第18証言 チープトークと美人投票
文字数 10,884文字
第18証言 チープトークと美人投票
眩いばかりに照明の輝くホールだ。輝きは灯だけでなく、グラスやドレスにも照り映えている。また人々の魂にも。まさに貴族の粋を尽くした甘美な空間。
ここでたくさんの商談が取りまとめられ、家同士の秘密の約束がとり結ばれ、そうして歴史が動いていく。周期に繰り返される忙しなき離合集散の、まごうことなき集の一幕。
皆が利得を求めて噂を交換し合い、あるいはみずからを好人物にみせかけるため国の歴史をその内に結晶化させている素晴らしい音楽に聞き惚れ、豪華な食事と美味な酒類に酔いしれる。
だがナチュリアの貴族たちは互いに虎視をさし向け合い牽制し合っているばかりで、先ほどから一向に話しかけてこない。
あのスノウすらこちらにじっと視線を投げかけるだけで言葉ひとつ発しない。
多分、俺からしか話しかけてはならないルールになっているのだろう。でないと王である俺はたちまち皆から四方 を取り囲まれて、質問責めの揉みくちゃになってしまうから。
幸いこの暗黙のルールがあったおかげで、俺はとくに引き止められもせず中央のテーブルまで快適に辿り着くことができた。
そこでパーティのホストであるレッドローズに挨拶し、乾杯の音頭をとるが、飲酒をするわけではない。なぜなら俺は未成年だからである。一滴も飲まなかった。
その晩は一滴もアルコールを口には含まなかった。未成年者の俺は、清く正しく法律を守って生きていく。
で、パーティで話されたことと言えば最初は俺が落馬して記憶喪失になったことへの見舞いばかりだ。
何人にも同じことを言われると、次第に自分が本当に馬から落ちたかのような気分になってしまう。
また面白かったのは、シンディが俺が落馬したときに乗っていた馬は馬刺しになったと言ったことだ。あれは傑作だった。
涼しい顔でそんなことをやられると頬が緩んでしまう。もちろんその頬はアルコールの酩酊作用によって紅潮しているなんてことはなく、
俺は至って素面 だった。
で、少し巻く。パーティ会場で所在なさそうにしているルカを見つけた。
「もっと食えばいいのに」
俺はかってに容喙する。ルカは安心したように、また辟易したようにこちらへ申し啓いた。
「猊下はわかってないのです。この忌々しいドレスのせいで食欲もなくなるのですよ」
「ウエストがきついのか?」
コルセットでも嵌めているのかと思って俺は言った。
「そういうわけでは……」
ルカはちょっと困った様子。
ああそうか、一旦着ると脱げないからトイレにも行けないんだな。後先考えずにバカバカと飲み食いしていたら最悪早々にパーティから退場する羽目になりそうだ。
「もっと普通の服を着て来れば良かったろうが」
俺は指南する。
「意味がわからないのです。これが普通の儀典 なのですよ」
「確かにそうかもな」
俺に有職故実 の知識はない。
「……猊下は他のお妃のところへ行かなくていいのですか?」
ルカはもういいだろうと言わんばかりの態度で口を尖らせ、なんとも卑屈なお節介をする。
こいつそのうちへそを曲げて途中で帰ってしまいそうだな……いずれにせよ、本題を切り出すなら早いうちがいい。
「ああ、行くよ。すぐ行ってやる。だけどその前に、月乃について教えてくれ」
ルカは小考してから、
「いいのですよ」
と応じる。俺は最初のところから説明を始めた。
「もしかするとよく分からないかも知れないけど、聞いてくれ。実は俺は以前とは別人なんだ。落馬事故っていうのは嘘で、以前の俺はもといた世界に帰った
それもこれも全部、月乃が戦死したせいだ」
月乃のことを話題に出すと、ルカは少し悲しそうな表情を帯びて
「……とても残念な出来事だったです。猊下も立ち直るのに時間がかかったと聞いているのです」
と悼んでくれる。
「で、教えて欲しいことがある。その2、3ヶ月くらい前、月乃が病気に罹ってたことはないか?」
そういって俺はイストワールから聞いた事実の断片を大まかに並べた。はたして、ルカは当時の俺には秘密になっていたと言いながら、
知りたかったことについて教えてくれた。
「そうです。月乃女史の病気はザシチタが看ていたのです。この国で探せるなかで一番かしこい医療の魔女で、イストワールの仲介で、月乃女史に頼まれてファミリアのお城へ赴任したのです」
そこまでは話通りだ。
「で、どうなった?」
ルカは俺にじっと見つめられ少し困惑しながらも答えた。
「ザシチタの魔法はひとを呪文で治すようなものではないのです、その代わりに、ひとが持っている生命力をつかって自分の病気に立ち向かわせるものです。
だから高い魔力を持っていた月乃女史は、ザシチタの助けを借りてこの方法で病気を治すことにしたのです。治療は成功したです」
「治療は成功した? 確かに?」
「ええ。間違いないのです。お礼もちゃんと貰いました。もとから月乃女史はザシチタの魔法に近い方法を自力で行っていたのですが、ザシチタがあらためて指導して、
月乃女史がみずから病気を完全に抑え込む魔術を体得したのです」
ルカはどこか誇らしげに経緯を並べ立てた。一件落着というわけだ。が、ちゃんと整理しなければならない点がまだ残っている。
「魔力で病気を抑え込むって、もし魔力が枯渇したりしたらどうなるんだ?」
ルカはやれやれといった様子で、
「猊下は余り魔法を知らないかもしれませんが、魔力と生命力はイコールなのです。魔力が切れたら、ふつうどんなひとでも死ぬのです。
魔法使いの体には常に高い魔力が循環しているから大丈夫なのです」
「その理屈だと、魔法使いはたとえ刀で刺されたって死なないように聞こえるが」
「体が破れたら魔力が外に洩れ出して、循環しなくなるに決まってるではないですか」
うん、よく分からんな。まぁ、ルカの配下にあった魔女が月乃の病気を治すのを手伝ってくれたことまではわかった。というかルカ自身、魔術とかにも結構詳しそうだな。
「その一連の出来事についてもっと深く訊きたいんだ。たとえば、何で俺には秘密にすることになってた?」
そのときなんだかよく分からないが音楽が切り替わったらしい。それが合図となって、晩餐の会から優雅なダンスタイムに変貌というわけだ。
(もちろん会場を流れる音楽と言ってもCDプレイヤーなんかで再生されてるものじゃない。すべて専門家の手になる生演奏で、指揮者が曲目 を司っている。
乾杯の音頭は取らせてくれたくせに、こういったことは仕切らせてくれないらしい)
「猊下、踊りの時間なのです!」
ルカはその場で、飛び跳ねんばかりの興奮冷めやらぬ様子だった。対照的に俺は冷めてた。
「ああ。踊れないけどな、俺。どっかでぼーっと突っ立って見てるよ。ルカが踊るのを」
そう予告するとルカは甚く憤慨した。
「ばかいってるではないですよ! 猊下が壁のシミになってどうするですか!」
と。
「お、おう、ごめんな。たださっき言ったろ。踊れないんだって」
「どういうことですか!」
「どうやって踊ればいいか分からなくてな」
「……それはずいぶんと回りくどいお誘いですか?」
というと俺はきょとんとした。意味することがよく分からないうち、そうしている俺の手をルカはさっと取りあげ、
音楽の拍に合わせてふたりは離陸した。
まったく音楽的センスというものにかけてはただでさえ天の才能からしてルカが上回っているようだ、誰の目にも明らかなことに、そう、認めなければならないことに、俺のほうが下手くそだった。
だがなんだか訳知らないが俺たちはダンスとして様になる何か行為をしているようだ。そして気づいたことに、パーティダンスというやつは案外結構楽しい。
他人の目を気にするとこそ恥ずかしいが、当事者で踊っているぶんにはあまり悪い気分ではない。
他人といってもルカにはそれほど気兼ねしなくて、周りで見ているであろう王妃たち(視野が狭いせいで全然視界に入ってこないが)にとりわけembarrassingなのだ。
べつだん踊る約束事をしていたというわけでもないのだが。
「随分斬新なステップを踏むのですね」
踊りの途中でルカが訝しさ半分、アイロニー半分からそう指摘する。
「王のステップだ」
俺は斬新な命名をする。が、どんなステップを踏んでいるかは実際のところよく分からない。
「さっきから執拗にルカの足を狙わないでください!」
といってふたりはさきほどから一度だって足が絡み合うことはない……というかぶっちゃけ普通に上手いんじゃないか? 俺。初めてにしては上出来だ。
「自画自賛ですか?」
ルカが淆ぜ返す。
「魔術師じゃないなら心を読むな」
「猊下が心を閉ざせばいいのですよ」
「そんな思春期の男子中学生みたいなことできるか!」
ダンスはともかく、そっち系は魔術の訓練でも重ねないと厳しそうだ。要は読心術を防ぐってことだろ?
「で、月乃は何で秘密に?」
ワン。ツー。ワン。ツー。ルカは淀むことなく
「乙女心ってものですよ」
って答える。あ、曲が変わった。踊りは変えなくて良いのだろうか? 俺が落ち着きなくそわそわ辺を見回すと、ルカがそれとなく誘導してくれた。自然にステップが続く。
てか乙女心って言われてもな。謎をそのまま答えにされたようなものだ。
「ほかの王妃と踊っても、うまくいくと思うか?」
俺はルカ先生にご教示願う。
「とは?」
「うむ、けだしダンスにも相性ってものがあるだろう。てか、ぶっちゃけまだ無理だと思うんだよ、ルカ以外とうまく踊るの。
でもこうして踊っちまったわけだし、ほかの王妃全員とも踊らないことには……」
出席していないレイチェルやローサはともかく。で、ルカは俺にこう忠言してくれた。
「ほら、猊下はこうして踊れてるですよ。だからリドル以外とならなんとかなると思うのです」
あっ。やっぱリドルとは無理なんだ……そりゃ両方が下手じゃとても厳しいものがあるだろう。だが、極端な話し、踊ったという事実だけが重要であって、内容なんてぜんぜん関係ないのかもしれない。
「いまかかってるこの曲が終わったら、他の王妃と踊るぞ。いいな」
そう告げると、ルカはニッコリとして
「ご自由にどうぞ。でもルカが最初に猊下と踊ったという事実は揺らがないのですよ?」
そういって無邪気に笑いやがる。パーティで最初に踊った相手が第一位の花嫁になる云々なんて無根拠軽薄な噂を、否定したというのにルカもまだ信じているのか、それとも純粋に一番最初に俺と踊れたということがただ嬉しかったのか、
まあいい。俺も踊りがいよいよ楽しくなってきた。気にしない振りをしていた心配事がひとつ片付いて気も晴れた感じだ。シンディやスノウには何か言われるかも知れないが、
ダンスへの心配なきあとに、大洪水よ来たれ――(古の諺言にもある)。
俺は踊りながら次のステップへと移行した。
「月乃が暗殺された事件について、ルカも何か知ってるんじゃないか?」
病気ではないならやはり暗殺が濃厚である。物騒な話題で気兼ねするが、ルカには訊かなければならない。各領邦の王妃たちをこうして呼び出したのもどだいその為だ。
質問されるとルカはなんともやりきれない色を帯びた表情を浮かべた。俺はもう知っていた、これは異世界に来てからさんざ見せられてきた表情、つまりは隠し事をしている女性の表情 だ。
ルカはためらいがちに謳った。
「たぶん、月乃女史が暗殺された可能性は高いと思うのです」
真剣な面持ちで。
「何を知ってるんだ?」
ステップ。ターン。ふたりの距離が寄せては離れる。
「猊下、全部は話せないですが、でも信じて欲しいのです。ルカは月乃女史のことが大好きだったのです。もし……」
「若し?」
「もしルカの不注意のせいで月乃女史が死んでしまったとしたら、猊下はとっても怒りますか?」
はあとひとつため息をつき、俺はこう答える。
「怒る」
と。
「……話さないのです」
「冗談だよ。これまでの話を綜合するとルカは、一度は月乃の命を救ってくれた恩人だ。ルカがもし月乃を殺した犯人だったなら、俺はむしろ良かったとすら思うよ。
だって俺はお前のことをそこまで憎まなくて済むからな、相対的に。もちろんそれは全く怒らないは意味しない、あくまで相対的にだ」
ルカはやっぱりちょっと及び腰な感じで、それにおそるおそる言葉を返す。まるで花瓶を割ってしまったことを母親に報告しなければいけない子供みたいに。
「猊下がもし真実に辿り着けたとしたら、ルカのこともやっぱりちょっとは怨むと思うのです。だからルカはあらためて猊下のお嫁さんには、ふさわしくないのかもしれません……」
回想――ルカの回想
→ルカは、生まれつき体が弱かったのです。それでルカのパパとママはお医者さまを探して、ついにザシチタというとても優秀な魔女を見つけてきたのです。
ザシチタは沢山の褒美と立派なお家をもらって城の傍に棲んでいたのです。
ルカは言葉を操るのが苦手で、9歳までほとんど何も話せませんでした。ザシチタはそんなルカにすごい魔法を掛けてくれたのです。
それからやっと喋れるようになったです。ルカは、ルカが他の子たちよりもおとっていて、
遊ぶときもみんなから馬鹿にされたりいじめられたりするような子であることを知っていました。
だって9歳まで何も喋れなかったルカは、優秀だったり、すごいとほめて貰える子には程遠いのです。それに、身体が弱い体質はまだ治っていないのでした。
でも、ルカは別にいいのでした。他の子とあまり遊ばずに、ご本を読んだり、お歌を歌ったりして子供時代を過ごしたのでした。
ルカは、13歳のときに初恋をしたのです。ルカが猊下と呼んでいるひとが相手です。猊下は、レモン色の紋章で有名なファミリア家の王様です。
うちのお城のパーティで会ったとき、一目惚れってやつをしたのです。そのとき猊下はダンスをするのが初めてで、初めてをルカと踊りました。猊下がルカのダンスをじょうずと褒めてくれたことが、何より嬉しかったのです。
でも猊下とはそれから長い間会えなかったです。ルカは、猊下ほどの素敵なひとがルカみたいな子に構ってくれることは余りないと知っていました。
悲しいけれど仕方のないことなのです。猊下は、ファミリアを良くするために毎日忙しく働くのです。でも近い将来、第四王妃であるルカはきっと猊下と一緒に暮らせるのです。
ほかの王妃たちとみんな楽しく一緒に仲良く暮らせるのです。それを楽しみにしてたのでした。
ある日、第八王妃のイストワールがルカの国に来たのです。ルカはイストワールと会って、ザシチタを紹介して欲しいと頼まれたのです。
「どうしてですか?」
ルカは心配になりました。猊下のお体の具合が悪くなったと思ったのです。イストワールはいいました。
「辞 や、そなたの名医に月乃を看てもらおうと思うておるのじゃ。くれぐれも、他言するものでないぞ」
どうやら病気になったのは月乃女史だったらしいのです。でもそのことは秘密になっているみたいでした。
位の高いひとの病気が隠されたり、亡くなったことが外国にまで伝わらないことはよくあります。
だからあまり気にしませんでした。それからすぐにザシチタを向かわせたのです。
米
2週間くらいしてザシチタが国へ帰ってきました。ザシチタはまずルカにちゃんと薬は飲んでいるかって言いつけました。
ルカは、ルカの身体は最近すっかり調子がよくなって大丈夫で、薬も飲んでいると答えたのです。
それで、そのあとザシチタは月乃女史は治ったと言ったです。
ルカははしゃいで喜びました。でもザシチタは、すごく真剣な顔をして言うのです。
「月乃様はわたしめの助言によって病気を治されました。あの方はもとより規格外の魔力を持つお方、さほど難しいことではありません。
わたしめの手解きによって、あの方はご自身で病を癒やす術を習得されたのです。しかし今回のことによって、月乃様は不老不死の秘術をも身に付けてしまわれたことになります。
ですからわたしめは、独断でとんでもないことを為出かしてしまったかもしれません。きわめておそろしい魔女が誕生する瞬間を手伝ったのです。
リンギアのエミーを知っていますか? あのような恐ろしき魔術師、絶対に死なずまた滅ぼせない魔術師に、
月乃様はおなりになったのです。わたしめはその育てる手伝いをしたようなものです。とりもあえず人命を救えといわれたからそうしたものの、
そのことによってはたして遠い将来、幾万もの命が失われないとも限りません。
もし月乃様が権力に走り万物を欲せば、この国はたちまちすべて月乃様の手に落ちて支配されてしまうでしょう。
すべての村が、都が、命が彼女のもとに属するでしょう。不老不死で強大なる魔力を持つ魔女は、それほどまでに恐ろしい存在となり得るのです」
「そんな怖いことをいって、ルカを不安にさせたいのですか?」
ルカはザシチタにいいました。でも、ちがうといいました。
「いいえ、そうではありません。ルカ様にはひとつ知っておいていただきたいことがあるのです。インテンジア家に代々伝わる家宝である宝石、
『泪』は知っておりましょう?」
「あの青くてきれいな宝石なのです」
『泪』はインテンジアのお城に家宝として飾ってある青い宝石でした。ルカはもちろん何度も見たことがあったのです。
ザシチタは言いました。
「あの宝石はただの綺麗なだけの青玉ではありません。あれは魔力に対してきわめて作用する別の魔力を持っています。
為に、あの宝石を使えばどんな魔女でもたちどころにその魔力の循環を断ち切ることができ、いわば魔女の天敵といえましょう。
もちろんわたしめもあの宝石に触れることすら叶いません。あれは魔女でない者だけが扱うことのできる秘宝、魔女を断ち切るための道具です。
ですからもし月乃様が恐ろしい魔女になり、この世界を危険支配するようなことになれば、そのときはあの宝石をもってして月乃様に立ち向かうのです。
いかに不老不死の強大な存在といえ、あの宝石の持つ別次元の魔力には対抗できません。必ずや打ち倒されましょう」
「いやなのです! なんで月乃女史を打ち倒したりするですか。それはファミリアへの反逆になるですよ!」
ルカはいやがりました。ザシチタがそんな話をするのもいけないと感じたのですし、月乃女史がそうなるはずはないと思いました。だけどもザシチタはゆっくりと、最初のときよりもっと真剣な調子で言いました。
「ルカ様、わたしめの言ったことをどうかお忘れなきようにしてください。
でないとわたしめは安心してこの国から旅立つこともできません。
きっともう少し大きくなれば、ルカ様にもこのことの意味がよく分かっていただけるでしょう。
そのときまでくれぐれも宝石のことは、ファミリア国には秘密にしておくのですよ」
米
そのあとルカとイストワールはお茶会をしたのです。ザシチタが治療をうまくしてくれたおかげで、
月乃女史は内密にお礼をたくさんくれたです。ルカはイストワールからそのお礼を受けとって、一緒に病気が治ったお祝いをしたのです。
イストワールはプライミアの王妃で、年上で、背が高くて、健康的な褐色の肌をしているのです。
ルカは羨ましいのです。もっとルカの身体も、丈夫でしっかりとしていたらよかったのです。
ルカはいいました。
「……ザシチタは、ルカが大きくなると意味が分かるようになるって言うです。でも、やっぱりルカはそんな心配しなくていいと思うです。
これ以上大きくなっても、何も変わらないのです。だって月乃女史はとっても良い人なのですよ?」
ルカは、ザシチタにいわれた話をイストワールにしていたのです。イストワールはこたえました。
「然もそうず。月乃は万万そのような魔女にはならぬ。吾が師匠について月乃に魔術を教えたのじゃから」
「そうだったですか?」
「然りとて疾く追い越されてしもうたがの。さても魔女を断つ宝石とは、おどろおどろしい話ぢゃ。吾も気をつけねばならむよ」
イストワールは月乃が悪い魔女になることはないと保証したのです。その日はとても楽しくお菓子を食べてお茶をしてお別れしました。
でも次の日、ザシチタはそのことを知ってとても怒ったのでした。こう言うのでした。
「ルカ様、イストワール妃にインテンジア家の宝石にまつわる秘密を話してしまわれたのですか?
ああ、なんということでしょう。ルカ様、なぜ秘密にしておかなかったのですか? 話して何の得がありましょう?
よいですか、「泪」が強大なる魔女に対抗しうる秘奥であることは、決して月乃様には知られてはならぬこと、
細心の注意をはらって秘密にしておくべきでした。イストワール経由で月乃様に知られてしまっては意味が失くなります、
知れば必ずや対抗しないわけが無いのですから」
「ザシチタは心配しすぎなのですよ。月乃女史は良いひとで、恐ろしい魔女にはならないってイストワールもいってたのです。
それにイストワールは、きっといまからでも手紙を送ったら、月乃女史にこのことを秘密にしてくれるですよ」
ザシチタは額に手を当て、困ったみたいに言いました。
「いいですか、もうこうなった以上、すべてが危険なのです。
イストワールがもしわが国の秘蔵する宝石の力を証拠とし、わが国がファミリア王家と月乃様に対して反乱を企てていると耳に入れさせでもすれば、
インテンジアはファミリア国にとって敵になります。もちろんインテンジアは反乱など起こしません。しかし月乃様が「泪」の存在を放っておくわけもないのですから、
『こちらが反乱を起こす前に』という名目で、明日にでもわが国へ軍隊を送り込んで攻め入り、インテンジア王家を解体してしまわないとも限らないのです。
そしてイストワールからすれば、そのことは自分にとって得になるのですよ。イストワールとて魔女ですから「泪」のことは脅威に思うでしょう、わたしめも魔女ですからそれはよく分かります。
そんな危険な宝石をインテンジアにずっと置いておくより、ファミリア国に奪ってもらい壊させたほうが上策です。
加えてイストワールはプライミアの統治者として、インテンジアがなくなればライバルが減って嬉しいではありませんか」
ルカは、ルカがきまりをやぶっていけないことをしてしまったと、ちょっとだけ分かりました。
内緒にしておいたほうが、よかったかも知れません。でも、やっぱりザシチタの意見はなんだか誰のことも悪者扱いしているみたいで受け付けないのです。
イストワールがファミリア国へ告げ口するですか? 告げ口された月乃女史が宝石をおそれて、インテンジアは悪い国だから滅ぼしてしまおうって猊下に進言するですか?
猊下がそのことを信じて、ルカのお城を焚 いて、宝石も奪って毀(こわ)してしまうですか?
ルカにはそのどれも起きるようには到底思えなかったのです。ザシチタはきびしい顔をして「これからあなたのお父上と相談して、このことはどうするか決めます」と言いました。
ルカはパパに怒られるにちがいないですか? ときくとザシチタは
「そのようなことは無きよう計らいます、ちゃんとお父上にははっきり報告するつもりです、元はといえばわたしめの治療行為が招いた事態であると」
って言うのです。よくみるとそういったザシチタは目にはほんのり涙が浮かんでいたのです。それでルカは、ザシチタも彼女なりに思いつめていたと気づいたのです。
責任を感じていたのです。もっとちゃんと慰めの言葉をかけてあげればよかったと思いました。あわててルカは「大丈夫なのです、きっとザシチタが思っているような悪いことにはならないのですよ」といいました、
実際には、とても比べられない最悪のことが起こったのです。
ルカのパパはザシチタからすぐに話をききとりました。パパはこのまま「泪」を持っているとファミリア王家に反逆とみなされるとおそれて、
手放してしまおうと決意したのです。それもよしなき人に渡したのでは、手放したといってまだ実際には隠し持っているのではと疑われます。
だからパパはファミリア王家に「泪」をプレゼントして、逆に恩を売ってしまおうと考えました。これがパパのかしこいところなのです。
パパは月乃女史が不老不死の魔女になったことで、将来とても恐ろしい危険な支配が始まるかもしれないことも防ごうとして、
月乃女史やそれと親しい猊下ではなく、隠居している先代王に宝石と事情を書いた手紙を一緒に渡す計画だったのです。
そうすれば月乃女史が何か悪いことをしようと企んでも(ルカはそんなことはないと思うですが)、安心なのです。
ルカのお城からとびきりの宝石が無くなってしまうのは、ちょっぴり残念ですが、これでザシチタも安心できます。
ザシチタにはルカが一人前になって身体が頑丈になる日まで、もう少しお世話にならなくてはいけません。
なのでザシチタが安心してくれるようになるのは、ルカにとっても都合が良かったのです。
翌くる朝、「泪」の宝石と事情を書いた手紙を乗せて、ファミリア地方に向けて荷物を出発させました。
5日ほどでファミリア先王の住む荘園に、宝石と手紙は届くはずだったのです。なのにとても大変なことが起こりました。
馬車に載せた荷物は到着しませんでした。国境の付近で、白波に襲われて宝石も手紙も攫われてしまったのです。
その報知 が届いたときパパも、ザシチタも、ルカも、すごく絶望的な気持ちになって、すっかり慌てたのです。
パパはすぐに宝石を取り戻せと大臣に命じました、宝石を取り戻せたらどんな褒美でも出すと立て札をたてました。
すぐに宝石を引き渡さないと、反乱を企てていると思われて、ファミリア国がいまにも攻めてくるかも知れないからです。
でも、すぐにとても悪いことが起こりました。月乃女史がとつぜん死んでしまったのです。
あれほど不老不死だとザシチタがいった月乃女史が、ラティシア辺疆の戦場で、猊下と一緒に戦っているときに亡くなってしまったのでした。
ザシチタはふるえながら言いました。もしあのとき盗賊に奪われた宝石が、月乃女史を殺すのに使われていたら……と。
だって、手紙も一緒に盗まれていたのです。ラティシア軍が手紙を読んでいたら、月乃女史を倒すために宝石を用いたに違いないのでした、
でも、怯えるザシチタにルカはいってあげました。
「もう、考えないことにしましょう。ルカが悪かったら、それはルカが罰を受ければ済むことなのです。
インテンジア王家が悪かったら、そのときは王家が罰を受ければいいのです。
でもかしこいザシチタは、月乃女史の病気を治療したことで、すべての罪が永久にわたって赦されるのですよ」
と。ルカにもこのくらいのことは言えるのです。だって、一国の王妃として、臣下を安心させてやらなければならないのですから。
それでも、ルカが悪いことをしたのは本当でした。ルカが宝石の秘密を他国に内緒にしなかったせいで、
ファミリアに宝石を輸送することになって、そうしなければあの宝石は盗まれることも無かったのです。
眩いばかりに照明の輝くホールだ。輝きは灯だけでなく、グラスやドレスにも照り映えている。また人々の魂にも。まさに貴族の粋を尽くした甘美な空間。
ここでたくさんの商談が取りまとめられ、家同士の秘密の約束がとり結ばれ、そうして歴史が動いていく。周期に繰り返される忙しなき離合集散の、まごうことなき集の一幕。
皆が利得を求めて噂を交換し合い、あるいはみずからを好人物にみせかけるため国の歴史をその内に結晶化させている素晴らしい音楽に聞き惚れ、豪華な食事と美味な酒類に酔いしれる。
だがナチュリアの貴族たちは互いに虎視をさし向け合い牽制し合っているばかりで、先ほどから一向に話しかけてこない。
あのスノウすらこちらにじっと視線を投げかけるだけで言葉ひとつ発しない。
多分、俺からしか話しかけてはならないルールになっているのだろう。でないと王である俺はたちまち皆から
幸いこの暗黙のルールがあったおかげで、俺はとくに引き止められもせず中央のテーブルまで快適に辿り着くことができた。
そこでパーティのホストであるレッドローズに挨拶し、乾杯の音頭をとるが、飲酒をするわけではない。なぜなら俺は未成年だからである。一滴も飲まなかった。
その晩は一滴もアルコールを口には含まなかった。未成年者の俺は、清く正しく法律を守って生きていく。
で、パーティで話されたことと言えば最初は俺が落馬して記憶喪失になったことへの見舞いばかりだ。
何人にも同じことを言われると、次第に自分が本当に馬から落ちたかのような気分になってしまう。
また面白かったのは、シンディが俺が落馬したときに乗っていた馬は馬刺しになったと言ったことだ。あれは傑作だった。
涼しい顔でそんなことをやられると頬が緩んでしまう。もちろんその頬はアルコールの酩酊作用によって紅潮しているなんてことはなく、
俺は至って
で、少し巻く。パーティ会場で所在なさそうにしているルカを見つけた。
「もっと食えばいいのに」
俺はかってに容喙する。ルカは安心したように、また辟易したようにこちらへ申し啓いた。
「猊下はわかってないのです。この忌々しいドレスのせいで食欲もなくなるのですよ」
「ウエストがきついのか?」
コルセットでも嵌めているのかと思って俺は言った。
「そういうわけでは……」
ルカはちょっと困った様子。
ああそうか、一旦着ると脱げないからトイレにも行けないんだな。後先考えずにバカバカと飲み食いしていたら最悪早々にパーティから退場する羽目になりそうだ。
「もっと普通の服を着て来れば良かったろうが」
俺は指南する。
「意味がわからないのです。これが普通の
「確かにそうかもな」
俺に
「……猊下は他のお妃のところへ行かなくていいのですか?」
ルカはもういいだろうと言わんばかりの態度で口を尖らせ、なんとも卑屈なお節介をする。
こいつそのうちへそを曲げて途中で帰ってしまいそうだな……いずれにせよ、本題を切り出すなら早いうちがいい。
「ああ、行くよ。すぐ行ってやる。だけどその前に、月乃について教えてくれ」
ルカは小考してから、
「いいのですよ」
と応じる。俺は最初のところから説明を始めた。
「もしかするとよく分からないかも知れないけど、聞いてくれ。実は俺は以前とは別人なんだ。落馬事故っていうのは嘘で、以前の俺はもといた世界に帰った
それもこれも全部、月乃が戦死したせいだ」
月乃のことを話題に出すと、ルカは少し悲しそうな表情を帯びて
「……とても残念な出来事だったです。猊下も立ち直るのに時間がかかったと聞いているのです」
と悼んでくれる。
「で、教えて欲しいことがある。その2、3ヶ月くらい前、月乃が病気に罹ってたことはないか?」
そういって俺はイストワールから聞いた事実の断片を大まかに並べた。はたして、ルカは当時の俺には秘密になっていたと言いながら、
知りたかったことについて教えてくれた。
「そうです。月乃女史の病気はザシチタが看ていたのです。この国で探せるなかで一番かしこい医療の魔女で、イストワールの仲介で、月乃女史に頼まれてファミリアのお城へ赴任したのです」
そこまでは話通りだ。
「で、どうなった?」
ルカは俺にじっと見つめられ少し困惑しながらも答えた。
「ザシチタの魔法はひとを呪文で治すようなものではないのです、その代わりに、ひとが持っている生命力をつかって自分の病気に立ち向かわせるものです。
だから高い魔力を持っていた月乃女史は、ザシチタの助けを借りてこの方法で病気を治すことにしたのです。治療は成功したです」
「治療は成功した? 確かに?」
「ええ。間違いないのです。お礼もちゃんと貰いました。もとから月乃女史はザシチタの魔法に近い方法を自力で行っていたのですが、ザシチタがあらためて指導して、
月乃女史がみずから病気を完全に抑え込む魔術を体得したのです」
ルカはどこか誇らしげに経緯を並べ立てた。一件落着というわけだ。が、ちゃんと整理しなければならない点がまだ残っている。
「魔力で病気を抑え込むって、もし魔力が枯渇したりしたらどうなるんだ?」
ルカはやれやれといった様子で、
「猊下は余り魔法を知らないかもしれませんが、魔力と生命力はイコールなのです。魔力が切れたら、ふつうどんなひとでも死ぬのです。
魔法使いの体には常に高い魔力が循環しているから大丈夫なのです」
「その理屈だと、魔法使いはたとえ刀で刺されたって死なないように聞こえるが」
「体が破れたら魔力が外に洩れ出して、循環しなくなるに決まってるではないですか」
うん、よく分からんな。まぁ、ルカの配下にあった魔女が月乃の病気を治すのを手伝ってくれたことまではわかった。というかルカ自身、魔術とかにも結構詳しそうだな。
「その一連の出来事についてもっと深く訊きたいんだ。たとえば、何で俺には秘密にすることになってた?」
そのときなんだかよく分からないが音楽が切り替わったらしい。それが合図となって、晩餐の会から優雅なダンスタイムに変貌というわけだ。
(もちろん会場を流れる音楽と言ってもCDプレイヤーなんかで再生されてるものじゃない。すべて専門家の手になる生演奏で、指揮者が
乾杯の音頭は取らせてくれたくせに、こういったことは仕切らせてくれないらしい)
「猊下、踊りの時間なのです!」
ルカはその場で、飛び跳ねんばかりの興奮冷めやらぬ様子だった。対照的に俺は冷めてた。
「ああ。踊れないけどな、俺。どっかでぼーっと突っ立って見てるよ。ルカが踊るのを」
そう予告するとルカは甚く憤慨した。
「ばかいってるではないですよ! 猊下が壁のシミになってどうするですか!」
と。
「お、おう、ごめんな。たださっき言ったろ。踊れないんだって」
「どういうことですか!」
「どうやって踊ればいいか分からなくてな」
「……それはずいぶんと回りくどいお誘いですか?」
というと俺はきょとんとした。意味することがよく分からないうち、そうしている俺の手をルカはさっと取りあげ、
音楽の拍に合わせてふたりは離陸した。
まったく音楽的センスというものにかけてはただでさえ天の才能からしてルカが上回っているようだ、誰の目にも明らかなことに、そう、認めなければならないことに、俺のほうが下手くそだった。
だがなんだか訳知らないが俺たちはダンスとして様になる何か行為をしているようだ。そして気づいたことに、パーティダンスというやつは案外結構楽しい。
他人の目を気にするとこそ恥ずかしいが、当事者で踊っているぶんにはあまり悪い気分ではない。
他人といってもルカにはそれほど気兼ねしなくて、周りで見ているであろう王妃たち(視野が狭いせいで全然視界に入ってこないが)にとりわけembarrassingなのだ。
べつだん踊る約束事をしていたというわけでもないのだが。
「随分斬新なステップを踏むのですね」
踊りの途中でルカが訝しさ半分、アイロニー半分からそう指摘する。
「王のステップだ」
俺は斬新な命名をする。が、どんなステップを踏んでいるかは実際のところよく分からない。
「さっきから執拗にルカの足を狙わないでください!」
といってふたりはさきほどから一度だって足が絡み合うことはない……というかぶっちゃけ普通に上手いんじゃないか? 俺。初めてにしては上出来だ。
「自画自賛ですか?」
ルカが淆ぜ返す。
「魔術師じゃないなら心を読むな」
「猊下が心を閉ざせばいいのですよ」
「そんな思春期の男子中学生みたいなことできるか!」
ダンスはともかく、そっち系は魔術の訓練でも重ねないと厳しそうだ。要は読心術を防ぐってことだろ?
「で、月乃は何で秘密に?」
ワン。ツー。ワン。ツー。ルカは淀むことなく
「乙女心ってものですよ」
って答える。あ、曲が変わった。踊りは変えなくて良いのだろうか? 俺が落ち着きなくそわそわ辺を見回すと、ルカがそれとなく誘導してくれた。自然にステップが続く。
てか乙女心って言われてもな。謎をそのまま答えにされたようなものだ。
「ほかの王妃と踊っても、うまくいくと思うか?」
俺はルカ先生にご教示願う。
「とは?」
「うむ、けだしダンスにも相性ってものがあるだろう。てか、ぶっちゃけまだ無理だと思うんだよ、ルカ以外とうまく踊るの。
でもこうして踊っちまったわけだし、ほかの王妃全員とも踊らないことには……」
出席していないレイチェルやローサはともかく。で、ルカは俺にこう忠言してくれた。
「ほら、猊下はこうして踊れてるですよ。だからリドル以外とならなんとかなると思うのです」
あっ。やっぱリドルとは無理なんだ……そりゃ両方が下手じゃとても厳しいものがあるだろう。だが、極端な話し、踊ったという事実だけが重要であって、内容なんてぜんぜん関係ないのかもしれない。
「いまかかってるこの曲が終わったら、他の王妃と踊るぞ。いいな」
そう告げると、ルカはニッコリとして
「ご自由にどうぞ。でもルカが最初に猊下と踊ったという事実は揺らがないのですよ?」
そういって無邪気に笑いやがる。パーティで最初に踊った相手が第一位の花嫁になる云々なんて無根拠軽薄な噂を、否定したというのにルカもまだ信じているのか、それとも純粋に一番最初に俺と踊れたということがただ嬉しかったのか、
まあいい。俺も踊りがいよいよ楽しくなってきた。気にしない振りをしていた心配事がひとつ片付いて気も晴れた感じだ。シンディやスノウには何か言われるかも知れないが、
ダンスへの心配なきあとに、大洪水よ来たれ――(古の諺言にもある)。
俺は踊りながら次のステップへと移行した。
「月乃が暗殺された事件について、ルカも何か知ってるんじゃないか?」
病気ではないならやはり暗殺が濃厚である。物騒な話題で気兼ねするが、ルカには訊かなければならない。各領邦の王妃たちをこうして呼び出したのもどだいその為だ。
質問されるとルカはなんともやりきれない色を帯びた表情を浮かべた。俺はもう知っていた、これは異世界に来てからさんざ見せられてきた表情、つまりは隠し事をしている女性の
ルカはためらいがちに謳った。
「たぶん、月乃女史が暗殺された可能性は高いと思うのです」
真剣な面持ちで。
「何を知ってるんだ?」
ステップ。ターン。ふたりの距離が寄せては離れる。
「猊下、全部は話せないですが、でも信じて欲しいのです。ルカは月乃女史のことが大好きだったのです。もし……」
「若し?」
「もしルカの不注意のせいで月乃女史が死んでしまったとしたら、猊下はとっても怒りますか?」
はあとひとつため息をつき、俺はこう答える。
「怒る」
と。
「……話さないのです」
「冗談だよ。これまでの話を綜合するとルカは、一度は月乃の命を救ってくれた恩人だ。ルカがもし月乃を殺した犯人だったなら、俺はむしろ良かったとすら思うよ。
だって俺はお前のことをそこまで憎まなくて済むからな、相対的に。もちろんそれは全く怒らないは意味しない、あくまで相対的にだ」
ルカはやっぱりちょっと及び腰な感じで、それにおそるおそる言葉を返す。まるで花瓶を割ってしまったことを母親に報告しなければいけない子供みたいに。
「猊下がもし真実に辿り着けたとしたら、ルカのこともやっぱりちょっとは怨むと思うのです。だからルカはあらためて猊下のお嫁さんには、ふさわしくないのかもしれません……」
回想――ルカの回想
→ルカは、生まれつき体が弱かったのです。それでルカのパパとママはお医者さまを探して、ついにザシチタというとても優秀な魔女を見つけてきたのです。
ザシチタは沢山の褒美と立派なお家をもらって城の傍に棲んでいたのです。
ルカは言葉を操るのが苦手で、9歳までほとんど何も話せませんでした。ザシチタはそんなルカにすごい魔法を掛けてくれたのです。
それからやっと喋れるようになったです。ルカは、ルカが他の子たちよりもおとっていて、
遊ぶときもみんなから馬鹿にされたりいじめられたりするような子であることを知っていました。
だって9歳まで何も喋れなかったルカは、優秀だったり、すごいとほめて貰える子には程遠いのです。それに、身体が弱い体質はまだ治っていないのでした。
でも、ルカは別にいいのでした。他の子とあまり遊ばずに、ご本を読んだり、お歌を歌ったりして子供時代を過ごしたのでした。
ルカは、13歳のときに初恋をしたのです。ルカが猊下と呼んでいるひとが相手です。猊下は、レモン色の紋章で有名なファミリア家の王様です。
うちのお城のパーティで会ったとき、一目惚れってやつをしたのです。そのとき猊下はダンスをするのが初めてで、初めてをルカと踊りました。猊下がルカのダンスをじょうずと褒めてくれたことが、何より嬉しかったのです。
でも猊下とはそれから長い間会えなかったです。ルカは、猊下ほどの素敵なひとがルカみたいな子に構ってくれることは余りないと知っていました。
悲しいけれど仕方のないことなのです。猊下は、ファミリアを良くするために毎日忙しく働くのです。でも近い将来、第四王妃であるルカはきっと猊下と一緒に暮らせるのです。
ほかの王妃たちとみんな楽しく一緒に仲良く暮らせるのです。それを楽しみにしてたのでした。
ある日、第八王妃のイストワールがルカの国に来たのです。ルカはイストワールと会って、ザシチタを紹介して欲しいと頼まれたのです。
「どうしてですか?」
ルカは心配になりました。猊下のお体の具合が悪くなったと思ったのです。イストワールはいいました。
「
どうやら病気になったのは月乃女史だったらしいのです。でもそのことは秘密になっているみたいでした。
位の高いひとの病気が隠されたり、亡くなったことが外国にまで伝わらないことはよくあります。
だからあまり気にしませんでした。それからすぐにザシチタを向かわせたのです。
米
2週間くらいしてザシチタが国へ帰ってきました。ザシチタはまずルカにちゃんと薬は飲んでいるかって言いつけました。
ルカは、ルカの身体は最近すっかり調子がよくなって大丈夫で、薬も飲んでいると答えたのです。
それで、そのあとザシチタは月乃女史は治ったと言ったです。
ルカははしゃいで喜びました。でもザシチタは、すごく真剣な顔をして言うのです。
「月乃様はわたしめの助言によって病気を治されました。あの方はもとより規格外の魔力を持つお方、さほど難しいことではありません。
わたしめの手解きによって、あの方はご自身で病を癒やす術を習得されたのです。しかし今回のことによって、月乃様は不老不死の秘術をも身に付けてしまわれたことになります。
ですからわたしめは、独断でとんでもないことを為出かしてしまったかもしれません。きわめておそろしい魔女が誕生する瞬間を手伝ったのです。
リンギアのエミーを知っていますか? あのような恐ろしき魔術師、絶対に死なずまた滅ぼせない魔術師に、
月乃様はおなりになったのです。わたしめはその育てる手伝いをしたようなものです。とりもあえず人命を救えといわれたからそうしたものの、
そのことによってはたして遠い将来、幾万もの命が失われないとも限りません。
もし月乃様が権力に走り万物を欲せば、この国はたちまちすべて月乃様の手に落ちて支配されてしまうでしょう。
すべての村が、都が、命が彼女のもとに属するでしょう。不老不死で強大なる魔力を持つ魔女は、それほどまでに恐ろしい存在となり得るのです」
「そんな怖いことをいって、ルカを不安にさせたいのですか?」
ルカはザシチタにいいました。でも、ちがうといいました。
「いいえ、そうではありません。ルカ様にはひとつ知っておいていただきたいことがあるのです。インテンジア家に代々伝わる家宝である宝石、
『泪』は知っておりましょう?」
「あの青くてきれいな宝石なのです」
『泪』はインテンジアのお城に家宝として飾ってある青い宝石でした。ルカはもちろん何度も見たことがあったのです。
ザシチタは言いました。
「あの宝石はただの綺麗なだけの青玉ではありません。あれは魔力に対してきわめて作用する別の魔力を持っています。
為に、あの宝石を使えばどんな魔女でもたちどころにその魔力の循環を断ち切ることができ、いわば魔女の天敵といえましょう。
もちろんわたしめもあの宝石に触れることすら叶いません。あれは魔女でない者だけが扱うことのできる秘宝、魔女を断ち切るための道具です。
ですからもし月乃様が恐ろしい魔女になり、この世界を危険支配するようなことになれば、そのときはあの宝石をもってして月乃様に立ち向かうのです。
いかに不老不死の強大な存在といえ、あの宝石の持つ別次元の魔力には対抗できません。必ずや打ち倒されましょう」
「いやなのです! なんで月乃女史を打ち倒したりするですか。それはファミリアへの反逆になるですよ!」
ルカはいやがりました。ザシチタがそんな話をするのもいけないと感じたのですし、月乃女史がそうなるはずはないと思いました。だけどもザシチタはゆっくりと、最初のときよりもっと真剣な調子で言いました。
「ルカ様、わたしめの言ったことをどうかお忘れなきようにしてください。
でないとわたしめは安心してこの国から旅立つこともできません。
きっともう少し大きくなれば、ルカ様にもこのことの意味がよく分かっていただけるでしょう。
そのときまでくれぐれも宝石のことは、ファミリア国には秘密にしておくのですよ」
米
そのあとルカとイストワールはお茶会をしたのです。ザシチタが治療をうまくしてくれたおかげで、
月乃女史は内密にお礼をたくさんくれたです。ルカはイストワールからそのお礼を受けとって、一緒に病気が治ったお祝いをしたのです。
イストワールはプライミアの王妃で、年上で、背が高くて、健康的な褐色の肌をしているのです。
ルカは羨ましいのです。もっとルカの身体も、丈夫でしっかりとしていたらよかったのです。
ルカはいいました。
「……ザシチタは、ルカが大きくなると意味が分かるようになるって言うです。でも、やっぱりルカはそんな心配しなくていいと思うです。
これ以上大きくなっても、何も変わらないのです。だって月乃女史はとっても良い人なのですよ?」
ルカは、ザシチタにいわれた話をイストワールにしていたのです。イストワールはこたえました。
「然もそうず。月乃は万万そのような魔女にはならぬ。吾が師匠について月乃に魔術を教えたのじゃから」
「そうだったですか?」
「然りとて疾く追い越されてしもうたがの。さても魔女を断つ宝石とは、おどろおどろしい話ぢゃ。吾も気をつけねばならむよ」
イストワールは月乃が悪い魔女になることはないと保証したのです。その日はとても楽しくお菓子を食べてお茶をしてお別れしました。
でも次の日、ザシチタはそのことを知ってとても怒ったのでした。こう言うのでした。
「ルカ様、イストワール妃にインテンジア家の宝石にまつわる秘密を話してしまわれたのですか?
ああ、なんということでしょう。ルカ様、なぜ秘密にしておかなかったのですか? 話して何の得がありましょう?
よいですか、「泪」が強大なる魔女に対抗しうる秘奥であることは、決して月乃様には知られてはならぬこと、
細心の注意をはらって秘密にしておくべきでした。イストワール経由で月乃様に知られてしまっては意味が失くなります、
知れば必ずや対抗しないわけが無いのですから」
「ザシチタは心配しすぎなのですよ。月乃女史は良いひとで、恐ろしい魔女にはならないってイストワールもいってたのです。
それにイストワールは、きっといまからでも手紙を送ったら、月乃女史にこのことを秘密にしてくれるですよ」
ザシチタは額に手を当て、困ったみたいに言いました。
「いいですか、もうこうなった以上、すべてが危険なのです。
イストワールがもしわが国の秘蔵する宝石の力を証拠とし、わが国がファミリア王家と月乃様に対して反乱を企てていると耳に入れさせでもすれば、
インテンジアはファミリア国にとって敵になります。もちろんインテンジアは反乱など起こしません。しかし月乃様が「泪」の存在を放っておくわけもないのですから、
『こちらが反乱を起こす前に』という名目で、明日にでもわが国へ軍隊を送り込んで攻め入り、インテンジア王家を解体してしまわないとも限らないのです。
そしてイストワールからすれば、そのことは自分にとって得になるのですよ。イストワールとて魔女ですから「泪」のことは脅威に思うでしょう、わたしめも魔女ですからそれはよく分かります。
そんな危険な宝石をインテンジアにずっと置いておくより、ファミリア国に奪ってもらい壊させたほうが上策です。
加えてイストワールはプライミアの統治者として、インテンジアがなくなればライバルが減って嬉しいではありませんか」
ルカは、ルカがきまりをやぶっていけないことをしてしまったと、ちょっとだけ分かりました。
内緒にしておいたほうが、よかったかも知れません。でも、やっぱりザシチタの意見はなんだか誰のことも悪者扱いしているみたいで受け付けないのです。
イストワールがファミリア国へ告げ口するですか? 告げ口された月乃女史が宝石をおそれて、インテンジアは悪い国だから滅ぼしてしまおうって猊下に進言するですか?
猊下がそのことを信じて、ルカのお城を
ルカにはそのどれも起きるようには到底思えなかったのです。ザシチタはきびしい顔をして「これからあなたのお父上と相談して、このことはどうするか決めます」と言いました。
ルカはパパに怒られるにちがいないですか? ときくとザシチタは
「そのようなことは無きよう計らいます、ちゃんとお父上にははっきり報告するつもりです、元はといえばわたしめの治療行為が招いた事態であると」
って言うのです。よくみるとそういったザシチタは目にはほんのり涙が浮かんでいたのです。それでルカは、ザシチタも彼女なりに思いつめていたと気づいたのです。
責任を感じていたのです。もっとちゃんと慰めの言葉をかけてあげればよかったと思いました。あわててルカは「大丈夫なのです、きっとザシチタが思っているような悪いことにはならないのですよ」といいました、
実際には、とても比べられない最悪のことが起こったのです。
ルカのパパはザシチタからすぐに話をききとりました。パパはこのまま「泪」を持っているとファミリア王家に反逆とみなされるとおそれて、
手放してしまおうと決意したのです。それもよしなき人に渡したのでは、手放したといってまだ実際には隠し持っているのではと疑われます。
だからパパはファミリア王家に「泪」をプレゼントして、逆に恩を売ってしまおうと考えました。これがパパのかしこいところなのです。
パパは月乃女史が不老不死の魔女になったことで、将来とても恐ろしい危険な支配が始まるかもしれないことも防ごうとして、
月乃女史やそれと親しい猊下ではなく、隠居している先代王に宝石と事情を書いた手紙を一緒に渡す計画だったのです。
そうすれば月乃女史が何か悪いことをしようと企んでも(ルカはそんなことはないと思うですが)、安心なのです。
ルカのお城からとびきりの宝石が無くなってしまうのは、ちょっぴり残念ですが、これでザシチタも安心できます。
ザシチタにはルカが一人前になって身体が頑丈になる日まで、もう少しお世話にならなくてはいけません。
なのでザシチタが安心してくれるようになるのは、ルカにとっても都合が良かったのです。
翌くる朝、「泪」の宝石と事情を書いた手紙を乗せて、ファミリア地方に向けて荷物を出発させました。
5日ほどでファミリア先王の住む荘園に、宝石と手紙は届くはずだったのです。なのにとても大変なことが起こりました。
馬車に載せた荷物は到着しませんでした。国境の付近で、白波に襲われて宝石も手紙も攫われてしまったのです。
その
パパはすぐに宝石を取り戻せと大臣に命じました、宝石を取り戻せたらどんな褒美でも出すと立て札をたてました。
すぐに宝石を引き渡さないと、反乱を企てていると思われて、ファミリア国がいまにも攻めてくるかも知れないからです。
でも、すぐにとても悪いことが起こりました。月乃女史がとつぜん死んでしまったのです。
あれほど不老不死だとザシチタがいった月乃女史が、ラティシア辺疆の戦場で、猊下と一緒に戦っているときに亡くなってしまったのでした。
ザシチタはふるえながら言いました。もしあのとき盗賊に奪われた宝石が、月乃女史を殺すのに使われていたら……と。
だって、手紙も一緒に盗まれていたのです。ラティシア軍が手紙を読んでいたら、月乃女史を倒すために宝石を用いたに違いないのでした、
でも、怯えるザシチタにルカはいってあげました。
「もう、考えないことにしましょう。ルカが悪かったら、それはルカが罰を受ければ済むことなのです。
インテンジア王家が悪かったら、そのときは王家が罰を受ければいいのです。
でもかしこいザシチタは、月乃女史の病気を治療したことで、すべての罪が永久にわたって赦されるのですよ」
と。ルカにもこのくらいのことは言えるのです。だって、一国の王妃として、臣下を安心させてやらなければならないのですから。
それでも、ルカが悪いことをしたのは本当でした。ルカが宝石の秘密を他国に内緒にしなかったせいで、
ファミリアに宝石を輸送することになって、そうしなければあの宝石は盗まれることも無かったのです。