第2証言 チェンジリングと交換法則

文字数 4,940文字

 『――父親はやっとの思いで長旅から帰り、母親と姉妹が暮らしている一家の門戸を叩く。数年ぶりの再会に父親の心は沸き立つだろう。
ところが中からは楽しそうに笑っている別の男の声が聞こえる。不審に思った父親が窓から覗くと、なんと自分そっくりの人間が楽しそうに家族と夕食を囲んでいるではないか。
聞くと村人の話では、その男は一年前に戻ったあの一家の亭主で、今では家族仲睦まじく暮らしているという。
すぐさま激高した父親は、もうひとりの偽物を森のはずれに呼び出し、鉄の鋤で心臓を貫いて殺した。
このことから次の教訓が得られる。「もしフレニールによって同じ人間がふたり存在するようになった場合、ふたりを同じ場に引き合わせてはならない――かならず良くないことが起こる」』
『フォークの魔女とソフィアたちの飢餓』より



第2証言 チェンジリングと交換法則

 自分が何者であり、かつまたここは何処であるかについての認識を医学用語で見当識というわけだが。えっと、ここはどこだっけ? 
ある意味では把握しているし、ある意味ではしていないともいえる、だって、知らない場所に無理くり連れて来られたんだから。自分が何者であるかについては……俺であることは確かだ。
 その部屋は暗かった。内壁は石煉瓦造りで、窓はどうやら一箇所もない。
光源は2つの松明から勢いよく生える炎で、四方に火の粉を散らしながら熾盛(しじょう)に燃え盛っている。
天井は上方に高すぎて見えやしない(見たくもない)。真正面には鏡が置かれていて、向う側におぼろげな自分の姿が映し出されていた。
この場所へと俺を引き立ててきたシンディは、正面から見て右側の壁に背を預けている。しかしおかしい、シンディの姿は鏡には映っていないのだ。

「まるでチェスだな」

そのとき大向こうから声がかかった。さっきまで鏡像だと思っていたはずの影が、ねめつけるかのようにこちらを見据え、ひとりでに喋り出したのだ。
その声色は自分自身が喋ったのかと錯覚するほど俺そのものによく似て感じられた。そっくりだ。でも何か違うのは、少し貫禄のようなものを帯びている気がする。どうにも得体が知れないからだろうか。
いったいあいつは誰だ? 世に、鏡像だと思っていたものが勝手に喋り出すことほど怖ろしいものはない。俺と同じ声音で、同じ背丈で、同じ容姿で、谷山浩子の『そっくり人形展覧会』か?
あらためて目の前の鏡像に注視すると、お構いなしに言葉を紡ぎ始めた。

「よお、元気でやってるか? 解ってるよ、意味がわからないだろ? 何が起こったか説明するから、慌てないで聞いてくれ。それとリングの中からは絶対に出るなよ」

気味が悪いな。なにしろ声が似通っているので、まるで独り言みたいで拍子抜けしてしまう。ここがファンタジーの世界なら、確かにもうひとりの自分と対話できてもおかしくない。
むしろ似ているのは心理学のシャドウか。夢の中を意識の深い場所まで降っていくと、大きな泉があって、そこでもうひとりの自分、抑圧された無意識の象徴であるシャドウに出くわすという。
かの高名なユングの考察にそんなのがある。でもここには泉なんて無いし、夢の意識の深いところでもなさそうだ。そこいらで相手がやっと種明かしをした。

「いいか、俺とお前は「妖精の取り替え子」と呼ばれる関係にある。ぶっちゃけ俺は、14歳のときに異世界召喚されたお前だ」

「異世界召喚された俺?」

異世界召喚というのは、今まさに起こっているこの状況のようなもの、と考えて差し支えないだろう。普通は竜巻に飛ばされたり、駅のホームの柱に向かってダッシュしたり、
あるいはクローゼットの中のトンネルをくぐってファンタジーの世界へ行くものだが……その点はまあよしとしよう。古典的方法(オーソドックススタイル)に拘りすぎるのも良くない。

「嗚呼。あれは忘れもしない14歳の誕生日の朝だったよ、俺はいつものように登校する途中、突然、異世界に召喚されたんだ。それでどうなったか? 
普通、元の世界で俺は行方不明になったと思うよな? ところがまったく同じ記憶を持ったもう一人の俺の分身がいて、元の世界でそのままそいつが生活を送っていると言うんだ。
そういう召喚魔法なんだな、チェンジリングってやつは。で、とある王国を滅亡の危機から救うために招集された俺は、見事その役割を果たしおおせたから、今から現実世界に帰ろうってわけだ。
言っとくけど、いまの俺は「ファミリア連合国元首」って地位にあるんだからな」


俺の回想――いや、これは俺の回想ではない※
 えっと、ここはどこだっけ…? まあ、解んないな。無理やり連れて来られたんだし。頭がぼうっとする。ええっと、目の前には綺麗な灰色の髪をしたとても美しい少女が立っている……?

「どうやら召喚は成功のようですね。はじめまして。私はシンディと申します。あなたのサポート役を買って出ました。以後よろしくお願いします」

「これって誘拐されたのか。それとも神隠し?」

今日は14歳の誕生日。だから学校から帰ったらケーキのひとつぐらいは用意されてただろうに、とんだ災難だ。というか身代金なんて家(うち)は払えないぞ。
家は子供の頃から貧乏で、5年前に発売されたゲーム機だってまだ持ってないんだからな。
ゲームがわりの書籍やDVDだって、ほとんど公民図書館から借りるか月乃に貸してもらうか、どちらかしたものだ。

「これは誘拐ではありません。あなたにはいまこの国を襲っているさまざまな災難を解決してもらいたいのです。
そのためにわざわざ禁術とされている召喚魔術を使ってまで、救世主であるあなたを呼び出したのですから……」

なんか国難に襲われているらしい。そんなもの総理大臣でも交替させればいいんじゃないか? と言うのは冗談で、正直さっきからテンションが上がってきている。
まさか自分がファンタジーに巻き込まれるなんて、夢にも思わなかった。最高だ。ああ、でも月乃がここに居ないのはちょっと残念だな、
あいつを差し置いてこんな面白そうな体験をするなんて、後が怖いな。

「災難に襲われている国って? シンディはそこの出身なのか?」

「ええ。ファミリア国と呼ばれる連合体です。伝え遅れましたが、私はファミリア国の第二王妃という立場にあります」

そう云って、会釈して、この年齢なのにもう一国を統べる王妃であるというシンディはにっこりと素敵な笑顔をつくった。ここはまあ大勢の人々のために使命を果たさないといけないんだろうな。
そう思ってから数年、俺は一日も元の世界に戻ることはできなかった。この舞台は『フォーク』――(マーフォークやムーンフォークという言葉でお馴染みの)「民族」を意味する言語で呼ばれるこの異世界は、
剣と魔法の共存するまんま中世ファンタジーワールドな宇宙であり、そこにぽつねんと存在するファミリアなる弱小国を滅びの運命から救うため、「予言」によって救世主として異世界召喚された俺は、
空前絶後の奮闘を、ほとんど省略するがとても言葉には尽くしがたいほどの大奮闘をしなければならなかったのだ。
 それから来る日も来る日も、弱りきった内政を立て直すための策を肝脳を絞って考えたり、
八人もいるというこの国の王妃様たちを互いに仲良くさせるための方法を思案したり(嫁姑問題に悩んだ森鴎外みたいに)、アホの右大臣を更迭したり、
アホの左大臣を罷免したり、国力の礎となる収穫高が思わしくなかったので輪作やすき込みを教えてみたり、運河をひらき灌漑をひいたり、
開墾した土地は三代までに限り自分のものになると定めてみたり(不評だった)、遅滞した文化を立て直すため若き芸術家のパトロンになったり、借金の帳消し令を出したり、
勤労感謝の祝日を定めて国民の不満をガス抜きしたり、ある陰謀を見破って大国のアレゴリアと和平条約を締結したり。
その他、来る日も来る日も、魔術の鍛錬をしたり、剣術を教えて貰ったり、貴族的なマナーとプロトコルを学んだり、いろいろな裁定をしたり(これはよくあるハンコを押すだけの仕事だ)、
貴賓たちの臨席する晩餐会に顔を出したり、各地の収穫祭や竣工祭には祝辞を送り、場合によっては現地の民間人と交流したり、奴隷扱いされていた原住民を解放したり、
原住民の経営するカジノづくりに資金を出資することを計画したり、世界ではじめて国家主導の救貧院なるものを建設したり、アカデメイアよろしく学校を創設したり、
野原で襲ってきた盗賊団を撃退したり、滅びの予言が現われなくなるまで国を建て直したり……

「――というわけで、もうやるべきことはすっかり終わったから、俺は元の世界に帰らせてもらう」

断固たる調子でそいつは宣言する。なるほど貫禄のわけだ、いま言ったことを、ぜんぶ本当に行ってきたとすれば。

「元の世界にもどるって、つまりいま俺が生活してる世界にいきたいってことか?」

「イエス」

おいおい、その世界線にはもう俺がいるんだが……まさか入れ換わりたいなんて言うんじゃないだろうな?
チェンジリングというのは元来そういうものだが(チェンジリングは民話にある取り換え子の伝承のこと――由貴香織里『妖精標本』という漫画を参照)。

「お前は、俺の偽物じゃないのか?」

俺は尋ねる。するとそう尋ねられたことに対して、遺憾だったのか、俺の影はかんでふくめるように諭した。

「いやいや、俺には14歳までの地球での精確な記憶があるんだよ。それって本当に俺があの世界を生きてきた記憶かもしれないし、あるいは……ってとこだよな。
実際はお前が生きてきたのかも知れない。でもどちらにせよチェンジリングの召喚術は、どっちが人間(オリジナル)でどっちが妖精(フレニール)か、確かめる術はないんだよ。
だから俺はもうひとりのお前で、お前はまさにもうひとりの俺だ、平等にな」

シンディが追補するように言う。

「私どもは、これからあなた様をファミリアの(キャッスル)にお迎えして、旦那様の代役を務めていただきたいわけです」

これから現実世界へと帰る”俺”の代わりに……それって要するにこの俺が王様になれるってことか? 悪くない話だな。なにせ――あの世界にもう月乃はいないんだから。

「ときにもう一人の俺よ、ずっと元の世界へ帰りたいと思ってたのか?」

あんなクソみたいな現実に?――そう言いたいのをぐっと(こら)えて、俺はもうひとりの自分に確認した。

「当たり前だろ。阿倍仲麻呂だってそうだった」

アベの? ああ、たしか中学生のとき歴史の授業で習ったな。普通の日本人なら知っている有名な人物……てことはやっぱり、こいつには地球で生きてきた14年間――
中学2年生の誕生日までの記憶があるのか。けれどその日を境に異世界でやってきたわけだから、たとえば高校の授業の内容とか、現実世界でその1年後に月乃が死んでしまった事については知らないらしい。
これまでの話をもとに組み立てれば、当然そうなる。まあ、俺は余裕ある態度をみせてこう言った。

「そうか。ご自由に、こればかりは個人の自由だもんな」

するとお互いにまったく同じ北叟笑んだ表情を浮かべる。

「そういうことで決まりだな。しっかり良い王様でいろよ? ま、やるべきことはあまり残ってないだろうがな」

一方的にパチン、と指が鳴らされる。はじめから交渉の余地なんてなかったのだ。
すべて相手の主導権。視界がぐらつき、シンディが瞬時に右から左へと移る……のではなく、魔法陣における俺たちの立ち位置が入れ替わったのだ。

「それじゃファミリアは任せたぞ。あとはシンディとスノウが望むようにやってくれればいいや。あ、そうそう。まさか誰にもバレてはいないよな? 現実世界(ノーフォーク)での”あの秘密”……小5のときの」

「当たり前だろ、一生秘密にするって決まってる」

当然だ。俺の偽物はそれを聞いて安心していたようだった。

「よかったぜ。もっと訊いておきたい事は山ほどあるんだがな、どうも取り替え子――チェンジリング同士が長い間一緒にいるとよくないらしい。そろそろ交替だ、本当にうまくやれよ」

ふたりを囲む魔法の円が突如として特有の青白い光を放ち始めた。俺はシンディの胸元に照るネックレスをなるべく気取られないように見つめていたが、
そのあと常軌を逸したすさまじい震動があって、俺はすぐさま気を失った。
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登場人物紹介

スノウ(白雪姫)

ファミリア第一王妃。北のコンプレクシアを統治する王族の末裔

シンディ(灰被り姫)

ファミリア第二王妃。北西のレアリアを領知する皇族

リドル(アリス)

ファミリア第三王妃。西国ラシオニアの大公令嬢

ルカ(人魚姫)

ファミリア第四王妃。南西の小国インテジアのお姫様

レッドローズ(赤の女王)

ファミリア第五王妃。南国ナチュリアの若き女王

レイチェル(ラプンツェル)

ファミリア第六王妃。南東の強国イーヴェニアの統治者。

ローサ(いばら姫)

ファミリア第七王妃。東国オッディアの姫御子。

イストワール(シェヘラザード)

ファミリア第八王妃。北東のプライミアを支配するえらいひと。

火具屋かぐや 月乃つきの(かぐや姫)

ファミリア第九王妃。ヒロイン。異界人。魔法使い。

死亡済み。

御門みかど 祐介ゆうすけ

十番目の主人公。ファミリア王。異界人。勇者。

別名、空虚な中心。

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