[1-57] 疑心暗薔薇

文字数 4,785文字

 石造りの寒々しい地下牢は実のところ地上よりも暖かだ。
 魔力灯の明かりがともされた灰色の廊下に、ブーツと一体化した脚部鎧の足音が高く反響する。

「こちらです」

 厳つい中年の騎士であるゴメスがローレンスを案内する。
 ゴメスはローレンスの部下であり、隊をひとつ任せている。その実直さと王への忠誠心をローレンスは高く買っていた。兵としてのピークは越えて衰えが見え始めているが、それでもなお個人戦力としてはローレンスの部下で最高の男だ。
 だからこそバーティルを捕らえるため彼の隊を派遣したのである。本当に強い者が相手だと、並の兵など100人居ても薙ぎ払われるのがオチだ。

 鋼鉄の扉で閉ざされた独房へローレンスが入っていくと、粗末なベッドに鎖で結ばれていた男が、辛うじて顔を上げた。

「ローレンス……! これは何のつもりだっ!」

 バーティルだ。

 上半身の鎧だけはぎ取られたバーティル。彫像のように逞しい肉体が露わになっていた。
 だが、その両肩から先が無い。血の滲んだ包帯が巻かれているだけだ。
 寒々しい石牢の中だと言うのにバーティルはぐっしょりと汗を掻いている。呼吸は苦しげだ。

「よく捕らえた、ゴメス」
「は。抵抗いたしましたゆえ、お言いつけ通り両腕を切り落として捕縛いたしました」

 ゴメスが言うや、バーティルは鎖を鳴らして身をよじる。

「嘘だ! 私は最初から――」
「黙れ!」

 ゴメスが剣をバーティルの頭の脇に突き降ろし、クッキーのように薄っぺらな枕を刺し貫いた。

「薄汚い本性を見せたな、バーティル!
 貴様が陛下の御聖断に反抗的であった時から、こんな日が来るだろうとは思っていた!」
「なんだと……」

 戦神もかくや、という憤怒の形相でゴメスはどやしつける。バーティルは目を白黒させるばかりだ。

 ローレンスはだいたいの事情を察した。迸る正義の心を抑えきれず、ゴメスは必要以上に手荒な手段に出てしまったのだろう。
 そうと分かってなおローレンスは、『ザマを見ろ』という感想しか湧いてこなかった。

「端的に事実のみを述べよう。
 南門門塔を第二騎士団員約20名が襲撃し、門が破られた」
「なっ……!?」

 バーティルが目を剥き、絶句する。

「何が……起こっているんだ……」
「とぼけているのか? 本当に知らないのか?
 まあいい、いずれにせよこれは貴様の招いた結果だ」

 ローレンスはピシャリと言い放つ。剣で斬る代わりに言葉を叩き付ける。
 仮にバーティルが裏切ったわけではないとしても、第二騎士団員がこのように動いたのは先程の会談の結果に違いないとローレンスは確信していた。
 極悪非道のアンデッドを相手に交渉しようなどという甘えた考えがこの結果を招いた。そしてその原因は、前王に親和的だったバーティルの心だとローレンスは考えていた。

「アンデッドの軍勢はどうなった」
「貴様が知ったところで意味はあるまい」

 だがバーティルは見透かしたように皮肉な笑みを浮かべる。

「推測はできるけどな。
 門が破られたのに、お前が指揮所を離れて俺の顔を見に来るくらいだ。小康状態……城壁を挟んで睨み合いか、アンデッドが市街に再布陣中で攻めが止まってる中を退却中ってとこか。
 街壁は……完全に突破されたな」
「……チッ」

 ローレンスは舌打ちする。
 これ以上バーティルと話すのは無駄であるように思えた。腹が立つだけだ。

「回復魔法は」
「施しておりません。相手は逆賊です」

 ゴメスは真面目ぶった顔で質問に答えた。
 バーティルが妙に苦しげだと思った。包帯が巻いてあるだけで奇跡かも知れない。
 もう少し苦しめてやってもいいかなと思いながら、それでもローレンスは実利的な指示を出す。

「……尋問に差し支える。最低限の治療を施せ」
「はっ」
「何か情報を持っているかも知れん。手段は問わんから吐かせろ。殺すなよ」
「かしこまりました」

 ローレンスに続いて独房を出たゴメスは、鍵を閉めると『尋問官』を呼ぶため足早に去って行った。

「神よ……シエル=テイラの民を護りたまえ……!」

 バーティルの呟きは、おそらくローレンスだけが聞いていた。
 忌々しげに奥歯を噛みしめたローレンスは、靴音も高く牢を後にした。

 * * *

 第二騎士団員に≪聖別(コンセクレイション)≫を掛け、捨て駒にする……
 この作戦を実行する上では神殿の協力が不可欠だ。大勢に≪聖別(コンセクレイション)≫を施そうと考えたらどうしても大量の神官が必要になる。
 だが、二つ返事で快諾されると思っていた神殿への要請に対して、返ってきたのは神殿長の悲鳴だった。

『もはや限界です! 撤退する騎士の方々の治療だけで精一杯。既に神官の半分ほどが倒れております』
「もう保たないのか? 魔力回復のポーションは?」

 触媒さえ集まればもう一度結界を張れるという話だった。
 逆に言えば、それを諦めれば魔力リソースにかなりの余裕があるはずなのだ。
 だが神殿長の返事は同じだった。

『それも含めて使い切りました! 先程の蘇生が無ければ……』
「蘇生だと!? この状況で、陛下に万一のことがあった時以外に蘇生魔法など使っている余裕は無い! 何故そんなことをした!!」

 蘇生の魔法にどれだけの魔力を使うか。魔術師でないローレンスでも、それが並大抵の労力でない事を知っている。
 王都クラスの都市でも、1日にひとつの神殿が蘇生できるのは2,3人が限度。魔力回復用のポーションを大量に供給しなければそれ以上は無理だ。

 現状、ポーションどころか神官たちの魔力すら貴重な戦略資源。
 もしヒルベルトが死んだとあれば最優先の蘇生対象だが、それ以外の者に蘇生魔法など使ってはいられないのである。

『ノアキュリオよりの援軍を……テオ・コリン・エドフェルト様からの要請により』
「テオ……?」

 神殿長の答えに心当たりが無く、ローレンスは首をかしげる。
 エドフェルト侯爵家は知っているが、テオという名前に心当たりが無いのだ。

 最近廷臣になった者だろうか、と察しを付けたローレンスは視線でヒルベルトに問いかける。

「どなたでしょうか」
「エドフェルト侯爵の三男だ。対ノアキュリオ外交に携わっている」
『防衛戦のためにも蘇生をしている余裕は無いと申しました。しかし強硬に要求されましたので』
「何故突っぱねなかった!」

 こんな時に蘇生魔法を要求した大馬鹿者のテオは当然として、それを受け入れて貴重な魔力を無駄遣いした神官たちも信じがたい大馬鹿者だ。
 しかし神殿長は、どこか卑屈な色をにじませて皮肉のように抗弁する。

『『国のため働く者の言葉は陛下の言葉と思え』……あなたは先日、私にそうおっしゃったではありませんか。
 エドフェルト様は陛下に見込まれて外交に携わっておられる。そのような方がこれほど無理を押して希望するのですから、これは陛下の強いご意向なのでしょうなと私は思いまして、はい』

 ローレンスは歯軋りする。
 神殿の連中が反抗的であるとして、ヒルベルトは彼らを屈服させる手を打ってきた。ローレンス自身もそれに協力したのだ。言う事を聞かないなら第一騎士団長の名を以て神殿を非難すると、暗に脅していた。
 ローレンスは自分が国民的英雄である事を自覚している。もし自分が神殿を非難すればどんな結果になるかも。
 その甲斐あってか、神殿はやっと物わかりが良くなってきたところだ。
 それを……大馬鹿者すら超えた極大馬鹿者に無駄遣いされたのだ!

「……蘇生はどうなった」
『失敗です』
「テオはどこに居る。まだ神殿に居るのか!?」
『先程神殿を襲ったスケルトンアサシンの討ち漏らしが神殿内に隠れておりまして……襲われて、あえなく命を落とされました』

 そうか、と思っただけだった。
 怪しいことこの上無い説明だが、仮に嘘だったとしても問題だとは思えなかった。少なくとも今は。

「仕方ない、無理だというなら――」
『こちらファルコン隊、応答願います!』

 ローレンスが次善の支持を考えていると、通話符(コーラー)の1枚が吠えた。
 第一騎士団の小隊長のひとり、ファルコンからだ。

「ローレンスだ。何があった!?」
『レブナントです! 第二騎士団にレブナントが混じっています!』
「レブナントだと!?」

 レブナント。
 ゾンビやスケルトンのような分かりやすい異形ではなく、一見では人との違いが分からないアンデッドだ。生前の知識や肉体技能はそのまま使用可能で、魂ごとレブナント化すれば魔法すら操れる。
 その性質上、潜入に向く。邪悪な魔術師が生きた人族をレブナントに作り替えて人族の街に潜入させる事件は時折発生するのだった。

「門塔を襲った奴らか!? それ以外か!?」
『門塔を襲った騎士に関しては確認できていませんが……撤退していく騎士の中に!
 うちの隊の魔術師が発見、既に駆除しました。何食わぬ顔で他の騎士と行動を共にしていました』

 ヒルベルトが息を呑む気配が伝わってきた。

「ひとりとは限らんよな……」
「はい……」

 ローレンスも背中を冷たい手で撫でられているような心地だった。
 裏切り者が出る、あるいは出すというならまだ分かる。
 だが戦場のど真ん中で敵陣営を密かにアンデッドに取り替えるなど理解の範疇を超えた冒涜的な戦法だ。

 ――くそ、相手はモンスターだ。最初からこの程度は予想しておいて然るべきだったか!

 シエル=テイラの騎士団は、国内に現れる魔物を討伐しに出向くことはあっても、魔族の軍勢との戦闘経験はほぼ無い。
 建国当初はともかく、最近は魔王軍の勢力も弱まり、戦地から遠い国は『人族連合軍』に対して金品を送るなどの後方支援にとどめるのが常になっていた。そんな人族国家が連合軍を組む戦いさえも、もはや10年以上絶えている。
 ローレンスさえ『魔族・魔物の軍隊』との戦闘経験は乏しいのだ。魔物らしい戦い方、というものに対しての備えがおろそかだった。

「これは、バーティルの差し金だろうか?」
「まさかそれはないだろうと思いますが……」

 何らかの取引の結果として、部下をアンデッドに替えさせる?
 ……さすがにそれはない、という気がした。
 第二騎士団レブナント化計画はバーティルのあずかり知らぬ所で進んでいたと考えるべきだろう。

 ――バーティルを捕らえたのは早とちりだったか……? いや、南門を襲ったのまでレブナントと限ったわけではない。
   何より、この状況下でバーティルに第二騎士団を預けておくのが危険である事に違いはない。信用などできるものか。どう動くか分かったものではないのだ!

「ご苦労、撤退を優先しろ」
『はっ』

 指示を出したローレンスは、今度は神殿長に繋がる通話符(コーラー)を取り上げる。

「おい、いくら魔力が尽きかけていようとアンデッドと人間の見分けくらいは付くな?」
『それは、さすがに分かりますとも』
「よし。第二騎士団にレブナントが混じっているという情報があった。≪聖別(コンセクレイション)≫はいいからそれを見分けろ。もし居たら始末は第二騎士団に任せるんだ。いくらなんでもレブナントの方が多いという事は無いだろう」

 だがその返事を聞く前に、ファルコンの通話符(コーラー)が再び声を上げる。

『団長殿!』
「今度は何だ?」

 切羽詰まった泣き声のような叫びだった。

『"怨獄の薔薇姫"が現れました!』
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