【2020文月】不眠とLINE

文字数 1,713文字

 眠れなくなって、どれくらい経っただろう。
 と、家計簿の隅っこに落書きのように書かれている歪んだ文字を見つける。
 なかなか寝付けず、眠りについても二時間ほどで目覚める日が続いていた。それでも体力温存のため、空が白むまでは布団にしがみつく。体は休まっているはずだと信じたい。
 早起きが板についたので朝活時間が増えた。以前はスマホを手にする事もあったけれど、SNSを含めネットには、現場と違う視点や考察が溢れていて読むのが苦しい。
 もっぱら読書をしていた。本は現実とは無関係の場所へと(いざな)ってくれる。家にいるときくらい、ウイルス禍の話も言葉も数字も見聞きしたくなかった。出来る限り楽しいものを選んで読んでいた。
 同時にスマホへの興味をしだいに失っていく。SNSは数分でも毎日開ける習慣がついていたけれど、数日離れると一気にどうでもよくなってしまいそうになる。でも、

にするのも何故か不安で、また何かとりとめもないものを、とりあえず書いては載せたりした。書くことで心を保つことができているようにも感じていたから。
 エッセイは気ままが基本姿勢なので、そこを切りとって綴っていた。うそではなく、能天気な自分だけをピックすればいい。基本は能天気だから。世界の楽しく優しいものだけに目を向けて書いていれば気持ちも明るくいられる気がした。そう思いながらも暗いものしか書けない時があった。この日記のように。家計簿の落書きのように。
 夏だというのに、何枚もの固い布団が掛け重ねられているような夜がある。ひらりと軽く跳ね除けられたらどんなにいいだろう。そうしたらもう少し眠れるのだろうか。

 全国的には第二波が始まっているけれど、五月に第二波だった北海道。今は横ばいで経過していることもあり、秋冬にむけての院内の体制作りを開始した。病床数を増やしマンパワーも増やすために看護師の異動も行われた。
 外来では一般患者が以前と同じ程度まで戻ってきており、この患者数をこなしながら次波の時に増加した業務を行うのは、スタッフの疲弊が激しく厳しいとの判断。発熱外来に件数制限が設けられた。それによりまたクレームはくるだろうとの意見も出ていたけれど、件数制限が導入された矢先、意味のない制限であったことが判明する。電話での受診相談、救急要請、突然来た人への対応。医師も看護師も結局断ることなんて出来ずに受けてしまうのだった。
 目の前に苦しむ人がいたとして、そのまま見過ごすことなんて出来ないのだから。完全に絵に描いた餅だった。覚悟さえして、ひたすら向き合う。必要なのはそれだけに思えた。

 ビアガーデンが映し出されているGoogle photo。見たくない。もう勘弁して、と思ってしまう自分に驚く。心持ちしだいで、同じ風景を見てもこんなにも違った感想になってしまうのだ。以前なら懐かしいと見ていたはずなのに。
 同時期に、以前職場が一緒だった看護師のグループLINEの通知が来ていた。昨年までは、定期的に一緒に飲んでいた仲間。互いの状況を確かめあう。
 どこもまだ大変そうだ。解除されても誰ひとり、いま会おうという話題にはならない。私たちが普段接しているのは持病がある人ばかりだからだ。重症化のリスクのある人ばかり。(かか)ることも持ち込むことも出来ない緊張感が常にある。
 LINEに書かれているのは、「『飲もう!』と言える日が早くきてほしい」「体は元気だけど心が折れそう」「気持ちが疲れている」
 そして、「耐えよう」「乗り切ろう」と続く。動物の笑顔やガッツポーズのスタンプが、更に続いた。なのに、漂う空気が重いように感じるのは気のせいだろうか。
 それでも。今日の感情が明日の私を作るのならば、スタンプくらい明るく前向きでありたい。笑っていなくちゃ、とは言わないけれど、温かな感情をできるだけ掬いながら穏やかな表情でいたい。そんな(ささ)やかな願いを、私もペンギンが笑うスタンプにこめた。
 今年はもうきっと会えないだろう、という暗黙の了解。だとしても、休憩中も個食で雑談すらできない今、こうして気持ちを分かち合える仲間がいることは救いだ。
 LINEの文字を、最初から大切に読み返した。




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