【2020霜月】三桁のなか急変

文字数 1,382文字

 初雪が降り、街がうっすら白く包まれた朝。
 地面には、まだ秋の名残りの黄色や紅い葉が雪の上に落ちていて、綺麗な彩りを添えていた。ああ美しい、と思える心に安堵し、スマホを取り出して写真を撮る。立ち止まって頬に受ける空気はキンと冷たくて、確かに冬へと向かっていた。
 
 定期的な換気のため窓を開けると、寒風が入り込んで急速に室温を下げていく。寒がりの高齢者が多い待合室。暖房の設定温度を高め、こまめに開閉を繰り返しても、わずかな時間に舞う雪が入り込むこともある。それでも、この状況下では寒いと苦言する人はいなかった。
 連日、三桁の数字が発表され続けていた。

 中等症で救急要請を受け、搬送途中で急変してしまった患者が来た。事前情報とあまりの違いに驚きつつ、到着次第、早急に救命処置を行う。
 今までも急変し事前情報と異なる状況で搬送されることはあったが、その日は事情が違っていた。空いている人工呼吸器がなく、重症者の受け入れはしていない状況だったのだ。急遽、医師が受け入れ先を探すが、なかなか見つからない。時間がないのに、時間だけが無常に過ぎていく。目の前の消えそうな(ともしび)
 早く!心の中で幾度も叫ぶ。
 搬送先を探す困難さを目にするたび、やるせなさが溢れてはこぼれ落ちていく。
 あの数字、病床使用率とかいう数字、現場にいるとまるで現実味がない。入院できない待機者がいる時点で、病床がないということではないのだろうか。
 数が増えて、それを追うのも理解できるけれど、家族に見守られることも叶わずに消える命の報告が、毎日になっていることのほうが辛かった。
 私が出来ることは少なくて、ただ目の前のひとりに誠実に向きあうことしか出来ない。無力だと感じてばかりいる。
 ようやく搬送先が見つかり、救急搬送されてきて数時間でまた救急車へ乗せて見送る、という切ない一日だった。

 そんな中、救急外来に搬送されてきた肺炎の男性。熱も高く、息苦しさを訴える。PCR検査をすることでさらに咳込んでしまう。「苦しい」と酸素マスクや指先につけた酸素飽和度を測定する機器を払いのけようとする。身の置き場がなさそうな様子。
「看護師さん、オレ死ぬんかい?」と痰がらみのかすれ声が届く。急変した人を見たばかりで心が沈んでいる。大丈夫なんて誰にも分からない。それでも大丈夫と声をかけた方が、ひとときでも安心させてあげられるのだろうか。正解の言葉が見つけられない。どうか、生きて、と祈りをこめて手袋越しに手を重ねる。「しっかり治療しましょうね」とようやく声をかけると、こちらを見て小さく頷いてくれた。仕事中なのに涙が出そうだった。

 月末の仕事帰り。閉店前のスーパーに立ち寄ると、店頭にボジョレーヌーボーが並んでいて「もろびとこぞりて」が流れていて、賑わう街の欠片を少し味わった気持ちになる。
 このくらいでいい。
 流行の映画があるらしいけれど追わない。タグも追わない。周りのことに敏感になって春先のように疲弊するよりも、今は波になんて乗らずに自分の見えるものだけを真摯に見つめる。そこにほんの僅かな笑顔の動機があればいい。次の瞬間また泣きたくなっていたとしても、どう感じるのかは自分の心持ち次第。時間は誰にでも同じように過ぎていくから。
「もーろーびとーこぞーりーてー」と小さく鼻歌を歌ってみる。マスクの中で口角が上がった。



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