第8証言 アリストクラートと少女リドル

文字数 4,102文字

交換魔術(チェンジリング)について――この呪文は禁呪である。
われらの世界と法則を逸する別の世界からフレニールを発生することにより、双子の矛盾を解決するエレガントな召喚魔術として生み出されたが、
多用されることによりこの世界の文化と実相を大きく変えてしまった。いまでは使用できる者もきわめて限られており、古の禁術と同じような扱われ方をしている。
しかしこの術は厳密には古の禁術と違い、存在そのものが伝説であったり再現する方法がないわけではない。もし研究するならば先人に師事するのがよいだろう』――『フォークの魔女とソフィアたちの飢餓』より

第8証言 アリストクラートと少女リドル
 それから数日間、ファミリア王宮殿の社交界ではまことしやかな噂が流れた。「『救世の王』は落馬事故で頭を強打したことによってこれまでの記憶を喪失し、
政治的な判断をくだすことが困難となったので、摂政として全権をモーアに譲与し、しばらくは政治の第一線から退くことになった」と。
これは無論シンディが根回しして流したカバーストーリーにすぎなかったが、内容としては宰相派の全面勝利に等しかった。
もとから宰相派なるグループは、先王の平穏な意志を半ば利用する形で貴族政治(アリストクラシー)を布き、その果実を身内たちの(ほしいまま)にしていた。
趨勢が一変したのは2年前、温厚すぎるほど平穏な先王が予言を授かり、『救世の王』なる少年を養子とし、その王位を継承させみずからは退くことになってからだ。
お察しするまででもないと思うが、この少年というのこそ当時14歳だったチェンジリングの俺である。そいつは聖なる予言とかいう世界の縛りに従い、滅びかけていたファミリア国の改革に着手しはじめた。
具体的にまずそこからはじめたことは、民から悪辣視され嫌われていた貴族政治を打破する王政を敷くこと……別にこれが謬っているだのとむかしの俺に対して思うことはない。今の俺だってそうするし、誰だってそうする。
ところがばってん、これが宰相モーアとの永久なる確執のはじまりだったわけだ。まさに不倶戴天。それから数年、俺はもうほとんど暗殺される寸前だった(無駄にラップ調)。
 この顛末をシンディに聞いてから、俺は上級貴族(ジュ・ドンネ)たちに政治の実権を戻すというか、内乱が起きるくらいなら喜んで譲り渡すというか、まあそのようなことを朧気にイメージしていたわけだが、
それを平穏に実行に移せたのはひとえにシンディの手回しのお陰である。これで心置きなく月乃捜索の旅に出かけることができる。いまさら王城にあってもやることは何もないので、帰る予定はない。
途中で新たな手掛かりが見つかれば何ヶ月、いや何年だって旅程を延長してもいい。未知なる探検を前にして、心は晴れ上がる空を吹き上がる風のように躍っていた。
まあその風は少しばかり冷たすぎたので、俺は城門の前で小刻みに震えていたわけだが。
見送りにきたスノウはこの気候にもう慣れているのか、その着衣(ドレス)を特別に温かく仕立(つく)っていたのかは知らないが、寒そうな様子はまったく見せない。
ちなみにシンディは城門まで見送りには来ないようだった。馬車を手配してくれたのも、食料を積んでくれたのも、たぶんシンディ付きの従者だっただけに、礼のひとつぐらいは改めて言っておきたかったのだが。

「タッタ・ユピ・セスタ・エスタ・アルマ・メルデ――…」

「ホア? エレ・コ・タ・ユピ――?」

スノウは臣下の騎士ランスロットになにやら現地語で話しかけていた。ランスロはそれに返答している。出発の餞の挨拶でもしているのだろうか? 
それにしてもだ。こうしてまじまじ眺めてみると、ランスロットはほんとうに華奢な女騎士だ。白き(かいな )なんて、吹けば飛びそうな枯れ木の一枝にも似る。
だが、これで剣の腕前は結構立つらしい。彼女が腰から提げている突刺丸(スキュア)という刺剣は彼女の小さな体軀でも扱いやすくまた高い攻撃力を保持するように造られていて、
これを軽やかに刺しこなすランスロットは平均的な屈強なる兵士のなんと3人分の戦力に相当するという(もろ本人の受け売りだが)。
またランスロットは少しだけなら日本語で疎通することができるので、旅では護衛だけでなく現地語の通訳も任されてもらう予定だ。
俺は後ろにいるスノウに手を振って、帰りを待っていてくれなんて表情を浮かべた。
スノウはハンカチを噛んで「待つのが恋」みたいなポーズをしている。だが俺は興味がないし、大げさに言えば嫌われてもどうとも思わないので好きにして欲しい。

                    米

 さて、もう先頭の馬車は城門の外にいて、あとは笑顔で見送る臣下たちに手を振り返しながら、この良き朝に出立の號令を告げるだけという段になって、突然城の方からひとつの叫び声が上がった。

「待ちなさいよぉ!!」

なんだこの金切り声は? 子供か? ふりさけ見るとやっぱり子供がいた。梳き通った天来なる射干玉(ぬばたま)の黒髪を波立たせ、肩で息切らせながら、かわいい少女が立っていた。
可也思いつめた表情を浮かべているんだが、その訳は知る由もない。

「ねぇ閣下、お城から出ていくってどういうこと!? 嘘でしょ? 約束はどうなるの!?」

少女はいきなりだった。何もかもいきなりなのだった。だから俺はきょとんとした顔を浮かべた。もちろん心当たりがないので。マヌケ面を傾げる俺に、少女は信じられないという貌(かお)をした。

「うそつきぃ! うそつき……ぐすん」

そう駄々をこねてほとんど泣き出す。 ??? 俺は意味が分からない。幸いなるかな、そこへ親切にもスノウが耳打ちしてくれた――この黒髪の少女の名はリドル。
リドル・リンデ・ラシオニリといって、ラシオニア大公令嬢にしてファミリア国の第三王妃だという。じゃあ少なくとも肩書上は、シンディやスノウと同位の存在ってことになるわけか? 
(とし)は大分幼いけど。どうやら彼女についての話を断片的に拾うと、先代の俺と何やら約束していて、その約束が破られたからと文句を言っているらしい。
というよりも、貴族階級に統治を禅譲することが、この少女にとっては裏切りになる……?

「あたしと一緒に自由な国を作ろうって約束したのに、どうして……ぅぅ……どうして。なんで忘れちゃうのよぉ?」


回想――リドルの回想
→子供の頃のあたしはいつも泣いてた。毎日のお稽古ごとが嫌だったから。あたしは姉の代わりだった。泣いても喚いても許されない、家庭教師たちは口を酸っぱくしていった。

「なんですこのひどい成績は!わかっておりますか、あなたはラシオニア大公家の正式な跡継ぎなんですよ。世に出ても恥ずかしくない貴族のしきたりをちゃんと身に着けなさい。
言葉遣い、エチケット、マナー、それに音楽や詩学の嗜み、すべて暗記しなければいけません!」

まだあたしの憶えてないほど小さな昔、姉は勉強ノイローゼになって自殺した。教師たちは口々に姉を罵ってた。あたしは姉よりも成績が悪いと罵られた。
お父様とお母様は、自分たちもこういう風に育てられたんだから、って鼻を高くしてた。あたしの味方なんて誰も居なかった。彼が来るまで。

「無意味なスパルタはやめろ。だいいち子供っていうのはもっと自由に外で遊ぶべきだろ。非効率な見せかけの『伝統』にいったい何の意味があるんだ!」

閣下はあたしを庇ってくれた。おかしいことにおかしいとちゃんと言ってくれた。だからあたしは閣下のことが大好き。それがあたしの生きる意味。

「悪風は捨てなきゃいけないな、俺の目標は新しい国だ。もっと皆が幸せになれるような自由な国にする。リドルも応援してくれるか?」

あたしと閣下は約束した。ふたりでもっとファミリアを楽しい国にするって。あたしは頑張っていろんなアイデアを出した。閣下はすごく褒めてくれた。とても実直でユニークな考えだって。
斬新で素敵なアイデアだって誉めてくれた。閣下はあたしの思いつき通りにルールを変えてくれることもあった。嬉しかった。

「あたし、閣下のお嫁さんになる!!」

「はは、良いんじゃないか。でも相当先のことだぞ。大きくなってからな」

「えへへ」

 貴族のやることは意味の分かんないことばかり。ちょっと前も急に猫を飼うことが流行って、王宮(パレス)にいろんな猫が放し飼いになったことがあって、
召使は前を横切られるたびに猫にむかってお辞儀をしなくちゃいけなくて、もう大混乱。みんなちょっと働くのにも苦労して、ケガさせて罰を受けないかびくびくして、つまみ食いやフンに困ってた。
閣下はこんなのは莫迦だといって、王宮(パレス)(ペット)を飼うことを禁止した。知る限り、あたしの周りにいる人たちはみんな笑顔になった。
 それから誕生日パーティ。あたしはあれが大嫌い。誕生会に招待した賓客(ゲスト)の人数を競ってるだけで、本来のお祝いなんて全然してない。
集まっては贅沢に馬鹿騒ぎしているだけ。あんなことをする貴族はみんなバカみたいに思えた。だからあたしは閣下にお願いして誕生日パーティの開催を禁止にして貰った。
 あたしが10歳のお誕生日を祝わなくてから数日後、閣下は知らない女と並んで歩いてた。月乃とかいう異国人(ノーフォーク)で、閣下と同じ世界から来たって。
なにそれ。閣下と一番の仲良しあたしだったのに。
 それと同じくらい嫌なのは、あたしはもうすぐ『学校(エタール)』に通わなくちゃいけないってこと。閣下はあたしの味方だったはずなのに、いつの間にか意見が正反対に変わってた。
他の貴族たちと交流する事が教育に良いなんて力説して、集団教育をするって。きっとあの女のせいだ。あたしは勉強しなくて良くなったはずなのに、
変なマナーも変なお辞儀も習わなくて済んだはずだったのに、あの女が全部変えたんだ。
 あたしは閣下とあの女が創建した『学校(エタール)』に入れられた。そこは下級貴族も上級貴族も王族も平等に集まって学ぶ教育機関だった。あたしはそこでまた落ちこぼれとバカにされた。
もっと悪いことに、誕生日パーティを廃止したのはお前だといってみんなからいじめられた。今度は誰も助けてくれなかった。泣いても叫んでも、閣下は助けに来てくれなかった。
あたしはずっと計画を練ってた。このみじめな生活から脱出するための。
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登場人物紹介

スノウ(白雪姫)

ファミリア第一王妃。北のコンプレクシアを統治する王族の末裔

シンディ(灰被り姫)

ファミリア第二王妃。北西のレアリアを領知する皇族

リドル(アリス)

ファミリア第三王妃。西国ラシオニアの大公令嬢

ルカ(人魚姫)

ファミリア第四王妃。南西の小国インテジアのお姫様

レッドローズ(赤の女王)

ファミリア第五王妃。南国ナチュリアの若き女王

レイチェル(ラプンツェル)

ファミリア第六王妃。南東の強国イーヴェニアの統治者。

ローサ(いばら姫)

ファミリア第七王妃。東国オッディアの姫御子。

イストワール(シェヘラザード)

ファミリア第八王妃。北東のプライミアを支配するえらいひと。

火具屋かぐや 月乃つきの(かぐや姫)

ファミリア第九王妃。ヒロイン。異界人。魔法使い。

死亡済み。

御門みかど 祐介ゆうすけ

十番目の主人公。ファミリア王。異界人。勇者。

別名、空虚な中心。

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