目覚まし時計の証明①

文字数 3,483文字

「合い言葉は?」
「……へ?」
「合い言葉を言いなさい」
「いや、あの、そんなもん、いるんですか」
「アドリブを効かせなさいよ、つまんないわねえ」
「急に言われてもね。それより早く入れてくれよ。寒いったらないぜ」
「合い言葉ー」
「……開けゴマ」
「ださっ」
「いや、ださいも何も、なあ」
「もうちょっと気の利いた合い言葉、言えないの?」
「いや、愛の告白とかだったらさ、オレも気の利いたこと言いますよ。言わさせていただきますよ。でも合い言葉にそんなものを求められても困るわけですよ。つうか、どうでもいいから早くチェーン外してくれる?」
「はいはい」
「寒かったんだからな。この季節にバイク乗るのがどれだけ堪えるか、わかんだろ?」
「今年一番の冷え込みだもんねぇ」
「それを、やっとストーブにあたれると思ったら合い言葉を求められるオレの気持ちにもなってみてくださいよ。あー、あったか」
「こらこらストーブを抱くなストーブを」
「じゃあ君を抱くー」
「寄るなオオカミ」
「ひでえな。……なんだよ、君のとこだって散らかってんじゃん。オレの部屋のこと、汚い汚い言うくせにさ」
「これは、しょうがないの。今ちょっと忙しくて、片付けてる時間ないから」
「ちょっと? ずいぶん長期間に渡って堆積した乱雑さだと思うんですが?」
「うるさい。コーヒーでいい?」
「うん」
「濃いめにする?」
「いや、薄めで」
「それじゃ濃いめにするね」
「……」
「レポートがたくさん出てるから、徹夜しなくちゃいけないんだもの」
「さいですか」
「別に今夜は遅くまで、とかいうんじゃないから誤解しないでね」
「おのれ心を読みおったな!」
「まったく。凄い長めのレポートなの。うんざりだわ」
「あのさ。じゃあ、今日はオレ、どうして呼ばれたの?」
「ん?」
「いや、だってレポートで忙しいんだろ?」
「そうよ」
「忙しいんだったら、オレ、邪魔なんじゃないの?」
「手伝ってもらうに決まってるでしょ」
「……」
「罠にかかったオオカミ、ってとこね」
「んなこと、電話じゃ言ってなかったじゃんか」
「そうだっけ」
「そうだよ。淋しいから来てくれない? とか言ってたじゃんか」
「そうだったかしら」
「そうだよ。だからオレはこのクソ寒い中、急いでバイクで来たんだよ?」
「大変だったわね」
「……」
「こらこら膝を抱えるな膝を」
「いたいけな男心を利用しやがって」
「のの字を書くな、のの字を」
「ちきしょう、金輪際、女なんて信じねえぞ」
「そうぐれないでよ。レポートが朝までに終わったら、いいから。ね?」
「ホント?」
「はいはい、目キラキラさせなーい」
「どんなレポートなの?」
「哲学の授業のレポートよ」
「オレ、哲学なんてわかんないよ」
「大丈夫。知識は必要ないわ。要は、どれだけそれっぽく書けるかどうかよ」
「……それっぽく?」
「わかったようなわからないようなことを書いて分量を稼げばいいのよ。最後に印象的な文で締め括れば、なんとなくそれっぽい読後感を味わえるわ」
「……いや、そんなんで、いいの?」
「いいのよ。どういう基準で採点するんだかわかりゃしないんだから」
「ま、哲学だもんねぇ」
「ていうか、採点とかいうんじゃないの、これ。罰なの」
「罰?」
「遅刻が多い、って。罰としてこれやってこい、って言うのよ、教授が」
「それはまたご愁傷というか」
「大学生にもなって、なんで遅刻で罰課題出されなきゃいけないのよ。信じられないわ」
「確かにねぇ。そんな教授もいるんだ」
「たかだか五、六回連続で遅刻したくらいでさ。あのオヤジめ」
「いや、多いけど。寝坊?」
「まあね」
「もっと早く起きろよなあ」
「私が悪いんじゃないわよ」
「なんでさ」
「目覚ましが鳴らないの。……なによ、その笑いは」
「いや、小学生じゃないんだからさ。遅刻の言い訳に目覚ましが鳴らない、はないだろ」
「宇宙人にさらわれた、とかの方がいい?」
「それじゃCMだよ」
「確かに言い訳かもしれないけどね。でも私としては、起きようとする意思はあるわけよ。あの教授厳しいから、遅れないで出なくちゃ、と思うわけ」
「偉いねー」
「そ。その誠実さは認めてほしいものだわ」
「でもさ、目覚ましが壊れてるんだったら新しいの買い直せばいいだろ? 五回も六回も目覚ましが鳴らない、は、さすがにマズイだろ」
「壊れてるんじゃないの」
「は?」
「私も壊れてるんじゃないかと思って試してみたんだけど、きちんと鳴るのよ。ただ、いざセットして寝ると、朝鳴らないの。いつのまにか、セットした時間過ぎちゃってるの」
「……いや、それって、無意識のうちに切っちゃってるんじゃないの?」
「無意識のうちに?」
「そだよ。寝ぼけたままスイッチ切っちゃってるだけだろうが」
「違うわよ」
「なんでさ。だって、壊れてはいないわけだろ?」
「うん」
「じゃあ鳴ってるわけじゃないか」
「私が寝てる時は鳴らないの。起きてる時だけ鳴るのよ」
「どういう目覚ましだよ」
「知らないわよ」
「ま、もっと音の大きい目覚ましでも買うんだね」
「違うったら。鳴ってないんだってば」
「へいへい」
「……」
「睨むなって。別に君がねぼすけでも、オレは一向に構わないよ」
「違うって言ってるのに」
「何が違うのさ」
「鳴ってないんだってば」
「だーかーらー」
「本当なの。私、わかったの。目覚まし、鳴ってないの」
「なんでわかるのさ。いいかい? 鳴ったかどうかは簡単にわかるよ。起きててベルが鳴りゃ、鳴ったんだろうさ。でも、鳴ってない、ってことを言うのは難しいぜ」
「なんでよ」
「否定形だからさ。鳴ってない、ってことを言いたけりゃ、『鳴ることが無かった』ってことを、ずっと起きてて確認してなけりゃならないんだ。鳴ったことの証明は一瞬だけど、鳴らなかったことの証明は何時間もかかる。何かを『していない』ことの証明は、『した』ことの証明より、ずっと難しいんだぜ」
「どこで得た知識?」
「……カバチタレ」
「漫画ですか」
「漫画ですよ」
「まあいいけど」
「こういうの、悪魔の証明、って言うんだってさ。君は寝てるんだから、目覚ましが鳴っていないことをずっと確認してるわけじゃないだろ? だから、鳴ってないだなんて言えないんだよ」
「鳴った、ってことは言えるっていうの?」
「まあ、それも言えないけど、状況としてはそう言わざるを得ないと思うね」
「違うの」
「まだ言いますか」
「本当に鳴ってないんだもの。どうして信じてくれないの?」
「いや、そういう言葉を恋人に言う時は、もうちょっと深刻なシチュエーションで言ってほしいんだけども」
「なによ深刻なシチュエーションって」
「ほら、君が浮気しているぞっていう密告メールがあったりとか、無実なのに殺人者の汚名を着せられているとか、そんなとき。そんなときだったら、オレも恋人の言うことだもの、信じてやるよ。警察が君を指名手配しても、かくまってあげるし、一緒に真犯人を探し出してやる」
「……あなた、近頃、なんか変な映画か本でも読んだ?」
「だけどさ、ほら、目覚まし時計が鳴るの鳴らないのってことで、信じて! とか言われても、困るわけですよ。なんかこう、ちっともグッ、てこないわけ」
「ドラマとかのシーンで無いかしら」
「『君のこと、信じる。君の目覚まし時計は鳴ってなんかいやしなかったんだ。愛してる』って?」
「んで、ぎゅっ、てするの」
「新手の試みですな」
「きっと感動すると思うわ」
「完璧にお笑いドラマだと思うけども。しかも一歩間違えると意味不明で誰もついてこれなくなる諸刃の剣」
「……」
「……」
「なんか話が反れた気がするんだけど」
「ちっ」
「そうそう、鳴ってないの。目覚ましは」
「わかったわかった。鳴ってないんだろ。信じるよ。オレも、別れた理由はなんですか? 目覚ましが鳴らないことを信じなかったからです。なんてことになりたくねえもん。信じますよ」
「信じてないじゃない」
「信じてる信じてる」
「目を見て言ってよ」
「信じてる信じてる」
「……本当に?」
「……本当に……」
「笑うなっ」
「ごめんごめん」
「……ちょっと待ってて、目覚まし持ってくるから」
「いや、さ、もういいじゃんかあ。レポートやんなくていいのー?」
「はっきりしないことがあるのは嫌なの。ちょっと待ってて。あ、お湯沸いたから、コーヒー淹れといてね」
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