第5証言 裏切りのヘルプメイト
文字数 5,740文字
『いわゆるチェンジリングの魔法について。本人である人間が死ぬと妖精も死ぬとか、あるいは映し身である妖精が死ぬと人間も死ぬとかいった、いわゆる死の因果拘束 現象は、
よく知られている迷信とは裏腹につねに実証によって否定されてきた。あるいは人間が生きている間は妖精は年をとらないとか、妖精が生きている限り人間は死ぬことがないといった生の因果拘束 現象も、
でたらめな噂話によって創作された世迷い言であって、実際は決して起こらないことが証明されている。ところで双対となった人間 と妖精 はコピーの肉体を持つので、
自然寿命を共有することは考えられる。これは死の因果拘束の弱い形と言えるかもしれない』
――『フォークの魔女とソフィアたちの飢餓』より
第5証言 裏切りのヘルプメイト
それから俺はフォークと呼ばれるこの異世界とファミリアと呼ばれるこの国の設定……元いおおまかな知識について、シンディとふたりきりで学んだ。
たとえば国の成り立ちのことや、各地方ごとの特色、気候、ファミリアと隣接しているアレゴリアやカテゴリアといった帝國との二国関係 のことから、
国際関係 、国内の人口動態や格差問題のことまで。それに魔法結晶のことや、四神信仰のこと、聖予言のことも。
でも俺はそんな事柄について聞かされているあいだも大した驚きはなく、それどころかずっと焦れったい感覚を抱いていた。
「なぁ、そのネックレスについてそろそろ教えてくれよ」
シンディはあまり話したがらなかった、この世界にかんする知識を俺にまず叩き込むことが優先だと思ったのだろうか。まるでお馬さんのまえにぶらさげた人参だ。
彼女が首から提げている七色の宝石(実は安物のガラス玉)に彩られたネックレスは、間違いなく俺が月乃の14歳の誕生日にプレゼントしたものだ。
植物の枝をあしらった意匠が独創的で間違えようがない。舶来の秘宝のように素晴らしいものにみえて、じつは特に何の価値もないガラクタというところがポイントだ。
葬儀のあとの形見分けでゴミ箱行きになったとてっきり思い込んでいたが、どうしてそれが異世界に転がり込んだのか。そしてなぜシンディがこれを持っているのか。
俺の予想が正しければ、これはおそらく月乃がフォークへ異世界転生してきたという証拠だ。什麼生
「………」
シンディはその質問に答えるかわり、大切な人物を偲ぶような表情を浮かべた。にもかかわらず俺が真剣な視線をずっと外さなかったので、ちょっと妙な雰囲気になってしまったが、
それでもゆっくりと彼女は記憶を引き出した。
「先代の旦那様が救世主としてご光臨されてから、数カ月後のことでした。ファンタジーや冒険に興味のある聡いご友人だからと、強くご希望されたのです」
いまやシンディの心中からはっきりと読み取れるのは過去への傷心だ。指先を胸元に引き寄せ、愛おしげにネックレスを撫でさする姿は痛々しい。
「……とてもお優しい方でした。好奇心旺盛で、魔法の才能が抜群でいらっしゃって、先代の旦那様とは一番うまくやっておられました。なんというか扱い方をよく心得ておられた感じで、
別段に大した争いもなく、いちども不仲になるようなこともなく、おふたりはいつも笑い合って寄り添っておられました――羨ましいほどに」
そこから一気に声のトーンが落ちる。
「月乃様はちょうど1年前の冬、アレゴリアとの和平交渉に際して、ラティシアの陰謀を阻止するために出征したレーテー峡谷での戦いにおいて、不慮の戦死をとげられました」
シンディの目には涙が滲んだ。
「もうこの世にはいません」
回想――シンディの回想
→私は旦那様の補佐役をつとめて参りました。頼まれたのでなく、ただ、それが私の性に合っていると思ったからです。
「いま、何とおっしゃいました?」
「”チェンジリング”だよ。俺を呼び出すときに使った魔法、あれをもう一度使えるだろ? あっちに月乃ってやつがいてさ、そいつはファンタジーが好きで、俺なんかよりずっと物事をよく知ってる。
こんな剣と魔法のファンタジー世界に連れて来られたら、もう感動どころじゃなくて張り切ると思うんだよ。それに俺も、ずっと独りじゃ寂しいしな」
「ずっと独りじゃ寂しい」と露骨にいわれて、傷つかないわけがありません。私は旦那様にいつも離れず付き従っていましたから。
旦那様には、最初から私のことなど眼中にないのだと分かりました。私はただの協力者 であって、――あえていじわるく義姉たちが揶揄するような言い方で言うなら――
ただの『召使い』でしかなかったのです。しかし不満はありません。これが私の性に合っていたのですから。
「あの、チェンジリングは禁呪なのですが」
私が答えると、彼は向き直ります。
「どうしてだよ!? ファミリアのことはいままで精一杯やってきたつもりだし、やっと結果も出てきたところだろ。予言に従って、言われたことは全部こなした、順風満帆じゃないか。
なのにこっちの頼みは聞き入れてくれないってわけか!? それならこっちだって考えがある。全部やめるぞ、こんなこと」
月乃という女の子を現実世界 から呼び出せそうにないとわかって、旦那様は一転して不機嫌になられました。
もちろん、こういった無責任にも見える我儘はいわゆるポーズ、政治的な駆け引きの一種であるということは承知していたのですが、たったひとりの御親友のためにファミリアを捨てるだなんて、
たとえ駆け引きとしても私以外には言って欲しくないお言葉でした。
「なるほど、そうなってしまってはとても困ります」
「そうだろう? だからさっさと魔女でも妖精でも妖婦でも連れてきて、そのチェンジリングってやつをもう一遍だけやってくれよ。簡単だろ?
そしたらこれまでの100人力で、ますますファミリアのために頑張るからさ。頼んだぞシンディ」
このようにせがまれると私は根負けして、旦那様のなるべく喜ぶような方向に事を進めることになるのです。いつもそうしてしまいます。困ったお方です。
「わかりました。すぐに母国 から大魔法使いを手配しましょう」
米
「はじめまして。シンディと申します。まず、ここはあなた様にとっての”異世界”で――」
目の前に居るきょとんとした表情の女の子に向かって、私は親切に教えてあげました。かつて旦那様にしたように。二度目でした。
「――異世界!? 嘘でしょ、うっそ……あなたは異世界人なの!?」
そう聞かされて女の子は、私に向けてきらきらと目を輝かせました。第一印象は、好奇心の塊。わけても魔法のことを話した直後は、途端に百も質問を浴びせられ、
私はあとで一冊の分厚い魔法書をプレゼントしなくてはいけませんでした。
気がつけばあの方は俊才の魔術師になっておられました。宮殿をいつも並んで歩くお似合いの王と王妃 さま、鴛鴦のようなカップル、救世主と聖魔女。
旦那様と月乃様はそのような関係として城内のきこえもよろしく、しかもめざましい速さでこの荒廃した国を変えてゆきました。
私はそのとき、恒にふたりのスケジュール管理と身の回りのお世話を受け持っていました。変人……たしかに義姉さんたちがよく悪しざまに言っているように、
マネジメントというのは、苟も一国の王女たる立場のものがやるべき仕事ではないのかもしれません。けれどもお二人のご活躍を陰で支えることは光栄でしたし、歴史が動くその瞬間を、
お二人の次に間近な位置で見ることができたのは何より嬉しかったのです。
月乃様とはすぐに打ち解けてお話するようになりました。あの方は、私がかつてフォークの文化や生活についての教育係となったことへの返礼のつもりか、
ノーフォークの流行文化やファッション、食事情などについて詳しく教えてくださいました。私にとってはまさしくファンタジー同然の噺でしたが、そんな世界があってもいいように思えました。
これまで旦那様からは、政治や経済や発明の話しか聞かされて来なかったのです。それに不満はありませんでしたが、月乃様との会話にはまた違った楽しみがありました。
月乃様とふたりで明かす夜はいつも賑やかなお喋りの空間でした。私はあの方に対して心からの敬意と親愛を抱いていました。少なくとも、私自身がそう錯覚するほどに。
きっかけは些細なことでした。素 から極 く聡 い方でしたから、月乃様にはほどなく私が旦那様に抱いているほんとうの想いを見抜かれてしまったのです。
それも複雑に屈折してよじれ切った私の心を、あのお方はすべて伸展してしまって、心理学という奇妙な魔法の図式を借りて、
私がなぜこんな回りくどいことをして旦那様の心を留めようとしているのか、私自身でも気づかなかったひとつの絡繰りを、深い洞察と理論によって、ずばり言い当てられてしまったのです。
思えば私はそうでした。子供の砌 から特定の誰かに尽くすことによって、そのひとを私なしでは居られなくしてしまって、そのことによって逆に相手を支配しようとする傾向があったのです。
これまで自分はちょっとした変人で、他者を手助けすることが大好きなお人好しだとばかり思い聞かせてきました。
無理矢理に、私がそうやって義姉妹たちをダメにしてきたという事実からは一向に目を逸し続けてきたのです。月乃様は私に柔らかく忠告されました。
「とっても優しい献身的な振る舞いだと思う。でもやり過ぎはよくないよ。アイツの無茶なワガママ、聞きすぎちゃってない? 大丈夫?
そういうこと続けるとダメ人間ができちゃうから、程々にしてあげてね」
私はひどく打ちのめされました。ことに「程々にしてあげてね」という言葉、まるで私が旦那様を虐げているから、その手をゆるめてやって欲しいと言わんばかりではありませんか。
けっきょくこのお方には、私の浅ましい策謀はいかなるものでも見透かされてしまうんだと思いました。
これから旦那様は月乃様によって、私にはとても手の届かないところまで、月までも引き上げられてしまうんだと思いました。私はひたすら際限のない敗北感と、絶望的な気持ちに囚われました。
それからの私は、まったく変化もなく厚遇されたにも関わらず、段々とおふたりから距離を取るようになっていきました。レアリアの実家の切り盛りが忙しいからといって、お暇をもらって、
数ヶ月ほど里帰りしたのもこのときです。私がいなくても旦那様と月乃様と言えばまったく変わらずアレゴリアとの交渉においてご活躍を遂げておりました。
私は義姉妹たちに囲まれて傷心を癒やす古くさい城で、この記念すべき敗北の報 りを受けとったのです。
里帰りを終えてファミリア城に戻ると、政局はちょうどクライマックスにあり、それまで難航していたアレゴリアとの条約締結に兆しが見えてきたようで、高官たちが朝も昼も忙しげに駆けずり回っていました。
おふたりとは会えもしませんでした。
それがどういう経緯だったか今となっては知りもしません、旦那様は後から省みれば危険を顧みず、ラティシアへ威嚇として出征することをご聖断されました。
月乃様もそれに同道し、明朝出発したのです。誰にも期待されない私が城に残されひとり無聊を託っていると、そこへ流れるような黒髪と黒曜石のように黒い眼をしたリドルが唐突に顔を出しました。
リドルはラシオニア大公令嬢で、ファミリア連合国を統治する8王妃の地位にある少女です。王妃といっても、私にとってはたんなる同格のひとりにすぎません。それも年下です。
「あれぇ、お留守番?」
「ええ」
私は感情もなく応答しました。
「ふぅん。月乃もいるの?」
「旦那様と一緒に出発されました」
これも私は淡々と事実を述べ伝えました。リドルの発した次の台詞は、思わずぎょっとするものでした。
「ねぇシンディー。あいつ、死んじゃえばいいと思わない?」
「何を言うんですかっ――!?」
私に怒鳴られて、リドルは疎明するように言い足しました。
「別にふざけてないよぉ。だって閣下に付いてて邪魔だもんあの女。それに今回の遠征は危ないんだしぃ、ゼロじゃないでしょ? 流れ弾にでもあたっちゃえばいい」
こんなことをぬけぬけと言えるのは子供ゆえの特権でしょうか。私は耳を貸しません。
「リドル、悪い冗談はやめなさい」
「はぁい。ごめんなさい。てへっ」
それからリドルは入ってきた扉の外へ駆けていきました。ただ不吉な言葉だけを残して……。「みんなの心はひとつだよ」
私といえば、ずっとたしかだと思っていた本心が揺らぎました。もしも月乃様だけが旦那様の寵愛を一身にうけることになったら、
私も、スノウも、リドルも、ルカも、レッドローズも、レイチェルも、ローサも、イストワールも、ほかの王妃たちはみんな脇役です。この国での安寧な立場を失ってしまいます。
わがままで突拍子もないリドルだけでなく、他の6国の王妃もすべて同じことを考えているとでも言うのでしょうか。つまり、「流れ弾にでもあたって欲しい」と。
それははたして本当に流れ弾と呼べるのでしょうか? 皆の意思が揃ったときに起こる偶然は、むしろ必然とは呼べないでしょうか?
私は強い目眩と期待感に心臓が高鳴り、その場に立ってはいられなくなりました。昏い陶酔が私の浅ましい矮軀に満ちていました。
それはきっと起こる、たとえ今日起こらなくても、明日起こるかもしれない、明日起こらなくても、必ずもうすぐ起こる、私はそう確信しました。
リドルからはっきりとそう聞かされたのではなく、実際は謎めいた曖昧さにすぎなかったのに、それにも関わらず私の中で、勝利への確信は喜びに変わったのです。
翌朝、月乃様がレーテー峡谷にて死歿されたという哀しい一報が本国に届きました。誰がやったか知りません。知りたくもありません。きっと敵国ラティシアの尖兵のひとりでしょう。
私は失意に潰れそうになっている旦那様を城へ帰られてから慰めました。あらゆる優しい言葉をかけました。まるで鉱脈を探り当てたように、それは私の口から自然と流れ出たのです。
かつてと比べようもなく、この上ない程に私は充実を感じていたのです。使命に燃え、満たされていたのです。それから数日後、私の手にはと或る大切なネックレスが収まっていました。
よく知られている迷信とは裏腹につねに実証によって否定されてきた。あるいは人間が生きている間は妖精は年をとらないとか、妖精が生きている限り人間は死ぬことがないといった
でたらめな噂話によって創作された世迷い言であって、実際は決して起こらないことが証明されている。ところで双対となった
自然寿命を共有することは考えられる。これは死の因果拘束の弱い形と言えるかもしれない』
――『フォークの魔女とソフィアたちの飢餓』より
第5証言 裏切りのヘルプメイト
それから俺はフォークと呼ばれるこの異世界とファミリアと呼ばれるこの国の設定……元いおおまかな知識について、シンディとふたりきりで学んだ。
たとえば国の成り立ちのことや、各地方ごとの特色、気候、ファミリアと隣接しているアレゴリアやカテゴリアといった帝國との
でも俺はそんな事柄について聞かされているあいだも大した驚きはなく、それどころかずっと焦れったい感覚を抱いていた。
「なぁ、そのネックレスについてそろそろ教えてくれよ」
シンディはあまり話したがらなかった、この世界にかんする知識を俺にまず叩き込むことが優先だと思ったのだろうか。まるでお馬さんのまえにぶらさげた人参だ。
彼女が首から提げている七色の宝石(実は安物のガラス玉)に彩られたネックレスは、間違いなく俺が月乃の14歳の誕生日にプレゼントしたものだ。
植物の枝をあしらった意匠が独創的で間違えようがない。舶来の秘宝のように素晴らしいものにみえて、じつは特に何の価値もないガラクタというところがポイントだ。
葬儀のあとの形見分けでゴミ箱行きになったとてっきり思い込んでいたが、どうしてそれが異世界に転がり込んだのか。そしてなぜシンディがこれを持っているのか。
俺の予想が正しければ、これはおそらく月乃がフォークへ異世界転生してきたという証拠だ。什麼生
「………」
シンディはその質問に答えるかわり、大切な人物を偲ぶような表情を浮かべた。にもかかわらず俺が真剣な視線をずっと外さなかったので、ちょっと妙な雰囲気になってしまったが、
それでもゆっくりと彼女は記憶を引き出した。
「先代の旦那様が救世主としてご光臨されてから、数カ月後のことでした。ファンタジーや冒険に興味のある聡いご友人だからと、強くご希望されたのです」
いまやシンディの心中からはっきりと読み取れるのは過去への傷心だ。指先を胸元に引き寄せ、愛おしげにネックレスを撫でさする姿は痛々しい。
「……とてもお優しい方でした。好奇心旺盛で、魔法の才能が抜群でいらっしゃって、先代の旦那様とは一番うまくやっておられました。なんというか扱い方をよく心得ておられた感じで、
別段に大した争いもなく、いちども不仲になるようなこともなく、おふたりはいつも笑い合って寄り添っておられました――羨ましいほどに」
そこから一気に声のトーンが落ちる。
「月乃様はちょうど1年前の冬、アレゴリアとの和平交渉に際して、ラティシアの陰謀を阻止するために出征したレーテー峡谷での戦いにおいて、不慮の戦死をとげられました」
シンディの目には涙が滲んだ。
「もうこの世にはいません」
回想――シンディの回想
→私は旦那様の補佐役をつとめて参りました。頼まれたのでなく、ただ、それが私の性に合っていると思ったからです。
「いま、何とおっしゃいました?」
「”チェンジリング”だよ。俺を呼び出すときに使った魔法、あれをもう一度使えるだろ? あっちに月乃ってやつがいてさ、そいつはファンタジーが好きで、俺なんかよりずっと物事をよく知ってる。
こんな剣と魔法のファンタジー世界に連れて来られたら、もう感動どころじゃなくて張り切ると思うんだよ。それに俺も、ずっと独りじゃ寂しいしな」
「ずっと独りじゃ寂しい」と露骨にいわれて、傷つかないわけがありません。私は旦那様にいつも離れず付き従っていましたから。
旦那様には、最初から私のことなど眼中にないのだと分かりました。私はただの
ただの『召使い』でしかなかったのです。しかし不満はありません。これが私の性に合っていたのですから。
「あの、チェンジリングは禁呪なのですが」
私が答えると、彼は向き直ります。
「どうしてだよ!? ファミリアのことはいままで精一杯やってきたつもりだし、やっと結果も出てきたところだろ。予言に従って、言われたことは全部こなした、順風満帆じゃないか。
なのにこっちの頼みは聞き入れてくれないってわけか!? それならこっちだって考えがある。全部やめるぞ、こんなこと」
月乃という女の子を
もちろん、こういった無責任にも見える我儘はいわゆるポーズ、政治的な駆け引きの一種であるということは承知していたのですが、たったひとりの御親友のためにファミリアを捨てるだなんて、
たとえ駆け引きとしても私以外には言って欲しくないお言葉でした。
「なるほど、そうなってしまってはとても困ります」
「そうだろう? だからさっさと魔女でも妖精でも妖婦でも連れてきて、そのチェンジリングってやつをもう一遍だけやってくれよ。簡単だろ?
そしたらこれまでの100人力で、ますますファミリアのために頑張るからさ。頼んだぞシンディ」
このようにせがまれると私は根負けして、旦那様のなるべく喜ぶような方向に事を進めることになるのです。いつもそうしてしまいます。困ったお方です。
「わかりました。すぐに
米
「はじめまして。シンディと申します。まず、ここはあなた様にとっての”異世界”で――」
目の前に居るきょとんとした表情の女の子に向かって、私は親切に教えてあげました。かつて旦那様にしたように。二度目でした。
「――異世界!? 嘘でしょ、うっそ……あなたは異世界人なの!?」
そう聞かされて女の子は、私に向けてきらきらと目を輝かせました。第一印象は、好奇心の塊。わけても魔法のことを話した直後は、途端に百も質問を浴びせられ、
私はあとで一冊の分厚い魔法書をプレゼントしなくてはいけませんでした。
気がつけばあの方は俊才の魔術師になっておられました。宮殿をいつも並んで歩くお似合いの王と
旦那様と月乃様はそのような関係として城内のきこえもよろしく、しかもめざましい速さでこの荒廃した国を変えてゆきました。
私はそのとき、恒にふたりのスケジュール管理と身の回りのお世話を受け持っていました。変人……たしかに義姉さんたちがよく悪しざまに言っているように、
マネジメントというのは、苟も一国の王女たる立場のものがやるべき仕事ではないのかもしれません。けれどもお二人のご活躍を陰で支えることは光栄でしたし、歴史が動くその瞬間を、
お二人の次に間近な位置で見ることができたのは何より嬉しかったのです。
月乃様とはすぐに打ち解けてお話するようになりました。あの方は、私がかつてフォークの文化や生活についての教育係となったことへの返礼のつもりか、
ノーフォークの流行文化やファッション、食事情などについて詳しく教えてくださいました。私にとってはまさしくファンタジー同然の噺でしたが、そんな世界があってもいいように思えました。
これまで旦那様からは、政治や経済や発明の話しか聞かされて来なかったのです。それに不満はありませんでしたが、月乃様との会話にはまた違った楽しみがありました。
月乃様とふたりで明かす夜はいつも賑やかなお喋りの空間でした。私はあの方に対して心からの敬意と親愛を抱いていました。少なくとも、私自身がそう錯覚するほどに。
きっかけは些細なことでした。
それも複雑に屈折してよじれ切った私の心を、あのお方はすべて伸展してしまって、心理学という奇妙な魔法の図式を借りて、
私がなぜこんな回りくどいことをして旦那様の心を留めようとしているのか、私自身でも気づかなかったひとつの絡繰りを、深い洞察と理論によって、ずばり言い当てられてしまったのです。
思えば私はそうでした。子供の
これまで自分はちょっとした変人で、他者を手助けすることが大好きなお人好しだとばかり思い聞かせてきました。
無理矢理に、私がそうやって義姉妹たちをダメにしてきたという事実からは一向に目を逸し続けてきたのです。月乃様は私に柔らかく忠告されました。
「とっても優しい献身的な振る舞いだと思う。でもやり過ぎはよくないよ。アイツの無茶なワガママ、聞きすぎちゃってない? 大丈夫?
そういうこと続けるとダメ人間ができちゃうから、程々にしてあげてね」
私はひどく打ちのめされました。ことに「程々にしてあげてね」という言葉、まるで私が旦那様を虐げているから、その手をゆるめてやって欲しいと言わんばかりではありませんか。
けっきょくこのお方には、私の浅ましい策謀はいかなるものでも見透かされてしまうんだと思いました。
これから旦那様は月乃様によって、私にはとても手の届かないところまで、月までも引き上げられてしまうんだと思いました。私はひたすら際限のない敗北感と、絶望的な気持ちに囚われました。
それからの私は、まったく変化もなく厚遇されたにも関わらず、段々とおふたりから距離を取るようになっていきました。レアリアの実家の切り盛りが忙しいからといって、お暇をもらって、
数ヶ月ほど里帰りしたのもこのときです。私がいなくても旦那様と月乃様と言えばまったく変わらずアレゴリアとの交渉においてご活躍を遂げておりました。
私は義姉妹たちに囲まれて傷心を癒やす古くさい城で、この記念すべき敗北の
里帰りを終えてファミリア城に戻ると、政局はちょうどクライマックスにあり、それまで難航していたアレゴリアとの条約締結に兆しが見えてきたようで、高官たちが朝も昼も忙しげに駆けずり回っていました。
おふたりとは会えもしませんでした。
それがどういう経緯だったか今となっては知りもしません、旦那様は後から省みれば危険を顧みず、ラティシアへ威嚇として出征することをご聖断されました。
月乃様もそれに同道し、明朝出発したのです。誰にも期待されない私が城に残されひとり無聊を託っていると、そこへ流れるような黒髪と黒曜石のように黒い眼をしたリドルが唐突に顔を出しました。
リドルはラシオニア大公令嬢で、ファミリア連合国を統治する8王妃の地位にある少女です。王妃といっても、私にとってはたんなる同格のひとりにすぎません。それも年下です。
「あれぇ、お留守番?」
「ええ」
私は感情もなく応答しました。
「ふぅん。月乃もいるの?」
「旦那様と一緒に出発されました」
これも私は淡々と事実を述べ伝えました。リドルの発した次の台詞は、思わずぎょっとするものでした。
「ねぇシンディー。あいつ、死んじゃえばいいと思わない?」
「何を言うんですかっ――!?」
私に怒鳴られて、リドルは疎明するように言い足しました。
「別にふざけてないよぉ。だって閣下に付いてて邪魔だもんあの女。それに今回の遠征は危ないんだしぃ、ゼロじゃないでしょ? 流れ弾にでもあたっちゃえばいい」
こんなことをぬけぬけと言えるのは子供ゆえの特権でしょうか。私は耳を貸しません。
「リドル、悪い冗談はやめなさい」
「はぁい。ごめんなさい。てへっ」
それからリドルは入ってきた扉の外へ駆けていきました。ただ不吉な言葉だけを残して……。「みんなの心はひとつだよ」
私といえば、ずっとたしかだと思っていた本心が揺らぎました。もしも月乃様だけが旦那様の寵愛を一身にうけることになったら、
私も、スノウも、リドルも、ルカも、レッドローズも、レイチェルも、ローサも、イストワールも、ほかの王妃たちはみんな脇役です。この国での安寧な立場を失ってしまいます。
わがままで突拍子もないリドルだけでなく、他の6国の王妃もすべて同じことを考えているとでも言うのでしょうか。つまり、「流れ弾にでもあたって欲しい」と。
それははたして本当に流れ弾と呼べるのでしょうか? 皆の意思が揃ったときに起こる偶然は、むしろ必然とは呼べないでしょうか?
私は強い目眩と期待感に心臓が高鳴り、その場に立ってはいられなくなりました。昏い陶酔が私の浅ましい矮軀に満ちていました。
それはきっと起こる、たとえ今日起こらなくても、明日起こるかもしれない、明日起こらなくても、必ずもうすぐ起こる、私はそう確信しました。
リドルからはっきりとそう聞かされたのではなく、実際は謎めいた曖昧さにすぎなかったのに、それにも関わらず私の中で、勝利への確信は喜びに変わったのです。
翌朝、月乃様がレーテー峡谷にて死歿されたという哀しい一報が本国に届きました。誰がやったか知りません。知りたくもありません。きっと敵国ラティシアの尖兵のひとりでしょう。
私は失意に潰れそうになっている旦那様を城へ帰られてから慰めました。あらゆる優しい言葉をかけました。まるで鉱脈を探り当てたように、それは私の口から自然と流れ出たのです。
かつてと比べようもなく、この上ない程に私は充実を感じていたのです。使命に燃え、満たされていたのです。それから数日後、私の手にはと或る大切なネックレスが収まっていました。