第11証言 塔の上のスマザードメイト
文字数 3,238文字
第11証言 塔の上のスマザードメイト
翌朝、『塔』に到着した。噂に聞く通りなかなか壮観な建物だ。或いはみずからを幽閉する奇妙な女王が何年もそこに棲み続けているという逸話が、
この煉瓦造りで何の変哲もない建物にへんな貫禄を与えているのかもしれない。
「門番に知らせといたよ、王様が一目会いに来たってね。そらもう二つ返事さね」
マーリンが戻ってきていった。馬車から出ると、見ると、さっきまで無かったはずの結び目つきロープが塔の最上階から垂れ下がっていた。その先にあるは小さな窓だ。おいおい。まさかこれを登れってのかよ……?
「フン。そんなの登ってやればいいじゃないかい。これくらい登れなくてどうするんだい、王様屋さん?」
と魔女から発破をかけられる。
「いやマーリン、俺は俺であってレスキュー隊員ではないんだぞ?」
至極まっとうな事を言ったら、マーリンは肩をすくめて忠言した。
「やれやれ、風の魔結晶を有 ってると楽だよ」
と。魔結晶というアイテムは――今度説明するとして。とにかく、俺は最後尾の馬車、厖大な積荷の中に仕舞ってあった「風の魔結晶」を見つけて、上昇気流の助けをかりてロープをよじ登っていった。
米
無心に縄を伝って、最上階の桟に足をかけると、ようやく部屋の中を見渡せた。そこは暗く、狭く、しかし暖かくてそこそこ暮らしやすそうではあった。
暖炉の奥に人影があって、必然的に女王のシルエットだと判る。なぜならこの部屋には他に誰も居ないはずだから。
流れるような金髪の、いや、うねるような長髪の、いや、むしろ奔流とでも言ったほうが良いような美事な長髪を領る年頃の女性が立っていた、むろん第六王妃レイチェルだろう。
「レイチェルか? や、やあ。久しぶり」
俺は挨拶した。しかし彼女はこの訪問を別に喜びもせず、また特に怯えもせずに、泣きもせず笑いもしない。あくまで何のこともなしにしていた。
「ぼくに会いに来てくれたのですか」
ぼく? 一瞬だけ、目の前にいるのは男だという錯覚に囚われたが、そんなはずはない、数瞬後にはもう逡巡は打ち砕かれる。外見からしてまったく儚げな女性なわけで。
「そうだ。わざわざ会いに来たんだよ、ちょっと通りがかって」
同じ台詞の中で矛盾するような双つの言葉を吐きながら("絶対矛盾の自己同一")、俺はできるだけ気さくに「世間話でもしようや」てきオーラを放った。
「ロープを仕舞ってくれませんか」
レイチェルは丁寧に指示した。このままでは玄関の扉が開いているようなもので、落ち着かないのだろう。俺は急いで柱に括り付けられたロープを引っ張って、あくせく回収してやった。
「……懐かしいですね。ぼくがあなたに初めて会ったときのこと、覚えていますか」
レイチェルは語り出す。とて生憎とそんな記憶は俺にない。言い訳した。
「いや、じつは最近記憶喪失になって。まだ思い出せないことがたくさんあるんだ。……レイチェルはどうしてここから出ないんだ?」
彼女は記憶喪失という衝撃的な告白にも、みずからのライフスタイルを問われるような根源的質問にも、何ら動揺していない様子と伺われた。
「嫌いだからです」
ただひと言。うーん。嫌いだからって、いったい何が嫌いなのか。
「そうか。あ、あのさ、ところでハートのジャックって――」
言いかけるのをレイチェルが遮って
「ごめんなさい。ぼくはあなたがほんとうの聖下ではないことを知っています。だから、これ以上はお話できません」
回想――レイチェルの回想
→ぼくはこの容姿が嫌いだ。この巻き毛もきらい、両の金の瞳もきらい、なま白い肌の腕 もきらい、喉から発する声もきらい。この醜い肉体をこの世から隔離していなければ、ぼくの魂はとても生きてはゆけない。
ぼくは誰とも会わない。人と喋ることはぞっとする。外の暖かで冷やかな空気もぞっとする。誰かに見られたり嗤われたりすることを想像するだけで、ぼくの胸は張り裂けそうになる。
だからずっと隠れて栖 む。時計の止まった人生が続く。塔に移ってから13年目を迎えて、ぼくは憂鬱だった。近頃、ぼくの躰はますます醜くなってゆくからだ。
母上が不帰になり、古式ゆかしいこの大国の統治者を任されるようになってから、塔に舞い込む手紙の量はますます夥しいものになった。ぼくは返事をしたためることが嫌いだ。
ぼくはほんとうに女王なのだろうか? 女王のように手紙を書いてもいいのだろうか? じつは自分のことを女王と思い込んでいる、牢獄塔に幽閉されたひとりの狂人なのかも知れない。
そんなある朝のこと。塔の麓で人が叫んた。騒がしかった、そんなことは終ぞ無かったから、ぼくは戸惑って召し使いのハルを呼びつけた。ハルは幼少から身の回りの世話をさせている付き人だ。
ハルに伝えて、塔の前に居る人物を追い払ってもらいたかった。でも、できないと言われた。ハルが言うには、下界 でうるさく叫んでいるのはファミリアの王だから、強いて帰らせるのは失礼にあたるらしい。
……困った。何か用事があるなら手紙でも書けばいいのに。そこまできて、とうに返事の手紙などしたためていないことに気づいて、漫に華翰箱を漁 った。
やはりそれらしい手紙が出てきた。読んでみるとどうにも誇大のような、ついていけないような内容の申し出が書いてあって、溜め息が出た。
ファミリアと周辺国をすべて合従した共栄圏なんて、絵空事にもならない……。
そのうち不遜にも救世主を名乗る隣国の王子 が無理矢理にでもこの塔を登ってくるかもしれないという憂虞がぼくの心を離れなくなり、心配をかき消すために、
一刻もはやくお帰り頂くいただくことにした。ぼくは姿をできるだけ隠して窓の近傍に立った。
「おーーい! 話だけでも聞いてくれ! お願いだ! お願いします! この通り! ほら、この通り!!」
はじめて塔の中に明瞭な音量をもって届いてきたシラブルは、地上と天上とを分かつ限りない距離の距たりにフィルトレーションされて、どこか非現実的な響きに聞こえた。
それでぼくは少し安心できた。おそるおそる窓から即興の礫を投げ落とす。拒絶の三モーラだけが書かれた紙 を。
「分かった! 長居してゴメンな! また明日来るから――――!」
然うして彼は帰っていった。ちなみにぼくはファミリアにもフィールディアにも付きたくない。
ところが翌日も、その翌日も、翌々日も彼は訪れた。いつも半刻ほどで恙無く辞去したけれど、よくそんな手間をかけられるものと感心した。
そのときぼくが抱いた感情は、はじめのような恐怖ではなく、むしろもの快い安堵感だった。彼が赦しなしには絶対に塔の中までは侵入してこないということが、次第に明らかとなったせいかも知れない。
それから暫く参拝は続いた。毎日のように。ぼくは決して意見を靡くことはなかった。イーヴェニアは金甌無欠の国で、今の趨勢ならラティシアと手を組めばこの辺りの勢力は均衡する。
地政学的にもファミリア傘下に入るメリットは薄い。それにぼくに代わって都で政 をおこなっている高官は、すべてラティシアの親派 に統一してある。
いまさら黜陟幽明を変調するのはめんどくさい。しかし、ぼくの態度はまったく変わらなかったというわけでもない。以前より窓の近くで彼の言葉を聞くようになった。
また余暇の折、無益に彼のことを思い浮かべて過ごす時間が少しだけ多くなった。
でも、玉座を空けてまでイーヴェニアとの交渉に費やしていられる時間はおそらく永くない、きっと彼はもうすぐ諦めて、本国へと帰ってしまうだろう。
ぼくに耳を貸すつもりがなくて、この不毛な行為は時間が徒過するだけに終わると知ってしまうからだ。頭ではそう分かっていても、なんとも当惑するような訪問が毎日続く。
続かないと逆睹していた通いはひと月になり、ふた月になり、ついには三月目になった。とうとうぼくはある日、孤高な深窓から縄梯子を降ろし、客として彼を招じ入れることにした。
翌朝、『塔』に到着した。噂に聞く通りなかなか壮観な建物だ。或いはみずからを幽閉する奇妙な女王が何年もそこに棲み続けているという逸話が、
この煉瓦造りで何の変哲もない建物にへんな貫禄を与えているのかもしれない。
「門番に知らせといたよ、王様が一目会いに来たってね。そらもう二つ返事さね」
マーリンが戻ってきていった。馬車から出ると、見ると、さっきまで無かったはずの結び目つきロープが塔の最上階から垂れ下がっていた。その先にあるは小さな窓だ。おいおい。まさかこれを登れってのかよ……?
「フン。そんなの登ってやればいいじゃないかい。これくらい登れなくてどうするんだい、王様屋さん?」
と魔女から発破をかけられる。
「いやマーリン、俺は俺であってレスキュー隊員ではないんだぞ?」
至極まっとうな事を言ったら、マーリンは肩をすくめて忠言した。
「やれやれ、風の魔結晶を
と。魔結晶というアイテムは――今度説明するとして。とにかく、俺は最後尾の馬車、厖大な積荷の中に仕舞ってあった「風の魔結晶」を見つけて、上昇気流の助けをかりてロープをよじ登っていった。
米
無心に縄を伝って、最上階の桟に足をかけると、ようやく部屋の中を見渡せた。そこは暗く、狭く、しかし暖かくてそこそこ暮らしやすそうではあった。
暖炉の奥に人影があって、必然的に女王のシルエットだと判る。なぜならこの部屋には他に誰も居ないはずだから。
流れるような金髪の、いや、うねるような長髪の、いや、むしろ奔流とでも言ったほうが良いような美事な長髪を領る年頃の女性が立っていた、むろん第六王妃レイチェルだろう。
「レイチェルか? や、やあ。久しぶり」
俺は挨拶した。しかし彼女はこの訪問を別に喜びもせず、また特に怯えもせずに、泣きもせず笑いもしない。あくまで何のこともなしにしていた。
「ぼくに会いに来てくれたのですか」
ぼく? 一瞬だけ、目の前にいるのは男だという錯覚に囚われたが、そんなはずはない、数瞬後にはもう逡巡は打ち砕かれる。外見からしてまったく儚げな女性なわけで。
「そうだ。わざわざ会いに来たんだよ、ちょっと通りがかって」
同じ台詞の中で矛盾するような双つの言葉を吐きながら("絶対矛盾の自己同一")、俺はできるだけ気さくに「世間話でもしようや」てきオーラを放った。
「ロープを仕舞ってくれませんか」
レイチェルは丁寧に指示した。このままでは玄関の扉が開いているようなもので、落ち着かないのだろう。俺は急いで柱に括り付けられたロープを引っ張って、あくせく回収してやった。
「……懐かしいですね。ぼくがあなたに初めて会ったときのこと、覚えていますか」
レイチェルは語り出す。とて生憎とそんな記憶は俺にない。言い訳した。
「いや、じつは最近記憶喪失になって。まだ思い出せないことがたくさんあるんだ。……レイチェルはどうしてここから出ないんだ?」
彼女は記憶喪失という衝撃的な告白にも、みずからのライフスタイルを問われるような根源的質問にも、何ら動揺していない様子と伺われた。
「嫌いだからです」
ただひと言。うーん。嫌いだからって、いったい何が嫌いなのか。
「そうか。あ、あのさ、ところでハートのジャックって――」
言いかけるのをレイチェルが遮って
「ごめんなさい。ぼくはあなたがほんとうの聖下ではないことを知っています。だから、これ以上はお話できません」
回想――レイチェルの回想
→ぼくはこの容姿が嫌いだ。この巻き毛もきらい、両の金の瞳もきらい、なま白い肌の
ぼくは誰とも会わない。人と喋ることはぞっとする。外の暖かで冷やかな空気もぞっとする。誰かに見られたり嗤われたりすることを想像するだけで、ぼくの胸は張り裂けそうになる。
だからずっと隠れて
母上が不帰になり、古式ゆかしいこの大国の統治者を任されるようになってから、塔に舞い込む手紙の量はますます夥しいものになった。ぼくは返事をしたためることが嫌いだ。
ぼくはほんとうに女王なのだろうか? 女王のように手紙を書いてもいいのだろうか? じつは自分のことを女王と思い込んでいる、牢獄塔に幽閉されたひとりの狂人なのかも知れない。
そんなある朝のこと。塔の麓で人が叫んた。騒がしかった、そんなことは終ぞ無かったから、ぼくは戸惑って召し使いのハルを呼びつけた。ハルは幼少から身の回りの世話をさせている付き人だ。
ハルに伝えて、塔の前に居る人物を追い払ってもらいたかった。でも、できないと言われた。ハルが言うには、
……困った。何か用事があるなら手紙でも書けばいいのに。そこまできて、とうに返事の手紙などしたためていないことに気づいて、漫に華翰箱を
やはりそれらしい手紙が出てきた。読んでみるとどうにも誇大のような、ついていけないような内容の申し出が書いてあって、溜め息が出た。
ファミリアと周辺国をすべて合従した共栄圏なんて、絵空事にもならない……。
そのうち不遜にも救世主を名乗る隣国の
一刻もはやくお帰り頂くいただくことにした。ぼくは姿をできるだけ隠して窓の近傍に立った。
「おーーい! 話だけでも聞いてくれ! お願いだ! お願いします! この通り! ほら、この通り!!」
はじめて塔の中に明瞭な音量をもって届いてきたシラブルは、地上と天上とを分かつ限りない距離の距たりにフィルトレーションされて、どこか非現実的な響きに聞こえた。
それでぼくは少し安心できた。おそるおそる窓から即興の礫を投げ落とす。拒絶の三モーラだけが書かれた
「分かった! 長居してゴメンな! また明日来るから――――!」
然うして彼は帰っていった。ちなみにぼくはファミリアにもフィールディアにも付きたくない。
ところが翌日も、その翌日も、翌々日も彼は訪れた。いつも半刻ほどで恙無く辞去したけれど、よくそんな手間をかけられるものと感心した。
そのときぼくが抱いた感情は、はじめのような恐怖ではなく、むしろもの快い安堵感だった。彼が赦しなしには絶対に塔の中までは侵入してこないということが、次第に明らかとなったせいかも知れない。
それから暫く参拝は続いた。毎日のように。ぼくは決して意見を靡くことはなかった。イーヴェニアは金甌無欠の国で、今の趨勢ならラティシアと手を組めばこの辺りの勢力は均衡する。
地政学的にもファミリア傘下に入るメリットは薄い。それにぼくに代わって都で
いまさら黜陟幽明を変調するのはめんどくさい。しかし、ぼくの態度はまったく変わらなかったというわけでもない。以前より窓の近くで彼の言葉を聞くようになった。
また余暇の折、無益に彼のことを思い浮かべて過ごす時間が少しだけ多くなった。
でも、玉座を空けてまでイーヴェニアとの交渉に費やしていられる時間はおそらく永くない、きっと彼はもうすぐ諦めて、本国へと帰ってしまうだろう。
ぼくに耳を貸すつもりがなくて、この不毛な行為は時間が徒過するだけに終わると知ってしまうからだ。頭ではそう分かっていても、なんとも当惑するような訪問が毎日続く。
続かないと逆睹していた通いはひと月になり、ふた月になり、ついには三月目になった。とうとうぼくはある日、孤高な深窓から縄梯子を降ろし、客として彼を招じ入れることにした。