第32話 保身
文字数 2,300文字
「その後、皆で母さんを外に出すことが出来たんだけど、もう息はしてなかった」
リッカは何本目かになる煙草を灰皿にこすりつけた。話の間、止まることなく口に運んでいたのだ。
「父さんもすぐ近くに埋まってたけど、結果は同じ。大きな石に押しつぶされた状態で見つかったの。即死だったみたいだね」
悲惨な話をしている割に声は明るい。それでも彼女の眼は憂いを湛え、うっすらと光るものを浮かべているようにも見えた。
「お二人とも…残念です」
上手く言葉が出てこない。頭を下げそう言うだけで、今のタハトには精いっぱいだった。
「そう…残念だったよ。特に母さんはね」
よせばいいのに、リッカは再び煙草に火を点けた。
「父さんはまあ仕方ない。即死だったからさ。でも、母さんはあの時まだ生きてたんだ!」
リッカの声が不意に震える。
「ラクトさんがあの場に残っていてくれたら、いえ、ロクが呼びに行ったとき、だれか一人でも来てくれていたら、母さんは死なずに済んだかもしれない」
リッカは再び煙草を深く呑むと、同量の空気を煙と共に吐き出した。彼女にとってそれは、ため息の様な効果をもたらすのかもしれない。
「そんな状況で幼い姉弟を誰も助けてくれないなんて、信じられません」
タハトは、同調圧力下における人の無情さに底知れぬ恐ろしさを感じた。リッカが暮らしていたような小さな集落におけるそれは、ケイトなど大都市のものより遥かに重く拘束力が強いのだろうか。
「あの時は私もそう思ったよ。いくら家が他から浮いていたからって、こんな仕打ちが本当にあるのかってね。でもね、人間、自分の保身のためなら、ある程度残酷になれるもんなんだよ」
達観したような口調でそう説き、リッカはさらに続けた。
「後からロクに聞いたんだけど、あの子が助けを呼びに行ったとき、ラクトさん達は何してたと思う?」
顔をしかめ、いきなりタハトに問う。
「町内会長の息子の救出じゃないんですか?」
先ほどまでの話では、そういうことになっていたはずだ。タハトは小首を傾げ、きょとんとリッカを見返した。
「ロクが到着した時、会長の息子はとうの昔に救出されていんだって」
リッカはフンと鼻を鳴らして、忌々しそうにタバコを灰皿の上で潰した。吸い殻が皿の中で山を形成し、今にも崩れそうだ。
「そこに居た何人もの大人たちが掘り起こしていたのは、町内会長の金庫。会長がどうしても掘り起こせって騒いでたんだってさ」
リッカは、怒りと悲しみに満ちた目をタハトに向けた。自分に向けられた感情ではないと分かっていても、心乱される表情だった。
「金庫だよ?中にあるのはお金や手形だけ!一人や二人こっちに回すくらいできたはずなのに、全員がうちの親の命より、そっちを優先したんだよ…」
感情の起伏が激しい。今度は消え入りそうに語尾を窄めた。
「ロクの頬はその時会長にやられたみたい。あいつに縋りついて、せめてラクトさんだけでも寄越して欲しいって頼み込んだら、ぶん殴られたって…。就学前の子供にその仕打ち、しかも周りの人たちも見て見ぬふり。ほんと、怒りを通り越して呆れちゃうよ」
リッカの情動が伝播し、タハトも膝の上に拳を作ってうなだれた。
「許されないことです」
それ以上は何も言えなかった。
誰の助けも得られず、目の前で息を引き取る親をただ見るしかなかったリッカ達の姿を想像しただけで、胸が押しつぶされそうになる。当人達が感じた絶望は、タハトになど測り知る事のできないものだったに違いない。
「ありがとう」
後輩の同情を受け取り、リッカは囁くように礼を言った。
「…」
気まずい空気が流れた。お互い何を言い出せばよいのか計りかねる。タハトは話題を膨らまそうと顔を上げ、口を開いた。
「それで御両親亡き後、ワカカさんに拾われた…というわけですか」
少しでも良い方向の話をしようと考えての話題選択だった。しかし、リッカは俄かに顔色を曇らせ、嗚咽をこらえるように小さく口を開けて固まった。
「リッカさん?」
驚いたタハトは心配して相手を覗き込んだが、リッカはその視線を避けるように顔を背け、口を押えた。呼吸を整えるよう、慎重に息を吸い込んでいる。
触れてはいけない部分に触れてしまったのだろうか、憂慮したタハトは椅子から半分立ち上がった。思わず両手が前に出るが、女性に触れるわけにもいかず、そのままの姿勢で硬直する。
少し落ち着いたリッカは、間の抜けた構えのタハトを見て、拳を口に当ててぷっと吹き出した。
「なによその恰好、馬っ鹿みたい」
吐き気はもう去ったのか、クックッと苦しそうに笑う。
「いえ、ただ様子が変だったので…何か気に障る事言いまし?」
リッカは小さく首を横に振り、呆れたようにため息を吐いた。
「あんたねぇ、いちいち相手の顔色伺いすぎ。小心な男はモテないよ」
それでも、機嫌よくニヤリと口角を上げてタハトに目配せを送る。
「ま、少し元気出たよ、ありがとうね」
その様子にタハトも安心し、再び椅子に座り直した。背もたれに体を預け、ほっと一息つく。
それにしても、今の反応は一体何だったのだろうか。尋常ならざる雰囲気を感じ、タハトは困惑の表情を浮かべた。
「その後も色々あったんだよね、うん」
タハトの疑問に答えるかのように、リッカは言い、軽く下唇をかんだ。歯の当たる部分が白くなり、色白の肌に同化する。
「それは、僕が聞いても問題ない事なのでしょうか?」
タハトは緊張した面持ちで尋ねた。未だに先程のリッカの反応がしこりとして残っていた。
リッカは小さく微笑み、被災後の様子について語った。
リッカは何本目かになる煙草を灰皿にこすりつけた。話の間、止まることなく口に運んでいたのだ。
「父さんもすぐ近くに埋まってたけど、結果は同じ。大きな石に押しつぶされた状態で見つかったの。即死だったみたいだね」
悲惨な話をしている割に声は明るい。それでも彼女の眼は憂いを湛え、うっすらと光るものを浮かべているようにも見えた。
「お二人とも…残念です」
上手く言葉が出てこない。頭を下げそう言うだけで、今のタハトには精いっぱいだった。
「そう…残念だったよ。特に母さんはね」
よせばいいのに、リッカは再び煙草に火を点けた。
「父さんはまあ仕方ない。即死だったからさ。でも、母さんはあの時まだ生きてたんだ!」
リッカの声が不意に震える。
「ラクトさんがあの場に残っていてくれたら、いえ、ロクが呼びに行ったとき、だれか一人でも来てくれていたら、母さんは死なずに済んだかもしれない」
リッカは再び煙草を深く呑むと、同量の空気を煙と共に吐き出した。彼女にとってそれは、ため息の様な効果をもたらすのかもしれない。
「そんな状況で幼い姉弟を誰も助けてくれないなんて、信じられません」
タハトは、同調圧力下における人の無情さに底知れぬ恐ろしさを感じた。リッカが暮らしていたような小さな集落におけるそれは、ケイトなど大都市のものより遥かに重く拘束力が強いのだろうか。
「あの時は私もそう思ったよ。いくら家が他から浮いていたからって、こんな仕打ちが本当にあるのかってね。でもね、人間、自分の保身のためなら、ある程度残酷になれるもんなんだよ」
達観したような口調でそう説き、リッカはさらに続けた。
「後からロクに聞いたんだけど、あの子が助けを呼びに行ったとき、ラクトさん達は何してたと思う?」
顔をしかめ、いきなりタハトに問う。
「町内会長の息子の救出じゃないんですか?」
先ほどまでの話では、そういうことになっていたはずだ。タハトは小首を傾げ、きょとんとリッカを見返した。
「ロクが到着した時、会長の息子はとうの昔に救出されていんだって」
リッカはフンと鼻を鳴らして、忌々しそうにタバコを灰皿の上で潰した。吸い殻が皿の中で山を形成し、今にも崩れそうだ。
「そこに居た何人もの大人たちが掘り起こしていたのは、町内会長の金庫。会長がどうしても掘り起こせって騒いでたんだってさ」
リッカは、怒りと悲しみに満ちた目をタハトに向けた。自分に向けられた感情ではないと分かっていても、心乱される表情だった。
「金庫だよ?中にあるのはお金や手形だけ!一人や二人こっちに回すくらいできたはずなのに、全員がうちの親の命より、そっちを優先したんだよ…」
感情の起伏が激しい。今度は消え入りそうに語尾を窄めた。
「ロクの頬はその時会長にやられたみたい。あいつに縋りついて、せめてラクトさんだけでも寄越して欲しいって頼み込んだら、ぶん殴られたって…。就学前の子供にその仕打ち、しかも周りの人たちも見て見ぬふり。ほんと、怒りを通り越して呆れちゃうよ」
リッカの情動が伝播し、タハトも膝の上に拳を作ってうなだれた。
「許されないことです」
それ以上は何も言えなかった。
誰の助けも得られず、目の前で息を引き取る親をただ見るしかなかったリッカ達の姿を想像しただけで、胸が押しつぶされそうになる。当人達が感じた絶望は、タハトになど測り知る事のできないものだったに違いない。
「ありがとう」
後輩の同情を受け取り、リッカは囁くように礼を言った。
「…」
気まずい空気が流れた。お互い何を言い出せばよいのか計りかねる。タハトは話題を膨らまそうと顔を上げ、口を開いた。
「それで御両親亡き後、ワカカさんに拾われた…というわけですか」
少しでも良い方向の話をしようと考えての話題選択だった。しかし、リッカは俄かに顔色を曇らせ、嗚咽をこらえるように小さく口を開けて固まった。
「リッカさん?」
驚いたタハトは心配して相手を覗き込んだが、リッカはその視線を避けるように顔を背け、口を押えた。呼吸を整えるよう、慎重に息を吸い込んでいる。
触れてはいけない部分に触れてしまったのだろうか、憂慮したタハトは椅子から半分立ち上がった。思わず両手が前に出るが、女性に触れるわけにもいかず、そのままの姿勢で硬直する。
少し落ち着いたリッカは、間の抜けた構えのタハトを見て、拳を口に当ててぷっと吹き出した。
「なによその恰好、馬っ鹿みたい」
吐き気はもう去ったのか、クックッと苦しそうに笑う。
「いえ、ただ様子が変だったので…何か気に障る事言いまし?」
リッカは小さく首を横に振り、呆れたようにため息を吐いた。
「あんたねぇ、いちいち相手の顔色伺いすぎ。小心な男はモテないよ」
それでも、機嫌よくニヤリと口角を上げてタハトに目配せを送る。
「ま、少し元気出たよ、ありがとうね」
その様子にタハトも安心し、再び椅子に座り直した。背もたれに体を預け、ほっと一息つく。
それにしても、今の反応は一体何だったのだろうか。尋常ならざる雰囲気を感じ、タハトは困惑の表情を浮かべた。
「その後も色々あったんだよね、うん」
タハトの疑問に答えるかのように、リッカは言い、軽く下唇をかんだ。歯の当たる部分が白くなり、色白の肌に同化する。
「それは、僕が聞いても問題ない事なのでしょうか?」
タハトは緊張した面持ちで尋ねた。未だに先程のリッカの反応がしこりとして残っていた。
リッカは小さく微笑み、被災後の様子について語った。