【2020弥生】引越作業と受診控え

文字数 1,535文字

 とりあえずで作った発熱外来は、一般患者との隔離は出来ても、動線が悪かった。長くなりそうな今後を見通して、外来のレイアウトを変えるほどの大掛かりな引越し作業を、診察終了後に行う。検査室への動線や、一般外来待合室からの隔離。椅子の向きや、隣との距離。等々。看護師も事務部も関係なく、よいしょと気合を入れ椅子を運び、診察机や診察台を運び、パソコンを配置する。汗だくで。翌日また都合の悪かった場所を配置換えする。汗だくで。仕事中、防護具内で散々汗をかいておいて、よくもまだこんなに出るものかと我ながら苦笑する。
 発熱外来のマニュアル作成を並行して行い、誰もが対応出来るようにする。翌日都合の悪かった箇所の訂正をしては、再度マニュアル作成をしなおす。
 その繰り返しだった。慣れない対応と、連日変わる情報に、ただただ翻弄されていた。

「今年は雪解けが早いらしいよ」
 外が徐々に春の日差しを醸し出し、気温が日一日と上がっていることなんて、娘に言われなければ気付きもしなかった。毎日歩いているのだから、風の温度をしっかりと感じよう。ウイルスに心まで手玉に取られてはいけない。以前なら春の匂いや気配に敏感に反応していたのに。自然に目を向ける余裕と、好きなことをする心のゆとりを持とう、と娘の言葉で我に返る。

 そう感じた翌日に、物資が少ないと通達がある。マスクやガウンを節約といわれてもどうすればいいのだろう。同じ防護具で違う患者のところへ行っていいのか。私たちのリスクは考えもせずどこかへ捨てられてしまったのか。現場の厳しさを理解しようとしているのか。感染予防の意味を知っているのか。脳内には疑問符ばかりが浮かび、昨日感じたゆとりを持とうなんて意識は、あっという間に霧散してしまう。
 一方で、「脳」というのは主語を解せず、自らが発する負の発言はすべて自身への言葉として影響がある、という脳科学者の言葉が頭の中をウロついていた。そのせいなのか、悪態をつくくらいなら思考を停止させようとしている自分がいた。感情を捨ててしまったら楽になれるのだろうか。もしそうだとして、それは人間といえるのだろうか。

 受診控えが出始めている。
 高齢者にオンライン診療なんて。当院へ通う患者さんで、使える人がどれだけいるだろう。導入するにも設定するまでには時間が必要で、代替えとして病院受診を拒む人に電話診療が開始される。顔色も分からぬ電話越しでのやりとりはなかなか難しい。加えて、会計や処方箋、薬の受け取り方法についての説明に、普段以上の時間を要する。喉が渇き、声がかすれていく。水分を摂る暇は、ない。
 更に、どのくらいの体調ならいいか、検査が必要な人はどうするのか。毎日毎日新たな課題をぽかりと置かれて、どんどんと積みあがっていく。高く積んだ積み木が崩れ落ちる場面を想像する。それは予想以上に大きな効果音を立てていることに自分で驚く。
 また考えることを、ふとやめたくなっている。脳内でシャッターがガラガラと閉まる音がするのを、無理にこじ開けて踏ん張っていた。

 学童保育で、看護師の子だという理由から、あずかりを渋られているスタッフがいる。来ないでください、と責められているらしい。それを聞いている子どもの気持ちを想うと切ない。世間のシビアさに、ちょっと心がささくれだつ。

 すっかり暗い帰り道。夜の気温は肌に冷たくて、雪解けが早くてもまだ真冬にしか思えない。私だけが季節に取り残されている?と、空を見上げて平和そうな月に話しかけてしまう危ない人になっている。
 通勤経路から人が消えたのに、毎日ステイホームせずに通っている自分が、世間知らずの阿呆のように思えてくる。少し病んでいるかな、と客観的に思う自分がいる。



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