第29話

文字数 2,415文字



 ショックで春奈は何も言えない。しばらく、蘇芳を見つめていた。

 せっかく仲よくなれたのに、もういなくなるのか?
 春が来て、いっしょにキャンパスに通えば、少しはこの人のことを知れたかもしれない。でも、彼のなかでは、すでに決意がかたまっている。

 とうとつに桜の風景が浮かんだ。キャンパスの桜並木。笑いながらならんで歩く自分たちが。そんな日は永遠に来ないのに。

 桜吹雪の幻想が春奈の胸を痛めた。自然に涙がこぼれおちる。

「おれのために泣いてくれるんだ」
「だって……」
「ありがとう」

 蘇芳は春奈の涙を指ですくうと、ごまかすように立ちあがった。

「綾川。宇都宮の見舞い、おれも行くよ」

 鈴と蘇芳は二人で出ていった。蘇芳がこのまま消えてしまうような気がして、胸がズキズキする。

 ドアが閉まると、愛音がニヤニヤ笑いだした。

「ふへへ。春奈、ああいうのがタイプかぁ」
「や、やめてよぉ」
「いいじゃん。蘇芳くん、吉沢亮似のイケメンだし、優しいし。でも、死んじゃう気かぁ。ツライ!」
「どうにかならないかな?」
「事情がわかればねぇ。要するに、彼を恨む者がゆるしてあげれば、気持ちは変わるかもしれない。けど、どっちみち、ペアのどっちかがスイッチ押さないと、どっちも死ぬんだよね。難しいとこだ」
「うん」

 このルールだと、ペア両方の勝ちあがりは、どうやっても不可能だ。蘇芳には死んでほしくない。かと言って、誰かわからない蘇芳のペアに死んでくれとも言えない。

「そういえば、愛音、前に摩耶がペアじゃないかって言ってたよね?」

 話題を変えると、今度は愛音がため息をついた。

「それ、やっぱり、違うみたいだよね。絶対、かなかがペアでしょ」
「だよね。そもそも、愛音と摩耶ってどんな関係なの?」

 愛音は鈴のお菓子箱を勝手に出して、ポッキーの袋をあける。「あとで返すから」と言いわけしながら、ポリポリ食べだした。

「あたしさ。孤児なんだよね。親が誰かもわかんないんだ。赤ちゃんポストってやつ。あれに入れられてたんだって」
「そうなんだ」

 明るく見える愛音の口から、思わぬ重い話が出てきておどろく。しかし、ここはそういうクラスなのだと、自分を納得させた。全員か、それに近い人数が、かなり過酷な経験をしている。

「でさ。養護施設で育ったんだけど、子どものころ、摩耶って、親に虐待されてたんだよね。ときどき、一時保護されて、施設に来てた」
「えっ!」

 ビックリして、二の句がつげない。

「……嘘でしょ? あの摩耶が?」
「今の摩耶だけ見てると嘘みたいだよねぇ。まだ四、五歳のころから、小学高学年までかな。半年とか一年ずつくらい、四回は入所してた」

 とても意外だ。あの女王然とした摩耶からは想像もつかない。

「そういえば、親から虐待された人って、自分が大人になったとき、子どもを虐待しちゃうって、テレビで見たよ」
「たぶん、かなかのイジメもそのへんが関係はしてるんだろうね。自分がやられたから、やってるんじゃないかなぁ」

 かなかの手の火傷を見たあとでは、摩耶にどんな理由があっても同情はできない。でも、摩耶にもそんな過去があったと思えば、少しかわいそうになった。

「それで、愛音と摩耶は何があったの?」
「年も同じだし、摩耶とはけっこうよく話したよ。親友って感じじゃなかったけど。わたし、里親がなかなか決まらなかったんだよ。子どものころは喘息ぎみで、よく病気になったし。小六のとき、やっと決まりそうになったの。すごく優しそうな人たちで、あたしも今度こそはって思ってたのに、ちょうどその夫婦が来てるときに、摩耶があたしにたたかれたって嘘ついてさ。里親の話は流れちゃった。摩耶はそのあと、施設には来なくなったけど、この学校来て、すぐわかったよ。むこうも気づいてたと思う。ただ、あたし、そのあと、今の里親にひきとられたんだ。貧乏だけど、すごくいいじいちゃんと、ばあちゃん。年が年だから、親っていうより祖父母だけど。だから、もう恨んではないんだよね」

 やっぱり、愛音のペアは摩耶ではなさそうだ。だとしたら、おそらく、ランダムペアだろう。本人に告げておかなくていいのか、春奈が迷っていると——

「ただいま」

 鈴が帰ってきた。蘇芳はいなくなっている。かわりに、美憂とかなかがついてきていた。

「ダメだったよ。思ったとおり、点滴に鎮痛剤入ってて、ずっと寝てる。話できる状態じゃないよ」
「やっぱりそうだよね。大ケガだったもんね」

 愛音がそう言いながら、春奈にむかって「しッ」と人さし指を立ててきた。みんなにはナイショ、という意味だろう。

「ああっ、愛音。わたしのポッキー勝手に食べた!」
「ごめん。ごめん。わたしのアポロと交換ってことで、ゆるしてちょ」
「しょうがないなぁ」
「アポロ持ってくるぅ」

 二人がお菓子で盛りあがってるので、春奈も嬉しくなった。緊張しっぱなしなので、こういうひとときは、ほんとに心がなごむ。

「わたしも部屋に買い置きあるよ。酢昆布とチータラ、どっちがいい? ピスタチオとか、イカの姿揚げ、柿ピー」
「ひぇー。春奈、渋い! 酒飲みのセレクトだよ? 柿ピーでお願いします」と、愛音。

「あ、あの、わたし、お菓子ないんだけど」
「かなかは食堂からジュースやお茶持ってきてくれる?」
「わかった」

 みんな、はしゃいでいたのに。

 春奈が三階から戻ってくると、事態は急変していた。かなかが蒼白になって、階下を指さしている。

「どうしたの?」
「きゅ……救護室で……」

 救護室はさっき、鈴たちが行ってきたばかりだ。宇都宮が手当てを受けて休んでいる。

「行ってみよう」

 五人で急いで一階へむかう。救護室のドアがあけっぱなしになっていた。救護室はオートロックのはず。何かがドアのあいだにはさまっているからだ。

 鈴が近より、すきまからなかを見た。そして、首をふる。鈴の顔も一瞬で凍りついている。

 恐る恐る、春奈ものぞいた。鮮血の色が目に焼きついた。
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