オデット・ノート (12)-1
文字数 1,719文字
ゆるすゆるさないなんてもう無理、もう限界。あたし自分で自分の首しめてただけ、五ヶ月も意地はって。ばかみたい。あたしさえ『フィガロ』の伯爵夫人みたいに大人だったら、初めから全部笑い話ですんだのに。だいたい何あの電話、夜中の二時。心の準備も何もないよ。発信者の表示はパパなのに、出たらシギイで、苦しそうな声でいきなり「ぼくを封印してくれ」って——あれで落ちない女、いる? もうやだ。本人自覚ないみたいだけど彼すごすぎる、これだけじらしてからの不意打ちなんて。あたしあのあと何日も思い出すたびにベッドにダイブして枕抱いてころがってました。幸せすぎて死ぬ。ばかでしょ。
苦しみの日を終わりにできるのは愛だけ。さあ花火を上げましょう、ってフィガロたちはフィナーレで歌う。シギイとあたしも心の湖の上に、たくさんたくさん、花火を上げた。三千発。
春がそこまで来てた。
クロッカスって地面から生えた電球みたいよねって言ったら、シギイはちょっと考えて、そうかもって言ってくれた。はじめ、紫のほう想像しちゃったんだって。そうじゃなくて黄色のほうね。
「自分では覚えてないんだけど、ぼく子どものとき、食べようとしたことあるらしいんだ」
「クロッカスを?」
「うん。ヒヤシンスも。ばかだったの」
もうー。そんなかわいい映像あったら、百万回は再生されちゃうね。誰か早くタイムマシンを発明してくれないかな。ちっちゃいシギイに会いに行ってみたい。
仲直りできたのはよかったんだけど、それから、なんだか、いろいろ、話が、進んで、彼のお母さまが一度お会いしたいわって仰って、好きな人のお母さんってだけで緊張するのに、よりによって、王妃さまなのです。全国民の憧れの的。あたし、自分の名前オデットだけど、本当は王妃さまのほうがずっと白鳥姫のイメージにぴったりだと思うのね。あのご成婚のときのお写真の、ちょっとうつむいた首のラインの美しさとか、ほんのり微笑まれた口もとの愛らしさとか、女のあたしがいま見てもくらくらする。そんな人の前に出なきゃいけないなんて拷問でしょ? どうしたらいい? シギイは「いつものままのきみでいいから」って言ってくれて、それから考えて、「あ、でも、ちょっと、——」
「ひかえめに、だよね?」
「いや、うん、——」
「気合い入れすぎないようにっていうか」
「うん、えーと、——うん」
ああどうしよう。何着たらいい? 髪型は? 彼はあたしがベルリンから着いたときのツインテールがいたくお気に召したらしくて、あれにしたらいいよって言うんだけど、あれは何ていうか、あのとき限定の特別仕様だったのに、やっぱり男ってなんだかんだ言ってかわいいのが好きなのね。でもシギイはあれで落とせても、お母さまに通用するとは思えない。きっと逆効果。ファニイに相談したら、お嬢さまっぽい服貸してあげるって言うから期待してたら、ごめんファニイ、サイズ大きすぎた。うん。
考えたら、人前に出るための服ってほとんど自分で買ったことがない。発表会のときのドレスはみんなママのおさがり。
けっきょく、白いボウタイのシャツブラウスとフレアスカートにして、『ローマの休日』みたいなの。これならまちがいないよってファニイも太鼓判を押してくれたんだけど、あたし緊張のあまりずっと手汗をハンカチで拭いてました。悲しすぎ。大きなお屋敷に住んでた記憶は八歳までで、社交界デビューするはるか前にドロップアウトして適当な人生を歩んできたから、天井があんなに高いだけであたし雰囲気にのまれて、足がすくんで……彼のほうがずっと緊張してるのに気づかなかった。