第4話

文字数 2,391文字



 レフリーが去っても、春奈は呆然としたまま、何もやる気が起こらなかった。

 なかには早々に自室に帰っていった人もいるが、半数は立ちつくしている。あるいは床にすわりこんでしまっていた。

 春奈の手をひいたのは、鈴だ。

「ちょっと、話そ」
「う、うん」

 見れば、鈴は手にタブレットを持っている。春奈がぼんやりしているうちに、部屋から持ってきたのだ。

「でも、話すって、どうするの? わたしたち、もうみんな死ぬんだよ。だって、一週間以内にペアを見つけるなんて……」

 春奈の場合は恨む者だ。それはわかってる。ただ、その相手が誰だとしても、ほんとに自分に人が殺せるのかどうかも自信がない。
 そもそも、いつ自分が死ぬかと思うと、怖くて何もできそうになかった。
 だが、鈴は強い口調で言う。

「さっきのルール、聞いたでしょ? わたしたちが生き残るためには、ペアの相手を見つけて、その人の錠前に鍵をさしこむしかないんだよ」
「そんなこと、ほんとに日本でありえる? これ、なんかのテレビ番組とか、そういう……」

 春奈の思考は現実逃避を始める。が、鈴は静かに首をふった。

「特別科の生徒って、ほとんどが生活に困窮してるか、親がいないかなんだよ。とつぜんいなくなっても、誰からも捜索願いが出ないメンバーなんだと思う。それに、今日、卒業式だった。卒業生は寮から出てくから、たとえば全員死んだとしてもだよ。新入生が来たときには、ここで何が起こったかわかる人はいないよ」

 特別科は各学年に一クラスある。が、寮は学年で棟が違うのだ。もしも、ほんとに棟ごと封鎖されていたら、たしかに、春奈たちの安否は外部にはまったく伝わらない。

「ここから逃げだせないの? 窓からでも? 玄関って、ほんとに封鎖されてるの?」
「わたしはもう見たけど、行ってみる?」

 鈴が誘ったのは、春奈に逃げ場所はないという現実を見させるためだったかもしれない。

 玄関は近い。食堂のすぐ外がエントランスホールになっていて、そこを見ると、表口の自動ドアのすぐ外に鉄格子がおりていた。網目状になっていて、とても人間は通れない。

「裏口も見たよ。ここと同じ。建物の全部がかこわれてる」

 春奈は自分の目でたしかめたかったが、なぜか、鈴は食堂に戻りたがった。

「なんで食堂なの?」
「誰かがボックスに入らないか見てなくちゃ」

 指摘されて初めて、春奈はゾッとした。殺人マシンがそこになげだされていると。自分の心臓——いや、脳みそが無防備に公衆の面前にさらされている。

 鈴はうなずく。
「このゲームでは、自分が隠れても意味ないんだよ。どこまで逃げても、あのボックスがあそこにあるかぎり、殺される可能性がある」

 あのボックスがあるかぎり……そう思うと、とたんに不安になる。こうしてるあいだにも誰かがボックスに入り、自分の錠前をまわしてしまうかも。

 怖くなって、食堂に走って戻った。そこでちょっとしたさわぎが起こっている。学級長の井伏と小町絵梨花が言い争っていた。

「そこどいてよ」
「ダメだ。絶対、させない」
「あんたにそんな権利ないよね?」

 ボックスの前でジタバタしてるところを見ると、そこに入る入らないで対立してるようだ。

「小町、誰か殺すつもりなんだ?」
「そうみたい」

 ひそひそ声で鈴と話す。

「でも、間違った相手の錠前だと、自分が死ぬんだよね? わ、わたし、とてもできないよ」
「小町は自信があるんだよ。恨む者なら、相手が誰だかハッキリわかってるんじゃない?」

 たしかに鈴の言うとおりだ。春奈自身は事情があって、殺したいほど恨んだ相手が誰なのか、まだわからない。でも、小町はそうじゃないのだろう。

 小町絵梨花はクラス一の美少女である。まだメディアでの露出は少ないものの、そこそこ大手の芸能事務所からモデルデビューしてもいる。まつげの長い大きな瞳は女の子の目から見ても、そうとう可愛い。

 春奈から見れば、人生の成功者に見えた。その小町にも人を殺したいほど憎む事情があったのか?

「もう、どいてよ! なんなの? ジャマするな!」
「ダメだ。僕たちは殺しあいなんかしちゃいけないんだ!」

 春奈は絶句した。
 まさか、そんな理由で井伏が小町を止めてるとは思ってもみなかったからだ。
 もちろん、殺人はいけない。春奈だってやりたくない。でも、やらなければ自分が殺される。この状況で正論を言ったところで、それは偽善にすぎないんじゃないだろうか。
 それとも、井伏は小町が自分を殺そうとしていると勘違いしてるとか?

「井伏くんって、前からマジメすぎて融通きかないとこあったよね?」と、鈴が言うので、春奈も納得した。そういえば、変に正義感をふりかざすところがあった。

 春奈は二人のなりゆきが気になって、釘づけになっていた。が、鈴はそのあいだに生徒手帳を出して、うしろのメモに何かを書きとめていた。

「鈴、何してるの?」
「変だと思わない? 小町が恨む者だとしたら、誰か恨まれてるはず。自分がそうだと思えば、誰かとめに入るよね? 来ないのは、ここにいない人がそうなのかなって」

 春奈は感心して、しばし親友の一見、おとなしそうなおもてを見つめた。鈴はその見ためからは考えられないほど芯のしっかりした子だ。このとき、あらためて、それを実感した。

「ほんとに井伏くんがそうなのかもよ?」
「それも考えられるよね」

 そうこうするうちに、井伏が絵梨花をつきとばした。そこは男女の体力差だ。全力でとっくみあえば、女の子が負けるのはわかりきっている。

 絵梨花が倒れたすきに、井伏はボックスにかけこんだ。カチャンと鍵のかかる音がした。オートロックになっているのだ。ボックスは誰かが入ると自動で鍵がかかる。

 その直後、校内放送が入った。

「本日、三人めがボックスに入りました。本日の上限に達しましたため、これ以降、日付が変わるまで、新たな入室を禁じます」
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