第58話 作戦

文字数 4,258文字

 「ケイトに王が入った。やはり、奴らは旧都を新体制の首都とするようだ」
 緊張が走った。ついに来たか。誰も口には出さないが、隊の全員がそう思った。タハトも、佇まいを直し、故郷に思いを馳せる。
 持ち帰った情報をもってしても守れなかったものの一つがケイトだった。かの地ではあまりにもコゼンの力が強すぎたのだ。彼が本部長を務めるケイト市警はその殆どが寝返り、行政も半数が戦線についた。
 唯一幸いだったのは、権力の移行が速やかに行われたため、市民が血を流す事態にならなかったことだ。これを聞いた時、タハトとクオウは共に胸を撫でおろした。
 しかしそれ以来、ケイトとの往来は遮断され、家族やコトとの連絡は完全に途絶えている。
 前に座るクオウも恋人の安否を気にしているはずだ。伸ばされた背筋から、気迫のようなものが感じられた。
 「だが、叩くべき的が絞られたのも確かだ。まだ向こうの迎撃態勢が完全に整わない今が好機。大規模作戦でケイトを攻め、王諸共に敵の中枢を叩く。
 この小隊は別動隊だ。ケイト御苑北西部の御所に忍び込み、特殊任務を遂行する。標的は若王スタルだ」
 スタル…これもまたタハトが持ち帰った情報で存在が明らかになった人物だった。
 こちらの陣営から見れば平和を揺るがす許されざる驚異。しかしタハトやクオウにとっては、リョウの隣に座る大人しそうな少年の印象が強かった。
 十三人の精鋭で幼気な少年を討つ。立場上仕方のない事だが、とても無慈悲な行為のように思えた。
 「王が御所にいるという確証はあるのですか」
 タハトの感傷をよそに、鋭く質問が飛んだ。今度は警察班班長、サマリからだ。挙手を挟まぬ突発的な問だったが、作戦の大前提となることである。ブルカハは嫌な顔一つせず、それに答えた。
 「タハトの情報のおかげで、ケイト封鎖直前に何人かの間諜を忍ばせることができたんだ。トガリネズミやハツカネズミ…皆、隠密の専門家だ。下水や通気口なんかを伝って集めた情報を複数人で中継し、市外に持ち出す。そうやって情報を集めたのさ」
 皆の視線が、一斉にタハトに集まった。この、戦局を一気にひっくり返す作戦の発端を作ったのは自分らしい。車内でのタナンの発言について、強く実感した瞬間だった。
 「経験の浅い彼を場に呼んだのは上の判断だ。納得できない者もいるかもしれないが、実力はオレが保証する」
 小隊長から軽く目配せされ、緊張がいくらか解ける。タハトが軽く会釈すると、和やかな笑い声が上がった。
 「それで、作戦の概要だが」
 場が静まったところで、ブルカハは丸めて立て掛けてあった大きな紙を広げ、黒板に張った。
 ケイトの地図だ。洛中だけでなく、洛外の山々も描写されている。第二班の隊員も手伝い、そこに磁石の駒を配置していく。
 洛西には赤、洛北には青、洛東には黄と黒、それぞれ隊を模した駒が山中に置かれた。どれも、中心の御所の方角を向いている。最多は赤、逆に黒は最も小規模だった。
 「幸い、ケイトは三方を山に囲まれた盆地だ。陸軍と海軍、ダーバン市警、そして義猿団は人員を出し合い、敵に気取られないよう、作戦開始数日前から少しずつ山中に兵を潜伏させ、街を包囲する」
 ブルカハはそう言いながら、駒を順に指した。どうやら、赤は陸軍、青は海軍、黄と黒はそれぞれ警察と義猿団を示しているらしい。
 「市街戦は避けられないため、包囲完了次第、早朝に航空機からビラを撒き、市民を郊外へ避難させる。そして、日が落ちたら御所に向け侵攻開始だ」
 ここで、班員が新たな駒を取り出し、東の山に置いた。四つの丸い、緑の磁石だ。
 「そして、これがオレ達」
 ブルカハは軽く黒板を叩き、新参の駒を指し示す。
 「我々は、御所からの直線距離が比較的短い東山から街に入る。義猿団のところだ。
 初めは他の隊の後ろに隠れ、御所を目指す。そしてアモ川を渡り、カワラ町通に差し掛かったところで大体から別れ、班行動に移行だ」
 三方の駒たちが中心に向かい進む。ここで、クオウが口を挟んだ。
 「おそらく敵は、数が多く戦闘力に長けた陸軍の方に戦力を厚くすると予想されます。だから我々は東から侵入するということだと思いますが、渡河はどうするんですか?橋は守りを固められるでしょうし、作戦前半、一番の課題のように思われますが」
 渡河の戦いは通常の数倍難しい。鳥類の変化能を持つ者には実感が湧かないが、隊として地上戦を行う上では常識だ。タハトも戦線で習ったことだった。
 だが、どうやらクオウはケイトを訪れたことがないらしい。それは無用の心配だった。
 「あの辺りのアモ川は浅い。精々腿程度の水深だ。それに、橋も何本か掛かっている」
 タハトもよく知っていた。子供の頃、よく水遊びをしたものだ。当時の風景が蘇る。
 そこを、数多の兵が雄たけびを上げながら突っ切るのか。何とも非現実的な光景に思えた。
 「ここまでは他の小隊が盾となる。よって、我々の任務はその先だ」
 クオウが納得して頷くのを確認もせず、ブルカハは説明を続けた。作戦の核心部が近いのだ。
 「御苑の東側に到達したら、オレ達は四手に分かれる。飛行部隊のタナン班とヨタル班、ネコのサマリ班、そして陸上機動専門のブルカハ班だ」
 席の並び、つまりは所属する組織がそのまま行動班となる形だった。また、ブルカハは近縁種が揃う義猿団第二班の三人組を率いるということらしい。
 「タナンとヨタルの鳥類二班は左右に分かれ、上空から御所に近づく。サマリ班は、管塀や暗渠などを伝い、潜入するんだ」
 ここで、小隊長は新たな模造紙を市街図の隣に張り、十三の駒を紙面上に置いた。それを、今言った班組み通りに分ける。
 「御所の主な建物は三つ。王はその何れかにいる可能性が極めて高い。お前達三班は、それぞれに忍び込み、捜索するんだ。一班でも王を探し当てられればいい」
 紙に描かれていたのは、御所内の建造物の配置図だった。大きな三つの殿に十以上の細々とした建物。それらの多くが廊下や回廊で繋がっている。
 かつて栄華を極めた王宮も残るのはこれだけ。殿はそれぞれ御常御殿、麗涼殿、王妃御常御殿という。そのどこかで、この中の誰かが若王と対峙することになるのだ。
 ここで残った駒は四つ。ブルカハと三人の義猿団員だ。小隊長は東門からこれらを敷地内に入れた。
 「お前らが隠密行動をとる間、オレ達は御所の敷地内に真正面から突っ込む。空や物陰から注意を逸らすためだ。その点、我が班の変化種は適任だな」
 つまり、二重の囮と言うわけだ。一つ目は四方からの大規模攻撃、二つ目はブルカハ班。内と外の二か所で敵の目を欺き、その隙を三班が突くのである。
 「そんなことをしなくても、大群で一気に攻め込めばいいのではないでしょうか」
 再び、警察の一人から質問が出た。親しみやすいブルカハの態度のおかげか、自由に疑問を投げることの出来る空気が醸成されていた。
 確かに、王のケイト入り情報が洩れていることを、戦線は知らない。こちらが反乱を終結させる必殺の一手を討つことなど予想していないはずだ。であれば、防衛の準備が整わぬ今、一気に攻め落とすことも可能に思えた。
 しかし小隊長は首を横に振り、それを否定する。
 「大勢が御苑に押し入れば、敵はなりふり構わず王を逃がすだろう。そうなれば、再び居場所を特定するのはほぼ不可能になる。それは避けなければならない。
 そして、王の側には水龍が控えている可能性が高い。報告では、水を凝固させ、氷の状態で操ることも可能とのことだ。奴が本気を出せば、子供一人逃がすなど容易だろう」
 御所内が最も安全だと敵に錯覚させることが肝心なのだ。
 裏を返せば、軍勢の目的は敵の戦力を極力御所から引きはがすこと。その分、御所内におけるブルカハ班の効果は大きくなり、他の三班も自由に動くことが出来る。
 大軍勢はただの囮。それだけに、小隊の責任は重大だった。タハト達がスタルを見つけられるか、全てはそれにかかっている。
 「まず第一に、水龍の目を盗み、王を始末すること。それが済んだら即撤退だ。外で待つ指揮官にその旨を伝えろ。その後、外の軍勢が中に押し入る」
 初めて出た始末と言う単語に、タハトはたじろいだ。
 基地で見かけたあの端正な風貌の少年を自分は殺せるだろうか。その役目を実行するのは他の人であって欲しかった。
 「しかし、我々は変化して潜入するんですよ。得物はどうするんですか?大した武器もなく、しかも裸で、まさか素手で首を捻れってんじゃないでしょうね」
 おぞましいことを言ったのはタナンである。考えただけで鳥肌が立つ。他の面々も同じことを思っているのだろう、表情が渋い。
 これに応えようとブルカハは口を開きかけたが、その時誰かが戸を叩いた。

 入ってきた義猿団員は、手に旅行鞄のようなものを下げていた。ブルカハにそれを渡し、そそくさと退出する。
 「皆、集まってくれ」
 小隊長は義猿団第二班の最前の席にそれを置き、早速開いた。他の隊員達は自身の席を離れ、輪になってその周りに集まる。
 前が少し屈んだおかげで、タハトも鞄の中を見ることが出来た。一面を占めるのは黒い緩衝材。十八か所、表面が繰り抜かれ、それぞれに小さな注射器がはまっている。
 ブルカハはその一つを取り出し、顔の前に掲げた。非常に小さなそれは、針を入れても小指の関節二つ分ほどの長さだ。
 「捜索班には一人につき二本、これを渡す。当日は専用の革帯に納めるから、運搬は容易になるはずだ。これに、護身用の小刀もつける」
 すぐさま注射器を緩衝材の窪みに戻し、鞄の蓋を閉じる。価値のある陶器でも扱うかのような手つきだった。
 「それを若王に打てと?」
 小刀があくまで護身用なのであれば、そういうことなのだろう。誰ともなく発せられた呟きに、ブルカハは頷いた。
 「王を見つけたら気取られないよう近づき、これを打つんだ。効果は確認しなくていい。確実な代物らしいかな」
 周囲から安堵の声が漏れた。
 先の革命以降平安を保ってきたハスクにおいて、実戦経験のある軍人など殆どいない。ましてや子供を殺めた経験のある者となれば尚更だ。
 注射を打つだけで死亡確認が不要と言うことであれば、殺しの感覚は薄そうであった。
 「散開から二時間以内にこれを打ち、戻ってこい。それを超過したら作戦は失敗と見做され、報告がなくとも軍が押し入る。いつまでも御苑の周りにらみ合いが続いたら敵も感づいてしまうからな」

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登場人物紹介

タハト

本作の主人公。オオハヤブサの変化能を持つ私立大学生。

卓越した飛行能力を持ち、競技飛行猛禽の部では、全国屈指の実力。

リョウ

タハトの友人。強大な力を持つ”特定変化規制種”の一つ、水龍に変化する。

社会から差別を受け貧しい家庭環境の中、持ち前の要領の良さと努力で名門国立大に進学。

専門は応用化学。

コト

タハトとリョウの幼馴染。変化能はツグミ。

タハトと同じ競技飛行部員だが、成績は地区大会止まり。

溌剌とした性格の持ち主で、常にタハトやリョウを気遣う優しい一面も。

ワカカ

謎のカラス集団に襲われているところをタハトとリョウの2人に助けられる。

国会議員、テス女史の秘書。

筋骨隆々でイカつい見た目だが、博識と落ち着きを兼ね備えた大人の男性。

変化種はコノハズク。

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