【2020神無月】たらい回し

文字数 1,562文字

 確実に拡大傾向にある。
 現場にいてこれだけ人数が増えてくると、知人が検査対象者でしかも陽性で、ということも出てくる。
 軽症者収容施設に入るまで自宅待機となり、お大事に、と帰した数日後。街なかで食べあるきしている動画を投稿しているのを見て唖然とする。隔離期間とは何なのかと疑問に感じつつ、楽しそうな世間の様子にひどく温度差を感じてしまう。
 一方で、退院後も後遺症に悩まされている若い男性が、連日点滴をするため外来に通院している。活動するとすぐに息が切れてしまい、以前のように勤務することが難しく「こんなはずじゃなかった」と呟く表情は辛そうで、心が苦しい。油断できないウイルスだと感じる。
 知人は街をふらつけるくらい元気になって良かったと喜ぶべきなのかもしれない。などと別の問題とすり替えて比べてしまっている。やるせなくて。

 推しのSNSもインスタライブも見なくなってきているのはかなりの重症と思われる。
 楽しむことを忘れてはいけない。応援もしたい。失いたくない。なんとか気を持ち直して配信ライブのチケットを期限ギリギリで購入する。
 購入したものの、当日視聴するのを忘れたりして、と不安になるほど腑抜けの状態。ライブの時間にアラームをかけて忘れぬようにしている時点でおかしい。今までなら何日も前から指折り数えて楽しみにしていて、忘れることなんてあり得ないから。
 また余白をどこかで生み出さなければと思いながら、仕事とベッドの往復だけをしていた。
 配信当日、結局時間までに帰宅できず、盛り上がっているファンからのコメント欄をチラ見して閉じた。取り残された気持ちになりながらアーカイブを観て、なんとか自分をもてなす。

 救急搬送されてきた二十代女性。38℃の発熱と咳。呼吸苦はなく、救急搬送される人は大抵ストレッチャーであるにもかかわらず、普通に歩いて降りてくる。救急隊からの申し送りを受けていると、住所欄に記載されているのが、かなり遠い区であることに驚く。
「保健所に連絡して一般病院へと言われたあと、八件の病院に電話して断られたそうです。もう一度保健所へ連絡したら、それなら救急車でも読んでください。と言われたので119番したそうです」
 そう話す隊員と、互いに顔を見合わせ苦笑する。
 外来への受診問い合わせ電話も「もう何件も電話をしているんです」という話は何度も聞くようになっていた。電話越しからも手に取るように伝わってくる焦燥や不安。
 風邪症状で行き場のない人々。
 検査や手術が次々と先延ばしされる一般患者。
 転院させたくても院内でいつまでも搬送を待つ患者。
 逼迫逼迫(ひっぱくひっぱく)と繰り返されているけれど、どのようになったら崩壊と言うのだろうか。
 唖然としていたのは彼女のことではないのに「すみません」と申し訳なさそうな表情の女性。
「大変でしたね。心細かったでしょう」病院サイド側の人間として、私も申し訳ない気持ちになる。以前は当たり前に出来ていたことが、簡単には出来なくなっている、と痛感する。そして相手にするのは微細なウイルスだ。
「風邪もひけない世の中になりましたね」と声をかけると、「診てくれる病院があってホッとしました。正直怖かったです。ありがとうございます」と話された。こんなにたらい回しにされたのに、感謝の言葉がでるなんて、なんて柔らかな人なのだろう。
 見えないものと闘うのは見えるもの以上に神経をすり減らしていくのかもしれない。見えないから不安にもなる。でも、すり減った細い糸を途切れさせずに、丈夫なものにしていくのもまた、見えない優しさであったり人の思いやりであったり、こんな心の柔らかさであったりする。
 疲弊しながらも、人との触れ合いから受けとる温かな見えないものを、感じ沁みる瞬間も確かに存在していることに救われていた。



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