第21話 王の抵抗戦線

文字数 5,209文字

 午前九時少し前、本館二階、タハトは会議室と記された扉を軽く叩いた。「どうぞ」と答える声。ワカカのものだ。
 横長の狭い部屋だった。右手には黒板と、その脇に立つブルカハの姿。長細い大きな卓の周りには、ワカカと分隊の面々が顔を揃えていた。椅子はなく、皆立っている。
 遅刻をしたわけではないが、最後になってしまったことに恐縮しつつ、タハトは朝の挨拶を述べ、部屋に入った。先に来ていた面々も、口々に「おはよう」と返す。(もちろんリッカを除いてだが)
 タハトは、黒板の反対側、最も下座に立った。黒板横にいる分隊長を除けば、一番上座はワカカだ。二人の目が合った。
 それにしても、昨日から気にかかっていることがあった。自分は、このブルカハ分隊と呼ばれる人々の元で働くのだろうか。
 秘書業の体験という名目でこの事務所に呼ばれたと認識していたが、これはどうしたことか。まるで、軍隊の作戦会議のような場の雰囲気に、いささか面食らう形になった。
 研修生の狼狽を気の毒に思ったのか、タナンが哀れみか同情ともとれる視線を投げかけた。
 「揃ったね」
 ざっと室内を見回し、ワカカが最初に口を開いた。
 「昨晩はお楽しみだったようだが、無事に皆揃ってよかった。自己紹介は済んでいるだろうから、割愛するよ」
 室内が軽い笑いで満たされる。ブルカハも「ご存じだったんですね」と頭を掻いた。
 場が静まると、ワカカはタハトに目を映した。状況を飲み込めていない若者にふっと笑いかける。
 「すまない。驚いているだろうね」
 タハトは唯々首を縦に振った。するとワカカが突然、
 「まずは謝らせてくれないか。この通り」
 と卓に両手を付け、深く頭を下げた。思いがけない出来事に、タハトは眉をひそめる。何が何だか分からない。早く説明を聞きたかった。
 「どうしても、手紙には本当のことを書くけなかった。どこに誰の目があるか分からないからね。実は、君をここに呼んだのはある仕事を頼みたいからなんだ。今から説明するから、聞いてくれるかい?」
 ワカカの問いかけるような眼差しに、タハトは頷き、同意を示す。手紙に書くことが出来ない程の秘め事とは、一体何だろうか。俄然興味が湧いてきた。
 「それじゃあ、後は頼むよ」
 前向きなタハトの態度に安心した様子で、ワカカはブルカハに目配せをした。分隊長は秘書に頭を垂れ、壁に立て掛けられていた指示棒を手に取った。
 棒の先を黒板の上に泳がせる。そこには、ハスクの全国地図がでかでかと張り出されていた。
 ハスク共和国の本土は、南北に並んだ二つの島、北島と南島から成る。
 今、タハト達がいるブカク市は、北島の最北端に位置する港湾都市だ。ヨホロ川の流れに逆らって南に下ると、川が長い年月を経て作り上げた平野と、ワカカに出会った分水嶺の山地が続き、ケイトへ至る。さらにそこからは、アモ川を支流の一つとするヨード川が、北ハスク平野を縦断して南下する。このハスク最大の大河が注ぎ込むのは、北島と南島を隔てるハスク海峡だ。ヨード川河口周辺にはこの国最大の都市、首都ダーバン特別市が位置する。
 分隊長は、手にした指示棒で首都を意味する赤い二重丸を指し示した。
 「ひと月ほど前、ダーバン特別市で起こった二件の殺人事件について、何か知っているかい?」
 タハトに向けられた問だったが、首を横に振る他なかった。ブルカハは「そうか」と点頭し、指示棒を少し東に滑らせた。
 地図の所々にちりばめられた切り抜き記事の一つを指し示す。小さな写真が載せられており、丸眼鏡をかけた、壮年の男性がその中からこちらを覗いていた。
 記事の文字は小さく、タハトの位置からは読むことができない。
 「この男性はユノル氏。事件当時、陸軍省大臣官房で人事課長を務めていた人だ」
 続いて、その下の記事を指す。ユノル氏と同年代だろうか。こちらも、いかにも役人という出で立ちだ。
 「そしてこっちはヤムラ氏。事件当時は教育省初等中等教育局幼児教育課長だった」
 ブルカハの言葉にタハトは神妙に頷きながらも、内心では首を傾げた。どちらも、確かに重大な事件である事は理解出来る。しかし果たして、自分にどう関係するのか、皆目見当がつかなかった。
 分隊長は、他の切り抜きについても同様の紹介をつづけた。襲撃を受けた者の性別や年齢、職業は様々だが、その地域や分野で、ある程度の影響力を有する人達のようだった。
 「ここ暫く、こうした襲撃事件が多発しており、死者も出ている」
 ブルカハの言葉を聞き、タハトはハッと正面を見た。ワカカが時間をかけて頷く。
 「うん。私が襲われたあの事件も、これら一連の出来事の一つじゃないかと、我々は踏んでいるんだよ」
 なるほど。少し、自分に話が近づいてきたような気がした。
 とは言え、自分に求められていることは、一体何なのだろうか。まさかと思いつつも、タハトは恐る恐る尋ねた。
 「では…あの時の働きが評価されて、何かお手伝いを、ということでしょうか」
 あの場にいたカラス共のような輩とまたやりあうことになるのかと考えると、全身に寒気が走った。しかも、今となってはリョウもいない。あの強大な助力無しで彼らを相手にすることなど、不可能に思えた。
 タハトの問に対し、最初に反応したのは、それまで沈黙を貫いてきたリッカであった。
 「思い上がりも甚だしい…」
 独り言ともとれる声量だったが、リッカの言葉は、その場の全員の耳にしっかりと届いた。
 部屋の空気が凍り付いた。タナンが小さく「おいおい」と声を上げる。テルベも、焦った様子で宥めにかかる。
 「ここは仕事の場だ。リッカ、君ももう大人だろう?私情で同僚に悪態をつくとは、いったいどういう了見だい?」
 ワカカは眉間にしわを寄せ、リッカを嗜めた。
 「失礼」
 上司の強い語気に、リッカは短く謝り、壁際で小さくなった。しかし依然として、タハトに向けるその瞳に反省の色はない。
 ワカカはやれやれと首を振り、タハトに向き直った。
 「タハト君の言うことも、あながち見当違いというわけじゃあない。君があの時見せた行動力、判断力、飛行能力がなければ、ここに呼ぶことはなかっただろう」
 リッカが不服そうに鼻を鳴らした。ワカカは女性兵士をチラリと一瞥し、ひとつ、咳払いをした。
 「だがもちろん、それが全てというわけではない。これから君に頼むのは、かなり危険を伴う仕事だからね。本来なら、学生を巻き込んで良いようなことではないんだ」
 ワカカの目は憂いを含んでいた。これからする話は、彼の本意ではないかもしれない。そうタハトに思わせる眼差しだった。
 「それでは本題に」
 機を見計らっていたのか、会話が途切れるとすぐ、ブルカハが割って入った。これまで差してきた全ての記事をぐるっと囲い込むように、指示棒を動かす。
 「一連の事件の被害者、彼らには一つ、重要な共通点がある」
 分隊長は、指示棒を持つ手と反対の人差し指を立てた。
 「彼らが皆、変化種平等主義者(へんげしゅびょうどうしゅぎしゃ)だという点だ」
 “変化種平等主義者”とは、読んで字のごとく、変化種差別の是正を望む人々を表す言葉だ。ケイトではこれにあたる人が比較的多く、ハヤテやコト、そしてタハト自身もそうであった。
 『ということは…』
 ふと、先日の商店街で見かけた丸顔が脳裏に浮かんだ。
 「マルカワ市長…」
 つぶやきが漏れる。この流れで行くと、彼も危ないのではないか。そんな不安が胸をよぎる。
 「それは大丈夫だ。安心してくれ」
 タハトの心配を解消しようとしてくれたのか、テルベが声をかけた。
 「ああ」
 ブルカハも相槌を打つ。
 「平等主義者が狙われる危険は、こちらも察知していた。政務や著名な議員、特別職級の役人には、我が社から護衛を付けている。もちろん、ケイトの市長にもね。ただ、奴らの標的はより広かったようだ。とても我々の手には負えない…」
 分隊長は肩を落とした。無念さがにじみ出ている。
 「標的に共通点があるということは、組織的な犯行なのでしょうか」
 短期間でこれほど広範囲に渡り同じような事件が起きているのだ。素人目にも、偶然とはとても思えなかった。
 「そう、良いところを突くね。そこが君を呼んだ理由に直結するのだよ」
 タハトの的確な問いに、気を取り直したのか、ブルカハは少し声を張り上げた。指示棒でぴしりとタハトを差す。
 「実は、後ろにいる組織の存在は、既に判明している」
 そして胸のポケットから、何やら徽章のようなものを取り出す。タハトにも見えるよう、ワカカがそれを受け取り卓の上に置いた。
 そこには、見覚えのある紋様が記されていた。諸刃の剣のような形をした薄緑の草本が二本、円を描くように配置され、その中心では深紅の鳥が翼を広げている。
 草本の名は“鳥獣草(ちょうじゅうそう)”。与神ヤウクがハスクの民に変化能与えるためにもたらしたとされる、神話上の薬草だ。
 深紅の鳥は朱雀。万種革命(ばんしゅかくめい)で王政が終わりを告げるまで、この国に君臨していた家系に受け継がれて来た変化種だった。
 『これは、学校の教科書で見た旧王家の家紋…』
 最初はそう思った。しかし、次いでタハトの口から出たのは、「いや、違うな」という否定の言葉。
 いくつかの点で、見慣れた紋章とは異なっていたのだ。
 大きく開け放たれた嘴から噴き出す炎と黒煙。これは、本来の家紋には無いものだ。
 朱雀の表情も違う。タハトが知るのは、丸くて特に感情の感じられない、これといった特徴のない目だった。一方、今、卓上にいる朱雀の眼は怒りに満ち、きつく吊り上がっている。
 怨恨を孕んだ表情とも取ることができた。口から煙炎を噴出するその姿は、もがき苦しみながらも、何かを訴えかけているようだった。
 「反撃の狼煙…」
 じっと記章に見入るタハトを現実に引き戻したのは、分隊長の声だった。突然話しかけられ、「はい?」と聞き返した研修生に、解説が追加される。
 「その紋章を掲げる組織は、“王の抵抗戦線”と呼ばれている。ここ数年で急激に力をつけてきた、反政府組織だ」
 ブルカハはチョークを手に取ると、黒板にその名を書き殴った。
 「王の…抵抗戦線」
 タハトは、力強い筆跡で書かれたそれを、ゆっくりと音にした。
 「ああ。その名から容易に想像できるだろうが、王の復権を目的として活動している組織だ。我々は普段、“戦線”とだけ呼んでいるがね。
 朱雀の表情は、弾圧に対する抵抗、王政復古への決意、口から出ている煙炎は、現体制への反撃の狼煙を表現しているそうだ」
 組織の名も、その活動内容も、タハトには初耳だった。加えて、純粋な疑問が湧いてくる。
 「人を手にかけるような組織が、なぜ放置されているのでしょうか。組織名まで割れているなら、関係者を一斉に検挙してしまうことも、可能ではないのですか?」
 ハスクの警察も無能ではない。黒幕の検討さえつけば、星を挙げる事も出来ると思われた。
 「そう考えるのが当然だろう」
 タハトの問に、ブルカハは神妙な面持ちで頷いた。
 「だが、これまでは、どうにもそれが難しい状況にあったのだよ」
 顔をしかめ、苦々しい表情を作る。
 「第一に、これらの襲撃は、須く相当に訓練された隊によるものである事。だからなかなか捕まらない。そして、組織に対する彼らの忠誠心、これも厄介だ。唯の一人も、口を割るものがいないのだよ」
 そこまで言って、分隊長はやれやれと首を横に振った。腰に手を当て、ふうっと息を吐く。
しかし、再び空気を吸おうと前を向いたその顔には、強気な表情が浮かんでいた。
 「ところが最近、義猿団ユウリ分所から、有力な情報がもたらされた」
 分隊長は、再び指示棒を地図に向けた。今度は、南島の南東方面、やや内陸の地域を指し示す。
 「ユウリ…」
 奇しくもそこは、リョウの父親が命を落とした地であった。ヤヘイの顔がちらつく。
 しかし、タハトの軽い喪心が表に出ることはなく、周囲の者の目は、黒板と分隊長に注がれ続けた。
 「得られた情報は、基地の所在地と補給経路など…、そしてタハト君、君に関わることについてだ」
 ブルカハは言葉を切り、タハトをじっと見た。隊員達、そしてワカカの視線も集まる。
 「それは一体…」
 全く見当がつかなかった。急かすように目線で訴えかける。
 ブルカハは「うむ」とだけ発すると、タナンに合図を送った。小男は点頭でそれに応えると、体を研修生の方に向けた。
 「しばらく前まで、オレはユウリの分所にいたんだ。そのころ、ユウリ南部、コズモ燃料の炭鉱に戦線の基地があることが判明し、偵察担当のオレは定期的に見回りを行っていた。そして二ヶ月ほど前、上空を飛行中、とある変化体を見たのさ…。君も良く知る人物だ」
俄かに、心臓が早鐘を打つ。心当たりは一人しかいなかった。
 「オレが見たのは白い鱗に浅葱色の(たてがみ)。…君の友達は今、王の抵抗戦線にいる」
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登場人物紹介

タハト

本作の主人公。オオハヤブサの変化能を持つ私立大学生。

卓越した飛行能力を持ち、競技飛行猛禽の部では、全国屈指の実力。

リョウ

タハトの友人。強大な力を持つ”特定変化規制種”の一つ、水龍に変化する。

社会から差別を受け貧しい家庭環境の中、持ち前の要領の良さと努力で名門国立大に進学。

専門は応用化学。

コト

タハトとリョウの幼馴染。変化能はツグミ。

タハトと同じ競技飛行部員だが、成績は地区大会止まり。

溌剌とした性格の持ち主で、常にタハトやリョウを気遣う優しい一面も。

ワカカ

謎のカラス集団に襲われているところをタハトとリョウの2人に助けられる。

国会議員、テス女史の秘書。

筋骨隆々でイカつい見た目だが、博識と落ち着きを兼ね備えた大人の男性。

変化種はコノハズク。

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