オデット・ノート (6) ★BGM付
文字数 3,021文字
だから、その話じゃなくて。
ああもう、めんどくさい。決めた。ふつうに本題から書きます。
「オディール、頼みがある」
とパパがまじめな声で言い出すときはたいていろくなことじゃないので、ああ、またか、とあたしはうんざりして、ヴァイオリンを置いて弓のねじをゆるめた。せっかく練習が佳境に入ってきていい調子だったのに。バッハの無伴奏といえばパルティータ二番のシャコンヌが超有名だけど、あの大曲はあたしみたいな小娘にはまだ
あっさりと天上から地上へ引きずり降ろされたあたしはため息をついて、パパと向かいあって座りながら、あらかじめ用意しておいたメモをテーブルの上にぽんと置いた。攻撃は最大の防御なり。
「何だこれは」
「アンケート。
あたしの用意した質問項目は以下のとおり。
1.その女性は、あなたより年上ですか? はい/いいえ
2.その女性は、テオ叔父ちゃまよりお金持ちですか? はい/いいえ
3.
4.その女性に愛されている確認は、とれていますか? はい/いいえ
われながらよくできた質問集だと思う、これ。
あ、状況説明忘れてた。あたしたちは故郷に、なつかしい
「だから何だこれは。どうしてこういう関連の話だと決めつけるんだ」
「ちがうの?」
「そうだけど」
「でしょ。じゃあ、はい」
えんぴつを渡すと、パパは真剣に線を引きはじめた。該当しないほうを消していく。
「年下なの」
「うん」
「ふーん、ひさしぶり。でも富豪なんだ」
「お金は関係ない」
「いつもそう言うけど、けっきょくは援助してもらって、そして逃げ出すのパターンだよね」
「言わないで」
「音楽やる人ならよかったね」
「筋がいい。将来有望だ」
「え、教え子?」
「
「教え子はNGでしょ、今度こそ居場所なくなるよ? まさかあたしと同じ学校?」
「
「ならいいけど、ってよくないけど」
パパのえんぴつは項目4のところで止まって、くるくると円を描いてる。
「なにそれ『はい、カッコたぶん』って。確認とれてないってことじゃない。『いいえ』じゃない」
「だって怖くて訊けないもん」
ばかなのか、この人。
「それであたしに代わりに訊きに行けっていうのね? つまんない役」
「そうじゃないんだ……どこから話せばいいのか」
もじもじしているのが素なのか演技なのか、わかりません。油断のならない男。
「問題が山積みなんだよ、いろいろ」
「また? 今回は何?」
「年下だけど若すぎるし、金持ちだけど跡取りだし」
「ふーん。若すぎるってどのくらい?」
「はたち」
「あたしと同い年? 犯罪ぎりぎりじゃない! だめだめ。中国のことわざにもあるよね、『危ない所に行っちゃだめ』って」
「『君子危うきに近寄らず』だな。それ『君子』を省くとたんなる夏休みの標語だな」
「いいじゃない、だいたい合ってたし」
「そうだな。そもそもおれは君子じゃないし」
「ちがう。話がずれた。だから危ない橋渡るのはやめてって、未成年ぎりぎりなんて」
「それどころじゃないもんねー」
「なに自慢してるの」
「最大の難関はね」
「何」
「ふっふっふ」
「じらさないで。何」
「男の子なんだ」
は?
ちょっと待って。ちょっと待ってよ——それはさすがに、あたしの予想のはるか斜め上です!!
「だってひと目惚れしちゃったんだもん。どうしても彼を落としたいの」
「はああ?」
「もちろん結婚は考えていない。あくまでプラトニックなラブであって」
「ああそう」
「そもそもの出会いはね」
「聞いてない」
「聞きたくない? 衝撃的だよ」
「怖っ! いちおう聞かせて」
「ある日、湖のほとりでね……はい、ここから先は十ユーロ」
「払いません」
「オディール、態度に真剣みが足りないぞ」
「どっちが?」
「難攻不落なんだよねー彼。なかなか心を開いてくれないの。あと一押しってところ? ああ、もう、じれったいっ」
「中学生?」
「だからね、こうなったらもう先手を打って、既成事実を作るしかないと思ってさ」
「ちょ、待っ、何考えてるの?!」
「彼を誘い出して、眠り薬を飲ませて」
「ディーディー!!」
「もうろうとしているあいだに、婚姻届にサインさせる」
「さっき結婚はなしって言ったじゃない?!」
「おれとじゃない、おまえとだ。おまえが彼と結婚するの」
「はい?」
「そうすれば披露宴のときに、彼のお母さんの隣に座れるじゃない? 頼むよ。このとおり。パパはタキシード姿には自信あるんだ」
沈黙。
「え、そっち?」
「うん」
「じゃ何、ねらいは、その、お母さん?」
やられた。なにその嬉しそうな顔。口開けないの。ばかじゃないの、ほんとに。
「ああああああ、もう、そう言ってよ、最初から」
「それじゃつまんないじゃない」
「つまんなくていい。ああびっくりした」あたしもまだまだ修行が足りないな。だってじゅうぶんあり得る、いまの時代、父の再婚相手が自分と同い年の男の子って。
「いい計画だろう? 完璧だな」
「どこが。ピンポイントすぎでしょタキシードって。だいたい、なんであたしがその男の子と」
「彼女、息子命なんだ。おまえが彼と仲よくなってくれれば、パパも彼女とお近づきになりやすい」
「自助努力って発想はないの?」
「手持ちのコマが少ないからなあ」
「あたしコマですか?!」
「ちがった?」
とりあえずその憧れの君が未亡人だという点を確認して、あたしは胸をなでおろした。人妻はもうかんべんしてほしかったから(「おれは人妻に手を出したことはないよ?」「断れないんだから同じじゃない」)。だけど、本当に、文字どおり、それどころじゃなく、これは父のとんでもない計画のほんの一部、氷山の一角だったということを、あたしは数日後に知ることになるわけです。
★BGM:バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番(ホ長調)より ガヴォット」
https://www.youtube.com/watch?v=1gD-YUC9y80