第70話 衝突

文字数 1,796文字

 黒犬は御常御殿の方へ一直線に向かっていた。そこに応援の隊員達が詰めているのか、それとも他の誰かがいるのか。タハトには知る由もないが、今は追いかけるしかなかった。
 建物の間を縫い、渡り廊下をくぐり、敵はあっと言う間に御常御殿に辿り着く。白い砂利を敷き詰めた前庭を横切り、人型に戻ることもなく、入り口に駆け込んだ。
 タハトも後を追い、入り口前に数段ある階段の最上段に降り立った。念のため変化は解かない。
 古い木の扉は開け放たれ、内部の様子を伺うことが出来た。
 敵の応援が居そうであれば、いち早く戻ってタナン達に知らせよう。そう考えたが、暫く目と耳を凝らしても人の気配はなかった。意を決して敷居飛び越える。
 入った先は薄暗い木の廊下。両脇には襖が並び、建物内に中庭があるのだろう、奥からは微かに日の光が覗いていた。
 思いの外広い廊下だったため、タハトはオオハヤブサの姿のまま、天井ぎりぎりをゆっくりと飛んだ。
 内部構造は頭に入っていたが、逃げた相手がどの部屋に向かったのかは分からない。廊下を進みながら、聞き耳を立て続ける。
 完全に見失ってしまった。あてどなく広い建物の中を飛び回る。無数の部屋が並び、中には襖が開け放たれたままの所もあった。
 人の気配は依然として全くない。それだけ、外の防衛で手いっぱいなのだろう。最高幹部の一人であるコゼンまで庭にいたくらいなのだ。当然と言えば当然のことだった。
 深部に近づくにつれ、雰囲気が変わってきた。欄間の細工はより繊細に、襖絵はより華やかに、見るからに部屋の格式が上がっている。
 装飾に金銀が使われ始めいよいよ栄華の香りが強くなってきた頃、オオハヤブサの鋭い耳が物音を捕らえた。こちらに駆けてくる足音。間違いなくイヌのものだ。
 長い廊下の先、曲がり角からそれは勢いよく飛び出してきた。タハトが追っていた黒犬だった。
 向こうはこちらに気付いていなかったらしく、廊下を飛ぶ猛禽を目にして初めて、速度を落とした。
 ここで出会うということは、最奥まで行って引き返してきた可能性が高い。そして、周囲の様子から見て、そこにある部屋は一般隊員が使えるものではないだろう。となれば、最低でも特規種の誰かがそこには居り、このイヌは報告か何かをしに来たと考えるのが妥当だ。
 ここで引き返す事は容易だが、奥にいる存在のことを考えると先に行きたい。タハトの頭はこの刹那でとるべき行動を瞬時に分析した。
 天井擦れ擦れを飛べばイヌの手は届かないだろう。だがそれでは後を追われる。最悪の場合、前門の特規種後門の大型犬だ。
 となればこいつを大人しくさせるしかないが、体格で勝ち目はない。かといって、革帯を外し人型に戻り小刀を握る間を得るほど、両者の間に距離は無い。取ることの出来る手段は一つきりだった。
 タハトは首を回し、嘴で革帯を外した。一度高度を下げ、注射器が損傷しない程度の速度でそれを床に落とす。
 そして再び速度を上げ、黒犬に接近した。相手も同じく突っ込んで来る。
 無論、このままぶつかり合うつもりはない。この体格差だ、ずたずたに切り裂かれてしまうだろう。
 少し高度を上げ、相手を見下ろせる位置を取る。残り距離数メートルのところで、タハトは身体を反転させ、脚を向けた。
 知覚を自身の内側に向け、神経、肉、骨、身体の隅々にまで意識を集中する。それらをどう変化させたいのか、詳細に思い描いた。
 脳内で再生したものを解放すると、即座に変形が始まる。
 全身が人型に戻る中、脚だけは猛禽のもののまま、体積のみ大きくなる。最後には、斜め上から飛び蹴りを放つ体勢となった。
 一方の黒犬はその姿のままタハトに跳びかかった。お互いに、相手をその場に叩き落そうという魂胆だった。
 思うように部分変化できるようになったのはここ最近のことだ。ましてや、対人で使用するのは初めてである。その威力について、タハトは十分に理解していなかった。
 飛行の慣性を残したまま、七十kg近い物体としてぶつかる。そしてその力は、四本の鈎爪の先端に、圧力となって集中するのだ。
 爪が毛皮を突き破り肉に沈む感覚…生々しい感触が脚の先から伝わった。気付いた時には、相手の胸に、鈎爪が深々と突き刺さっていた。
 と同時に、全身の骨に大きな衝撃が走る。それだけ、両者の速度が大きかったのだ。二人はもんどり打ってその場に倒れ込んだ。
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登場人物紹介

タハト

本作の主人公。オオハヤブサの変化能を持つ私立大学生。

卓越した飛行能力を持ち、競技飛行猛禽の部では、全国屈指の実力。

リョウ

タハトの友人。強大な力を持つ”特定変化規制種”の一つ、水龍に変化する。

社会から差別を受け貧しい家庭環境の中、持ち前の要領の良さと努力で名門国立大に進学。

専門は応用化学。

コト

タハトとリョウの幼馴染。変化能はツグミ。

タハトと同じ競技飛行部員だが、成績は地区大会止まり。

溌剌とした性格の持ち主で、常にタハトやリョウを気遣う優しい一面も。

ワカカ

謎のカラス集団に襲われているところをタハトとリョウの2人に助けられる。

国会議員、テス女史の秘書。

筋骨隆々でイカつい見た目だが、博識と落ち着きを兼ね備えた大人の男性。

変化種はコノハズク。

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