オデット・ノート (1)
文字数 2,016文字
歴史の資料ということについてお話しします、と仰ったのだった。初回の授業だったかもしれない。ほんとに最初の最初。
「例えばですね。ここに、二人の男がいたとしますね。一人は大変なモテ男。もう一人は、まったくモテない男だったとしましょう」先生の声は優しくて、アルトサックスみたいないい響きだった。でもそれに気がついていたのはたぶんあたしをふくめて数人しかいなかった。「この二人がですね、日記をつけたとしましょう。モテ男くんにとっては、たくさんの女性に追いかけまわされるのは日常茶飯事なので、そんなことは日記には書かないのですね。しかも彼は面倒くさがり屋かもしれない。雨が降ったとか、
シュッツ先生はさわがしい教室を見渡して、ふっと哀しそうに微笑まれました。ねえみんな聞こうよ! あたしは叫び出したかったけど、それもすごく失礼な気がして、じっと先生の次の言葉を待ちました。
「それからね」先生は目を伏せて、もうほとんど誰に言うともなくという感じで、静かに。「それから……ですね、そう、百年たったとしましょう。二冊の日記が残った。かたや、天気と学食の話しか書かれていない日記。かたや、女の人に優しくされた話がえんえんと書かれている日記。
百年後のぼくらは、どちらがモテる男だったと思うでしょうね?」
あのときシュッツ先生が、もう少し、あとほんの少しだけ広めに視線をパンしてくれていたら、まばたきしないで見つめているあたしと目が合ったはず。
先生。すごいです、それ。なんか……、めちゃくちゃすごいです。
ごめんなさい、そのあとのお話、覚えてない。あたしは泣きそうになってたんです。真実って、消えるんだ。歴史って、みんな残骸かもしれないんだ。どうしよう。あたしが十数年生きてきて、いまから何年か知らないけど生きていくこと、ママのこと、パパのこと、みんな、百年後にはどこに行っちゃうの? あたしたちが知ってると思ってる過去のことの、どれくらいが真実なの? 何パーセント? ゼロ? 助けて。あたし、どうしたらいい。
それでもあたしは生きていて、パパも生きていて、ママも、生きていた、それは確かなこと。はげしい滝の流れを自分の手だけで止めようとするみたいな行為だけど、あたしは、今日から、うそをつかない人生を、送ろうと思いました。あたしは真実の証人になろう。ちょっと意味がわからない、自分でも。でもとにかく、あたしは、できるだけ正確に見て、聞いて、できるだけ正確にそれを誰かに伝えるんだ。誰に。どうやって。わからないけど。あたし文章書くの苦手だしどうなるかわからないけど、やってみる。
さしあたって(こういうとき言うよね、「さしあたって」って。ちがうかな)ここに書いておきたいのは、パパもママも若いころ、とってももてたらしいということ。
あれ? なんかもっと大事なこと書こうと思ってたのに、いきなり忘れた。
そうそう。パパもママもめんどくさがり屋だから、もてた話なんてぜんぜん日記に書いてないということ。だいたい日記が残ってないということ。こういうとき、ママの日記が出てきたりして、で、娘のあたしが読んだりして、若いころのママの秘密を知ったり、パパとママの、何、なれそめっていうの、そういうのを知ったりするとテレビドラマとか映画とかになりやすいと思うんだけど、ぜんぜん日記が残ってないからだめじゃない。しょうがないからあたしの覚えてることだけ書くと、
あたし:パパ、どうしてママと結婚したの?
パパ:パパはもてたからね。五歳のときからずーっとママに、どの女の人をお嫁さんにしたらいいか相談に乗ってもらってたんだけど、ある日気がついたら、もうママしか残ってなかったんだ。
あたし:ママ、どうしてパパと結婚したの?
ママ:知らないうちに教会を予約されちゃってたの。
——どっちもどっちだけど、僅差でママの勝ちって気がする。