第5章・小鳥たち

文字数 18,568文字

 披露目の日には、リズルは領主夫妻と共に窮屈な正装で来客を迎えねばならなかった。普段は食卓近くにうろうろしている犬も追い出され、壁の綴織も掛けかえられて広間は招待客向けにしつらえ変えられていた。領主夫妻はともかく、客の到着までは憮然としていたイースが途端ににこやかになるのには、リズルも呆れる他なかった。当然ながら、来客に不機嫌な顔は見せられないだろうが、それでも普段の仏頂面に慣れたリズルには、この青年が愛想笑いにしても微笑み方を知っていたのかと愕いた。
 様々に着飾った人々に、交易島の贅沢さを思い知らされた。絹に金糸銀糸の刺繍はもとより、宝石を縫いこんだ胴着を男でさえも身につけていた。既婚の女性の首や耳にも宝石がきらめいており、リズルと同年代の娘よりも華やかでさえあった。
 リズルは金糸で縁取りされた袖口に透かし織りをつけたひらひらとした青い衣装に身を包み、領主夫人より贈られた青玉の首飾りを身につけていた。髪はミアに任せたが、幾つもの三つ編みに細い青い紐を編みこみ、更にそれを一つにまとめて背に垂らしたものだった。一人ではほどく事も難しいのではないかと思われる程に、しっかりと編まれていた。だが、他の若い娘達も似たりの恰好であった。こんなにも様々な色の衣装を見るのも初めてなら、髪型の種類を目にするのも初めてだった。北海では、三つ編みにして背に垂らすか、お下げにするかの二択だった。なのに、ここでは二十人はいる女性の中で、誰一人として同じ髪型の者はいなかった。
 次々と紹介される若い未婚の娘は八人いたが、誰もが同じ顔に見え、リズルは仕方なしに衣装の色と髪型で取り敢えずは判別する事にした。二度目には通用しない手だが、今宵はそれで大丈夫であろう。皆、着飾って美しく見え、リズルは自分が場違いな所に紛れ込んだ子供のような気がした。何処かしら値踏みをするような目も居心地が悪かった。
 イースは、リズルには見せた事のない穏やかな表情で娘達にも接していた。男達に対するよりも微笑みが大きいと思うのは気のせいだろうか。だからどうという訳でもなかったのだが。
 食卓には、羽で飾り立てられた鵞鳥や見た事もない程大きな塊の肉(多分、牛だ)など、様々なご馳走が並んでいたが、リズルは食欲がなかった。隣に座したイースは人々と和やかに話し、何時になく葡萄酒の杯を重ねていた。リズルはただ俯いて皿に切り分けられた――こればかりはイースがやってくれたが、誰かと話しながらであったので、目が合う事もなかった――肉を葡萄酒で流し込むばかりであった。
 誰もがリズルの知らぬ事を話題にし、盛り上がっていた。人の名を聞いてもリズルには分からなかったし、出来事についてもそうだった。女性達はそんな話に大人しく微笑みを交し合い、訳知り顔に頷くのだった。決して口出しはしないし、お互い同士でも会話をしようとはしない。会食での会話の主導権は、どうやら男にあるらしかった。島では宴席では男と女は別々の席につき、銘々自由に語り合う。特に誰かが会話の主導を取る事などなかっただけに、リズルは戸惑った。女性同士の会合でも、様子がはっきりとするまで黙っているのが賢明なのだろう。歌人(バード)が吟じ、楽器が演奏されていた。北海の男達のように呑み較べや腕較べもない、静かなものであった。酔っ払いの醜態は嫌いだったが、賑やかなのは好きだったリズルにとっては、皆が楽しいのかどうか分からぬこのような宴席は息が詰まるようだった。
 表面上は和やかに、会食は終わった。客を送り出すのも領主夫妻とイースと共に並び立った。北海では宴会での入退室は自由なのに、と思うと面倒だった。
「今宵は楽しゅうございましたわ」帰り際の年配の婦人が言った。「イースさまにももう、このような方がいらっしゃるのですね。月日の経つのは本当に速いもの。どうか我が家にもいらしてくださいな」
「もちろん、お伺いいたしますわ」
 夫人は笑んだ。
「若い娘さんがたも、お呼びいたしますわ。こういった席ではあまりお話しもできませんものね」
 後の言葉はリズルに向けられたものだったが、曖昧に微笑む事しか出来なかった。それでも婦人は満足したのか、再び領主夫人に向き直った。
「招待状をお送りいたしますわ。ぜひ、二人でいらして」
 そういった遣り取りが夫人と招待客の女性との間で交わされた。
 全てが終わってみると、リズルは特に何をしたという訳でもないのにくたくただった。さっさと全てを脱ぎ捨てて寝台に倒れこみたかった。
「無事に済んでなによりでしたわ」
 最後の客を送り出した後、溜息をついて夫人が言った。
「全く、襤褸を出さずにいてくれて助かりましたよ」
 イースの言葉に、リズルはむっとした。だが、何も言わなかった。そんな気力も残されてはいなかった。
「そのような事を言うものではありませんよ」
 夫人が嗜めた。
「どこぞのお宅で恥をかかなければ良いのですが」
「リズルさんは本当によいお嬢さんではありませんか」
 夫人はリズルの手を取って言った。
「そうお思いになるのは母上の勝手ですが」
 憎たらしい男だとリズルは思った。まだ髭も生やしてはいないのに、人に難癖ばかりをつける。
「でも、お披露目は大成功だわ。皆さま、リズルさんに興味を持たれたようですし、お誘いもいただきましたもの」
「リズル殿が乗馬をなさるというので、狩りの話も出た」領主が言った。「若い女性が参加されると皆の意気も上がるのでな」
 その言葉にイースは露骨に嫌そうな顔になった。
「鷹を使いたいと言い出しますぞ、(しま)いに」
「それも良いでないか。放つだけならば害もなかろう」
「鷹をお持ちなのですか」
 リズルは訊ねた。鳥小屋は見なかったからだ。言わん事ではないという顔をイースがしたが、気にはならなかった。
「唯論、犬と共に狩りには欠かせぬものだからな」
 馬鹿にしたような言葉も無視した。
「それでは今度、隼を見に参ろう」
 領主は却って嬉しそうだった。自慢の隼なのだろうとリズルは思った。「だが、狩りに参加されるのであれば駈足を習得されなければな」
 そこが問題かもしれない。自分で馬を駆るのならば何という事はないのだが、他の馬――ファドラの乗る馬に引かれての駈足は、なかなかに難しいものがあった。不安定な鞍の横座りにもまだ慣れなかった。
「大丈夫でしょう、あっと言う間に乗りこなすでしょうよ」
 褒められているのかけなされているのか分からない言葉であったが、この男の言う事だ、良い意味ではあるまいとリズルは思った。
 部屋に下がるとミアが着替えを手伝った。夜着に着替え、髪をほどいてもらうと全身に血が巡るようだった。
「今日はおつかれさまでした」
 ミアが言った。「でも、お嬢さまが一番、おきれいでした」
「ありがとう」リズルは寝台に腰を下した。もう立っているのも難儀だと思った。「今夜はよく眠れそうだわ」
「明日はゆっくりとお休みになられますか」
「そうね」そのような事を領主夫妻も言っていたと思いながら答えた。「皆さまが起きられる時分に来てくれると助かるわ」
「承知いたしました」
 ミアがそう言って出て行くと、リズルは寝台に横になった。そして、あっという間に眠りに引き込まれて行った。



 数日後に夫人から、正式な招待状が届いたとの報せがあった。人の家を訪問するにもいちいちそういう物が必要なのだという事に面倒だ、何事にも大袈裟すぎるのではないかとリズルは思った。本当に親しいのならばそういった儀式めいた事は必要ないのではないか、と。表面上は友人のような素振りをしていながら、真実は違うのだろうかと勘繰らずにはいられなかった。
 イースは鷹小屋にリズルを案内したが、それは南溟の男達のいる小屋の奥にあった。鷹匠によって五羽の隼は頭巾を被せられて大人しく止まり木に並ばされていた。美しい亜麻色の羽色と黒い模様の白隼で、リズルはこの時にはまだ知る由もなかったが、最上級の鳥であった。肩が張り、胸筋は盛り上がって自信たっぷりに見えた。北海では狩りに隼を使う事は殆どなく鷹が一般的であり、何よりも海鷲の島の戦士達がいた。その名の通りに、海鷲をまるで鷹や隼のように使う戦士達だ。集会が島で行われた際にリズルもその姿を目にしていたが、隼など翼のひと打ちで消し飛んでしまうであろう迫力があった。その堂々たる体軀からすると、隼の中でも大型の白隼とて雛鳥のようだった。どちらが優れているというモのでもないという事は、リズルも重々承知している。それぞれに役割が異なるのだ。小型の隼を使う者もいれば大鷹を使う者もいる。それは、北海でも変わらない。ただそれだけの事だ。
 リズルは父が猛禽を所有していなかったので、鳥を扱った事はなかった。いつでも使う者を羨ましいとは思っていたが、扱う者にも訓練が必要な事も分かっていた。
「あなたも鷹を使うのですか」
 リズルはイースに訊ねた。
「当然だ。狩りをするのだからな」
 イースはリズルの方を見ようともせずに言った。かと言って熱心に隼を見ている訳でもなかったのだが。
「狩りには良く出かけられるのですか」
 何故そのような事を訊ねるのかと言いたげな顔で、イースはリズルを見た。
「そのような事は、お前には関係のない事だろう」
 吐き捨てるようなその言葉に、リズルはしまったと思った。病気がちであったという人にする問いではなかった。
「――ごめんなさい」
 小さな声でリズルは言った。
「謝るな」鋭くイースは言った。「却って不愉快だ」
 自分が何を言っても、この人は不愉快に思うのだろうかとリズルは思った。
「あなたの気に入っていらっしゃるのはどの鳥ですか」
 リズルは話題を変えようとして言った。
「…右端のだ」
 憮然とした顔であり言葉も乱暴ではあったが、取り敢えず返事は返って来た。
「立派な白隼ですね。他の鳥よりも白くて、胸の模様も乱れがなくとても綺麗だわ。翼も強そう」
「分かったような口をきくものだな」
「鷹狩りをするのはあなたたちだけではないわ」リズルは肩を竦めた。「わたしたちだって、鷹を飼うわ」
「あの野蛮な海鷲と一緒にするな」
「野蛮ではないわ、獰猛なのよ。それを手なずけるのだから、あなただって隼を使うのなら、それがどれだけ大変なことなのかはわかるでしょうに」
 イースは無言でリズルの側を離れ、鷹匠から籠手を受け取り装着した。鳥を据える気だ、とリズルは緊張した。鷹匠が片膝を付き、止まり木より、イースが一番の気に入りだと言った特に白っぽい隼を手に乗せた。それをイースの拳に移すと下がった。
「大陸の東から来た嵐号だ」
 イースが隼をリズルに見せて言った。脚の黒い繋留紐はしっかりと握っていた。
「雄、雌どちら」
「雄だ」
「本当に美しい鳥ね」
 誇らしげにイースは隼の革頭巾を取った。くりくりとした、大きな黒目が愛嬌があるとリズルは思った。間近で猛禽を見るのは初めてではなかったが、どうにかしてこの美しい生き物を自分でも扱ってみたい、という思いが湧き起って来た。
「わたしも習えば鳥を扱えるようになれるかしら」
「男の領域にずかずかと踏み込むとは、本当に図々しくも呆れた女だな」
 イースの言葉には険が含まれていた。
「男の領域も女の領域もないわ。自分の領分が侵されそうになると、すぐにそう言う人はいるわね。でも、わたしの両親はそんなこと、気にも留めないわ。女だって学問をしようが何をしようが構わないじゃないの。そんなに気になるのだったら、あなただって女の領域とされていることで気になることがあればやってみればいいのよ」
「刺繍や下らないお喋りか。御免だな」
「なら、わたしのやりたいと思うことには口を出さないでほしいわ。禁じられているのではないでしょう」
 リズルは大陸渡りの書物の絵から、鷹狩りをする女性の姿を知っていた。それが一般的な事かどうかは分からなかったが、ともかく、そういう女性は存在するのだ。
「禁じられている訳ではなくとも、少なくともそういう女はこの島にはいないな」
「なら、わたしがその女になって悪いこともないでしょう」
「男のように騎乗して狩りをする女か」イースは笑った。「狩りには頭が必要だ。女にそんな頭はないだろう。男と女では頭の中が違うんだ」
 何という侮辱だろう。リズルは拳を握り締めた。だが、ここで騒ぎを起こす訳にはいかない。隼は特に愕き易い鳥だ。
「そう言うのは、男が女を恐れているからだわ。自分達と同じように物事ができるのを認めるのが怖いのよ」
 低い声でリズルは言った。これ以上の侮辱は御免だった。
「女に(まつりごと)が出来るか。女に戦いが出来るか。それを考えても分かるだろうに。所詮、女は女だ」
「女だって人を治める事はできるわ。それに戦う事も。わたしの名は、かつての女戦士から取られたものなんですからね」
「女戦士」イースは眉をひそめた。「その話はここでは厳禁だ」
 リズルは自分の考えの至らなさに赤面した。そうだ、ここでは自分は出自を隠さなくてはならないのだ。
「学のない女に何を言った所で無駄だな。そう言う浅慮な生き物が女だ」
「あなたがそんなに思慮深かったとは愕きだわ」
 イースに聞こえないようにぼそりとリズルは言った。このような不毛な会話をどれだけ重ねれば、分かり合えると言うのだろうか。それとも、どこまで行っても分かり合うなど不可能なのだろうか。
 空を舞う隼を見たいと思ったが、イースは鳥を放つ気はなさそうだった。だが、馬よりも鳥の方に気持ちが入っているのは見ていてよく分かった。鷹匠に嵐号の調子や調教の具合などを訊ねてはいるが、あの芦毛の馬や他の馬について、イースがクルズや馬丁に何かを訊いている様子は見たことがなかった。だが、リズルにはその気持ちも分からないではなかった。この城砦に縛られて初めて、紐付きではあっても空を飛ぶ鳥が羨ましく思えた。何処までも遠くに行こうとしても、必ず呼び戻しの合図がかかる。しかし、それまでは自由だ。常に手綱に縛られている馬とは違う。
 病床に縛られていたイースも、鳥が羨ましいのだろうか。
 リズルは不思議に思った。



 領主夫人とその「友人」宅へ出掛ける事になったのは、それから二日後の事だった。この時には輿ではなく、箱型の馬車を使った。荷馬車の後ろになら乗った事はあったが、開放的なそれとは異なり、窮屈な感じで領主夫人、シエラと共に乗った。正装でないのが救いだった。馬車に窓はあったが布で覆い隠されており、外の様子を窺い知る事は出来なかった。何という事もない二人のお喋りに耳を傾けながら、緊張と退屈という二つの敵と戦いながらリズルは揺られるがままになっていた。それをどう感じたのか、夫人はリズルの手を取り、何も心配する事はないと言った。その言葉を有り難く思いながらも、イースの言葉ではないが襤褸を出さないようにと願うしかなかった。
 着いた先は領主の館のような城砦ではなく、街の建物を豪勢にしたような感じの建物であった。馬車から降りる際に、門がすぐそこにあるのが見えた。前庭は殆どないようだった。直ぐに中に通された為にそれ以上は見る事は適わなかったが、他の馬車の置き場がどこかにあるようで、馬のいななきが聞こえた。
「よくいらしてくださいましたわ」両手を広げて女主人のエルフェル夫人――事前に招待主の名は聞いてあった――が言った。「ジョアンさま、それに、リズルさま」
「お招きいただいて嬉しく思いますわ」
 社交的な挨拶は夫人に任せ、リズルは膝を沈めた。
「さあさ、こちらにいらして。皆さま、お待ちかねですわ」
 通されたのは城砦にあるような陽光に満ちた部屋だった。やはり庭に面していた。そこには年配の女性と若い女性とに分かれ、刺繍とお喋りに興じている姿があった。しかし、リズル達に気付くとぴたりと手も口も止まった。
「皆さま、ジョアン夫人とリズル嬢がいらっしゃいましたわ」
 エルフェル夫人の言葉に、女達から小さな歓声が漏れた。
「ジョアンさまはわたくしたちとご一緒に。リズルさまは若い娘たちといらして」
 シエラが先に席に着いた夫人に刺繍道具を渡した。リズルは年配の女性達に挨拶をして、娘達の方へ向かった。晩餐の際の正装とは異なり、皆も普段着よりは少し良い位の服装と見受けられた。
「リズルさんとおっしゃいましたわね」
 中心的な人物と思われる栗色の髪の美しい娘が言った。自分と同じか、少し上だろうかとリズルは思った。「わたくしはアリア。こちらにお座りになって」
 娘達がアリアの隣の席を空けた。
「よろしくお願いいたします」
 リズルは頭を下げた。そして、シエラから刺繍道具を受け取った。シエラは娘達の近く、お目付け役と思しき女達の輪に加わった。
「とても珍しい髪の色なさっているのね。目も青くて」リズルが席に着くや否や、アリアがそう言った。「大陸の北の方はそういった色の方が多いのかしら」
「そうですわね。でも、黒髪や黒い目の者もおります」
 慎重にリズルは言った。
「言葉はいかがかしら、あちらとは少し違うと言うふうにお聞きしておりますけれど」
「お心づかい、ありがとうございます。けれども大丈夫ですわ。教師のおかげですわね」
 これは本当だった。北海の言葉と中つ海の言葉とはとてもよく似ていた。少々の違いはあったが、それは、訛りのようなものだと教師は言った。直ぐに矯正できるだろう、と。
「よい教師にめぐまれましたのね、喜ばしいことですわ」
 アリアはにっこりと笑ったが、その心の内を図ることはリズルには出来なかった。
「何を刺していらっしゃいますの」
 他の娘が訊ねた。
「有りの実とその花です。余り上手ではないのですが」
 リズルは恥ずかしく思いながら、刺しかけの刺繍を見せた。
「あら、充分にお上手だわ」
 アリアが言った。
 こういうやり取りは苦手だった。だが、これが社交というものであるのならば、厭でもこれからは付き合ってはいかなくてはならない会話であった。例え自分がどう思おうと、それを態度や口調に出してはいけない。蕁麻疹が出そうな会話だが、仕方がなかった。これから自分が生きて行く世界は、そういうものなのだ。
「でもなかなか進まなくて」
「それはご同様よ」
 アリアは笑った。笑うと更に美しく魅力的だった。そういう見せ方を良く知っているようだった。アリアの前では他の娘達の存在も、美しさ可憐さも全く目立たなくなってしまう。
 ちらりとアリアはお目付け役達の方に目をやり、小声になった。
「ねえ、それで、イースさまとのご生活はどうなのかしら。普段はどういう方でいらっしゃいますの」
 他の娘達も興味津々と言った様子であった。ここで本当の事を言う訳にはいかない。二人の関係が良くないと知られてはならないのだ。
「とてもお優しく穏やかな方です。それに、とても頭もよろしい方で」舌が腐るのではないかと思うような言葉であった。一つくらい真実を言わなければ真実の神から罰が下りそうだった。「隼も、とてもお好きなようです」
「狩りの計画があるのか、ご存知ではなくて」
 アリアの茶色の目がきらきらと輝いていた。
「さあ、そこまではわたくしは存じませんが、アリアさまは狩りに参加なさるのでしょうか」
 少し愕きをもってリズルは訊ね返した。
「機会があれば、ですが。あなたも参加なさるのでしょうか」
「まだ駈足には慣れていませんの。できればそうしたいとは思ってはいるのですが、皆さまはいかがでしょう」
 娘達の間に、小さな笑いがさざなみのように広がった。
「フェリアさまとエルディスさまとは参加なさいますわ」名の挙がった二人と思しき娘が小さく会釈した。「ご領主さまは、リズルさまの駈足習得をお待ちになっているのかもしれませんわね」
「まあ、それでは責任重大ですね」
 困惑してリズルは言った。ここでは領主以外の者が狩りを主催する事はないのであろうか。
「狩りの季節はまだありますもの。充分、間に合いますわ」
「だとよろしいのですが」
 お目付け役達の方から空咳が聞こえた。お喋りばかりして、手が全く動いていない事を注意するものだとリズルは思った。
「さあ、皆さま、始めましょう」
 アリアが言い、リズルは針を手にした。


 午後の訪問は大成功であったと夫人は帰りの馬車でも大喜びであった。それは夫人のためには喜ばしい事ではあったが、リズルは疲労困憊してしまっていた。慣れない言葉のやり取りで口も重かった。
 娘達は親切だった。特にアリアは優しく気持ちの良い人だと思ったが、本当にそうなのかどうか自信が持てなかった。何しろ、あの大仰な会話からは、その真意を図り知ることなど可能だろうかと思わざるを得なかった。ただ、娘達の中心であることから、機嫌を損じるような事はしない方が良いだろう。
 結婚すれば別だが。
 その言葉がふと心をよぎった。既婚者と未婚者とでは見えない壁で隔てられているようであった。リズルは結婚すれば娘達とは共に過ごさなくても済む。それはアリアが先に結婚した所で同じだ。そして、リズルはこの交易島の後継者の妻となるのだ、何を恐れる事があろうか。例え社交下手だとしても、夫人が健在な内はどうにかなるだろう。その後の事は、そうなるまでに何とかするしかない。自分もいつしか、あのような会話に、苦痛を感じずに滑らかに話せるようになるのだろうかとリズルは思った。
 こんな日には馬に乗って野を駆ければ、もやもやした胸の内はすっきりと晴れてくれたものだった。だが、ここではそれも許されない。帰れば直ぐに夕餉であろう。再びあの不機嫌なイースと顔を合わせ、穏やかなふりをしながら食事をしなくてはならない。そうしたら直ぐに就寝だろう。今日はさすがに書を開く気力もなかった。折角、北海と中つ海との接点が出てき始めたのかと思った所であったというのに。尤も、北海とは言えども今の北海ではなく、自分の名を取ったリズルが生きていた時代の、まだ七部族に別たれる以前の事であったが。
 今紐解いている書物を読み終えたら、次は鷹狩りについて調べてみようかとリズルは思っていたが、このままでは何時になるか分かったものではなかった。鷹狩りへの参加が駈足の習得にかかっているのだとすれば、シエラの作法の時間をもっと削りたかったが、こればかりは一存では無理だった。そして、それを願い出た時の反応も怖かった。自分の楽しみばかりを優先するのでは我儘だと取られかねないし、領主夫妻にはそのように思われたくはなかった。我ながら良い恰好をし過ぎているのではないかと思う事もあったが、ここに来た以上は、なるべく二人の意に沿うようにしたかった。望んでくれたのならば、それに報いるのが当然でなないだろうか。例え、自らの意志がそこにはないのだとしても。
 自らの意志ではない。
 その思いに改めてリズルはどきりとした。目の前でにこやかにシエラと話しているこの人とは、ふた月前までは顔を合わせた事もなかったのだ。何時しかこの島での生活に順応しつつあったが、やはりここは見知らぬ場所であり、否応もなしに連れて来られたようなものであった。強権的な事をあの領主が為すとは思えなかったが、父がそうであるように、人は家庭と仕事では異なった顔を持つものなのだ。それに、リズルが拒否したとして、族長である伯父に逆らえるものではない。伯父にとって益のある事は部族にとっての利益。拒む事が可能だろうか。族長家の一員として、言われた所へ嫁ぐのも致し方のない事なのだ。
 しかも相手があのような男であったとは、思いもしなかった。望まれたからには歓迎されるものだとばかり思っていた自分が甘かった。


 エルフェル夫人宅への訪問の翌日、領主夫人は女性達を招待する事を提案して来た。皆、娘と親子で訪問して貰うようにするつもりだと言う事であったが、リズルには拒否は出来なかった。本心は、もう少し時間を空けて欲しかったのだが、仕方がなかった。
「アリアさんと仲よくなさっていたようで、ほっといたしましたわ」夫人は言った。「親しいお友だちができそうで何よりですわ」
 親しくなれるのかどうか、リズルには自信が持てなかった。あの微笑の下で、どのように思われているのか、全く想像もつかなかった。
「だとよろしいのですが」
 リズルはそれだけを答えた。
「大丈夫。あなたを嫌う人なんていはしないから安心して。皆さま、あなたを褒めていらしたわ」
 褒めていたとしても、それは本心からなのだろうか。
 そう思ってリズルははっとした。こんなにも、自分はひねくれた物の見方をしていたのだろうか。それでは、この島の人々に対して不公平ではないだろうか。北海の人間は直情的だが、自分はもう少し考え深くあらなくてはならないだろう。
「アリアさんはとてもいいお嬢さんですし、あなたのよいお友だちになれると思いますわ」
 上辺だけの関係にしても、夫人が安心するならば仲良くする事に否やはなかった。こちらはそれで良いにしても相手がどう思っているのか、あの一度きりでは分かりはしない。
 友人が欲しくない訳ではなかった。だが、どのように親しい間柄になろうとも、リズルは大きな秘密を抱えたままでいなくてはならないのだ。そこに本当の友情が育まれるであろうか。
 そういった内面の葛藤を表に出さない事にも慣れて来た。慣れたくはなかったのだが、ここで生活するには自分の本当の感情を見せない事が必要であった。優しい領主夫人に心配をかけない為にも。
 余り日を空けずにまた女性達に会うのは気が進まなかったが、楽しみにしている様子の夫人を見ていると、言えなかった。毎日のように「友人」を招待し、される身であったであろう夫人にとり、このひと月は退屈なものであっただろうから、その楽しみに水を差したくはなかった。
 夫人が女性達を招待した日に、一番にやって来たのはアリアとその母親であった。夏の盛りの花のように華やかなアリアとは異なり、母親の方は目立たず、大人しげな人であった。アリアはもつれそうな刺繍糸と苦闘しているリズルの元に微笑みながら近付いて来た。軽い挨拶を交わし、アリアはリズルの横に座した。
「どう、進みまして」
「少しも」
 リズルは弱く微笑んだ。
「大勢でお喋りしながらの方が針が進むのは、わたくしも同じですわ」
 アリアが笑った。そういう事ではないのだが、と思いながらもリズルは微笑み返した。「一人だとどうしても煮詰まってしまって」
 どう答えてよいのか分からず、リズルは微笑んだ。
 それから続々と、女性達がめいめいの娘を連れて到着した。顔ぶれはエルフェル夫人の時と同じであったが、リズルはまだ全員の顔と名前を憶えてはいなかった。娘達は似たりで余り個性があるようには思えなかった。また、今回もお喋りが中心で、誰の針もそれ程進んでいるようには見えなかった。それでも、アリアの刺繍は随分とはかどっているようで、先程の言葉は社交辞令だという事が分かった。そういう所がリズルは苦手だった。誰もがそわそわとし、刺繍に集中していないようにも見えた。
「ねえ、今日はイースさまはいらっしゃらないの」
 一人の娘が辛抱できないという風にリズルに訊ねた。
「声が高いですわよ」
 アリアが言った。近くのお目付け役達の事を気にしているようだった。
「イースさまでしたら、今日は朝からお父上と共に港でお仕事です」
 リズルがそう答える、娘達の間に失望の、だろうか、溜息が漏れた。
「まあ皆さま、イースさまにお会いするのが目的でいらしたの」
 アリアの揶揄うような言葉に、皆は小さく笑った。
「だって、若い殿方の中では一番の美男子でいらっしゃるのですもの」
 フェリアが頬を染めて言った。
「まあ、はしたないこと」
 皆がまた、小さく笑った。何をするにもお目付け役の気を引かぬように、というのは、北海で年長者に対するのと同じであった。また、噂話も。
「気を悪くなさらないでね」アリアがリズルの顔を覗き込むようにして言った。「つい先ごろまでわたくしたち、イースさまに婚約者がいらっしゃるとは露とも知りませんでたから」
 リズルは微笑んだ。何処でも若い娘の話の中心は、年頃の若者の事なのだ。イースの事を男前だと言われても、リズルは何も感じなかった。そのような事には興味もなかった。
「この冬は、ひどいご病気でいらしたとお聞きもしましたし、お元気な姿を拝見したのは晩餐の一度きりのことなのですもの、皆さま、イースさまのことがご心配なのよ」
「もうすっかり回復されたようです」アリアの言葉にリズルは言った。「馬にもお乗りになりますし、鷹狩りを楽しみにしていらっしゃるご様子でしたから」
 娘達は互いに顔を見合わせて小さな歓声を上げた。
「アリアさま、フェリアさまとエルディスさまはお羨ましいわ。鷹狩りに行かれるのでしょう」
 名前の思い出せない娘が言った。
「父の許しが出れば、ですわよ」アリアが肩を竦めて言った。「リズルさんが参加されるのでしたら父は絶対に許してくださるでしょうけれど。でも――」と皆を見た。「皆さまも習得なさればよろしいのに」
「馬は恐ろしいわ」
 その娘の言葉に呼応するかのように数人が頷いた。あの大きな馬では確かにそう感じるかもしれない。だが、どれ程体が大きくとも目は優しい生き物だ。
「乗っているだけなのですもの。高さと動きにさえ慣れれば、それほど恐ろしくはありませんわよ」
 アリアの言葉に、他の二人も頷いた。「馬丁が乗せてくれるのですから、わたくしたちは特にすることはありませんわ」
 三人は馬丁に乗せて貰っているのだ。リズルは自分で踏み台を使って乗る。ファドラのやり方が特別なのかどうかは分からなかったが、リズルは黙っていて良かったと思った。会話の主導はアリアに任せておくのが正解のようだった。
「おとなしい方でいらっしゃるのに、リズルさまもお乗りになるのですもの、皆さまもお乗りになれますわよ」
「まあ」
 笑いが広がった。
 大人しくなどない事を知ったならば、この娘達はどうするだろうかとリズルは思った。馬に跨り、イースから叱責された事を知ればどうするのだろうか。婚約者として不適格の烙印を押されるのだろうか。例えそうなったとしても、何も変わらないだろうが、イースの執務には支障を来たすかもしれない。それも知った事ではない。そう思いたかった。だが、どれほど厭な男であろうとも、一生を共にするのだ。その生活を円滑にする為にも、リズルは様々な感情や行動を殺して行かなくてはならなさそうであった。何故、自分ばかりが我慢を強いられるのかとも思ったが、それが女というものなのだろう。
 他愛もないお喋りで午後は過ぎた。皆が帰ってしまうと、夫人は部屋へ下がり、リズルは馬小屋を訪れた。ファドラに駈足の進み具合を訊ねてみるも、まだ鷹狩りへの参加は難しいようだった。長い間、馬に乗っていなくてはならないので、その訓練も必要だと告げられた。それには、午後の訪問やシエラの時間が邪魔になる。その事については、ファドラから領主へ話をするという事で片がついた。
「今日、いらしたお客さまが、馬には馬丁に乗せてもらうとおしゃっていましたが、南溟でもそのようにしているのでしょうか」
「南溟の御婦人は自らお乗りになられます」ファドラは答えた「しかし、中つ海では馬丁がお乗せしているようですが」
 その言葉に、リズルは安堵した。南溟の血を引く教師そう言うのならば、自分のやり方は間違っているとは言えまい。
 隼を見に行こうかとも考えたが、所有もしていないのに行った所でどの程度見せてもらえるのか分からなかった。やはり、イースと共でなくてはならないのかと思うと気が重かった。見せびらかされるだけならば、いっその事、行きたくはないとさえ思った。だが――あの美しい猛禽を見る事を何時まで諦められるだろうか。隼を空に放つ姿を見たくもあった。それは鷹匠でもイースでも、誰でも良かった。自分であれば猶の事、良かった。だが、ここの隼は領主の所有物だ。その許可なくして扱いを学ぶ事は出来ない。領主の様子ではリズルが隼の扱いを学ぶことに否定的ではないようではあったが、いざ問うてみるまでは分らない。
 何もかもが、見かけと異なっているように思えて仕方がなかった。
 その点では、イースは正直なのかもしれない。不機嫌も不快も、リズルの前では隠そうとはしないのだから。最初の出会いが出会いであっただけに、今更取り繕った所で仕方がないというのもあるのかもしれないが、それでも、自分の前で正直に感情を見せるイースは、本当は思ったよりも悪い人間ではないのかもしれないとリズルは思い始めていた。特に、鷹に対する表情を見てそう思うようになっていた。人は、動物に対して偽りの表情を浮かべる事はまずない。リズルのまだ若い経験からはそうだった。
 では、イースの事がそれで好きになれるのか、と言えば別問題であった。自分から望んだくせに、風当たりが強いのが最も気に入らない点だった。そんなに嫌いならば、さっさと北海に返してくれれば良いものをと思うが、それもままならない事に対して互いの苛立ちが増しているような気もしていた。何時かは、どこかに妥協点を見付けて落ち着く事が出来るのであろうか。
 イースの事を考えても仕方がないとリズルはその思いを振り払った。隼小屋へ行くのは諦めて戻る事にした。
 夕餉の席で、夫人は上機嫌で今日の事を領主とイースに話した。
「やはり母上は、社交がお好きでいらっしゃる」
 イースは葡萄酒の杯を軽く掲げて言った。
「それほどでもなくてよ。でも、リズルさんは本当に皆さまに好評で、嬉しいかぎりですわ」
「それはそれは」
 信じられないなと言いたげなイースの言葉もリズルは無視した。そして、夫人と領主が話し込んでいるのを見てイースに言った。
「イースさまは人気者なのですね」
「どういう事だ」
 眉を上げてイースが訊ねた。
「皆さま、とてもあなたの心配されておられました」
「嫉妬か」
 揶揄うような言葉にも無反応でいられた。
「事実をお話ししているにすぎません。今日はあなたがいらっしゃらないというので、皆さまがっかりなさっていらしましたもの」
「お喋り鳥には興味はないな」素っ気なくイースは言った。「下らん」
「あなたのそのような言葉をお聞きになったら、皆さま、さぞやがっかりなさることでしょうね」
 一言言わねば気が済まなかった。
「言葉だけだな。そうは言っても、お前は言えはしないだろう」
「なぜ、そう思われますの」
 歯がみしながらリズルは言った。
「母上の手前では、良い子ぶっているだろうが」
 言い当てられては反論も出来ない。そうだ、夫人を失望させたくないのは事実だった。
「本当に厭な人ね」
 遂に言った。小声であったが、充分に聞えたはずだ。
「良い子ぶるよりは、余程ましだと思うがな」
「お客さまの前ではあなただってそうでしょう」
「あれは社交だ。良い子ぶるのとは違う」
「詭弁ね」
 領主がイースに話を振ったので、二人の会話はそれまでになった。鷹狩りの事であり、リズルは耳をそばだてた。
「リズル殿の乗馬も大分、慣れたようだし、半月後にでもと思っているのだが、お前はどう思うね」
「その位であれば、隼も仕上がるでしょうし、宜しいかと」
 鷹狩り。
 半月先であったとしても、もう待ち遠しくてリズルの心は躍った。
「それでは、リズル殿の乗馬の時間をもう少し多くしても構わんだろう」
「よろしいかと思いますが、心配ですわ」夫人は言った。「どうか、無理だけはなさらないでね。わたくしは馬も隼も苦手なので、一緒には行けませんもの…殿とイースにお願いいたしますわ」
 乗馬の時間が増える事にリズルは内心、小躍りをした。
「ファドラが付いているのだから、心配はいらんだろう。あの男は割合に評価は厳しいと聞いていたが、リズル殿は充分、合格だそうだ」
「それほど厳しい教師には見えませんでしたが」
 イースが異を唱えた。
「あれでいて、他家のお嬢さん方には厳し過ぎると不評であったそうだ」
 ファドラは親切だとばかり思っていたリズルは愕いた。それ程までにこの島の女性達は甘やかされているのだろうか。落馬は怪我だけではない、下手をすれば生命を落としかねない大事故にもなる。厳しいのは当たり前であった。遊びで乗るものではない。
「それに懲りて、甘い対応と評価になったのではありませんか」
 少し良い気持ちになったかと思えば、すぐにそれを下げてくれるのがイースの一言だった。毎日がこんな調子で過ぎるのだろうかと思うと、リズルはうんざりとした。相変わらずイースの皿は汚い。今日も余り食べてはいないようだったが、誰もそれを気にしてはいないようだった。それが、ここでは当たり前のようだった。
「きちんとお食べにならなくては、狩りに見合う身体が作れませんわよ」
 ぼそりとリズルは言ったが、しっかり聞えていたようで、横目で睨まれた。一矢報いる事が出来たかも、とリズルは思った。「隼の調子は上がっても、あなたの身体が付いていかなくては元も子もありませんものね」
「大食い女め」
 イースが絞り出すように言ったが、それはリズルにしか聞えなかったようだった。イースは嫌味のつもりで言ったのかもしれなかったが、確かにリズルは健啖な方であったが大食いというのは父のような者を指すのだと思っていたので嫌味でも何でもなかった。
「そう言えば」リズルは思い切って領主に話し掛けた。「書物で女性が隼を使う絵を見たことがありますが、こちらでは女性は隼を使わないのでしょうか」
「ああ――」領主は少し考えるように言った。「大陸では高貴な女性は隼や鷹を使われる事もあるそうだ。だが、この島では使う者があったというのは寡聞にして知らぬな」
 リズルはがっかりした。それでは隼を使う事は出来ない。
「まだ諦めていなかったと見える」イースが言った。「女は鳥を使わない。籠に入れて愛でるのがせいぜいだな。男の領域に簡単に足を踏み入れられると思わない事だ」
 むっとはしたが、言い返さなかった。男が自分の領域だと信じている場所に入り込むのがどれほど大変な事なのかは、北海でも充分に分っていた。理解ある人が一人でもいるならともかく、誰も味方がいない中ではどれ程の努力が必要なのかも。ここで言い争いにはしたくはなかったので、リズルは無言で引き下がった。


 鷹狩りまでは半月。そう思うと何でも耐えられるようにリズルは思った。取り敢えずは目標が出来たのだ。それも披露目の時とは異なり、非常に楽しみな。
 他家への訪問も苦にはならなかった。翌日には、乗馬で長い時間を過ごす事が出来たからである。一時間通しで馬に乗る事も許された。隼小屋へは、イースが乗馬終わりに行く事があればついて行くこともあった。
 女性達の集まりは、何処でも代わり映えなかった。だが、回を重ねるにつれ、ようやくリズルも八人の娘達の特徴や性格を把握する事が出来るようになった。個性を押し殺しているかのような会話と態度には中々慣れなかったが、それでも、リズル自身もその中で違和感を持たれないようにと懸命に努力した。
 そんな館の一つで、リズルは籠に入った小鳥を初めて見た。美しい青い鳥で、鳴き声も素晴らしかった。狭い籠の中でもちょこまかと動き回り、人が近付いても愕く様子もなかった。
「美しいでしょう」
 その館の娘、セリナが言った。「お母さまのお気に入りなの」
 リズルは頷いた。これが、イースの言っていた籠の中の鳥を愛でるという事なのだ。
「本当はつがいで入れたかったのだけど、雌は声も姿も美しくないのですって」
 つまらなそうにセリナは言った。
「隼などは雌の方が立派ですのに」
 リズルが言うと、皆は笑った。
「隼の事は知りませんが、馬も犬も雄の方が立派ですもの。そういうものかもしれませんわね」アリアが言った。「人間も、殿方の方が力もありますし」
 まあ、鶏はそうだとリズルは思った。雄は何時でも威張り散らしているようにも見える。鵞鳥は正直、区別が付かない。家鴨は雄の方が華やかだが、雌の後をつけ回しているばかりにも思える。
「そう言えば、領主さまの所の南溟の奴隷はどうですの」
 どうと問われても答えに窮した。
「仕上がっているのでしたら、鷹狩りも行われる事ですし、そろそろ闘技の時期ですわね」
「闘技、ですか」
 リズルは困って皆を見回した。
「あら、リズルさまの所では奴隷の闘技はなかったのかしら」
「戦士の闘技はありましたが、奴隷に武器を持たせる事はありませんでしたわ」
 戦士達はしょっちゅう、剣を合わせたり組み合ったりしていた。
「なら、楽しみになさってくださいな。南溟の奴隷の闘技は迫力がありましてよ」
「あの者たちは剣術も体術もいたしますもの」
 娘達は笑った。この島の人は、自分達は腕自慢をしない代わりに、奴隷にさせるのだとリズルは悟った。
「でも、領主さまの奴隷は粒が揃っていて中々のものよ。ご覧になったことはありまして」
「少しは」
 舞のような剣技を思い出してリズルは言った。「まるで舞っているようにでした」
「舞は別ですわ」アリアが言った。「闘技の前に披露されるのであって、剣技とは違いますわ。あれはあれでよいものですが、やはり剣技の迫力にはかないませんわよ」
 人と人とを戦わせてそれを見るのが楽しみだとは思わなかった。本人達の腕試しで行われる分には無責任で楽しんで見ていられたが、戦いたくないのかもしれない者を楽しみの為に戦わせるというのはリズルには理解できなかった。
「この島にはリズルさんのいらした所のように戦士がいないのですもの」内心の思いが顔に出たのだろうか、アリアがリズルの手を取って言った。「せめてもの気晴らしだわ」
 大陸でも同じ事が行われているのだろうか。それは、ここでだけの特別な事情なのだとリズルは思いたかった。それにしても、他人を戦わせて「気晴らし」とは。退屈な冬に、つまらない事で喧嘩する者を囃し立てる男連中のようなものではないか。いや、この島の人間は退屈をしていいるからこそ、そのような仕儀に及ぶ事になったのだろうか。男だけではなく女も。
 籠の中の小鳥は、そんな事にも我関せずと鳴いていた。美しい鳥ではあったが、頭の中は歌う事で一杯のようであった。またそれは、リズルの周りにいる娘達のようにも思えた。自分の身の周りの事だけを考えて、それ以上には関心を持たない。自らの置かれている立場に対して、何の疑問も抱いたりはしない――そのようにリズルには見受けられた。
 そんなふうに日々は過ぎ、娘達の家を一回りする頃には、リズルもここでの生活をそういうものだと受け入れざるを得なくなっていた。確かに、娘達を見ていると学問とは程遠い生活をしているようであった。日がな一日刺繍をし、お喋りに花を咲かせる。詩や歌を聞くことはあっても知的な会話もなく、噂話ばかりで何が楽しいのだろうかと思わざるを得なかったが、学問を主とはしない生活では仕方あるまい。また、刺繍も北海と同じように嫁入り支度にもなる物らしかった。刺繍が終わった後には召使いが仕立てるようであったが、リズルは何を作るという目的もないままに刺繍を施していただけに、完成した時に困ったと思った。
「夏至祭も楽しみだわ」誰かが言った。「ご領主の城砦で盛大にお祝いがあるのですもの」
「殿方と踊れるのも、夏至祭と冬至祭だけですものね」アリアが言った。「あら、はしたなかったかしら」
 皆が笑った。お目付役達の方から空咳が聞えた。
「イースさまは踊りがお上手でいらっしゃるのに、なかなか輪にはお入りにはならなかったのですが、リズルさまが踊られるのなら今年は違いますわよね」
 アリアの言葉にリズルは少し愕いた。イースが踊るなど知らなかった。この青年について、まだまだ自分の知らない事は沢山あるのかもしれない。
「リズルさまは踊りはどうですの」
「こちらの踊りには慣れておりませんので…」
 踊りはまだ習ってはいなかった。それに北海では未婚の男女が一緒に踊る事などなかったので、少々気持ちが引けた。
「まあ、そんなことをおっしゃらずに参加なさって」
 少し強くアリアは言った。「そうでなくては上手な殿方は少ないのですもの、イースさまには踊っていただかなくては。それに、憶えるのは簡単ですわよ」
 子供の頃から慣れ親しんだ旋律ではない事が問題であった。歌人(バード)の竪琴の旋律を美しいと思う事も出来ないのに、それで気分良く踊る事が可能であろうか。
「そう願いますわ」
 リズルは弱く笑った。
 出来ないのではない、やるのだ、という母の言葉が聞えるようだった。
 そう、ここでは出来ないなどと泣き言を言っている暇などないのだ。他の娘達が当たり前のようにこなしている事は、リズルもそのように出来るようになるまで精進するしかなかった。
 代わり映えのない顔ぶれで代わり映えのない会話――リズルには退屈であったが、それを顔に出さないようにするのは大変だった。何度も繰り返し語られる話題を、皆はどうしてそんなに楽しそうにするのだろうかと不思議に思った。そして、同じ事を故郷の娘達にも思っていた事を思い出した。娘というのは、何処でも同じなのだろうか。そして、結婚しても同じ生活を続ける事になるのだろうかと思うと、リズルはうんざりとした。北海でならば、まだ希望が持てた。自分の生き方を否定しない人と出会える可能性もあった。だが、ここではどうだろう。イースはリズルを野蛮人扱いする。好きな生き方を許してくれる筈もなかった。
 リズルの胸はちくりと痛んだ。もう、北海が懐かしくなっている。しかし、族長集会後の夏至頃にならないと、北海からの船は交易島に入っては来ないだろう。それから秋分辺りまでが交易の最盛期だ。北海からの船を見るだけでも、心の慰めにはなるだろうとリズルは思った。
 そのようにして、半月はあっと言う間に過ぎて行った。
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