【2020葉月】肌荒れと廃業

文字数 1,471文字

 肌荒れが、治らない。
 気温の上昇とともに、フェイスシールドのスポンジ部分と常に接触している(ひたい)が、まるで絵の具で描いたラインのように赤くなっている。化粧はもちろん保湿剤すらすぐに落としてしまうほどの流れる汗。貧血傾向の青白い肌が不健康そうに露出し、ガザついた肌がそれを際立(きわだ)たせている。それはフェイスシールド越しからも伝わるのだろうか。

 気温が高いため、救急外来が忙しい。脱水症が増えているためだ。
 脱水患者は点滴が必須だけれど、水分を失っているので血管にハリがなく、点滴のための血管確保が難しい。加えて、フェイスシールド越しだと透過性が悪いことや光が乱反射することもあり、繊細な血管はなかなか見つけられず、思わずシールドを外してしまいたい衝動に駆られる。
 救急搬送されてきた八十代の女性。脱水症が疑われたが、38℃の発熱をしていることもあり防護具での対応。
 難儀しながら、顔を近づけて血管を探していると、小さくか細い声が聞こえた。搬送してから呼びかけにようやく開眼する程度だったので、閉眼していると思っていたら目を開けじっとこちらを向いている。一度で聞き取れずに「どうしました?」と聞き返した。
「看護師さん、それ、暑くないの?」
 ぐったりしている中、彼女が必死で出した言葉がそれだった。眼尻の脇を汗が流れていた。
「暑いですよー」と思わず正直に笑って答えると、ストレート過ぎる予想外の言葉だったのか微かにふっと笑みを見せて「そうよね。そうよね」と、ゆっくりつぶやきながら何度か頷き閉眼した。
 逆に心配させてしまって申し訳なかったかなと反省する。
 他の検査や処置をしている間に、急速に滴下していた点滴がある程度入り、彼女の顔色や表情が徐々に改善してきた。
「看護師さん、汗びっしょりよ。脱水に気をつけてね。私が言うのもおかしいけど」
 そんなやりとりで笑い合う余裕が生まれる。
 笑いながらも、汗なんて流れずにすぐに蒸発するなり飛んでいくなりしてほしいと心の中で思う。そうすれば余計な気を使わせずにすむのに。
 いや、早く防護具のない看護が出来るようになればいい。汗なんてすぐに拭けて、健康的に見える程度のお化粧もして、シールド越しではない笑顔を届けたい。まだそれは叶いそうにないからせめて、諦めず投げやりにもならずに肌荒れを治そう。彼女と話をしながらそう決めた。
 人の心を動かすのはやはり人なのだと思う。少し気持ちが上方修正された。

 ブルーノート名古屋が廃業、と推しのグループLINEで知る。
 休業ではなく「廃業」の二文字を見て、あまりのショックに取り乱し、返信も出来なかった。とうとう、何かがぷつっと切れてしまった音が、はっきりと聞こえた。頑張ったそのあとに楽しんでいたもの。私を救ってくれていたもの。その場がひとつ、なくなってしまった。
 好きなものが奪われた哀しみが津波のように押し寄せる。推しのライブは心を救うエンターテイメントで、平穏を保つことに必要不可欠なものだった。
 私たちはこんなにも応援してもらっているけれど、自分自身はどうだったのかと思う。ただ翻弄されて過ごしてきて、どこかで分かっていながらも大切なことを先延ばしにしてはいなかったか。今さら、何か出来ることがないかと検索し続ける私がいた。検索しながら泣いていた。哀しみと悔しさが混じり合って渦を巻く。
 どうしたら上手く回るのだろう。命と向き合いながら葛藤する。気持ちの捻じれがぐるぐると体に巻き付いて離れない。整理整頓は得意なのに、心の中はすぐに散らかって上手く整理できずにいた。
 

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