第6話 とびら② ~小さな声(カウンセリングルームにて)~

文字数 1,983文字

 何の進展もないまま、カウンセリングは三回目を迎えていた。

 料金を払って身の上話をする行為が、実りのない無駄な時間を過ごしているように思えて虚しかった。Kさんはいつも穏やかで、時々好きなCDをかけたりしながらリラックスした雰囲気を作り、私と時を過ごしている。

 帰りたい…

 そういえば、昨夜は一睡も出来なかった。一晩中、唸された。相当限界に近付いているなと思う。一刻も早くこの状態から抜け出したかった。いつの間にかKさんは、自分の生い立ちを楽しそうに語り出した。彼の言葉が、意味のない音になって私の周りを通り過ぎて行く。頭は朦朧としていた。

「あれ?どうしたんだろう!」

 突然、私の意志とは関係なく上半身が前屈みに倒れてしまった。Kさんも、いきなり深くお辞儀をされたので驚いて話を止めた。悲しくもないのに涙がぼろぼろとこぼれてくる。戸惑う気持ちとは裏腹に、ついに私はその姿勢のままごうごうと泣き出してしまった。

「泣いてる…どうして…?」

 人前で号泣しているのに、その理由が自分でも解らない。この様子をしばらく見守っていたKさんが問いかけた。

「何か言いたいことがありますか?」
「別に、ありません…」

 そう言おうとした。だが、私の口から飛び出した言葉は思いがけないものだった。

「わたし… わたし… いもうとを、ころしました」

 凍りついた。自分が何を言っているのか理解出来ない。

「わたしが、妹を殺しました…」
「どういう意味ですか? 説明してもらえますか」

 Kさんは静かな口調で聞いた。

「今、何か見えていますか? そのまま言葉にしてみて下さい」

 私は目を閉じた。光をおびた映像が鮮やかに浮かび上がる。

「まど。窓が見える」

 闇の中のとびらが音を立てて開いた。

 あれは、五歳年下の弟が生まれる以前のことだ。私は四歳。二歳になったばかりの妹とアパートの二階の部屋で遊んでいた。母は近所のおばさんと庭先で立ち話をしている。いつもと変わらない穏やかな午後だった。母のはずんだ笑い声が聞こえた。妹と私は顔を見合わせ窓辺に駆け寄った。

 母の笑顔が見たかった。

 窓には網戸が張られていたが、その先は遮る物がなにもなくアパートの庭がよく見渡せた。妹とふたりで踏み台を置き、網戸に寄りかかって下を見た。

「おかあさ~ん」
 ふたりで声を合わせて呼びかけた。母の返事が聞こえなかったので、私はさらに網戸に体重をかけた。その時カタンと乾いた音が響いた。
 一瞬の出来事だった。
 網戸が窓枠ごと外れて下に落ちた。身体のバランスを崩したものの、辛うじて体勢を立て直した私の耳に、母の悲鳴が飛び込んで来た。

「おくさん!救急車!!救急車呼んでー!!」
 
 隣にいたはずの妹は網戸と共に頭から落下、地面に叩きつけられていた。

「大変なことをしてしまった…」

 胸の鼓動が痛いほど早くなっている。救急車のサイレンの音、妹の名を叫び続ける母、人々のざわめき、走り回る足音。記憶の断片が渦を巻いて私の周りを回り出す。
 妹は意識が戻らぬまま、翌日息をひきとった。冷たくなった妹の身体、葬儀の準備、近所の人のお悔やみ、火葬場で人が焼かれるという事実、泣き崩れる父。

「私も一緒に行く!連れてって!」

 取り乱し棺の中に入ろうとした母。どれもこれも、私が引き起こしたことでやって来たものだった。
 ごめんなさい、ごめんなさい。
 どうしよう…どうしよう…
 事態があまりにも大き過ぎて、小さな私には受けとめられない。泣くことすら出来なかった。

「わたしが妹を殺しました」

 それは当時四歳の私が、言葉にすることが出来なかった罪の意識だった。
自分のせいで妹が死んだのだ。今ここで泣いているのは、まぎれもなく四歳の私だった。自分の苦しみの原点がここにあるとは思いもしなかった。心の奥で、置き去りにされたあの頃の私が助けを求めて泣いていた。

 私たちは目の前でかけがえのない存在を失った。
 ごめんね。助けてあげられなかった。ごめんね…
 涙が止まらなかった。

「おねえちゃん…」

 その時、ふいに小さな女の子の声が聞こえた。私のすぐ横に座っている。

「おねえちゃん…」

 妹だ。妹の声が聞こえる。姿は見えないが、そこには確かに妹がいる。

「す、すみません…い、妹の声が聞こえたような気が…」
 動揺した私は、机に突っ伏した姿勢のまま叫んだ。
「あ…妹さん来てますか。何かおっしゃってますか?」
 Kさんは当たり前のように平然と言う。
「え? あ、いえ、気のせいです。たぶん」
 霊感は強い方ではないし、こんなことが現実にあるはずがない。
 
「いや、ちゃんといらしてますよ。妹さんの言葉を聴いてあげましょう」
 
 Kさんは子供に話し掛けるように言った。覚悟した。このまま行ける所まで行こう。何が起きるのか見てみよう。私は目を閉じて、耳を澄ました。

「おねえちゃん…泣かないで…」

(つづく)
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