オデット・ノート (2)

文字数 1,417文字

 お昼前なのにママがソファで寝てるなんてへんだなと思って、パパを呼んで、パパが抱き起こしたときはまだ息があったらしいけど、病院へ着く前に救急車の中でもうだめで(心肺停止が確認されたということだと思う)、原因は、わからずじまいだった。急性心不全。あたしは八歳だった。どんな死にもちゃんと説明がつくわけじゃないって初めて知って、それが自分の親だった。パパもあたしも驚きすぎて、お葬式のときもぜんぜん涙が出なくて、おじいちゃまおばあちゃまもテオ叔父ちゃまも泣かなくて、奥さんのサンドラ叔母ちゃまだけが目を真っ赤にして泣きじゃくってた。サンドラ叔母ちゃまはあたしに、ボンボンいる?と言って、あたしがいらないと言ったら、テオ叔父ちゃまが抱っこしてくれた。家に帰ってくるまでずっと黙ってたパパが、でも苦しくなさそうだったからよかったな、と言って、あたしも同じこと思ってて、でも土をかけられたら苦しくないかなと思っちゃった、ともパパは言って、それもあたしも同じこと思ってて、ついでに言うと喪服のパパはとてもきれいだったからママに見せたら喜んだだろうなと思って、ママは見てたのかな、見てなかったのかなと思った。たぶん見てたと思う。
 あたしが泣きだしたのはその夜で、あの夜からあたしは毎晩、パパのベッドで寝た。
 パパのベッドの、ママがいた場所で、パパに抱きしめられて泣きながら寝た。あたしが見てないうちにパパが死んじゃうとか、パパが見てないうちにあたしが死んじゃうとか、何かそういうことを言ってたらしいけどよく覚えてない。パパもちょっと泣いた。最近になって、あのときおれが酒に溺れなかったのはおまえがいたからだ、と言われて、こうして字で書くとすごく感動的なんだけどパパの口調は、迷惑千万、という感じで、ぜんぜん感動的じゃなかった。たしかに毎晩小さい娘を、それも泣いてさわいでいるのを寝かしつけなきゃいけないから、パパは物理的にお酒を飲むひまがなかったのだ。本当あたしのおかげ。
 ここまで書いていちおうパパに確認したら、もう、ものすごくあきれかえった顔をされた。
「覚えてないのか、オデット」
「何を?」
「おまえも救急車で運ばれたんだぞ」
 それ、ぜんぜん忘れてました。急性アルコール中毒。かなり危なかったそうです。けっきょくパパはお酒を飲んでいたのでした。こっそり。強いから酔わないからあたしにわからないだろうと思って。だけどあたしは知ってた。思い出した。ものすごく悲しかった。大人はずるいと思った。あたしにはだめって言うのに。あたしもあのびんの中味を飲んだら、パパの気持ちがわかるかもしれないと思って、飲んだらすごくまずくて(あのときはまずいと思ったの、子どもだから)死ぬかと思ったけどパパの気持ちがわからなくて生きてるくらいなら死んでやると思ったんだった。そうそう。そしたら本当に顔がものすごく熱くなってきて、頭が痛くて割れるかと思って息ができなくて、そのあと記憶がないからたぶん気を失った。いま思うとぞっとする。何がぞっとするって、つづけて二度も救急車につきそいで乗ったパパは本当に気が狂いそうだっただろうと思う。ごめんなさい、パパ。あの人がもっと繊細だったらいわゆる、トラウマとかになってたにちがいありません。神さまがあの人をちょっとばかに創ってくださって本当に感謝します。
 とにかく、あれでパパはお酒を断った。しばらく。いまはふつうに飲んでるけど。

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登場人物紹介

オデット(愛称オディール)


・この物語の語り手。伯爵家の出身だが、8歳で母を亡くし、父ディートリヒに連れられて欧州各地を転々として育つ。ひとりっ子。
・黒髪、目は濃いブルー。
・ヴァイオリンの腕前はソリスト級。水泳も得意。
・叔父のテオドールと仲がよく、彼所有のヴァイオリンの名器を借りて使用している。
・服はほとんどが白か黒の二択。
・親しい人の前ではのびのびとふるまう反面、極端な人見知りで、外では別人のように不愛想。
・夢中になると前後を見失いがち(自覚あり)。

・人の顔が覚えられない(自覚あり)。

・初恋の相手は愛犬のティート(ゴールデンレトリバー)だった。

・ティート以降は男運に恵まれていない(自己申告)。

ディートリヒ(愛称ディーディー)


・教会音楽家(キルヒェンムジカー)。音楽全般に天才的な才能。楽器はパイプオルガンとピアノ。指揮、編曲もこなし、歌も歌える(バリトン)。
・紫がかった黒髪と黒目。
・幻の名作『白鳥の湖』の復曲にとり憑かれている。

・伯爵家の当主だったが、妻に先立たれてから弟テオドールに家督を譲り、欧州各地を気ままに転々として暮らす。音楽教師と調律の仕事で生計を立てている、ように見えるが、じつは経済観念にとぼしく家計はつねに赤字で、弟からの仕送りに頼っている。

・ひとり娘のオデットを溺愛。ジークフリートにも父親的な愛情を抱き、二人の結婚を画策する。
・つねに他人の予想のななめ上を行く言動で周囲を驚かせる。
・女にもてすぎるため過去にいろいろやらかしてきているらしい。

ジークフリート(愛称シギイ)

   

・バイエルン(南ドイツ語圏)地方に位置する小国の王太子。ひとりっ子。
・長身。髪は赤みがかった金茶色(母似)。
・読書魔でハイパー記憶力の持ち主。
・ピアノが得意。とくに即興と伴奏。
・趣味はバードウォッチング。とくに渓流の小鳥を偏愛。

・自己評価が極端に低く、本人はコミュ障だと思って悩んでいるが、じっさいは聞き上手で愛されキャラ。

・涙もろい。

・なんのかの言ってオデットにはひと目惚れだった(らしい)。

ゲン


・フルネームはシライ・ゲン(白井玄)。ピアニスト。東京出身。

・ベルリンでオデットの伴奏を受け持つ。

・留学は二度目。今回は伴奏ピアノに特化して短期で来ている。

・気配りのできる大人で都会人。オデットがいままで会ったことのないタイプ。悩むオデットを優しく見守る。

・少しずつ形の違う黒のハイネックを何枚も持っている。

・ふだんはメガネ男子。じつは視力はそんなに悪くない。

・じつは酒に強い。ほぼ底なし。

アンネ=ゾフィー


・オデットの祖母。オデットの母オディーリアの母。ヴァイオリニスト。

・早くに離婚し、夫のもとにオディーリアを残して、音楽家として独りで生きてきた。

・数年前から脚の病をわずらい、車椅子生活だが、演奏家としても音大教授としても精力的に活動を続けている。

・オディーリアとディートリヒの結婚を直前まで知らされなかったことに怒り、一時期は断絶するも、オデット誕生を機にあっさり和解。

・幼いオデットにヴァイオリンの手ほどきをした。

エリーザ


・ジークフリートの母。王太子である息子を摂政として支える。息子を溺愛しているが、全体にも気配りのきく、バランスの取れた賢夫人。
・小柄で色白。赤みがかった金髪(息子と同じ)。中年になったいまも絶世の美女。
・若い頃、ディートリヒにピアノを習っていた。
・天真爛漫で明るく、ひじょうに安定した性格で、周囲にとって「錨」のような存在。
・その一方、おちゃめで天然。つぎつぎと無邪気な発言を繰り出しては周囲を驚かせる。

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