オデット・ノート (8)
文字数 2,130文字
国王陛下のご葬儀に出席しようと思えば出られたかもしれないのに、パパはそうしなかった。いちばんの理由は、中継のほうがかえって表情がアップで見られるからだったんじゃないかな。そのためだけにテレビを買おうとするから、タブレットやスマフォで見られると思うよって言ったら驚いてた。まあ、あたしも言ってはみたもののよくわからなくて、まだ頼れる友だちもいなかったし。とにかく、あたしたちは試行錯誤のあげく、中途半端な大きさのタブレットをなんとかセットするところまでこぎつけて、テーブルの前に座った。
晴天だった。青空がかえって悲しみをかきたてます、とアナウンサーも言ってた。
画面が小さくて、あたしたちはほとんどくっつきあって見た。パパは緊張してた。いま思うとまあ緊張する理由があったわけなんだけど、あのときはそんなこと知らないからね。陛下は本当に広く慕われていて、極左の人たちにさえ敬愛されていたから、誰が悲しんでも不思議はなかったしね。
あたしの動画——正確に言うと、あたしだけじゃなく、全国民のたぶん九割以上が生で視聴してその場で「お気に入り」に登録した、例の瞬間は、出棺のとき。
それまで、静かな、波ひとつ立たない水面のようなたたずまい、立ち居ふるまいを保ってこられた王妃殿下が、ふっと、つまずかれて。
貧血だったのかも。お疲れのあまり。黒いお帽子の下のお顔が、透きとおるように白かったから。でも、半ば閉じられたお目と、お口から、まるで王妃さまの魂が、陛下の柩を追ってぬけ出していってしまいそうなご様子で。パパが一瞬身じろぎして、あたしも。たぶん何万という人間があのとき、画面の前で駆けだしそうになったはず。もちろん、とっさに王妃さまを支えたのは、すぐそばにいた人の腕だった。王太子殿下。十四歳、あたしと同じ。まだ背が伸びる前。彼の目にも泣いたあとはなかった。そう、あまりに悲しいときって泣けない。ただ、倒れかけたお母さまを抱きとめた瞬間、ぱっと頬に血の気がさして、彼は目を強くつぶった。
あの表情。あの、無言の、
もう——本当、どれだけ拡散されたか。ハッシュタグ「#泣ける」とかで。これお気に入りにしてるなんてばれたら大笑いされるレベル、だってみんなしてたから。だけど削除できなかった。くりかえし見て、あのころはほぼほぼ毎晩ベッドでこっそり見てから寝てた。だって泣いてる、この子。きょうだいいないし。友だちもいなさそうだし(ごめん)。犬も。旅にも出られないし。それにあんな完璧な繊細なお母さま、うちの親みたいに顔にパイぶつけてくるようなとんでもない、何もかも忘れさせてくれる人じゃなくて。どうするんだろう、これから。あたし
パパは誤解してる。あのあと二、三度は機種変えたから、もうあのURLは保存してない。だけどきっといまもネットのどこかにある。なくても、あたしの脳内にある。奥深くに。きっとあたしはくりかえし再生して見てて、無意識の底で、そしてそれは記憶の映像だからすりきれずに、かえって水で洗ったみたいになって、あたしの中で永遠の
あたしもともと顔の認識能力っていうのがものすごく低くて、人の顔が覚えられなくて、好きな俳優さんも別の映画に出てるとわからないし、だめなんだけど、それにずっと国外にいたから、うちの国の王室のニュースちゃんとフォローできてなかったんだけど(国がちっちゃすぎて平和すぎて報道してもらえないの)、それでも、いくらなんでも彼のこと、この六年のあいだ写真も動画も見るチャンスあったんだから、ぜんぜん上書きされてなかったってどういうこと。と自分でも思う。もう、気まずいなんてレベルじゃなかった。世が世ならあたし不敬罪で死刑。ううん、それより、憧れの人の顔を覚えてなかったって、あたしが自分で自分を死刑にしたいと思いました。だって、だってだってあのガラス細工が、こんなにすくすく育って元気なティートになっちゃってるなんて思わないじゃない? あたしのせいじゃないって、お願い、誰か言って。彼はちょっとかがんで靴の紐を結びなおしたりして、あたしがごめんなさいって言っても目を合わせてくれないで、立ちあがりながら、じゃあとか、ぼくはこれでとか、何かそんなようなことを短く言って、自転車に乗って帰っていっちゃったんだけど、彼が自転車のペダルに足をかけて一瞬息をついたとき、あたしは、あ、この人、きっとあたしを好きになったと確信して、ホワイトアウトっていうの、目の前が白く光って何も見えなくなって、桟橋の上にぺたんと座った。
どうしよう。大変なことになっちゃった、と、思って。