第17証言 チープトークと男女の争い
文字数 4,864文字
第17証言 チープトークと男女の争い
「あいつは……親父の部下だったんだ。親父は自分にとって邪魔なやつをことごとく殺しちまって、それでこの国を獲ったもんだから随分と恨まれてた。
けど、ハートのジャックの存在だってあたいは親父から聞かされたことしか知らねえ。あれは伝説みたいなもんで……」
レッドローズはそう証言した。これまで直接会ったことはないらしい。
そしてこう続けた。
「……月乃さんの件が暗殺じゃねえってことは確かだけど、考えてみりゃ殿下だって依頼されるかもしれないのは嫌だよな、
もしそんな容疑でハートのジャックが捕まった日にゃ、やっぱりあたいは馘首 になるのか?」
俺はレッドローズに冗談めかしていった。
「『俺もハートのジャックに依頼される』か、確かになあ。なぜか落馬するくらいだし」
と。もちろん落馬の話はただの作り話だ。レッドローズはすぐに言葉を続けた。
「それならあたいがハートのジャックを見つけだしてやる! それで殿下に迷惑を掛ける前に、あいつを牢屋にでも閉じ込めちまえば良いんだ。だろう!?」
そう決意をしてくれたのはありがたいことだ。俺もマーリンにハートのジャックの情報を集めさせてはいるが、どう考えても人手が足りてない。
「じゃ俺も用心しておこう。そいつの外見的特徴はわかるか?」
と訊ねる。姿を知っておけば何食わぬ顔をして近づかれるリスクもないだろう。レッドローズは一旦は答えに窮するが、やがて思い出した。
「分からねぇ…否 、赤い髪と赤い目だ。親父が、あたいと同じ色の髪と目をしてるってぽつりと喋ってたことがあるから」
「それは見つけやすそうだな。ところで、大マジで一度も会ったことがないのか? この国から逃げたって、一体いつの話なんだ?」
「あたいの親父が死んだとき、ハートのジャックも行方を晦ましたんだ」
ハートのジャックはあくまでレッドローズの父親に忠誠を誓った臣下で、政敵を次々と暗殺する物騒な女王様という取沙汰は、
父親のイメージと娘のそれを混同したいい加減なものだということらしい。
これまでの説明からはそう聞こえる。
しかし父親の臣下だから父親の死と同時に行方がわからなくなるなんて、そんな都合がいいことがあるだろうか。むしろ――
「――ハートのジャックがお前の親父を殺して逃げたって可能性はないのか?」
「否 、親父が死んだ日は暴動があって、それでレジスタンスにやられちまった。多分、それだけだよ」
「直截確かめたわけでもないだろう」
「そりゃ……」
レッドローズはじっと考え込む。ハートのジャックがレッドローズの父親を弑逆して逃げたという説は、根拠があるわけではない。
与太話だ。はっきりいって、デマだ。しかしなぜレッドローズは疑ってみないのだろう? みずからに対して一度も顔を見せたことがない、さして信用の置けない人物であるはずなのに。
まあいい。俺は独りで散策するといって応接室を出ようとした。レッドローズがあわてて
「おっ…おい今夜のパーティの話がまだ終わってない――…」
と声掛けしたような気もするが、どうせもうじきにパーティは始まるのだし、別段気兼ねしないことにする。
米
廊下を歩きながら俺はすっかりうなだれていた。この異世界 の月乃が病気だったという説が出てきたからだ。その概念は俺の中で無力感とわかちがたくリンクしている。
剣と魔法、自由と希望に溢れたこの宇宙でさえ、現実世界と同じ理不尽から逃れられなかった月乃。
そんな悲しいことがあっていいのか。いや、納得できないのはむしろ、異世界の月乃が以前の俺に病気のことを隠していたということかもしれない。
異世界の月乃と別人の俺。もはや無関係な赤の他人の事情にすぎないのだが、それでも心配されたくないと隠すよりは、悲しくても打ち明けて欲しかったじゃないか?
だって、いつまでも何も存ぜぬまま居られるならいいが、隠し通していても、どうせいつかもっと悲劇的な知らせに見舞われるだけなのだから。
なのに月乃は俺に病気のことを隠して、しかもあの日戦場へ行ったという。はっきりいって俄には信じがたい。
あの日、月乃の体はもう限界に達していたのか。そこまで無理をしても心配を掛けさせたくなかったなんて、逆に信頼関係が無かったんじゃないかとすら思えてしまう。
暗い廊下を歩きながらそのことについて考えていると(パーティーがもうすぐだということも重ね合わせで同時に考えていた)、第八王妃のイストワールと出くわした。
「主上よ、何くれか悩んでおいでかの? なにゆえ大広間とは真逆の方向へ向っておるのじゃ?」
異様に古風な喋り方をするように見える言語変種を選択しているイストワールに対して、俺は真面目に考察することすら放棄して直路に議題をぶつけた。
「月乃は殺されたと思うか?」
「もちろん吾はそう考えておるよ。戦場で、他に何があろうぞな」
「あ、そうだよな。戦場で死んだってきいて他に何があるんだって話だ」
イストワールの受け答えがまともだった。イストワールは反問した。
「主上よ、レッドローズ妃と先刻、何をか話して居られたのじゃ?」
「ああ、そうだ、レッドローズから聴いたんだよ、月乃は病気だったって。それも現実世界の推移からいって、命に関わるものだった」
イストワールは驚いて目を瞠った。しかしそれは全く別の理由によるもので。
「吾はその由も識っておるが月乃は魔術師ぢゃ。あれほど膨大な魔力を以て、病など忽ち快癒せるに決まっておるよ」
俺はその発言に飛びついた。
「それじゃ月乃の病気は治せるものだったって言うのか? あんたは魔術師らしいから告 せるけど、現実世界 での月乃は病死してるんだぞ?」
女王であり魔術師でもあるイストワールの見解では、月乃レベルの魔力があれば病気なんてすぐに治るに違いないと言う。
というよりむしろ月乃が病気をしたことも知っていて、なおかつ全然問題なかったといっている話じゃないのか? これは。
「然 り。吾が太鼓判を押してもよい。あれほどの魔術師であった月乃が、病で落命するなど有りえぬと」
俺はそんな呑気なことを保証するイストワールに
「じゃあその最強レベルの魔術師だった月乃が、なんであの日に普通の戦場で歿したんだよ?」
と激しく詰め寄った。
「古人の云けらく、弘法も筆の誤りとかや」
返ってきた答えはそんなものだった。
「イストワール、俺は、正直いっていますごく翻訳魔術に頼りたい気分だよ」
不躾かもしれないが、もしかしたらと思ってお願いしてみる。がイストワールは否定的な見解を示した。
「辞 や、そのような高等魔術は吾の手に余るぞよ。しか、何ゆえじゃ?」
俺はゆっくりと首を横に振った。諦め顔で。そうして復唱めいて独白した。
「月乃の病気は治るものだった。現実世界では不治の病でも、この異世界では致命的じゃなかったんだな?」
だとしたら、もし病がいっときだけで恢復しうるものなら、余計な心配をかけたくないからと俺に秘密にしておくこともあったかもしれない。
完治する見込みがあるからこそ、月乃は秘密にしておいた――正しく可能世界のひとつだ。それなら辻褄が合う。
その覃思を横から見て、
「それ程までに気がかりなれば、月乃の主治医をじかに問うてみるがよかろう」
とイストワールはアドバイスする。当たり前のようにだ。
「月乃の主治医って、誰か知っているのか!?」
こっちはびっくりだった。イストワールいわく、
「吾が国にも杏林 はあまた居りけるものを、なべて名醫にあらざりければ、インテンジアのザシチタが主治医を務めたるは通計にて言うも疎かと思ゆるよ」
と。しょうがないので手ずから翻訳すると、イストワールの国には優秀な医者が居なかったので、インテンジアという国からザシチタという名医が選ばれて月乃の主治医に執 いたのを、
わりと有名な話として認知しているということだ(たぶん)。インテンジアは第四王妃ルカの治める国だから、俺はすぐさま薔薇庭園で会ったルカの風姿を思い出し、
あいつにザシチタという人物を問い合わせようと即決した。
「ありがとうイストワール。よいパーティを!」
「あなや、主上――――」
イストワールは名残惜しくまだ何か話したげだったが、どうせダンスのことだろうと思ったので別段気兼ねしないことにする。
米
「ルカ……ザシチタ……」
城内の回廊を亡霊のようにそう呟きながら彷徨っているところをシンディに保護された。
「旦那様、もうそろそろパーティの礼服へお着替えになってください。衣装部屋はこちらです」
いわれて案内されて、どうやら俺は全然見込み違いの方角を歩いていたことに気づいた。いやはや後ろ頭をかきながら、面映い面体でシンディ付従者の侍っている部屋の大きな古い木の扉をくぐる。
衣装部屋といって大の男が着替えるんだから独りにして欲しかったが、しかしシンディは俺が言われるがまま用意された衣装に着替えるあいだ、衝立の向こうから絶えず話しかけてきた。別に良かったが。
「旅の目的は果たせましたでしょうか?」
「そこそこ。もしかしたら俺は、王妃たちを疑わなくて済むかも知れない」
「それは、どういうことでしょう?」
「月乃は病気で医者にかかってたらしい。シンディは何も知らなかったのか?」
「ええ、私 は……」
こんな会話にこそ付き合ってくれてるが、ほんとはシンディはもっと違うこと、たとえば今夜最初にダンスをする相手が誰かについて確かめたいんだろうな、なんてずっと考えていた。
そこで俺はふと突然空中に言葉を出現させるかのように
「ダンス」
とだけ言った。軍人将棋のようにたてられた衝立の向こう側で気を揉んでいたシンディが過敏に反応したのがわかる。俺は続ける
「記憶喪失……じゃなくて、現実世界から召喚されてきた俺には、貴族のダンスは踊れない。シンディは知ってるだろう? だから今夜のパーティは……」
「旦那様、練習しましょう」
「へ? 練習って今からか?」
流石に無茶である。辺りのこの暗さ、時計を見てない俺にだって解かる、もう宴が開催される定刻まで数分もないのだと。
だが「踊ってほしい」というこれは、シンディからのアプローチなのだ当然に。何かと理由をつけて、私と踊りませんかと、そういうことだ。
「シンディ、諦めよう」
おれはそっと告げてやった。他の王妃たちとは違って、シンディには最初から解っていたはずだ、いまの俺がダンスなんて踊れる状態にはないことを。
社交ダンスというのはまずダンス教室に通って、「痴人の愛」みたくそこで教える西洋人のご婦人相手に恋をしてみたり、努力をしたり、血の滲む思いをしたりしてやっと習得するもので、
以前の俺もそうやって習得したことだろう。そのノウハウが完全にないので、今宵は誰とも踊ることはできない。無根拠な噂などほっておけばいい。
「いいえ、兎に角練習をしましょう。少しくらい時間に遅れても、良いではありませんか」
シンディは衝立を越えてこちら側に入ってきて熱っぽく説いた。まったきほどにあきらめている俺とはとても対照的である。
「や、まあ…みっともないって言うなら、ごめん。だが俺は王だぜ? 踊りたくないときは、踊らないんだよ。それでよくないか?」
「いいえ、いけません。パーティのしきたりが………」
シンディはそっと俺の肩に手をかけてきた。俺は憮然としてその手を払いのける。断固とした態度だ。
「もう御為ごかしは沢山だよ、シンディ。服はこれでいいのか?」
俺は少し睨みつけ、それだけ問う。シンディは悄然となって答えた。
「はい、問題ありません……」
「ありがとう。じゃ、次は会場で会おうか」
俺は一方的に約束をとり交わしてそのまま部屋から出ていった。大広間の入口までシンディと並んで歩くこともなしに。
部屋に残してきた彼女は一体どんな顔をしていただろう。やっぱり一緒に踊りたかったのだろうな。悪いことをしたな。
そんな後ろ髪引かれる思いもあったが、また機会もあるだろうことだし、別段気兼ねしないことにする。
「あいつは……親父の部下だったんだ。親父は自分にとって邪魔なやつをことごとく殺しちまって、それでこの国を獲ったもんだから随分と恨まれてた。
けど、ハートのジャックの存在だってあたいは親父から聞かされたことしか知らねえ。あれは伝説みたいなもんで……」
レッドローズはそう証言した。これまで直接会ったことはないらしい。
そしてこう続けた。
「……月乃さんの件が暗殺じゃねえってことは確かだけど、考えてみりゃ殿下だって依頼されるかもしれないのは嫌だよな、
もしそんな容疑でハートのジャックが捕まった日にゃ、やっぱりあたいは
俺はレッドローズに冗談めかしていった。
「『俺もハートのジャックに依頼される』か、確かになあ。なぜか落馬するくらいだし」
と。もちろん落馬の話はただの作り話だ。レッドローズはすぐに言葉を続けた。
「それならあたいがハートのジャックを見つけだしてやる! それで殿下に迷惑を掛ける前に、あいつを牢屋にでも閉じ込めちまえば良いんだ。だろう!?」
そう決意をしてくれたのはありがたいことだ。俺もマーリンにハートのジャックの情報を集めさせてはいるが、どう考えても人手が足りてない。
「じゃ俺も用心しておこう。そいつの外見的特徴はわかるか?」
と訊ねる。姿を知っておけば何食わぬ顔をして近づかれるリスクもないだろう。レッドローズは一旦は答えに窮するが、やがて思い出した。
「分からねぇ…
「それは見つけやすそうだな。ところで、大マジで一度も会ったことがないのか? この国から逃げたって、一体いつの話なんだ?」
「あたいの親父が死んだとき、ハートのジャックも行方を晦ましたんだ」
ハートのジャックはあくまでレッドローズの父親に忠誠を誓った臣下で、政敵を次々と暗殺する物騒な女王様という取沙汰は、
父親のイメージと娘のそれを混同したいい加減なものだということらしい。
これまでの説明からはそう聞こえる。
しかし父親の臣下だから父親の死と同時に行方がわからなくなるなんて、そんな都合がいいことがあるだろうか。むしろ――
「――ハートのジャックがお前の親父を殺して逃げたって可能性はないのか?」
「
「直截確かめたわけでもないだろう」
「そりゃ……」
レッドローズはじっと考え込む。ハートのジャックがレッドローズの父親を弑逆して逃げたという説は、根拠があるわけではない。
与太話だ。はっきりいって、デマだ。しかしなぜレッドローズは疑ってみないのだろう? みずからに対して一度も顔を見せたことがない、さして信用の置けない人物であるはずなのに。
まあいい。俺は独りで散策するといって応接室を出ようとした。レッドローズがあわてて
「おっ…おい今夜のパーティの話がまだ終わってない――…」
と声掛けしたような気もするが、どうせもうじきにパーティは始まるのだし、別段気兼ねしないことにする。
米
廊下を歩きながら俺はすっかりうなだれていた。この
剣と魔法、自由と希望に溢れたこの宇宙でさえ、現実世界と同じ理不尽から逃れられなかった月乃。
そんな悲しいことがあっていいのか。いや、納得できないのはむしろ、異世界の月乃が以前の俺に病気のことを隠していたということかもしれない。
異世界の月乃と別人の俺。もはや無関係な赤の他人の事情にすぎないのだが、それでも心配されたくないと隠すよりは、悲しくても打ち明けて欲しかったじゃないか?
だって、いつまでも何も存ぜぬまま居られるならいいが、隠し通していても、どうせいつかもっと悲劇的な知らせに見舞われるだけなのだから。
なのに月乃は俺に病気のことを隠して、しかもあの日戦場へ行ったという。はっきりいって俄には信じがたい。
あの日、月乃の体はもう限界に達していたのか。そこまで無理をしても心配を掛けさせたくなかったなんて、逆に信頼関係が無かったんじゃないかとすら思えてしまう。
暗い廊下を歩きながらそのことについて考えていると(パーティーがもうすぐだということも重ね合わせで同時に考えていた)、第八王妃のイストワールと出くわした。
「主上よ、何くれか悩んでおいでかの? なにゆえ大広間とは真逆の方向へ向っておるのじゃ?」
異様に古風な喋り方をするように見える言語変種を選択しているイストワールに対して、俺は真面目に考察することすら放棄して直路に議題をぶつけた。
「月乃は殺されたと思うか?」
「もちろん吾はそう考えておるよ。戦場で、他に何があろうぞな」
「あ、そうだよな。戦場で死んだってきいて他に何があるんだって話だ」
イストワールの受け答えがまともだった。イストワールは反問した。
「主上よ、レッドローズ妃と先刻、何をか話して居られたのじゃ?」
「ああ、そうだ、レッドローズから聴いたんだよ、月乃は病気だったって。それも現実世界の推移からいって、命に関わるものだった」
イストワールは驚いて目を瞠った。しかしそれは全く別の理由によるもので。
「吾はその由も識っておるが月乃は魔術師ぢゃ。あれほど膨大な魔力を以て、病など忽ち快癒せるに決まっておるよ」
俺はその発言に飛びついた。
「それじゃ月乃の病気は治せるものだったって言うのか? あんたは魔術師らしいから
女王であり魔術師でもあるイストワールの見解では、月乃レベルの魔力があれば病気なんてすぐに治るに違いないと言う。
というよりむしろ月乃が病気をしたことも知っていて、なおかつ全然問題なかったといっている話じゃないのか? これは。
「
俺はそんな呑気なことを保証するイストワールに
「じゃあその最強レベルの魔術師だった月乃が、なんであの日に普通の戦場で歿したんだよ?」
と激しく詰め寄った。
「古人の云けらく、弘法も筆の誤りとかや」
返ってきた答えはそんなものだった。
「イストワール、俺は、正直いっていますごく翻訳魔術に頼りたい気分だよ」
不躾かもしれないが、もしかしたらと思ってお願いしてみる。がイストワールは否定的な見解を示した。
「
俺はゆっくりと首を横に振った。諦め顔で。そうして復唱めいて独白した。
「月乃の病気は治るものだった。現実世界では不治の病でも、この異世界では致命的じゃなかったんだな?」
だとしたら、もし病がいっときだけで恢復しうるものなら、余計な心配をかけたくないからと俺に秘密にしておくこともあったかもしれない。
完治する見込みがあるからこそ、月乃は秘密にしておいた――正しく可能世界のひとつだ。それなら辻褄が合う。
その覃思を横から見て、
「それ程までに気がかりなれば、月乃の主治医をじかに問うてみるがよかろう」
とイストワールはアドバイスする。当たり前のようにだ。
「月乃の主治医って、誰か知っているのか!?」
こっちはびっくりだった。イストワールいわく、
「吾が国にも
と。しょうがないので手ずから翻訳すると、イストワールの国には優秀な医者が居なかったので、インテンジアという国からザシチタという名医が選ばれて月乃の主治医に
わりと有名な話として認知しているということだ(たぶん)。インテンジアは第四王妃ルカの治める国だから、俺はすぐさま薔薇庭園で会ったルカの風姿を思い出し、
あいつにザシチタという人物を問い合わせようと即決した。
「ありがとうイストワール。よいパーティを!」
「あなや、主上――――」
イストワールは名残惜しくまだ何か話したげだったが、どうせダンスのことだろうと思ったので別段気兼ねしないことにする。
米
「ルカ……ザシチタ……」
城内の回廊を亡霊のようにそう呟きながら彷徨っているところをシンディに保護された。
「旦那様、もうそろそろパーティの礼服へお着替えになってください。衣装部屋はこちらです」
いわれて案内されて、どうやら俺は全然見込み違いの方角を歩いていたことに気づいた。いやはや後ろ頭をかきながら、面映い面体でシンディ付従者の侍っている部屋の大きな古い木の扉をくぐる。
衣装部屋といって大の男が着替えるんだから独りにして欲しかったが、しかしシンディは俺が言われるがまま用意された衣装に着替えるあいだ、衝立の向こうから絶えず話しかけてきた。別に良かったが。
「旅の目的は果たせましたでしょうか?」
「そこそこ。もしかしたら俺は、王妃たちを疑わなくて済むかも知れない」
「それは、どういうことでしょう?」
「月乃は病気で医者にかかってたらしい。シンディは何も知らなかったのか?」
「ええ、
こんな会話にこそ付き合ってくれてるが、ほんとはシンディはもっと違うこと、たとえば今夜最初にダンスをする相手が誰かについて確かめたいんだろうな、なんてずっと考えていた。
そこで俺はふと突然空中に言葉を出現させるかのように
「ダンス」
とだけ言った。軍人将棋のようにたてられた衝立の向こう側で気を揉んでいたシンディが過敏に反応したのがわかる。俺は続ける
「記憶喪失……じゃなくて、現実世界から召喚されてきた俺には、貴族のダンスは踊れない。シンディは知ってるだろう? だから今夜のパーティは……」
「旦那様、練習しましょう」
「へ? 練習って今からか?」
流石に無茶である。辺りのこの暗さ、時計を見てない俺にだって解かる、もう宴が開催される定刻まで数分もないのだと。
だが「踊ってほしい」というこれは、シンディからのアプローチなのだ当然に。何かと理由をつけて、私と踊りませんかと、そういうことだ。
「シンディ、諦めよう」
おれはそっと告げてやった。他の王妃たちとは違って、シンディには最初から解っていたはずだ、いまの俺がダンスなんて踊れる状態にはないことを。
社交ダンスというのはまずダンス教室に通って、「痴人の愛」みたくそこで教える西洋人のご婦人相手に恋をしてみたり、努力をしたり、血の滲む思いをしたりしてやっと習得するもので、
以前の俺もそうやって習得したことだろう。そのノウハウが完全にないので、今宵は誰とも踊ることはできない。無根拠な噂などほっておけばいい。
「いいえ、兎に角練習をしましょう。少しくらい時間に遅れても、良いではありませんか」
シンディは衝立を越えてこちら側に入ってきて熱っぽく説いた。まったきほどにあきらめている俺とはとても対照的である。
「や、まあ…みっともないって言うなら、ごめん。だが俺は王だぜ? 踊りたくないときは、踊らないんだよ。それでよくないか?」
「いいえ、いけません。パーティのしきたりが………」
シンディはそっと俺の肩に手をかけてきた。俺は憮然としてその手を払いのける。断固とした態度だ。
「もう御為ごかしは沢山だよ、シンディ。服はこれでいいのか?」
俺は少し睨みつけ、それだけ問う。シンディは悄然となって答えた。
「はい、問題ありません……」
「ありがとう。じゃ、次は会場で会おうか」
俺は一方的に約束をとり交わしてそのまま部屋から出ていった。大広間の入口までシンディと並んで歩くこともなしに。
部屋に残してきた彼女は一体どんな顔をしていただろう。やっぱり一緒に踊りたかったのだろうな。悪いことをしたな。
そんな後ろ髪引かれる思いもあったが、また機会もあるだろうことだし、別段気兼ねしないことにする。