【2020皐月】慣れ

文字数 1,496文字

 Google photoが、また丁寧に去年の写真を映し出している。
 推しのライブに行ったブルーノートの写真が。娘たちと行ったジブリ美術館の写真が。
 昨年の五月は二度も飛行機に乗り、旅をしていた。旅好きなのに旅できない今、懐かしいなと感慨にふけるより先に、切ない気持ちが先に立つ。あんなに旅が近くにあったのに今は遥か彼方で、代わりに目に見えぬ嫌なウイルスがそばにいる。

 PCR検査も当たり前の光景になっていて、PCRの検体を採取することに、慣れたくもないのに慣れた。あんなにひとつひとつの手順をいちいち確認しながら行っていたことを、今では指示が出されると、はいはいと準備をして採取して梱包してという手際の良さに、自分でも呆れるほど。書類作成もさっさと処理できるようになった。既に、ひとつの日常業務として完全に組み込まれている。発熱外来の担当になっても、慌てふためくこともせずに、淡々とこなす。
 一度入ると、水分を摂ることも出来なければ、汗をぬぐうことすら出来ないことにも慣れつつあった。逆にトイレにも行くことが出来ないので、水分摂取は控えめにしていた。にもかかわらず、額や背中はもちろん「汗って腕からもこんなに噴き出すものなのか」と感心する。この年になって初めて見る、自分の両腕の汗腺から汗の粒が浮いては流れる景色を、ちらりと眺めたりする余裕もできた。恐ろしいことに常に軽く脱水の状態にも慣れて、防護具に包まれていても迷いなく手足が動く。
 発熱外来で医師がCT画像の確認をしている間、診察机下のコンセントから伸びる電気コードが、ふと視界に入った。数匹の蛇がうねっているように、それは奇妙に絡み合っていて不快で一瞬吐き気をもよおす。先々月、疲労した体に鞭打って急いで作った様子がそこに垣間見えるようだった。診察机の上っ面は整えられていても、他方はひどく絡み合った煩雑さが、私の心身のようだった。

 近所の桜が咲いていたよ、と一人暮らしをしている娘から、写真が送られてきた。
 満開の写真だった。同じ市内でも微妙に時期がずれる。とはいえ、もう桜真っ只中の時期なのかと驚いたのだ。
 日付の感覚が薄らいでいて、季節に追いついていない気がする、なんて職場で話がでていたけれど、私もかと。
 こども部屋だった窓の真下に桜の木がある。毎年家から眺められる いちばん身近な桜の木だ。気になって見に行くと、そこにはまだ蕾のままの姿があった。我が家近郊は、開花までもう少しかかりそうだ。咲いたら写真を撮って私も送ろう。こどもの頃から毎年見ていた桜を、今年も娘が見られるように。

 桜の蕾を眺めながら、出来る限りぼんやりしてみる。部屋のドアノブに、使われなくなったトートバックが掛けられているのが目に入った。
 お弁当箱と水筒を入れる小ぶりのトートバックを作ってほしいと言われたのはいつだったか。もう四か月くらい経つのではないだろうか。中にポケットがふたつ欲しいと言われて、ちょうどいい大きさになるようにサイズまで測って、それきり放置している。いつもなら「まだ?」と急かす娘が何も言ってこないことに、申し訳ない気持ちになる。

 普通に生活しているつもりでも、余裕がなくなっているのかもしれない。霧の中を彷徨い歩く自分がぼんやり浮かぶ。どこかにさざ波が立っていたとしても、曇ってそれすら見えなくなっているのかもしれない。
 部屋の片隅にあった大好きな林明子さんの絵本を見つけて、しばし読みふけっては癒される。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」温かく繰り返されるその言葉に、じんわり涙が浮かぶ。心の輪郭を少し取り戻したような気になった。




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