第17話 酒、うらみ節 下戸の叫び!

文字数 2,321文字

「お酒、好きそうだね。一升瓶を抱いて寝てるんじゃない?」
 とよく言われる。初対面に近い人は、たいていこれと似たようなことを私のイメージに持つらしい。一升瓶を抱いて寝てしまう女というのは、いったいどんな女なんだろう。私のどこを見てそんな風に感じるのだろう。だらしなくて嫌な映像だなと、少々不愉快になりながらそんな言葉を聞いている。

 お酒に関する逸話は数知れない。楽しい思い出ではなく、恨みつらみの方だ。そう、私は不調法どころではない。まったくお酒が飲めない。なめるだけでもダメ。甘いカクテルも、奈良漬け、ウィスキーボンボンですらも拒絶反応が出るくらいの下戸なのだ。
 少しでもアルコールが体内に入ると、まず顔が赤紫に張れ上がる。続いて動悸が激しくなり天井が回りだす。やがてじん麻疹が全身を襲い腰が砕ける。ここまで来ると2日間は寝込む。遠くで祭り太鼓が聞こえると思ったら、自分の頭の中の脈の音だったということもある。こんな症状なので、酒を飲んで楽しいはずがない。苦痛なのだ。練習したって、まったく強くなれない。アルコール分解酵素がゼロなんだと思う。

 私にとってお酒とは、単なる毒薬でしかない。

 お酒への依存度が高い人ほど、他人の酒量を気にするように思う。そして、飲めない人間を蔑み嫌味を言う。不幸なことに、こんな下戸が極めて酒と縁の深い場所で仕事をすることになった。10代から20代にかけて。昭和の終わり頃の話である。
 演劇の養成所は昼間授業がある。地方から上京して来た女の子は、暮らしを支えるために夜の仕事をするしかない。アルバイトでホステスをするのだ。銀座や赤坂には、そういうバイトちゃんを快く受け入れてくれるお店がたくさんあった。当然、私も高時給につられて、何の考えもなしにお決まりのコースでバイトを始めた。ところが、生意気ざかりのお年頃。なにかというと、お客に議論を吹っかけ「人生は…」なんて話を始める。しかもウーロン茶を片手に延々とそこに居座る。私がお客だったら、こんな店お断りである。だが、私自身は案外楽しんでいた。興が乗れば朝までだって語り合えた。ただし相手は酒、私はお茶でである。ホステスとしての私の評判は、すこぶる悪かった。

「酒が飲めないっていうのは、人生の楽しみの半分を自ら放棄しているようなものだ」

 客は、蔑んだような目で私を見てそう言った。私が経験することの出来ない人生の半分を充分に楽しむと、彼のような立派な人になれるらしい。
「あぁ~お酒が飲めなくてほんとうに良かった!」と憎まれ口を叩いた。盛り場で、下戸の頭でっかち生意気女が愛されるはずがない。

「酒の飲めない歌い手の歌なんて聞く気にならん」
 
 歌い手になって間もない頃に、別の客から言われた言葉だ。
「ほんなら、聞かんでケッコウ! そんなにえらいのか、酔っ払えるってことが! 世界が狭いねぇ。世の中にはいろんな人がいるんだよッ!」
 と思いきり言いたかったが… この時は言えなかった。少し大人になったから。今なら、別の意味で言えると思うけど。

 たかだか嗜好の問題なのに、酒となると突然話が大袈裟になるのは何故なのだろう。人生云々という話になってくる。酔っ払ってハメを外さないと、人生の面白味が解らないとでも言うのだろうか。私は、シラフでもハメを外せるのにな。
 それに、下戸は何か辛いことがあった時、酒に逃げることが出来ない。苦しみと、まともに向き合うしかないのだ。この方がよっぽど厳しいと思うけどな。まあ、若い女の子相手に息巻くしかない中年男性の悲哀も、今は理解はできるけど、わびしいよ。すごく。

 夫とは知り合った日から今日まで、一度も酒がらみのデートはない。夫もそれほど酒に強い方ではないので、ふたりとも不自由を感じたことはないのだが、ある時友人から「飲まないで、どんな話をしてるの?」と真顔で尋ねられた。驚いた。どうやら、酔わないと会話が出来ない人もいるらしい。

 家庭の中で、両親が酒を飲む姿を見たことがないまま育った。当然、晩酌というものも知らない。盆暮れ正月ですら、誰も酒を飲まなかった。お酒の文化も、我が家では育ちようがなかったのだ。

 あるパーティーで、主催者から大先輩の女性歌手に何か食べ物を持って行ってあげてと頼まれた。
「よろしかったら如何ですか?」
 言われるままに、サンドイッチのお皿を差し出すと、その大先輩は突然力任せにお皿を叩き落し、大勢の人の前で私を罵倒した。
「あんた、気が利かないねぇ! サンドイッチなんかすすめて、私の酒をまずくしようって魂胆なの!」
 アホらしくなって、その日以来、酒飲みに親切にするのはヤメタ。

 酒っていったい何だろう? 恨みつらみはキリがない。私は、子どもが生れてからは、酒抜きで平和な日々を過ごしているが、酒が飲めないことで仕事や人間関係で辛い思いをしている人は、まだまだたくさんいる。狂気の沙汰の一気飲みで大切な命をおとしたり、いまだに「オレの酒が飲めねぇのか」的な、接待の強要は続いている。
フランス料理のお店で「ワインも楽しめないの?」と露骨に嫌悪感を表す人もいる。

 アルハラ(アルコールハラスメント)という言葉が取り沙汰されるようになって、本当に良かったなと思う。酒の強要は犯罪。訴えても良いんだよ!

 私は、飲酒は嫌い。だからお前は出世しないんだとか、付き合いが悪い人間だと思われても、もう何とも思わない。好きな人が楽しめばいいし、飲めない人がいたって、いい。人はさまざまだもの。

 私はやわらかい日差しの下で、おいしいお茶でも飲みながら歌を歌ったり聴いたりしたいし、夜は早く眠りたい。
それじゃ、ダメ?

だめでもいいけど。
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