第3話 同情ができない私

文字数 911文字

私には同情心というものがヒトより薄いらしい。
“いらないものならその同情心”と、
思春期に大好きだった(いや、今になっても聴いている)浜崎あゆみのSURREALが影響してるのか。

そう気付いたのは友人とのふとした会話がきっかけで、私はそこで初めてそれに気付いた。

私はその友人からとある相談を受けていた訳だが、大概の人(そうまとめてしまうのはあまり好まないが)は聞き役に徹して、肯定をしてくれるという。

だけど、私はといえば、
「○○っていうことだよね?」
「で、どうしたいの?」
と答え合わせと結論を先急ぐ。

対談形式を好むのかもしれない。
会話のキャッチボール。
でも悩み相談はだいたい相手の中で答えが決まっていて、
こちらの提案はなかなか受け入れられない。
しかし、優秀なカウンセラーは2割程しか自分の言葉を発しないらしい。
8割は相手の話を聴く。

そうか、みんな話を聞いて欲しいんだ。
そこにアドバイスなんぞは不要で、自分の思ってることを共有したいんだ。

だから、私に同情心がないのは当然のことだったんだと理解する。
だって、私には「話を聞いて欲しい」という感覚はないに等しい。
きっと、独りで解決することに慣れてしまったんだ。
誰かを好きになっても誰にも言えず、秘密にするしかできなかった。
私の趣味嗜好は一般男子とは異なっていたから、自分の好きな物事も言えない。
本当は女子と話したりしてるほうが楽しいのに、男子と遊ばなくちゃいけない。
そうやって私の思春期は終わっていったんだと思う。
そうやって、自分の想いは隠すことが当たり前で、独りでどうにか消化してきたんだ。
だから、あの頃は早くオトナになりたかった。
オトナになることは自由になることだと思ってた。

自由を感じている今、思春期に感じていた葛藤はもう姿を消した。
そうしたら、自分の話をすることは無理にしないことではなく、
自分の話をしないことが当たり前になっていった。

だけど、キャッチボールができる建設的な会話は欲しい。
誰かの思考を知ることは楽しい。
だから、対談集やインタビュー記事なんかは妙に惹かれる。
少し前はよく阿川佐和子になりたいとよく口にしていた。

同情ができない私だけど、これからもどうぞよろしくね。

















































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