[1-50] フライ・ゾンビ・フライ
文字数 5,185文字
自らに≪飛翔 ≫を掛けたルネは銀の流星となって戦場を突っ切り、王都上空の戦闘に殴り込みを掛けた。
最後尾を行くヴィゾフニルの空行騎兵に追いすがり、振り向くより先に一刀を浴びせる。
その剣は羽毛の上で、堅い手応えと共に止まった。
「うわっ!?」
ヴィゾフニルの鞍に装填されていた護符が2枚同時に弾け飛んだ。騎手が驚いた声を上げる。
――そうだろうとは思ってたけど、騎獣にまで護符持たせるのね……これ1枚の原価が一般的労働者の給料一ヶ月分だっけ?
空行騎兵自体が高コストなのだから、高いアイテムを持たせても守りたいというのは当然だった。
ルネの赤刃は魔法攻撃。魔法をシャットアウトする防御に対しては相性が悪い。
だが、この護符はあくまで対空砲火への防御を固めるもの。直接斬れる状態なら大して恐ろしくない。
騎手がもたもたと剣を抜いて反撃しようとしている間にルネはさらに二度斬り付け、ヴィゾフニルの持つ護符を全て焼き切って真っ二つにした。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ…………」
両断されたヴィゾフニルと乗騎を失った騎手は、重力の鎖に絡め取られて落下していった。
騎手はまだ無傷だが、王城の尖塔より高い位置から落下すれば潰れたトマトになるのはほぼ確実だ。
――まず一騎……!
ここで悲鳴を聞きつけた空行騎兵たちが異変に気付いた。
「アンデッド!」
「こいつかっ!」
援軍のうちヒポグリフ2騎は、騎手と神官のタンデムだった。
ルネを見た神官たちは即座に詠唱を始める。
「≪聖なる閃光 ≫!」
まず片方が魔法を行使。
白々と輝く閃光が吹き出し、薙ぎ払うように照射される。
ルネは旋回しつつ高度を調整し、光線をくぐるようにして躱した。
そこへ次の魔法が迫る。
「≪穿つ流星 ≫!」
砲丸、としか言えない大きさの魔法弾が白輝の残光を引いて飛来する。
ゆるやかに弧を描いて追尾してくる。ルネは急制動で擦れ違いつつ、魔法弾そのものを赤刃で切り裂いて魔力を相殺、霧散させた。
しかし魔法の合間を縫うように、先程とは別のヴィゾフニル騎兵が迫る。
ヴィゾフニルは比較的軽量の空行騎獣だ。タンデムもせず身軽に飛び、騎手は細身の槍を装備している。
フェイントを入れながら飛ぶルネとヴィゾフニル騎兵が数度交錯。ルネの赤刃は数枚の護符を焼き切ったが、騎手と騎獣がそれぞれ装備した護符で上手くダメージを分散され、本体にはダメージを通せなかった。
脇腹が熱い。槍がルネのドレスを引き裂いていた。あの槍も≪聖別 ≫を受けているようだ。
――邪魔ね……
さすがは五大国のひとつ、ノアキュリオの兵。
騎獣の種類と数、練度、使う魔法のレベルや威力、装備の立派さ、どれを取っても一流という印象だ。
「貴様がぁ、“怨獄の薔薇姫”とかいう奴かぁ!」
ワイバーン騎兵がやや距離を置いてルネの前に滞空し、騎手である男が怒鳴る。
過剰に装飾され、所々原色で塗られた鎧の騎士だった。全身鎧のせいで中身がどんな物体なのか分からないが、声音からは『暑苦しい中年男性』という印象が漂う。
騎獣の飾りからマントの柄まで他の空行騎兵より偉そうで、見るだけで隊長と分かった。と言うかそのために飾りに差を付けているのだろう。
隊長(仮)の後ろに騎乗している魔術師が≪拡声 ≫を行使する。王都の空に隊長(仮)の銅鑼声が響き渡った。
『我こそはノアキュリオ王国はライゼン公爵の次男にして空行騎兵団第三部隊長、エバン・ジョーダス・ライゼンなり! シエル=テイラ王国の民を魔物どもの暴虐より守るために参上つかまつった!!』
堂々たる名乗りだった。
これは戦場の作法と言うかなんと言うか。ジャパニーズ戦国武将ではないが戦いに際して何らかの手段で自分を宣伝するのは、貴族も傭兵も冒険者も当然だった。
このエバンとかいう偉そうなオッサンはノアキュリオの恩をシエル=テイラ国民に刷り込むため、そして何より自分の名を上げて手柄を国へ持ち帰るため町内放送みたいな真似をしているのである。
名乗り返してもいいところだがルネはそうしなかった。
理由は相手の神官が魔法の詠唱を始めていたからだ。魔物相手に礼儀は無用と考えているのだろうか。
向こうが戦闘態勢なのにわざわざ時間をくれてやる必要は無いし、こんな無礼な奴に礼儀を尽くしてやる気にもならなかった。
ルネは飛行を操作し、正面からエバンに突っ込んでいく。
当然、ワイバーンが口を開いた。
ちょっと大げさな軌道でブレスを躱したルネは、同時に突進してきたヴィゾフニルの首を刎ね飛ばす。既に騎獣の護符は残っていない。胴体と騎手はきりもみ回転しながら落ちていった。
「【性能偏向・弾数重視 】≪聖光の矢 ≫!」
「≪聖なる閃光 ≫!」
神聖魔法が再度、放たれる。
数え切れないほどに分裂した光の矢が幾何学的に絡み合いながら飛来する。そして、同時に別の角度から放たれるビーム状の閃光。
威力を削って弾数を増やした≪聖光の矢 ≫はあまり脅威にならない。ルネは数発の被弾を許容しつつ、ふたつの魔法から逃げるように高度を上げた。
そして、そこで≪飛翔 ≫を解いた。
「≪対抗呪文結界 ≫」
防護の魔力がルネを包む。
追いかけてきた≪聖光の矢 ≫。
ゆっくりとルネの方に向けられた≪聖なる閃光 ≫。
魔術師が撃ち込んできた≪爆炎火球(ファイアーボール)≫。
全てがルネに届かず弾けた。
「なに!?」
エバンが驚愕する。
魔法が防御されたことにではなく、ここで≪対抗呪文結界 ≫を使ったことそのものに、だろう。
≪飛翔 ≫の勢い余って、投石機で投げられたかのように放物線状に放り出されたルネの身体は、重力に従って落下を始めた。
エバンの乗騎たるワイバーン目がけて。
これが『放物線を描いて飛んでくる矢』だったらエバンは反射的に避けていただろうし、それどころかワイバーンが勝手に回避していたかも知れない。
しかし『放物線を描いて飛んでくるドレス姿の首無し少女』という訳の分からないものに対してエバンの反応はやや遅れた。
「びぎゃ!!」
ルネはエバンの後ろに乗っていた魔術師の肩の上に着地した。
「貴様っ!」
エバンはここで剣を抜くのでなく、ワイバーンに拍車を掛け、急制動を掛けてきた。
ワイバーンはロデオの如く上下左右に揺れた。ルネを振り落とすためだ。
しかしデュラハン形態のルネは外見に反してかなりの力がある。魔術師の首に足を回して無理やりしがみついた。そして。
「ばいばい」
「え……」
ルネは、エバンを蹴り落とした。魔法攻撃でも赤刃で斬り付けるのでもなく、彼のハーネスの命綱を切って、片足で払い落とすようにただ蹴り落とした。
何枚護符を持っているか分かったものではないと思ったので、手っ取り早く殺す方を選んだのだ。
重力は全ての者に平等で無慈悲だった。
何が起こったか分からないという顔のままエバンは遠のいていった。
なおもワイバーンが暴れるが、ルネはエバンが座っていた鞍を、すなわちその下にあるワイバーンの胴体を赤刃で突き刺した。
ワイバーンの装備している護符が次々弾け飛んでいく。そして4度目でついにルネの剣はワイバーンの心臓を貫いた。
「ギョアアアアアア!!」
絞り出すような悲鳴と共にワイバーンがバランスを崩す。だがまだ死んではいない。地面に辿り着くまでの数秒くらいは生きていそうだ。
別にそれでもルネは脱出できるが、それではワイバーンの死体がぐちゃぐちゃになる。
「≪痛哭鞭 ≫!」
呪いの鞭がワイバーンを打ち据えると遂に事切れた様子でワイバーンはぐったりと落ちていく。未だハーネスでワイバーンに繋がれた魔術師と、その魔術師にしがみつくルネも一緒に。
「≪屍兵作成 ≫!」
ルネが魔法を使うや、落下は止まった。
強烈な重力加速度が掛かり、そして浮上。胸と口から血を流しながらもワイバーンは力強く羽ばたき始めた。
ワイバーンゾンビの完成である。もはやこのワイバーンは忠実なルネの下僕だ。
ルネが手を伸ばすと、ワイバーンゾンビは蛇のように長い首を曲げて、愛おしげに頭をルネの手にすりつけた。
「で。えーっと……」
鞍の上にひらりと飛び降りたルネは、さっきまで自分が足でしがみついていた後部座席の魔術師の方を見る。
彼は引きつった苦笑を浮かべ、両手を挙げた。
「こ、降参……します……」
それを見てルネはにっこり笑う。
「よろしい。骨と魂だけでわたしに仕えなさい。リッチになーあれ」
「ぎゃああ!」
ルネは立て続けに3度の斬撃を放ち、魔術師が持つ護符を焼き切ってついに斬り殺した。
「も一度≪屍兵作成 ≫」
死した魔術師の身体から、肉が塵となって剥げ落ちる。
骨だけの姿となった魔術師の虚ろな眼窩には赤々と不気味な光が燃えていた。
*
その頃、地上ではローレンスがいきり立っていた。
「おのれ……! 私に翼があったなら!!」
城内にある塔のひとつが作戦司令室となっており、そこにローレンスとヒルベルト、他数名の騎士団幹部が詰めていた。王が戦場に居る限り、指揮官は王なのだ。
上空の戦いは、スリット状になったこの部屋の窓からも観察できた。ようやく辿り着いた援軍部隊の隊長があっさりやられる所も見えていた。
ローレンスは文句なしに国最強の戦士だ。
彼が前線に出ればひとりで数百のアンデッドを倒せるだろうし、士気も上がる。それをしないのは“怨獄の薔薇姫”を警戒しているためだ。ローレンスが留守の間に城を奇襲されたら為す術が無い。
この戦いにおいてローレンスはあくまで“怨獄の薔薇姫”にぶつけるための駒だった。
まあ、そのせいで戦えずにフラストレーションを溜め込んでもいるのだが。
「ローレンス。お前はこの場に居ることで立派に役目を果たしているのだ。今は部下たちに任せるが良い」
「はっ……」
ヒルベルトに諫められ、ローレンスは手を握りしめる。
「あの飛行速度は≪飛翔 ≫か? ≪空歩 ≫では追いつけんな」
「おそらくはそうでしょう。奴は魔法を操ります」
≪空歩 ≫は、掛けられた者が宙を歩けるようになる風の元素魔法だ。
空を飛ぶ者本人が魔術師でなくても空中で思い通りに動ける便利な魔法だが、『空を歩く』のと『飛ぶ』のでは速度が違いすぎる。
「≪飛翔 ≫を自分の意思で制御しながら斬り結んでいるのか……」
ヒルベルトが唸る。
武器と魔法、どちらもある程度使える者を『魔法戦士』とか『魔法剣士』と言うものだけれど、あんな常識破りの戦い方は普通あり得ない。
「空行騎兵に神聖魔法の使い手を乗せたのはそこそこ効果を発揮しているようだ。ひとまずはこれで追い込むぞ」
「はい。奴に空を飛ぶ力があるにしても、やはり空は空行騎兵の戦場。叩き落としてくれましょう」
*
「おっと」
いきなり下から神聖魔法の光が飛んで来て、ルネはワイバーンゾンビの飛行軌道を変えさせて躱した。
見れば、シエル=テイラ王宮騎士団のヒポグリフまでが神官をタンデムさせている。援軍の戦いぶりを見て一旦地上に降り、人間砲台を追加装備してきたようだ。
「……こうなると旗色悪いかしら」
敵の陣容を見てルネは呟く。
ルネの軍勢は全員アンデッドだ。空に神聖魔法が増えるとやりにくくなる。
すぐにルネは退却を決めた。
今 こ こ で これ以上戦う必要は無いのだから。
「最初の一当てはこんなものでいいわね。
……もう戻りましょ。行くわよ、シャーデンフロイデ号」
ルネは騎首を巡らせ、ヒポグリフゾンビ達にも帰還指示を出した。
あまりに潔い突然の離脱に空行騎兵たちはあっけにとられていた。少々間を開けて我に返ったか、魔法で追撃を掛けてきたが、ルネの防御によって遮られダメージを与えることはなかった。
最後尾を行くヴィゾフニルの空行騎兵に追いすがり、振り向くより先に一刀を浴びせる。
その剣は羽毛の上で、堅い手応えと共に止まった。
「うわっ!?」
ヴィゾフニルの鞍に装填されていた護符が2枚同時に弾け飛んだ。騎手が驚いた声を上げる。
――そうだろうとは思ってたけど、騎獣にまで護符持たせるのね……これ1枚の原価が一般的労働者の給料一ヶ月分だっけ?
空行騎兵自体が高コストなのだから、高いアイテムを持たせても守りたいというのは当然だった。
ルネの赤刃は魔法攻撃。魔法をシャットアウトする防御に対しては相性が悪い。
だが、この護符はあくまで対空砲火への防御を固めるもの。直接斬れる状態なら大して恐ろしくない。
騎手がもたもたと剣を抜いて反撃しようとしている間にルネはさらに二度斬り付け、ヴィゾフニルの持つ護符を全て焼き切って真っ二つにした。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ…………」
両断されたヴィゾフニルと乗騎を失った騎手は、重力の鎖に絡め取られて落下していった。
騎手はまだ無傷だが、王城の尖塔より高い位置から落下すれば潰れたトマトになるのはほぼ確実だ。
――まず一騎……!
ここで悲鳴を聞きつけた空行騎兵たちが異変に気付いた。
「アンデッド!」
「こいつかっ!」
援軍のうちヒポグリフ2騎は、騎手と神官のタンデムだった。
ルネを見た神官たちは即座に詠唱を始める。
「≪
まず片方が魔法を行使。
白々と輝く閃光が吹き出し、薙ぎ払うように照射される。
ルネは旋回しつつ高度を調整し、光線をくぐるようにして躱した。
そこへ次の魔法が迫る。
「≪
砲丸、としか言えない大きさの魔法弾が白輝の残光を引いて飛来する。
ゆるやかに弧を描いて追尾してくる。ルネは急制動で擦れ違いつつ、魔法弾そのものを赤刃で切り裂いて魔力を相殺、霧散させた。
しかし魔法の合間を縫うように、先程とは別のヴィゾフニル騎兵が迫る。
ヴィゾフニルは比較的軽量の空行騎獣だ。タンデムもせず身軽に飛び、騎手は細身の槍を装備している。
フェイントを入れながら飛ぶルネとヴィゾフニル騎兵が数度交錯。ルネの赤刃は数枚の護符を焼き切ったが、騎手と騎獣がそれぞれ装備した護符で上手くダメージを分散され、本体にはダメージを通せなかった。
脇腹が熱い。槍がルネのドレスを引き裂いていた。あの槍も≪
――邪魔ね……
さすがは五大国のひとつ、ノアキュリオの兵。
騎獣の種類と数、練度、使う魔法のレベルや威力、装備の立派さ、どれを取っても一流という印象だ。
「貴様がぁ、“怨獄の薔薇姫”とかいう奴かぁ!」
ワイバーン騎兵がやや距離を置いてルネの前に滞空し、騎手である男が怒鳴る。
過剰に装飾され、所々原色で塗られた鎧の騎士だった。全身鎧のせいで中身がどんな物体なのか分からないが、声音からは『暑苦しい中年男性』という印象が漂う。
騎獣の飾りからマントの柄まで他の空行騎兵より偉そうで、見るだけで隊長と分かった。と言うかそのために飾りに差を付けているのだろう。
隊長(仮)の後ろに騎乗している魔術師が≪
『我こそはノアキュリオ王国はライゼン公爵の次男にして空行騎兵団第三部隊長、エバン・ジョーダス・ライゼンなり! シエル=テイラ王国の民を魔物どもの暴虐より守るために参上つかまつった!!』
堂々たる名乗りだった。
これは戦場の作法と言うかなんと言うか。ジャパニーズ戦国武将ではないが戦いに際して何らかの手段で自分を宣伝するのは、貴族も傭兵も冒険者も当然だった。
このエバンとかいう偉そうなオッサンはノアキュリオの恩をシエル=テイラ国民に刷り込むため、そして何より自分の名を上げて手柄を国へ持ち帰るため町内放送みたいな真似をしているのである。
名乗り返してもいいところだがルネはそうしなかった。
理由は相手の神官が魔法の詠唱を始めていたからだ。魔物相手に礼儀は無用と考えているのだろうか。
向こうが戦闘態勢なのにわざわざ時間をくれてやる必要は無いし、こんな無礼な奴に礼儀を尽くしてやる気にもならなかった。
ルネは飛行を操作し、正面からエバンに突っ込んでいく。
当然、ワイバーンが口を開いた。
ちょっと大げさな軌道でブレスを躱したルネは、同時に突進してきたヴィゾフニルの首を刎ね飛ばす。既に騎獣の護符は残っていない。胴体と騎手はきりもみ回転しながら落ちていった。
「【
「≪
神聖魔法が再度、放たれる。
数え切れないほどに分裂した光の矢が幾何学的に絡み合いながら飛来する。そして、同時に別の角度から放たれるビーム状の閃光。
威力を削って弾数を増やした≪
そして、そこで≪
「≪
防護の魔力がルネを包む。
追いかけてきた≪
ゆっくりとルネの方に向けられた≪
魔術師が撃ち込んできた≪爆炎火球(ファイアーボール)≫。
全てがルネに届かず弾けた。
「なに!?」
エバンが驚愕する。
魔法が防御されたことにではなく、ここで≪
≪
エバンの乗騎たるワイバーン目がけて。
これが『放物線を描いて飛んでくる矢』だったらエバンは反射的に避けていただろうし、それどころかワイバーンが勝手に回避していたかも知れない。
しかし『放物線を描いて飛んでくるドレス姿の首無し少女』という訳の分からないものに対してエバンの反応はやや遅れた。
「びぎゃ!!」
ルネはエバンの後ろに乗っていた魔術師の肩の上に着地した。
「貴様っ!」
エバンはここで剣を抜くのでなく、ワイバーンに拍車を掛け、急制動を掛けてきた。
ワイバーンはロデオの如く上下左右に揺れた。ルネを振り落とすためだ。
しかしデュラハン形態のルネは外見に反してかなりの力がある。魔術師の首に足を回して無理やりしがみついた。そして。
「ばいばい」
「え……」
ルネは、エバンを蹴り落とした。魔法攻撃でも赤刃で斬り付けるのでもなく、彼のハーネスの命綱を切って、片足で払い落とすようにただ蹴り落とした。
何枚護符を持っているか分かったものではないと思ったので、手っ取り早く殺す方を選んだのだ。
重力は全ての者に平等で無慈悲だった。
何が起こったか分からないという顔のままエバンは遠のいていった。
なおもワイバーンが暴れるが、ルネはエバンが座っていた鞍を、すなわちその下にあるワイバーンの胴体を赤刃で突き刺した。
ワイバーンの装備している護符が次々弾け飛んでいく。そして4度目でついにルネの剣はワイバーンの心臓を貫いた。
「ギョアアアアアア!!」
絞り出すような悲鳴と共にワイバーンがバランスを崩す。だがまだ死んではいない。地面に辿り着くまでの数秒くらいは生きていそうだ。
別にそれでもルネは脱出できるが、それではワイバーンの死体がぐちゃぐちゃになる。
「≪
呪いの鞭がワイバーンを打ち据えると遂に事切れた様子でワイバーンはぐったりと落ちていく。未だハーネスでワイバーンに繋がれた魔術師と、その魔術師にしがみつくルネも一緒に。
「≪
ルネが魔法を使うや、落下は止まった。
強烈な重力加速度が掛かり、そして浮上。胸と口から血を流しながらもワイバーンは力強く羽ばたき始めた。
ワイバーンゾンビの完成である。もはやこのワイバーンは忠実なルネの下僕だ。
ルネが手を伸ばすと、ワイバーンゾンビは蛇のように長い首を曲げて、愛おしげに頭をルネの手にすりつけた。
「で。えーっと……」
鞍の上にひらりと飛び降りたルネは、さっきまで自分が足でしがみついていた後部座席の魔術師の方を見る。
彼は引きつった苦笑を浮かべ、両手を挙げた。
「こ、降参……します……」
それを見てルネはにっこり笑う。
「よろしい。骨と魂だけでわたしに仕えなさい。リッチになーあれ」
「ぎゃああ!」
ルネは立て続けに3度の斬撃を放ち、魔術師が持つ護符を焼き切ってついに斬り殺した。
「も一度≪
死した魔術師の身体から、肉が塵となって剥げ落ちる。
骨だけの姿となった魔術師の虚ろな眼窩には赤々と不気味な光が燃えていた。
*
その頃、地上ではローレンスがいきり立っていた。
「おのれ……! 私に翼があったなら!!」
城内にある塔のひとつが作戦司令室となっており、そこにローレンスとヒルベルト、他数名の騎士団幹部が詰めていた。王が戦場に居る限り、指揮官は王なのだ。
上空の戦いは、スリット状になったこの部屋の窓からも観察できた。ようやく辿り着いた援軍部隊の隊長があっさりやられる所も見えていた。
ローレンスは文句なしに国最強の戦士だ。
彼が前線に出ればひとりで数百のアンデッドを倒せるだろうし、士気も上がる。それをしないのは“怨獄の薔薇姫”を警戒しているためだ。ローレンスが留守の間に城を奇襲されたら為す術が無い。
この戦いにおいてローレンスはあくまで“怨獄の薔薇姫”にぶつけるための駒だった。
まあ、そのせいで戦えずにフラストレーションを溜め込んでもいるのだが。
「ローレンス。お前はこの場に居ることで立派に役目を果たしているのだ。今は部下たちに任せるが良い」
「はっ……」
ヒルベルトに諫められ、ローレンスは手を握りしめる。
「あの飛行速度は≪
「おそらくはそうでしょう。奴は魔法を操ります」
≪
空を飛ぶ者本人が魔術師でなくても空中で思い通りに動ける便利な魔法だが、『空を歩く』のと『飛ぶ』のでは速度が違いすぎる。
「≪
ヒルベルトが唸る。
武器と魔法、どちらもある程度使える者を『魔法戦士』とか『魔法剣士』と言うものだけれど、あんな常識破りの戦い方は普通あり得ない。
「空行騎兵に神聖魔法の使い手を乗せたのはそこそこ効果を発揮しているようだ。ひとまずはこれで追い込むぞ」
「はい。奴に空を飛ぶ力があるにしても、やはり空は空行騎兵の戦場。叩き落としてくれましょう」
*
「おっと」
いきなり下から神聖魔法の光が飛んで来て、ルネはワイバーンゾンビの飛行軌道を変えさせて躱した。
見れば、シエル=テイラ王宮騎士団のヒポグリフまでが神官をタンデムさせている。援軍の戦いぶりを見て一旦地上に降り、人間砲台を追加装備してきたようだ。
「……こうなると旗色悪いかしら」
敵の陣容を見てルネは呟く。
ルネの軍勢は全員アンデッドだ。空に神聖魔法が増えるとやりにくくなる。
すぐにルネは退却を決めた。
「最初の一当てはこんなものでいいわね。
……もう戻りましょ。行くわよ、シャーデンフロイデ号」
ルネは騎首を巡らせ、ヒポグリフゾンビ達にも帰還指示を出した。
あまりに潔い突然の離脱に空行騎兵たちはあっけにとられていた。少々間を開けて我に返ったか、魔法で追撃を掛けてきたが、ルネの防御によって遮られダメージを与えることはなかった。