【2020長月】会えない人たち

文字数 1,391文字

 受付に見知った顔の女性を見つける。
 何年も外来通院してきている顔馴染みの男性の妻。一緒に来院されたときに顔を合わせることも多かった。
 手荷物を、病棟から降りてきた看護師に渡し、頭を下げて玄関へと向かって行く。夫である男性は体調を崩して入院されていたから、必要なものを届けに来たのだろう。
 今年に入ってから、玄関近くでたびたび見かける切ない光景である。
 妻の後ろ姿が以前よりも小さく見えて、思わず後を追い、声をかける。振り返った顔は「あらっ」と笑顔で、意外と元気そうで安堵したのも束の間、話をしているうちに涙を浮かべた。
「どんな様子か電話では分からなくて心配で」
「もう三週間も顔を見ていないんですよ」
 入院された方は面会外出禁止となっている。申し訳ないけれど世間の情勢に関係なく、最初の発症者が報告された二月から、当院の方針は変わっていない。
 入院という状況は、ただ事ではない非日常。病気を抱えている中で、家族と会えないままの闘病生活は、どんなにか心細いことだろう。そして、どのように闘病しているのか、顔も見られずに家で待つ家族も、不安の真っ只中に放り出されてしまう。
 私自身が、がんを(わずら)う父と会えない日々を過ごしている。目の前にいる女性の気持ちが手に取るように理解できて、息苦しいほど胸に痛い。
 入院が長くなりそうならオンライン面会という方法もあることを伝える。
 彼女の夫とは、検査で一階へ降りてきていたときに偶然顔を合わせていたので、二言三言だけ話をした様子を伝えた。彼は彼で家族の心配をしていた。その言葉に妻はまた涙を浮かべ「もう少し頑張ります」と、玄関を出ていった。
 世の中に溢れかえる会えない日々。それが闘病中となれば、なおのこと辛く長い。
 いつまで会えない人たちを見つめていけばいいのだろう。見送った後ろ姿は、やはり小さく見えた。早く退院できますように、と願うことしかできなかった。

 数日後、以前使っていたサージカルマスクが職場に戻ってきた。フィット感と安心感に安堵する。
 左右違う長さのヒモだったり、フィット感ゼロだったりしたけれど、なんとか工夫しながら頑張っていたことを振り返る。そんな日々があったのだと、もう暫くしたら記憶の片隅から引っ張り出して、懐かしいなどと思ったりすることが、できるようになるのだろうか。
 いつしか慣れて、日常に組み込まれていったもの。それは少しずつ心が動かなくなっていくということでもある。そうして気持ちは平常心を取り戻し、淡々と過ごしていく。それが平和なのだとしたら、心が動かなくていいのだろうか、と以前感じたことと真逆のことを考えている自分。時折まだ思考回路が宇宙の彼方の方角へ彷徨ってしまう。
 幾度も弱い自分からの出発を繰り返す。

 午後休をもらった帰り道。珍しく陽の高い時間に歩く。久しぶりにゆっくりと青空を見上げた。歩みを止めて視線を向けたそこは、鱗雲が散らばり青は水中のように潔く澄み渡っていて、季節の移ろいが感じられた。気付けば短い夏を追い越していて、ナナカマドが赤く色づき始めている。大好きな秋の気配と平日の長閑(のどか)な昼下がりに、ひとときの休息を得る。立ち止まる時間から得る大切な余白。
 人間なのだから感情の浮き沈みがあってもいい。弱さを愛することが出来る強い自分でありたい。見つけた心の余白の中に、そんなことを記しながら歩いた。


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