第7証言 ハートのジャックの余罪
文字数 4,797文字
『チェンジリング・リバース――チェンジリングは無二の禁呪であるが、その派生魔術と呼べるものも少なからず存在する。
人間から妖精を作り出すものがチェンジリングとすれば、本人と妖精を入れ替える術がチェンジリング・リバースである。つまり、妖精と本人の宇宙における立場をそっくり入れ替えてしまう。
召喚術についての一般的知識を有する者であっても、この術の意義と存在について熟知している者はほとんどいない』
――『フォークの魔女とソフィアたちの飢餓』より
第7証言 ハートのジャックの余罪
「やあシンディ、おはよう!」
明るく挨拶をする。明くる朝が巡ってきて、俺は無意味に気分もすぐれていた。
「おはようございます。旦那様」
応答するこの妃はシンディ、ファミリア連合国の第二王妃である。こっちに来てから(一日前のことだ)というもの、俺のことを一貫してサポートしてくれてる、しっかり者で頼もしい存在である。
「なあシンディ、俺って王様 なんだし、結構なわがままを言ってもいいよな?」
俺はもう一人の自分から、このファンタジーワールドにおける一国の国王という地位を受け継いでいた。チェンジリングの魔法によって、その俺はいま現実世界にいて俺を満喫している(、はずだ)。
「はい、受け入れられる範囲なら、旦那様の望みを何でも聞き入れましょう」
どうやらシンディは手伝ってくれるようだ。本当にいい娘で助かる。頼みはこうだった。
「月乃が一年前に消息不明になった場所、レーテーの峡谷を見に行きたい。いいか? ひとりじゃ無理そうなんだが」
俺は月乃のことをまだ諦めてはいなかった。だから探してみたい。彼女が居なくなった場所。月乃がこのフォークにいたという形跡を、少しでもこの目で確認したい、
あと、この世界に広がっている風景も見たいなんていう少々の下心も兼ねて、レーテー峡谷までの小旅行を提案したのだ。
「お安い御用です。数日中に馬車を手配しますね」
「まじか。ありがとう!」
シンディの譲歩によって交渉はうまくまとまった。そこに起き抜けのスノウがあらわれた。
「ふわぁ。あらご機嫌麗しゅう。陛下様、ご一緒に朝食でもいかがですの?」
スノウはファミリア国の第一王妃で、ちょっと嫉妬深くて被害妄想の激しいところはあるものの(自分以外の王妃を全員処刑しろだとか)、
でも、基本的には俺のことを想ってくれている良いやつだ。奴さん今朝も純白のドレスを着ていた。
「スノウ、おはよう。俺は月乃について調べようとしてるんだけど」
*それに対するあまりスノウの反応は薄かった。平素と変わらぬとり澄ました表情でしらをきっている。俺には昨夜から気になっている議題があった。
シンディの「この世界の月乃を葬ったのは8人の女王のうちの誰かかもしれない」という報告だ。だから借問した。
「月乃の死について、何か知ってることはないか?」
それに対して、スノウはよどみなく受け答えしていわく、
「夭折されましたわね。とても残念でした、すごく有能な方でしたから。それにとてもびっくりしました、あまりにも突然でしたから」
「そっか。知らないんだな。よかった。もしお前がそんなことに少しでも関わってたなら、俺は一生お前を許さないところだった」
そう言ったときスノウの顔に生じた微細な変化を俺は見逃さなかった。
「………おい」
「は、はい。」
「ところで昨日、自分以外の王妃は全員邪魔だみたいなこと言ってたが、どうして月乃だけは特別なんだ? もしかしてあいつのことも邪魔だったんじゃないのか?」
「……ぎくり」
「ぎくりじゃねぇ!」
俺は本気で腹を立ててた。やっぱり月乃のことを邪魔だと思ってたんだ、じゃあ何かしら暗殺計画に関わっていてもおかしくはない。
月乃がこの世からいなくなったとはまだ限らないけど、一種謎めいた消息不明になっている経緯を一番知ってそうなのは、やはり暗殺の首謀者とその周辺だろう。
だったらそこを引っ張り出せばいい。何としてでも真相を突き止めてやるつもりだ。
「なあシンディ。この城に拷問部屋ってあるか?」
俺は冷然と振り返って訊いた。もしあったとして、一国の王女をそんな部屋に連れ込めるのかは疑問だが、しかし半分は本気だ。スノウは動揺しながら懇願する。
「い、言っておきますけど妾はか弱いですから、あんまりハードなプレイはできませんのよ?」
「だまれよ。お前は月乃のことが邪魔だったんだろ!」
俺は問い詰めながら、あとずさるスノウを壁際にまで追い込んで行くと、スノウは慌てたように弁解した。
「陛下様はふたつ、大きな勘違いをしておられますの。ひとつは月乃様のことを疎ましく思う立場にあったのは、
妾たち8人の王女全員だったということ――もちろんそこに立っているシンディとて例外ではありませんわ。
そしてふたつめは、妾が信じられないのは陛下様以外の人物全員ということ、別に月乃様だけが特別疎ましかったわけではありませんもの」
「つまり月乃は全員から恨まれてたし、お前はそもそも全員を恨んでたから可能性は低いってわけか? あれ? シンディも月乃を恨んでた……?」
俺がその言葉に引っかかりを覚えていると、後ろからシンディがあわててアナウンスした。
「旦那様。ただいま拷問部屋の予約が整いました。地下牢までご案内いたします」
「陛下様! あの失礼な女を即刻に塔の処刑部屋まで連れて行ってくださいまし!」
俺はふたりを交互に見つめた。もし俺の人生がギャルゲーだったらここで「A:拷問部屋 B:処刑部屋」みたいなメッセージが出る局面だが、選択肢が不吉すぎるだろ。
シンディが俺の服の袖を引き引き報告した。
「旦那様。拷問部屋の鉄板を温めておきましたから、お部屋のほうは温かいですよ。はやく行きましょう」
このようにシンディがスノウを拷問部屋に送ろうとしているのは私怨か、それとも職務への忠実さゆえか、その表情からは何とも伺えない。俺はスノウに対して銜めるように言い聞かせた。
「なあスノウ、事件について知ってることを全部喋ってくれたら、俺は許さないなんて言わないよ。スノウのことは面白くて結構好きだし、それほど悪いやつだとも思ってないしな。
要するに、いま持っている限りの情報を何でも良いから提供して欲しいんだ。できるか?」
その厳たる態度に気圧されてか(自分で言うとか何でも有りだが)、渋々といった感じでスノウは口を割った。
「――『ハートのジャック』ですわ。あの事件について妾の何か知っていることといったら、それだけ」
「ハートのジャック……誰だ? ほかの女王じゃなさそうだし、事件の実行犯のことか?」
「妾も、何のことだかさっぱり……けれどハートのジャックが犯人だったら、素晴らしいことじゃありません? 妾は無実ですもの。ね?ね?」
と、スノウは許されしなそう燥いだ。俺は曖昧に済ましつつ、何とか手掛かりも手に入ったし、あとは一刻もはやくレーテーの峡谷に向かうことだと考えていた。
あれ、でもこれって別にスノウが許される理由なんてないんじゃないか? ハートのジャックのことも知っていて、ますます怪しくなってきたわけだし。
「よし。とにかく拷問だ、拷問にかけよう」
シンディはそれを聞いていよいよ浮き足立った。
「陛下様!? そんな! お約束はどうなりますの!?」
スノウがそう叫んだので「誤解させてしまって申し訳ない」と弁解するべきか迷ったが、
「さあ、諦めましょうスノウ」
逡巡するまえにシンディがみずからスノウの腕を掴んで引き立てようとする。触るなといってスノウは暴れる。もう大騒ぎだ。この混乱をしばらく眺めてからあと、俺はいった。
「もういい。もういいよ、そのくらいで。ただし今回の旅行にスノウはついてくるなよ。いいな?」
「そんなぁ…妾もご一緒したいのに」
スノウはそういって迚も残念がったが、こいつには他にすることも無いんだろうか……
米
長旅の伴 に、スノウが護衛の騎士を付けてくれた。ファンタジー世界には白波 、いわゆる野盗がよく出てくるイメージなので、きっと騎士を護衛につけて旅するのは常識なんだろう。
で、朝食のあとに件の騎士と顔合わせをする。扉を開けてはいってきたのは、スノウよりも真っ白い髪と赤い瞳をした健やかな女性で、謁するやしとやかに跪坐して口上を述べた。
「はじめまして、です。ワタシ、白騎士団のランスロット、よろしく、です」
うん? なんか片言だが、まあいいか? 俺のそばに控えるシンディが、すぐにその訳を説明してくれた。
「ランスロットは上級貴族 ではありませんから、素晴らしい言語 を少ししか操れないのです。仕方ありません、これは教育の違いですから。
戦う騎士が優雅な言語を身に着けても、実生活にて益する所は少ないでしょう」
きけば、どうやら俺も普段から話しているこの日本語は、フォーク世界のファミリアという国では上流階級だけが話すことを許された高級言語 の地位にあるらしい。
さしずめヨーロッパ史のラテン語のようなポジションだ。なんでもある程度以上の貴族ならみんな、幼い頃からのみっちりした詰め込み教育によって、
章典や祈祷文などに使われるこの素晴らしい言語 を習得するという(ファミリアを肇国した人物って、
もしかして現実世界 からチェンジリングで異世界召喚されてきた日本人だったりするのではあるまいな?)
したがってファミリアでは必然的に、日本語を自由に操れることが「かっこいい、洗練されている」という羨望の基準になる。平安貴族のあいだで巧い和歌を送れる人間がみんなにモテたように、
ファミリア貴族の間では美しい日本語を使う人間が高い人気を誇る。そればかりか、フォーク語しか話せない庶民のあいだにも日本語を理解し俗用することをかっこ良いととらえる文化があるようだ。
例えば庶民が鉱山労働に用いるシャベルは「ホル」と呼ばれているが、これは日本語の「掘る」からきている。
貴族が使うような言葉を自分たちも真似て使うことをかっこいいと思う文化がまずあって、そのような呼称が定着したわけだ。
ちなみに大陸の別地方では、英語がまったく同じような地位にある。この大陸でもっとも強大な帝国とされるカテゴリアでは、地主貴族たちはみな現実世界 の英語で会話することを尊ぶという。
これってまた異世界 と現実世界 のつながりが日本だけではないことを感じさせる気がするけど、まあ深くは考えないことにしよう。
「とにかくランスロット。これからは色々と世話になると思うけど、よろしくな」
できるだけゆっくりとした声でかつはっきりと、かといって自然なイントネーションを保ったまま俺は語りかけた。ゆっくり話したのは聞き取りやすいように、
あくまで自然なイントネーションを崩さなかったのは、ランスロットが少しでも正しい日本語を学ぶことができるようにである。
件の女騎士は俺の言葉を聞くやいなや、頬を赤らめて憧れと恥じらいの入り交じった表情を浮かべた。
どうやらあまりにも優雅な素晴らしい言語 の響きに酔いしれ、それをうまく操れない自身を恥じているらしい。
ちなみに普段、ファミリア貴族が庶民に日本語で話しかけることは絶対にない。階級差をはっきり示す必要があるからだ。
だからそこ行く農夫に日本語で話しかけようものなら、その意味こそ解さないものの、感動のあまり涙を流し、大路を転げ回って感謝の意をあらわす者もいるという。
まとめるとこの世界では日本語を話せるというだけで誰にでも敬われるし、誰にでも驚かれるし、誰にでも格好いいと思われる、じつにすばらしい新世界である。優しい世界でもある。
さて、着々と準備はととのいつつあった。これなら数日中にラティシアのレーテーへと出発することができる。ランスロットとの面会を終えてシンディとの打ち合わせで進捗を確認したあと、
俺は安心して華胥の国へ遊びに行った。
人間から妖精を作り出すものがチェンジリングとすれば、本人と妖精を入れ替える術がチェンジリング・リバースである。つまり、妖精と本人の宇宙における立場をそっくり入れ替えてしまう。
召喚術についての一般的知識を有する者であっても、この術の意義と存在について熟知している者はほとんどいない』
――『フォークの魔女とソフィアたちの飢餓』より
第7証言 ハートのジャックの余罪
「やあシンディ、おはよう!」
明るく挨拶をする。明くる朝が巡ってきて、俺は無意味に気分もすぐれていた。
「おはようございます。旦那様」
応答するこの妃はシンディ、ファミリア連合国の第二王妃である。こっちに来てから(一日前のことだ)というもの、俺のことを一貫してサポートしてくれてる、しっかり者で頼もしい存在である。
「なあシンディ、俺って
俺はもう一人の自分から、このファンタジーワールドにおける一国の国王という地位を受け継いでいた。チェンジリングの魔法によって、その俺はいま現実世界にいて俺を満喫している(、はずだ)。
「はい、受け入れられる範囲なら、旦那様の望みを何でも聞き入れましょう」
どうやらシンディは手伝ってくれるようだ。本当にいい娘で助かる。頼みはこうだった。
「月乃が一年前に消息不明になった場所、レーテーの峡谷を見に行きたい。いいか? ひとりじゃ無理そうなんだが」
俺は月乃のことをまだ諦めてはいなかった。だから探してみたい。彼女が居なくなった場所。月乃がこのフォークにいたという形跡を、少しでもこの目で確認したい、
あと、この世界に広がっている風景も見たいなんていう少々の下心も兼ねて、レーテー峡谷までの小旅行を提案したのだ。
「お安い御用です。数日中に馬車を手配しますね」
「まじか。ありがとう!」
シンディの譲歩によって交渉はうまくまとまった。そこに起き抜けのスノウがあらわれた。
「ふわぁ。あらご機嫌麗しゅう。陛下様、ご一緒に朝食でもいかがですの?」
スノウはファミリア国の第一王妃で、ちょっと嫉妬深くて被害妄想の激しいところはあるものの(自分以外の王妃を全員処刑しろだとか)、
でも、基本的には俺のことを想ってくれている良いやつだ。奴さん今朝も純白のドレスを着ていた。
「スノウ、おはよう。俺は月乃について調べようとしてるんだけど」
*それに対するあまりスノウの反応は薄かった。平素と変わらぬとり澄ました表情でしらをきっている。俺には昨夜から気になっている議題があった。
シンディの「この世界の月乃を葬ったのは8人の女王のうちの誰かかもしれない」という報告だ。だから借問した。
「月乃の死について、何か知ってることはないか?」
それに対して、スノウはよどみなく受け答えしていわく、
「夭折されましたわね。とても残念でした、すごく有能な方でしたから。それにとてもびっくりしました、あまりにも突然でしたから」
「そっか。知らないんだな。よかった。もしお前がそんなことに少しでも関わってたなら、俺は一生お前を許さないところだった」
そう言ったときスノウの顔に生じた微細な変化を俺は見逃さなかった。
「………おい」
「は、はい。」
「ところで昨日、自分以外の王妃は全員邪魔だみたいなこと言ってたが、どうして月乃だけは特別なんだ? もしかしてあいつのことも邪魔だったんじゃないのか?」
「……ぎくり」
「ぎくりじゃねぇ!」
俺は本気で腹を立ててた。やっぱり月乃のことを邪魔だと思ってたんだ、じゃあ何かしら暗殺計画に関わっていてもおかしくはない。
月乃がこの世からいなくなったとはまだ限らないけど、一種謎めいた消息不明になっている経緯を一番知ってそうなのは、やはり暗殺の首謀者とその周辺だろう。
だったらそこを引っ張り出せばいい。何としてでも真相を突き止めてやるつもりだ。
「なあシンディ。この城に拷問部屋ってあるか?」
俺は冷然と振り返って訊いた。もしあったとして、一国の王女をそんな部屋に連れ込めるのかは疑問だが、しかし半分は本気だ。スノウは動揺しながら懇願する。
「い、言っておきますけど妾はか弱いですから、あんまりハードなプレイはできませんのよ?」
「だまれよ。お前は月乃のことが邪魔だったんだろ!」
俺は問い詰めながら、あとずさるスノウを壁際にまで追い込んで行くと、スノウは慌てたように弁解した。
「陛下様はふたつ、大きな勘違いをしておられますの。ひとつは月乃様のことを疎ましく思う立場にあったのは、
妾たち8人の王女全員だったということ――もちろんそこに立っているシンディとて例外ではありませんわ。
そしてふたつめは、妾が信じられないのは陛下様以外の人物全員ということ、別に月乃様だけが特別疎ましかったわけではありませんもの」
「つまり月乃は全員から恨まれてたし、お前はそもそも全員を恨んでたから可能性は低いってわけか? あれ? シンディも月乃を恨んでた……?」
俺がその言葉に引っかかりを覚えていると、後ろからシンディがあわててアナウンスした。
「旦那様。ただいま拷問部屋の予約が整いました。地下牢までご案内いたします」
「陛下様! あの失礼な女を即刻に塔の処刑部屋まで連れて行ってくださいまし!」
俺はふたりを交互に見つめた。もし俺の人生がギャルゲーだったらここで「A:拷問部屋 B:処刑部屋」みたいなメッセージが出る局面だが、選択肢が不吉すぎるだろ。
シンディが俺の服の袖を引き引き報告した。
「旦那様。拷問部屋の鉄板を温めておきましたから、お部屋のほうは温かいですよ。はやく行きましょう」
このようにシンディがスノウを拷問部屋に送ろうとしているのは私怨か、それとも職務への忠実さゆえか、その表情からは何とも伺えない。俺はスノウに対して銜めるように言い聞かせた。
「なあスノウ、事件について知ってることを全部喋ってくれたら、俺は許さないなんて言わないよ。スノウのことは面白くて結構好きだし、それほど悪いやつだとも思ってないしな。
要するに、いま持っている限りの情報を何でも良いから提供して欲しいんだ。できるか?」
その厳たる態度に気圧されてか(自分で言うとか何でも有りだが)、渋々といった感じでスノウは口を割った。
「――『ハートのジャック』ですわ。あの事件について妾の何か知っていることといったら、それだけ」
「ハートのジャック……誰だ? ほかの女王じゃなさそうだし、事件の実行犯のことか?」
「妾も、何のことだかさっぱり……けれどハートのジャックが犯人だったら、素晴らしいことじゃありません? 妾は無実ですもの。ね?ね?」
と、スノウは許されしなそう燥いだ。俺は曖昧に済ましつつ、何とか手掛かりも手に入ったし、あとは一刻もはやくレーテーの峡谷に向かうことだと考えていた。
あれ、でもこれって別にスノウが許される理由なんてないんじゃないか? ハートのジャックのことも知っていて、ますます怪しくなってきたわけだし。
「よし。とにかく拷問だ、拷問にかけよう」
シンディはそれを聞いていよいよ浮き足立った。
「陛下様!? そんな! お約束はどうなりますの!?」
スノウがそう叫んだので「誤解させてしまって申し訳ない」と弁解するべきか迷ったが、
「さあ、諦めましょうスノウ」
逡巡するまえにシンディがみずからスノウの腕を掴んで引き立てようとする。触るなといってスノウは暴れる。もう大騒ぎだ。この混乱をしばらく眺めてからあと、俺はいった。
「もういい。もういいよ、そのくらいで。ただし今回の旅行にスノウはついてくるなよ。いいな?」
「そんなぁ…妾もご一緒したいのに」
スノウはそういって迚も残念がったが、こいつには他にすることも無いんだろうか……
米
長旅の
で、朝食のあとに件の騎士と顔合わせをする。扉を開けてはいってきたのは、スノウよりも真っ白い髪と赤い瞳をした健やかな女性で、謁するやしとやかに跪坐して口上を述べた。
「はじめまして、です。ワタシ、白騎士団のランスロット、よろしく、です」
うん? なんか片言だが、まあいいか? 俺のそばに控えるシンディが、すぐにその訳を説明してくれた。
「ランスロットは
戦う騎士が優雅な言語を身に着けても、実生活にて益する所は少ないでしょう」
きけば、どうやら俺も普段から話しているこの日本語は、フォーク世界のファミリアという国では上流階級だけが話すことを許された
さしずめヨーロッパ史のラテン語のようなポジションだ。なんでもある程度以上の貴族ならみんな、幼い頃からのみっちりした詰め込み教育によって、
章典や祈祷文などに使われるこの
もしかして
したがってファミリアでは必然的に、日本語を自由に操れることが「かっこいい、洗練されている」という羨望の基準になる。平安貴族のあいだで巧い和歌を送れる人間がみんなにモテたように、
ファミリア貴族の間では美しい日本語を使う人間が高い人気を誇る。そればかりか、フォーク語しか話せない庶民のあいだにも日本語を理解し俗用することをかっこ良いととらえる文化があるようだ。
例えば庶民が鉱山労働に用いるシャベルは「ホル」と呼ばれているが、これは日本語の「掘る」からきている。
貴族が使うような言葉を自分たちも真似て使うことをかっこいいと思う文化がまずあって、そのような呼称が定着したわけだ。
ちなみに大陸の別地方では、英語がまったく同じような地位にある。この大陸でもっとも強大な帝国とされるカテゴリアでは、地主貴族たちはみな
これってまた
「とにかくランスロット。これからは色々と世話になると思うけど、よろしくな」
できるだけゆっくりとした声でかつはっきりと、かといって自然なイントネーションを保ったまま俺は語りかけた。ゆっくり話したのは聞き取りやすいように、
あくまで自然なイントネーションを崩さなかったのは、ランスロットが少しでも正しい日本語を学ぶことができるようにである。
件の女騎士は俺の言葉を聞くやいなや、頬を赤らめて憧れと恥じらいの入り交じった表情を浮かべた。
どうやらあまりにも優雅な
ちなみに普段、ファミリア貴族が庶民に日本語で話しかけることは絶対にない。階級差をはっきり示す必要があるからだ。
だからそこ行く農夫に日本語で話しかけようものなら、その意味こそ解さないものの、感動のあまり涙を流し、大路を転げ回って感謝の意をあらわす者もいるという。
まとめるとこの世界では日本語を話せるというだけで誰にでも敬われるし、誰にでも驚かれるし、誰にでも格好いいと思われる、じつにすばらしい新世界である。優しい世界でもある。
さて、着々と準備はととのいつつあった。これなら数日中にラティシアのレーテーへと出発することができる。ランスロットとの面会を終えてシンディとの打ち合わせで進捗を確認したあと、
俺は安心して華胥の国へ遊びに行った。