第12話 愛しの勝新太郎さま ③ ~舞台裏の宝物~

文字数 2,556文字

 いよいよ公演が始まるという矢先に、萬屋錦之介さんが病に倒れた。急遽、弟の中村嘉津雄さんが代役に立つことに決定し、「宮本武蔵」と「座頭市」の超豪華二本立ての旅公演が始まることとなった。

 甘い考えでお恥ずかしい限りだが、私にとってはまさに修学旅行。しかも勝新太郎さんとの旅だ。楽しくないはずがない。出演といっても、舞台をキャーキャーと言いながら通り過ぎる京都の町娘と、貧しい娘「おさわちゃん」の二役だけ。セリフは「とっつぁま~」の一言。時間と余力は充分にある。勝さんとの時間はお宝の山だもの。ひとつだって無駄にしたくない。勉強と称して、いつもピッタリと張りついていた。

 舞台の袖で厳しい顔をしていた勝さんも、板に乗っかれば水を得た魚。酒好き女好きの異色のヒーロー「座頭市」を天真爛漫に演じていた。その上次々とアドリブをやっては客席を大爆笑に巻き込み、最後にはきっちりと泣かせる。場の空気を自由自在に操っていて、眩しいくらいに素敵だった。

 ところが、出番のない時の勝さん。こちらもケタ外れだった。
 遊女は命からがら女郎屋から抜け出し恋しい男の元へ走った。男は困惑している。惚れた女を地獄から救いたい。だが、自分が女を受け入れることはふたりの死をも意味する。男と女の情感あふれる、切なくも美しいシーンだ。
 そのセットの裏でこともあろうに勝さんは、出演者にだけ聞こえる小さな声で、卑猥な歌を延々と歌っているのである。またある時は、必死で演技をしている出演者の目の前のふすまに、裏からびりびりと穴をあけ、覗き込んでウィンクしたり、指でもってなにやら妖しげなサインを送ったりしていた。その時出演していた西村晃さんは、真っ赤になって全身を振るわせ、泣きながら笑いをこらえていた。

 センセイ… 子どもじゃないんだから… 舞台の袖で成り行きを見ながらそう思いはしたが、この子どもっぽさが天才たる由縁でもあるのかなと、変な納得をしながら見ていた。

 そしてようやく千秋楽。
 ついに勝さんは「宮本武蔵に出たい」と言い出した。ラストシーンで、武蔵と僧兵の大立ち回りがある。そこに出るんだと言ってきかない。10数人の役者に混じって、僧の衣装をつけ頭巾で顔を隠した勝さんは、嬉しそうに武蔵と闘って斬られていた。もちろんお客さんは、その他大勢の役者の中に勝新太郎がいるとは気付かない。中村嘉津雄さんは、迷惑だったに違いない。
 だが、やはりこの人はただでは引っ込まない。中央に、大きな滝のセットがある。その右側の少し高くなった岩場に、武蔵が立ち二刀流の剣を振りかざして、大きく見栄をきる。ラストの決めのポーズだ。その足元には、斬られた僧兵がごろごろと転がっている。勝さんも当然そこに倒れているのだが、武蔵のポーズが決まった瞬間にむっくりと起き上がった。
「えっ?!」
 私もスタッフも、そこにいた全員が息を呑んだ。

 勝さんは、舞台の上に落ちていた長槍を拾い、ぐわんぐわんと回しながら滝の左側へひらりと飛び移った。そして、滝の上方で立ち尽くす武蔵に、スローモーションのようにゆっくりと狙いを定めて、低く鋭く槍を構えた。それは激しく落ちる滝を挟み、あたかも二匹の龍と虎が睨み合っているような、壮絶なシーンになった。時が止まったようだった。凄惨なまでの美しさ。研ぎ澄まされた武蔵の精神が、場面全体にくっきりと浮き彫りになったような一瞬だった。
 ここで、エンディングのテーマ音楽が鳴り、緞帳が静かに下りた。袖で見ていた全ての人が、その瞬間、腰が砕けたようにへたり込んでしまった。

 アドリブでここまでやってしまうのである。力のある役者は、こうして自分を生かし相手役も自分の存在そのもので生かすことが出来るのだった。旅の間中、この天才の技を幾度も堪能させてもらった。

 公演も終盤を迎えたある日、勝さんからホテルのラウンジに来るようにと呼び出しが掛かった。
「え? 私だけ? まずい。芸能界、怖い」
 緊張して出掛けた私の眼に、ぽつんとひとりでお酒を飲んでいる勝さんが映った。いつも沢山の人に囲まれていた勝さんが、ひとりぼっちでいるのを見たのは、その時が初めてだった。私を見つけると、手招きをして自分の横に座れと言う。怖いことになった。センセイなにをする気なんだと硬直していると、次々に「売られて行く貧しい娘」のメンバーがやって来た。そりゃそうか。私一人のはずがない。
 勝さんは、ちょっと寂しかったらしい。私たち女の子を相手に大いに歌い、飲み、踊った。夜も更けてきた頃、唐突に尋ねられた。
「お前、彼氏はいるのか?」
 聞かれた人達はみんな、すんなりと「います」と答えた。困った。私は当時、自分のことにいっぱいいっぱいで恋愛をする余裕はなかった。余裕で恋愛をするものではないと思うけれど、とにかくそんな相手はまったくいなかった。私以外のひとはみんな、「いる」と答えている。

「雅美(私の本名)お前はどうなんだ?」
 あぁ…まずい…
「い、います」
 張らなくていい見栄を張ってしまうのである。勝さんは大きなキラキラした眼で、私の眼をじっと見てふっと笑ってこう言った。

「神様ってやつぁ、良くしたもんだなぁ…」

センセイ… それ、どういう意味ですかぁ… 勝さんは声を上げて笑っていた。

 1997年6月21日、勝新太郎さんはこの世を去った。享年65。
 不世出の役者だった。ちんまりとまとまって来た芸能界に、勝さんは収まりきらなかった。それくらい大きな存在だった。

「心の地面はいつでもやわらかくしておけよ」
 あの渋い声が聞こえて来る。

「地中深く眠るマグマのようにグラグラ、フツフツと動かしておくんだ。
とてつもないものが、そこから飛び出してくる可能性があるから。
カチカチに固まった地面からは何も生まれては来ないんだよ」

 18歳からの数年間、ほんの少しでも同じ時間を生きる事が出来た。
幸せだったと思う。私にとっては今でも、役者・勝新太郎は、優しくて偉大で寂しがりやな「勝センセイ」なのだ。

 センセイ、あれから随分たくさんの時間が流れました。ほんとうに、神様ってやつぁ良くしたものみたいです。役者としては上手く行かなかったけれど、私、なんとか元気にやってます。

 センセイ、いい作品、撮れてますか?
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