オデット・ノート (7)

文字数 1,592文字

 で、そのXデーのことだけど、やっぱりはずかしすぎて書けません。シギイが自分で書いてくれているので、知りたい人はそっちを読んでください。でもちょっと言い訳させて。まず、あの晩会わせるって話あたし事前に聞いてなかった。心がまえゼロ。全部パパのせい。それから、あたしじつはそうとうむしゃくしゃしてテンション上がってて、そういうときあたし泳ぎに行くんだけど、なんでむしゃくしゃしてたかっていうとちょっと前に知りあった男からの手紙が学校に届いてたのね、で、あの日みんなにからかわれて。知りあったっていっても泊まりがけのワークショップに三日間参加しただけで、もちろん何もないよ、ワークショップのテーマが《オルフェオとエウリディーチェ》で、おもにグルック作のオペラね、二日目のお夕飯のあとでコーヒーを飲んでたらその人が寄ってきてじつはぼくも去年妻を亡くしてねとかって話を始めて、癌か何か不治の病で、聞いたらうちの父と同い年だからあたしもしみじみしちゃってふんふんって聞いてあげてそのときは感じのいい人だなと思って。そしたらワークショップ最終日に住所交換しない?って言われたからこれは用心しなきゃだなと思って、適当にごまかしておいたら、どうやって調べたのかあたしが(ザンクト)シュテファンの学校にいることをつきとめて、学校当てに送ってきたの。どう思う? 開けたらお花畑なカードが出てきて、きみこそぼくのエウリディーチェだみたいなことが書いてあって、あたしすぐ隠したんだけど真後ろにクララがいて、その時点で終わった。べつにパパと同い年でもいいんだけど、いい年してそのかんちがいっぷりは何。リアルロミオメール。あたしほんとろくな男に好かれない。寄ってくるのがみんなカス。男運わるすぎ。なんの罰、これ。世の中、ばかばっかり。
 とか思って岸に上がったらパパからメールが来てて、桟橋まで来てって言うからしょうがないからまた泳いでいったの。
 そしたらティートがいたのね。
 これちょっと伝わりにくいかもしれないけど、あたし本当にティートがいると思ったの。神さまが、本当にティートを人間の男の子にしてくれたんだって。彼の髪は正確には金髪じゃないけど、光の加減で金茶色に見えるときがあります。それに大きいでしょ、背が。あたしああいう大きくって、飛び乗っても大丈夫そうな人がタイプなの。もちろん、本気で人間と犬とまちがえたわけじゃないからね、念のため。だけど見た瞬間思ったの。これは——あたしのための人だって。神さまがあたしにくれたプレゼントだって。ああもう、あたしほんと失礼。あのときもそうとう失礼なこと言ったみたいだけど正直覚えてなくて、名前もろくに聞いてなくてうわのそらだったから。ただあたしもう数々失敗してきてるから、あのとき、ああこの人を——この人を——何があっても愛していけたら、きっとあたしは生まれてきてよかったって神さまに認めてもらえたことになる。なんかへん。ちがうかもしれない。この人を、逃しちゃだめ。これもちがうな。幸せにしたい。それもちょっとちがう。とにかく、あたしは嬉しくて泣きそうで、とっても幸せで、神さまに感謝してたのです。
 ひとことで言うと、有頂天。
 いつもあとになって思うのね。ああ、また、やっちゃった、って。
 全部パパが悪い。事前のインフォなさすぎ。あたしほんと正真正銘、大ぼけの大まぬけ。本当に気がついてなかった、彼が誰か。
 パパもしばらく笑ってて、それから不思議そうな顔になった。パパとしては特大のサプライズをしかけたつもりで、それが不発だったなんて信じられなかったわけ。当然よね。
「パパの言ってたひとの息子さんでしょ」
「まさか、ほんとにわかってないの? 誰か」
「誰って?」
「彼だよ」
「彼って?」
「動画、保存してるじゃない」
 なんでそれ知ってるの。
 ううん、それより、
 どういうこと。
 彼?

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登場人物紹介

オデット(愛称オディール)


・この物語の語り手。伯爵家の出身だが、8歳で母を亡くし、父ディートリヒに連れられて欧州各地を転々として育つ。ひとりっ子。
・黒髪、目は濃いブルー。
・ヴァイオリンの腕前はソリスト級。水泳も得意。
・叔父のテオドールと仲がよく、彼所有のヴァイオリンの名器を借りて使用している。
・服はほとんどが白か黒の二択。
・親しい人の前ではのびのびとふるまう反面、極端な人見知りで、外では別人のように不愛想。
・夢中になると前後を見失いがち(自覚あり)。

・人の顔が覚えられない(自覚あり)。

・初恋の相手は愛犬のティート(ゴールデンレトリバー)だった。

・ティート以降は男運に恵まれていない(自己申告)。

ディートリヒ(愛称ディーディー)


・教会音楽家(キルヒェンムジカー)。音楽全般に天才的な才能。楽器はパイプオルガンとピアノ。指揮、編曲もこなし、歌も歌える(バリトン)。
・紫がかった黒髪と黒目。
・幻の名作『白鳥の湖』の復曲にとり憑かれている。

・伯爵家の当主だったが、妻に先立たれてから弟テオドールに家督を譲り、欧州各地を気ままに転々として暮らす。音楽教師と調律の仕事で生計を立てている、ように見えるが、じつは経済観念にとぼしく家計はつねに赤字で、弟からの仕送りに頼っている。

・ひとり娘のオデットを溺愛。ジークフリートにも父親的な愛情を抱き、二人の結婚を画策する。
・つねに他人の予想のななめ上を行く言動で周囲を驚かせる。
・女にもてすぎるため過去にいろいろやらかしてきているらしい。

ジークフリート(愛称シギイ)

   

・バイエルン(南ドイツ語圏)地方に位置する小国の王太子。ひとりっ子。
・長身。髪は赤みがかった金茶色(母似)。
・読書魔でハイパー記憶力の持ち主。
・ピアノが得意。とくに即興と伴奏。
・趣味はバードウォッチング。とくに渓流の小鳥を偏愛。

・自己評価が極端に低く、本人はコミュ障だと思って悩んでいるが、じっさいは聞き上手で愛されキャラ。

・涙もろい。

・なんのかの言ってオデットにはひと目惚れだった(らしい)。

ゲン


・フルネームはシライ・ゲン(白井玄)。ピアニスト。東京出身。

・ベルリンでオデットの伴奏を受け持つ。

・留学は二度目。今回は伴奏ピアノに特化して短期で来ている。

・気配りのできる大人で都会人。オデットがいままで会ったことのないタイプ。悩むオデットを優しく見守る。

・少しずつ形の違う黒のハイネックを何枚も持っている。

・ふだんはメガネ男子。じつは視力はそんなに悪くない。

・じつは酒に強い。ほぼ底なし。

アンネ=ゾフィー


・オデットの祖母。オデットの母オディーリアの母。ヴァイオリニスト。

・早くに離婚し、夫のもとにオディーリアを残して、音楽家として独りで生きてきた。

・数年前から脚の病をわずらい、車椅子生活だが、演奏家としても音大教授としても精力的に活動を続けている。

・オディーリアとディートリヒの結婚を直前まで知らされなかったことに怒り、一時期は断絶するも、オデット誕生を機にあっさり和解。

・幼いオデットにヴァイオリンの手ほどきをした。

エリーザ


・ジークフリートの母。王太子である息子を摂政として支える。息子を溺愛しているが、全体にも気配りのきく、バランスの取れた賢夫人。
・小柄で色白。赤みがかった金髪(息子と同じ)。中年になったいまも絶世の美女。
・若い頃、ディートリヒにピアノを習っていた。
・天真爛漫で明るく、ひじょうに安定した性格で、周囲にとって「錨」のような存在。
・その一方、おちゃめで天然。つぎつぎと無邪気な発言を繰り出しては周囲を驚かせる。

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