきたかのように、あの日の怪物がそこに居た。

「わたし、今ちょっと退屈なの。下請けが仕事をしている最中だから。
 それでね、良いことを考えたわ。わたしとゲームをしましょ」
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