第50話 扇動

文字数 5,668文字

 小隊ごとで固まり広場に集まった面々の様子は、数日前と全く異なっていた。理由は勿論、これから登場する人物が神別種であると既に分かっているからだ。誰もが押し黙ったまま、高座に視線を向けていた。
 最前列付近に配置されたクオウ班の面々も、最初に現れるのは誰か、胸を高鳴らせながら待ちわびていた。
 不意に、後方からどよめきが起こった。前列にいたタハト達も意表を突かれながら遅れて後ろを振り返る。
 特に見当たるものはない。が、妙に思ったのも束の間、タハト達の頭上を影のようなものが横切った。
 高座に降り立ったそれは、直径二メートル弱ほどの大きな水柱だった。太さは丁度、中に大人二、三人が並んで立っていられる程度だ。
 それは竜巻の様に渦巻きながら、うねうねと天高く伸びていた。中には、朧気に二人の人影。水の壁に遮られ定かではないが、背格好からすると、どちらも大人の男のようだ。
 皆が目を丸くして見守る中、水柱は徐々に回転を弱め、仕舞いには完全に動きを止めた。昼前の柔らかな日差しが、ゆらゆらと揺れる水面を照らし、柱全体がそれを反射する。美しい芸術作品のようだ。
 まさに、昔から知る親友の業だ。能力を発動しているということは、変化中であることを意味する。今に、美しい水龍が現れるに違いない。
 変化したリョウの姿を探すべく、水柱から目を離し周囲を見回す。あれほどの巨体だ、近くに居ればすぐに気が付くはず。しかし、それらしき姿はどこにもなかった。
 妙だなと首を捻っていると、高座に注意を向け続けていた他の隊員達から、驚きの声が上がった。
 急いで視線を戻すと、水柱が氷柱に変わろうとするところだった。近くに居た者達は、冷気が伝わってくるのを、正確には、周囲の熱が奪われていくのを肌で感じた。
 地面に揺れる影を投げかけていたものが、静的ものに変わっていく。見た事もない現象に誰もが呆気に取られ、目を奪われた。
 それは、タハトにとっても予想外の展開だった。リョウの変化種はあくまで水龍。氷の操作はできないはずだ。車列に乗っていた他の誰かだろうが、今は確かめようもない。
 凝固が完了するころには、音を立てる者は一人もいなくなっていた。活動期を迎えた子鳥たちの(さえず)りだけが静寂を乱す。
 不意に、乾いた音が空気を切り裂いた。発信源は眼前の氷柱だ。見ると、一か所に小さな亀裂が走り、それが瞬く間に広がった。
 次の瞬間、柱全体が砕け散り、瓦解した。氷片は直ちに氷塵へ帰し、整列した隊員達に降り注ぐ。それが鼻に入ったのか、リッカが小さくくしゃみをした。
 氷塵が収まると、中にいた者の姿がはっきりと表れた。場内からおおっと感嘆の声が上がる。偉大な神別種の御業に、多くの者が恍惚の表情を浮かべた。
 膝をつく者は誰もいない。今日は講和を円滑に行うため、必要ないとのお達しである。
 高座上に会われたのは、どちらもよく知った顔…コゼンとリョウだった。両者とも、この組織の幹部であることに変わりはない。しかし、皆の目は明らかに、若者の方を向いていた。
 「何とお美しい…」
 スエが溢したこの言葉が、全隊員の心を代弁している。そこに居たのは神々しい水龍の姿にも引けを取らぬ、部分変化の完成形だった。
 肘から先、腿から先、そして首から上はそっくりそのまま水龍のものに入れ替わっている。大きさを人型に合わせてはいるが、鱗や爪などのがっしりとした佇まい、優雅にたなびく髭や鬣の壮麗さは、全身変化時と何ら変わらない。
 大きな切れ長の碧眼が整列する隊員達をぎょろりと見回し、タハトのところで止まった。二人の視線がピタリと合わさる。
 『なぜここに?』
 そう問いかけられているような気がした。
 この場で話しかけられないのがもどかしい。
出来るのはただ、はたと見つめ返すことのみだった。
 龍の深く裂けた口角がわずかに上がったように見え、リョウが視線を切った。変化が解かれ、見慣れた丸顔が現れる。
 その佇まいには、「高貴な身分」という言葉がしっくりきた。青藍のゆったりとした絹衣のせいだろうか。それもあるが、大勢を前に落ち着き払った態度に、タハトは親友の内面的な成長を感じた。
 「お久しぶりです…一部の人は初めましてですね」
 半年以上ぶりに聞いた親友の声は、会場を包み込むような柔らかさを有していた。タハトが知らないだけで大勢の前ではこのように話すのか、鋭利ないつもの話し口とは大きく異なった。
 「僕が戻って来た理由…勘の良い方ならお気づきでしょう」
 隣でクオウが生唾を飲んだ。タハトの班長だけではない。広場全体から、多くの者が身構える気配が感じられた。反対に、新参の者達は周囲の反応に戸惑いを見せる。
 古参の隊員に目で問いかけるが、「いいから話を聞け」と相手にされない。それはクオウ班も同じことで、新人二人は顔を見合わせた。
 全ての目が自分に向き直ったところで、リョウが話を再開した。
 「万種革命後四十年にわたり、私達神別種、そしてかつてこの国の中枢を担っていた皆さんの家は、無惨に虐げられてきました。理不尽な仕打ち、不平等、そういったものに苦しめられてきたことでしょう」
 其処此処で隊員たちが熱心に首を縦に振った。それを確かめたリョウは一度言葉を切り、応えるよう頷いた。
 「それでも僕は幸いな方だったかもそれません。良き母、良き友に恵まれ、大好きな学問に打ち込むことも出来ました」
 良き友というのが誰を指すのかは明白だ。思わずタハトの口元が緩んだ。
 「コゼン殿が市政に関わり、比較的差別意識の薄いケイトに暮らしていたというのも、大きな要因かもしれません」
 場内の注目が、隣に立つ壮年の男に注がれる。コゼン氏は手を大きく上げ、白い歯を見せてそれに応えた。ところが対照的に、リョウは浮かない表情だ。
 「それでも僕は、貧しい自分の境遇や周囲からの偏見に不満を抱いていた…。今思えば、他の地域にお住まいだった皆さんの方が遥かに苦しい思いをしてらっしゃったことは想像に難くありません。認識の甘かった自分が恨めしい…」
 会場全体に重い空気が垂れこめる。各々が自分の過去に思いを馳せているのだろうか。この場では、一般家庭で育ったタハトは明らかな異物だった。
 「それでも、僕が感じた苦痛は決して偽物などではない。これは確かに改善されるべきものです。
 戦線に来て、コゼン殿やエンジ殿のような神別種だけでなく、あなた方のように辛酸を舐めてきた方々に出会い、皆が同じ気持ちである事も良く分かりました…」
 リョウの言葉に力が籠る。
 「ではなぜ、ケイト以外の地域では、我々の尊厳がこれほどまでに踏みにじられているのか。ケイトですら限界があるのはなぜか。それは現政権が、かつて王に侍った我々を恐れているからだ。
 僕はこの状況を改善し、旧体制との関りの如何に関わらず、全ての国民が幸福を享受できる世の中にしたい。皆さんもそれを望んでいることでしょう。ならばどうするか?」
 リョウは、場内を見回し、問いかけた。聴衆も熱い視線でそれに応える。多くの者は、リョウの次の言葉を既に知っているようだった。
 「そう。四十年前にジバ大統領が起こした武力革命を、そっくりそのまま返す…その準部が今整ったのです」
 ゆっくりと噛みしめるような静かな口調だったが、内容は衝撃的だ。戦線が王政復古を目指す組織であることは明白。だが今の言葉は、あまりに不穏な未来を暗示していた。
 思わず、隣のリッカを見る。視線を返した彼女は眉を下げ、困った表情をこちらに向けた。
頼りになる先輩の面影が、ここ数日薄れている。今日も、リッカの態度は煮え切らないものだった。
 「ここにいるコゼン殿、そしてこの基地を提供してくださっているコズモ社長、その他さまざまな方のお力でこの組織は大きく、強力になりました」
 見ると、先頭車両に乗っていた老人が高座の傍らに佇んでいた。相変わらず美しい二人の女性を従えている。
 リョウの紹介に反応し皆に手を振ってはいるが、その目はくすみ、覇気というものが感じられない。
 女たちは妖艶な笑みを浮かべ、一歩下がったところに控えていた。よく見ると、二人とも相当な美貌の持ち主だ。
 恐らく双子なのだろう、狐目に薄い唇、小さな顎など、顔の全ての部品が瓜二つだった。左右が異なるというだけで、口元の黒子までほぼ同じ位置だ。その笑みからは、並々ならぬ妖艶さが発せられていた。
妾風の二人に、男たちの目が奪われる。その傾注を壇上に引き戻したのは、リョウから場を引き継いだコゼン氏の力強い言葉だった。
 「そう。そして今、これまで欠けていた二つの存在が、ようやく揃ったのだ」
 仰々しく両手を広げ、声を張り上げる。
 「ひとつは、ここにいるリョウ殿!」
 コゼンが挙げた手をリョウに向けて振り下ろした途端、高価な服がはち切れ、巨大な龍が現れた。皆の口から、驚きと感嘆の声が漏れる。
 水龍は一気に三十メートルほど舞い上がると、大口から咆哮を轟かせた。ケイト北部の森上空で聞いたものと全く同じ、腹の底に響く重低音だ。
 「古の時代から武の象徴であった水龍が、遂に我々の同志となった!」
 ワッと歓声が上がる。タハトも思わず皆と一緒に手を叩いた。コゼンの言葉に乗せられたわけではない。ただ、親友の美しい姿を再び見られたことが、純粋に嬉しかったのだ。
 声援に応え水龍が再び吼えると、高座背後、タハト達から見ると正面の建物群の奥から、ドドドと地鳴のような音が響いて来た。それは瞬く間に広場に迫り、正体を明かす。
 「津波だ!」
 誰かが恐怖に慄き叫んだ。無理もない。建物の間を縫って現れたのは、轟音を立てて流れる大量の水だった。
 誰もが目を疑った。ここは内陸の炭鉱町のはず。津波などあり得ない。
 『これほどの水を操れたのか』
 タハトの記憶にはない水量だ。黒々とした波が、今にも広場を飲み込まんと迫り来る。
 リョウの所業と分かっていても、恐ろしいものは恐ろしい。多くの者が手を翳して身を庇った。
 高座を乗り越え、手を伸ばせば触れそうな距離まで波が迫ったところで、流石のタハトも反射的に目を瞑った…。が、感じたのは僅かな水滴が頬を濡らす感覚だけだった。代わりに、真冬のような冷気が辺りを漂う。
 そっと瞼を開ける。そこには、隊員たちを飲み込む寸前で氷壁となった波が、眼前に立ちはだかっていた。
 かなりの低温なのだろう。白い湯気が立ち昇る。壁に阻まれ、高座は見えなかった。
 「リョウって人、氷も操れるの?あんたの報告と違うんだけど」
 リッカが頭を寄せ、タハトにだけ聞こえる声で耳打ちした。その声には、驚きと非難の色が入り混じっていた。
 「そんなはずは…」
 タハトは首を振って否定した。未だに、この氷塊を作り出した主が他にいるのではと、半ば思っていたのだ。
 呆けた顔で氷壁を眺めていると、頭上を鋭い風切り音が走った。視界の端をいくつもの影が横切る。
 固い物体同士がぶつかる喧しい音が立て続けに鳴り響き、そのものの正体が氷塊である事を知らしめた。水流とは反対の方向、観衆の背後から彼らの頭上を通り過ぎ、氷壁にぶち当たったのだ。
 恐怖を覚えるほどの弾幕だった。流線型の氷弾が次から次へと飛来し、氷壁を砕く。轟音と細かな氷片が降り注ぎ、隊員たちは堪らず身をかがめた。
 それが数十秒は続いただろうか。氷壁はそのほとんどが瓦解し、再び高座が露になった。頭を抱えていた者たちも立ち上がり、視線を戻す。
 そこにいたのは水龍ではなく、翼を広げた一羽の大きな鳥だった。見た事のない種だ。
全身を深紅の羽毛で覆われているが、翼の先端では黄金の羽根が輝く。尾羽は長く、所々に散りばめられた翡翠のような模様が、見る者の目を惹いた。
 『神々しい』
 リョウ以外の変化体にこの感想を抱くのは初めてだった。もはや、鳥という言葉で片づけるのが不遜にさえ思える、太陽のような出立ちだった。
 その時、思いもよらぬ現象が起きた。会場中からむせび泣く声が上がり、隊員たちが一斉に膝を折ったのだ。
 コゼン達が現れた時とも、リョウが水龍に変化した時とも異なる反応だった。心からの畏敬の念が感じられる。
 これを見れば、目の前の鳥の正体が自ずと解る。タハトも皆に合わせて頭を垂れながら、その胸中には、疑問と混乱が渦巻いた。
 『王家は途絶えたのではなかったのか』
 万種革命の際、当時の王はジバ現大統領の手で殺され、その後、一族も残らず粛清されたと聞く。朱雀の変化能はその時に失われたはずだ。
 だが、目の前で翼を広げる深紅の巨鳥の姿は、見れば見るほど、王家の紋章に描かれた朱雀に重なる。
 加えて、武力革命の準備が揃ったと戦線の首脳が訴えるこの機にこうして現れ、王政復古派の者達が頭を垂れる今の状況から、それ以外の可能性は低いと考えざるを得なかった。
 『タテ』
 巨鳥が嘴を鳴らし、信号を送った。ただの乾いた音だが、ここにいる者達にとっては玉音だ。誰もが弾かれたように立ち上がった。
 「そして二つ目…」
 皆が起立したところで、いつの間にか壇上に戻ったリョウが声を張り上げた。氷壁で視界が遮られた間に人型に戻ったのか、新たな服を身に着けている。
 「王の抵抗戦線最大の成果、王家の奪還が遂に成されたのです」
 リョウの言葉が終わると同時に、朱雀が鋭く啼き、口から一筋の炎を勢いよく噴き出した。
まさに、戦線の記章に描かれている姿そのものだ。広場が割れんばかりの歓声に包まれる。
 「勝てるぞ」
 「朱雀様万歳」
 「王家の復活だ」
 口々に歓喜の声が上がる中、リョウはそれを更に煽る。
 「この方の名は旧王朝最後の王と同じ“スタル”様。スタル様の名の元に、今こそ立ち上がる時です。現政権を打倒し、鳥獣の血を引く我々のあるべき姿を取り戻しましょう。鳥獣革命を成し遂げるのです!」
 リョウの左腕が天に突き上げられると、場内の歓声が更に爆発した。誰の目にも、希望と喜びの星が光っていた。
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登場人物紹介

タハト

本作の主人公。オオハヤブサの変化能を持つ私立大学生。

卓越した飛行能力を持ち、競技飛行猛禽の部では、全国屈指の実力。

リョウ

タハトの友人。強大な力を持つ”特定変化規制種”の一つ、水龍に変化する。

社会から差別を受け貧しい家庭環境の中、持ち前の要領の良さと努力で名門国立大に進学。

専門は応用化学。

コト

タハトとリョウの幼馴染。変化能はツグミ。

タハトと同じ競技飛行部員だが、成績は地区大会止まり。

溌剌とした性格の持ち主で、常にタハトやリョウを気遣う優しい一面も。

ワカカ

謎のカラス集団に襲われているところをタハトとリョウの2人に助けられる。

国会議員、テス女史の秘書。

筋骨隆々でイカつい見た目だが、博識と落ち着きを兼ね備えた大人の男性。

変化種はコノハズク。

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