第8話 抵触

文字数 3,347文字

 数秒の沈黙が流れた後、最初に我に返ったのは、先ほど指示を出した男であった。一人だけ他の警官とは異なる階級章をつけている。恐らく部隊長だろう。
 「そこをどきなさい。我々は、特規種能力使用違反の通報を受けて来たものだ。その個体を捕獲する必要がある。従わなければ、公務執行妨害で逮捕することになるぞ」
 最後の一文はドスの効いた威圧的な声だった。しかし、タハトは怯むことなく返した。
 「この攻撃は不当です。彼はまだ抵抗していなかったじゃありませんか。無抵抗の相手に発砲することは禁止されているはずです」
 世の秩序を守る使命を与えられた警察官が何もしていない自国民に弓を引くなど、あってはならないことだ。
 「だが、正当な理由なく特殊能力を使用した特規種に関しては、武力をもって制圧することが許可されている。そしてその個体はついさっきその規定に抵触したのだ」
 目撃者は能力使用の事実のみを伝えたようだった。すぐに弁明しなくてはならない。
 「能力の使用理由は人命救助と私人逮捕です。確かに、特規法第八条第一項では、『特定変化規制種の特殊能力の使用は原則禁止』とされています。しかし、同時に第七条第二項で挙げられている条件下ではその限りではないとも記されています。その条件には、『人の生命に危険を及ぼし得る要因の排除と現行犯の私人逮捕』も含まれているはずです」
 部活の合間の息抜き程度に考えていた授業の知識が、思いがけず役立ったことに少し興奮を覚えながら、一気にまくし立てる。
 「その人の言う通り。私は職務中に襲われ命の危機でしたが、この方たちに助けて頂きました」
 知らぬ間に人型に戻ったワカカも、釈明に参加してくれた。
 「失礼ですがあなたは?」
 警察官は突如現れた大柄な男に少し面くらいながらも、丁寧な口調で尋ねた。
 「申し遅れました。私、人民解放党所属の下院議員、テス氏の秘書を務めております、ワカカと申します。今は身分を証明するものを持ち合わせておりませんが…」
 ワカカは礼儀正しく自己紹介を済ませると、変化時に脚に巻いていたものを差し出した。そこには、“議員会館入館許可証”と印字されていた。
 これには、警察官達も動揺を隠せないようだった。当然の反応だ。テス女史といえば、万種革命の英雄、共和国の大統領“隻眼のジバ”の長女である。しかも彼女は、現役の海軍省大臣なのだ。
 警官と同様、タハトも内心驚いていた。只者ではないと思っていたが、想像以上の大物だったようだ。
 「そうでしたか。事情の説明ありがとうございます」
 部隊長も態度を変え、部下に弩を下げるよう指示した。
 二人目の証言者が現れたことだけが理由ではないだろう。肩書という物の力に、感心させられる学生タハトであった。
 相手の攻撃態勢が解除されたことで、リョウの緊張も解けたようだ。構えられていた水弾はいつの間にか消えていた。
 今は、鱗が剥れた部分を長い舌で舐めている。血は出ていないが気になるようだ。
 何度も触らせてもらったことがあるが、リョウの鱗は相当に固い。今まで、傷を受けた所など見たこともなかった。
 それだけに、タハトの怒りは大きかった。彼らは、これほどの威力の武器を、警告もなしに使用したのだ。
 たとえ特規種であっても、固い体表を持つ種でなければ、致命傷になりかねない代物だった。
 加えて、リョウが捕まえた重要参考人八名も、思慮を欠いた攻撃のせいで逃走してしまった。どのような通報があったにせよ、現場での判断が不適切であったと言わざるを得ない。 
 特規種=危険という固定観念があったのではないか。公的機関の職務にまで差別の影響があるとなると、非常に由々しき事態であると思わずにはいられなかった。
 だが、ひとまず事態が落ち着いたのは良かった。これから事情聴取等があるだろうが、警察が来たからには、危険は去ったものと認識してよさそうだった。

 現場で状況説明などを済ませた後、ケイト市警本部に移動する運びとなった。詳しい現場検証は別動隊が後で来て行うらしい。
 リョウも警察の指示で変化を解き、身振りを交えて戦闘の詳細を説明していた。タハトが思った通り、先ほどの雨で形勢が一気に好転したようだった。
 破損した鱗にあたる場所に施されたガーゼが痛々しい。行儀よく振舞ってはいるが、内心どう思っているのか、タハトは気がかりだった。
 手当や状況説明の際、若い警官は何度も非礼を詫び、リョウの怪我を労わる素振りを見せた。
 一方、部隊長はというと、ワカカやタハトに対しては謝罪したものの、リョウ本人に詫びることはしなかった。
 リョウに目で問いかけてみたが、「慣れてるさ」と言わんばかりに肩をすくめただけだった。
 ワカカもその場で治療を受けていた。二輪車には消毒液や包帯などが積まれており、隊員が慣れた手つきで処置を施す。立派な体躯に包帯を巻いた姿は、戦で負傷した戦士のようだった。
 その後、一行は進路を南に向け、ケイトを目指して出発した。タハトはオオハヤブサに戻ったが、怪我人のワカカと違反の疑いのあるリョウは簡易的な衣服を借り、二輪車の後部座席に跨った。
 変化体の犯罪を取り締まる事も多いため、ハスクの警察は輸送用の服を常備しているのだ。

 タハトは陸路の面々とひとまず別れ、一本松の丘に向かった。二人の衣服を回収するためだ。
 この辺りでは降雨がなかったのか、石に抑えられた衣服は幸いにも乾いた状態だった。
 人型に戻るとそれらを包みにくるみ、再度変化して後肢で掴んだ。市警本部に向けてすぐさま飛び立ったが、二人分の衣服は少し重く感じられた。
 市警本部含め、ケイト市の行政機関は、ケイト御苑南東の一角に、まとまって建てられている。そのため、道中で公園の上空を通ることになった。
 広場では、様々な獣が走ったり跳んだりしている。中には、本格的な競争を行っているものも多い。
 タハトは国内で人気の高い、競技飛行・猛禽の部の選手だが、他の変化種の競技を観戦するのも好きだ。
 特に競馬は良い。鍛え上げられた筋肉の躍動や地響きのような蹄音は、その迫力で観る者を圧倒する。
 海外では本物の馬に人が跨り、鞭や拍車などを用いて制御するそうだが、なんと野蛮で残酷なことか。一方ハスクでは、馬の変化能を持つ人間が走るため、そのようなことは皆無であった。さらに、競技の展開もより緻密で見応えがある。
 球技場では、人型で行われる競技に勤しむ人々の姿もあった。隣国のアシハラ国を通して西洋の球技も伝来しており、いくつかの種目はここ数十年で急速に浸透しつつある。
 こうした運動は、競技飛行や陸上競技で活躍の難しい変化種の者の間で特に人気だった。

 市警本部上空に来ると、屋上に直径五メートルほどの円が二つ並んでいるのが見えた。鳥類専用着陸場だ。それぞれの中心には性別を表す図が描かれ、円と円の間には互いに見えないよう衝立が立てられている。
 その隣には更衣室に続く扉があり、変化解除後すぐに入ることができるようになっていた。
 役所など公共の建物には、こうした施設が備え付けられているのが一般的で、一階には四足動物用のものもある。
 タハトは男性用の円に滑らかな着地を決め、更衣室に入った。すぐさま、運んできた衣服に身を包む。
 中には先客が一人居り、職員用の戸棚から制服を取り出していた。変化体で運ぶには荷物が多い場合、更衣室に併設された鍵付きの戸棚に預けておくのが一般的だ。目が合ったので軽く会釈し、タハトは更衣室を出た。
 指定された階まで降りたが、リョウ達はまだ到着していなかった。廊下に設置された長椅子に腰を下ろし、待つことにする。
 廊下の電灯は一部しかついておらず、薄暗かった。通路にはタハトが腰かける長椅子があるばかりで殺風景だ。白い壁には等間隔で扉が並び、その横には部署名が書かれた表札が掛けられている。無機質で冷たい風景だった。
 制服姿の警察官が行き来するが、民間人の姿はない。一般的な用事なら最寄りの警察署で十分なため、タハトも本部に来たことはなかった。
 薄暗い廊下で一人座っているのは思いのほか寂しかった。特にすることもないので、帰宅後、親に何と説明しようか考えることにした。
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登場人物紹介

タハト

本作の主人公。オオハヤブサの変化能を持つ私立大学生。

卓越した飛行能力を持ち、競技飛行猛禽の部では、全国屈指の実力。

リョウ

タハトの友人。強大な力を持つ”特定変化規制種”の一つ、水龍に変化する。

社会から差別を受け貧しい家庭環境の中、持ち前の要領の良さと努力で名門国立大に進学。

専門は応用化学。

コト

タハトとリョウの幼馴染。変化能はツグミ。

タハトと同じ競技飛行部員だが、成績は地区大会止まり。

溌剌とした性格の持ち主で、常にタハトやリョウを気遣う優しい一面も。

ワカカ

謎のカラス集団に襲われているところをタハトとリョウの2人に助けられる。

国会議員、テス女史の秘書。

筋骨隆々でイカつい見た目だが、博識と落ち着きを兼ね備えた大人の男性。

変化種はコノハズク。

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