第22話 日本経済の生産性

文字数 4,449文字

(日米の経済の生産性を考えます)

図1に、日本とアメリカの1人当たりGDPの推移を示します。

数字の出典は以下です。


一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2022年) (アメリカ, 日本) 世界経済のネタ帳
https://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDPDPC&c1=US&c2=JP


当年の為替レートにより、USドルに換算しています。

新しいデータは、はIMFによる2022年10月時点の推計値を使っています。

1995年には、日本の1人当たりGDPはアメリカを越えていますが、その後は、増加していません。

アメリカの1人当たりGDPは、ほぼ一貫して増加しています。

図1には、1980年から、2022年までのアメリカの1人当たりGDPのトレンド線を入れてあります

トレンド線が軸と交差している読みやすいところをとれば、次になります。

1980年10000ドル

2017年60000ドル

37年間に、5000ドル増えていますので、年増加は以下になります。

(60000-10000)/(2017-1980)=1351ドル/年

図2は、一人あたり名目GDPの推移(前年比)です。

数字は、図1の当概年の1人当たりGDPを前年の値で割っています。

この値が1.0を超えていれば、GDPが拡大したことになり、1.0を切っていればGDPが縮小したことになります。細かな変動は、景気の影響を受けますが、中期的な変動は、潜在成長率(主に生産性)の変化を反映しています。

図1で、日本の1人当たりGDPの増加が止まったように見える1995年から2002年の間の前年比の値の平均値を求めると次になります。

アメリカ  1.036654729

日本  0.998181059

1995年から2022年の27間の間に、アメリカは年率3.7%の1人当たりGDP(主に生産性)向上を達成したのに対して、日本は、ほぼゼロです。生産性において、変わらない日本が確認されます。







図1 一人あたり名目GDPの推移 







図2 一人あたり名目GDPの推移(前年比) 



4)解決のシナリオ

図1と図2は、似ていますが、大きく異なる点は、図2では時間変化を問題にしている点です。

経済現象は時間変化します。時間変化する変数(変量)は、時間微分をもった微分方程式で記載されます。これは、理論科学の科学的文化です。「生産性が時間と共に変化する」と文章で書くことと、「変数の時間微分」のある微分方程式を書くこととは、理論科学では等価です。文章で書くと、記述は耐えがたく長く複雑になるので、基本は、数式を使います。

出版社は、数式を使わないといったタイトルの本を売りたがりますが、これは、人文的文化で科学的文化を理解しようとする無駄です。科学者が数式を使う理由は、数式はとても便利で、記述が簡単になるからです。数式を使えば、楽ができるからです。

図2には、数式は出てきませんが、微分方程式と共通の微分で生産性を見るという視点に立っています。

2022年の1人あたりGDPは、アメリカが、75,179.59ドルで、日本が、34,357.86ドルです。
アメリカの1人当たりGDPは、日本の2. 19倍です。労働分配率が同じであると仮定すれば、これは、同じ利益を出すのにアメリカは日本の半分の人数でこなしていることを意味します。アメリカの生産性は、日本の2.19倍あることになります。

もちろん、労働分配率は違います。燃料等の調達価格も違います。景気変動もあります。しかし、これらをならした潜在成長率でみれば、1人当たりGDPは、概ね生産性と比例すると思われます。

図2の日本の1人当たりGDPの変化率の推移は、ほぼ1(年増加率ゼロ%)です。

これをアメリカと同じ3.7%にできれば、アメリカとの差が大きくならないで済みます。

しかし、アメリカに追いつくことはできません。

登山で例えれば、日本とアメリカは、同じ先進国山を登山しています。

アメリカは、75,179.59ドルの高さにいて、日本の34,357.86ドルの高さより、先を進んでいます。

過去27年間、アメリカは毎年3.7%の速度で、山を登っていきましたが、日本は、登山を放棄して、茶屋で休んでいます。

これから、日本が毎年3.7%の速度で山を登り始めれば、27年後には、2022年のアメリカと同じ75000ドルの高さに到達できるかも知れません。

しかし、日本が、75000ドルの高さに到達した時には、アメリカは更に、上を登っています。

さて、1人当たりGDPは、所得の差ですが、この値は同時に生産性を反映しています。1人当たりGDPが生産性を反映していると考えると、見える世界が変わってきます。

1人当たりGDPが生産性を反映しているとすれば、登山で言えば、1人当たりGDPは登山家のいるの現在標高を示しているだけでなく、登山家の登山能力を表わしています。

これは、一寸考えると、どこかで間違った気もしますが、資本と労働力の経済成長への寄与が少なく、経済成長が生産性でほぼ決まるという前提であれば、間違いではありません。

1995年から27年間にアメリカは、生産性をあげて、2022年には、先進国山の日本のはるか上を登っています。

これは、直ぐに追いつける差ではありません。

仮に、次の27年間をかけて、日本が、アメリカの登山チームに追いついたと仮定します。

これは、日本の少子化、高齢化を考えればかなりあまい前提です。

その場合には、概算で考えれば、日本は、アメリカの年率3.7%の2倍の年率7.4%の生産性の向上をはからなければなりません。

これは、トンデモない値ですが、実現できなければ、日本企業は、労働者に先進国として食べていけるだけの賃金をはらった上で、価格競争力のある製品を輸出することができません。

ですから、トンデモない目標ですが、旗を降ろす訳には行きません。

山登りでいえば、日本登山家は、アメリカ登山家の2倍の速度で27年間頑張れば、アメリカ登山家に追いつくという目標です。
売り上げ利益と労働分配率は同じと仮定して、日本の1人当たりGDP(賃金の近似値)をアメリカと同じ水準にするには、労働者の半分をレイオフして、新産業に移動させる必要があります。これは、新産業の利益は当面は考慮しないという乱暴な計算です。しかし、新産業の利益は直ぐに上がるわけはありませんが、オーダーとしては、間違っていないと思います。

アメリカの1人当たりGDPの増加比は、年率3.7%です。売り上げが拡大する部門であれば、労働者の数を維持しても、この比率を実現できますが、売り上げが上がらない部門であれば、毎年3.7%ずつ労働者を減らすことになります。

以上のように、考えると、3.7%と同じ数字にはなりませんが、生産性向上と賃金の上昇には、毎年の適正な労働者移動が必要なことがわかります。その適正な水準は微分方程式を解くことで求まります。

日本がアメリカに、追いつくためには、レイオフによる労働者移動とリスキリングによって、新産業への労働移動を起こさなければなりません。

仮に、実現不可能に見える年7.4%の1人あたりGDPの増加率(これは、近似的には、生産性の向上)を実現しても、アメリカに追いつくには27年かかります。

産業構造のレジームシフト(デジタル社会への移行)の速度を考えれば、27年では遅すぎる可能性が高いです。

経団連は、年功型の残しつつ、ジョブ型雇用に、移行するといっています。

岸田文雄首相は2023年1月27日の参院代表質問で、重視する構造的な賃上げの実現に向け「民間だけに任せることなく、政府として政策を総動員して環境整備に取り組む」と強調しました。

しかし、変化の速度と達成の時期の話はありません。

以上、考察からすれば、日本が後進国になって、年金と医療が破綻する状況を回避できる変化速度のオーダーは、賃金に対して利益を生まない労働者を即刻解雇して、労働者数を半分にするツイッター社レベルの産業構造の変化になると思われます。

ここでの数字は試算値なので、条件を変えれば数字は変化します。

しかし、変化速度のオーダーは、間違っていないと思います。

科学的文化で、微分方程式がわかっていれば、政策によって生じる社会変化速度と目的に到達するまでの時間が分かります。

これは、山登りで、歩行速度とルート長さ、ルートの勾配がわかれば、標高の上昇速度がわかることと同じです。

現在の日本では、変化速度の話は全く出てきません。

政府も、経団連も、経済学者の多くも、過去の事例を引用する人文的文化の世界に生きていて、微分方程式の科学的文化が理解できていないと思います。

日銀は、10年経っても、金融緩和1本打法です。

登山家に例えば、筋トレが、生産性向上、資本が登山装備の購入にあたります。
金融緩和は、登山装備の購入費の利子免除にすぎません。

1964年の東京オリンピックのマラソンの優勝者のエチオピアのアベベは、マラソンを始めたときには、靴を買うお金がなく、裸足で走っていました。アベベが靴を履けば速く走れます。同様に、登山家が草鞋(わらじ)をはいているレベルであれば、登山靴などの登山装備の購入には、登山速度を上げる効果があります。

1964年頃の日本経済は、そんな状態でしたので、設備投資の資金は重要でした。

今世紀の日本企業は、基本的な設備は既に持っています。登山家は靴を履いています。経済成長すれば、インフレになるかもしれませんが、インフレになれば、経済成長するという因果関係はありません。科学的根拠のない政策が実施できる人の頭の中には、人文的文化が充満していて、科学的文化がはいる余地はありません。スノーが指摘したように、ここには、ギャップがあり、話しても理解されることはありません。

生産性の変化をモニターして、改善を図っていないことは、何よりも、政策担当者が、微分方程式を理解していないことを示しています。

日本経済は、とんでもない道案内に誘導されて、先進国山の登山の途中で道にまよって、全く上に登れない状態になっています。

このまま科学的文化に基づく、定量的な政策が出来なければ、日本という登山家は生還できないと思います。

微分量である生産性の変化を無視し、エビデンスに基づかないブードゥー経済学は日本経済を破壊しています。

筆者は、経済学は素人です。正確にみれば、ここでの述べた経済学の内容には、間違いもあると思いますが、微分方程式は理解しています。以上の考察で、微分方程式で理解できる部分には、間違いはないはずです。

スノーが、「二つの文化と科学革命」で述べたように、教育が人文的文化を尊重して、国民が科学的文化が理解できなくなると、経済が立ち行かなくなるという予言を日本は、実証しているように見えます。
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