オデット・ノート (11)
文字数 2,626文字
以外の何か
をして生きていくことになる。勝っても勝たなくてもそれは同じ。パパは若いころ一度だけ、オルガンのコンクールに出てみたことがあるそうです。結果は二位。
むしろあたしは、陸に上げられてしまったウーパールーパーみたいな、まぬけな生き物かもしれません。ウーパールーパーって、いつまでもカエルにならないオタマジャクシみたいなものなんだって。そしていつも冷たいきれいな水が必要で、めんどくさいやつなのです。だけどごめんなさい、ウーパールーパーにカエルになれ、強くなれ、灼熱の陸に上がって生きていけって言っても無理でしょ? 水の中にいちゃだめですか? あたしが安心してあたしらしくいられる場所に。そこであたしはあたしの音楽でまわりの人たちを喜ばせて、パパやファニイや——シギイと——生きていきたい。またいっしょに弾きたい、アンサンブルのみんなと——彼と。コンサートをしたり、CDを出したり、彼があんなに弾けるって知ったらきっと国じゅうの人が喜ぶし——パパの長年の夢の音楽祭、実現したい、みんなで、外国からもお客さまが聴きに来てくれるようにすればシギイの外貨獲得大作戦にも協力できて——だめ、何考えてもかならずシギイ、シギイのこと。まず仲直りしなきゃなのに。だけど、彼も、ふるさとの他の誰も、自分が賞を取るための練習なんてしていない、あの人たちはその先へ行ってる、あたしがこうして迷ってるあいだに『白鳥の湖』蘇演プロジェクトはもう進んでしまってる、あたしだけが、とり残されてる。
帰りたい。
あの湖と、ヴァイオリンと、彼。あたしの人生に必要なのはその三つだけ。そのうち二つが、いま、欠けてる。
ヴァイオリン科の主任教授は窓辺に座って、待っていてくれた。車椅子だけど
あたしの顔を見て、口もとがちょっと動いた。笑いをこらえてる。
「おや、まあ。ここへ来てから初めてじゃない? 約束の時刻にまにあったのは」
あたしは目をふせて、息をととのえました。走ってきたのとはずかしいのとで、顔がほてって、つらい。
「合格おめでとう、オデット。がんばってくれてよかったわ。孫だからひいきしたと言われても困るから」
「いろいろありがとうございました。フィガロのチケットも」
「あら、ばれちゃった?」
「シライ氏に聞きました」
「正直な男」笑うと、目が細くなる。「それで、どうするの?」
あたしはうつむいて黙ってた。答えは出てるけど、言い出す勇気がない。
グランドピアノのふたが少し開いていて、中から金色の光がもれてくるような気がした。
「あなたを手もとに置いて、育てたかったのだけれど」お祖母さまは車椅子を動かして、ゆっくりあたしに近づいてきた。「無理みたいね。オディーリアも手もとに置いておきたかったけれど、飛んでいってしまった。同じね。そうね、そもそも、あなたのお祖父さまのもとを飛びだして、ひとりで勝手に生きてきたのはわたしなのだから、自業自得ね。お父さまはお元気?」
「はい」
「こないだいただいたお手紙では、お元気ではなさそうだったわよ。心配のあまり死にそうなご様子だったわよ。あとは頼みますみたいな。そうしたらこの世に思い残すことはありませんみたいな」
「ばかなんです」
「いい男じゃない。もっとこっちへ来て」
お祖母さまのそばに、あたしはひざまずいた。
「あなた、本当に、オディーリアそっくりね。抱かせて。いい子ね。いい髪。ねえ、わたしね、知ってると思うけど、あなたのお父さまとお母さまの結婚に大反対してね。結婚式で、ひとことも口をきかなかったの。ゆるせなかったのよ、わたしに相談もなしに勝手に決めちゃったから。それだけ。ばかなことをしたわ」
「相談、なかったんですか?」
「なかったわよ。ひとことも。いきなり結婚式の招待状よ。ひどいじゃない。恋人がいることも知らされてなかったのに、赤ちゃんが、つまりあなたができちゃったって、そんな素敵なこともっと早く教えてほしかったわよ、わたしだけがのけ者なんて、まあ言いにくかったんでしょうけど、それでも。頭に来て、電話でどなりあったわ。わたしたち、よくどなりあったけど、あの電話がいちばんひどかった。長距離なのに無言がつづいて、切るわよって言うと、ちょっと待ってよママってまた始まるの。もううんざり」
いっしょに暮らしたら悲惨だったかもしれないわね、とお祖母さまは笑った。あの子はわたしの言うことなんか聞きはしないし、わたしもあの子の言うことは聞かなかったし。でもいいのよ。いちばん大切なのは、あの子が、幸せになってくれたということ。そしてあなたが、こんないい子に育ってくれたということ。
いつでも戻っていらっしゃい。戻ってこないのだろうけど。
たまには思い出してね。
わたしのこと。