第18話  経験科学から自然科学へのレジームシフト

文字数 3,524文字

(人文科学・経験科学・自然科学のレジームシフトは不可避です)

1)人文科学と経験科学

人文科学は、最も古い学問ですが、モノづくりや生産性とは関係がありません。

日本で最も古い書物は「古事記」(712年)と「日本書紀」(720年)ですが、歴史書です。

生産に関係した古い書物は農書です。農書は、東洋では中国で紀元前後から、西洋でも古代ローマ時代から書かれています。

日本の最古の農書は、江戸時代初期の「清良記」と言われています。その後、江戸時代には、多数の農書が書かれています。なお、「清良記」は、軍記物の中に農業の記述が含まれている体裁で、単独の専門の農書ではありません。

江戸時代まで農書が現れなかったのは、文字を読み書きできる人の数が少なかったこと、気象や土地条件の異なる中国の農書が役には立たなかったためと考えられています。

最初の農書は百科全書と同じように、まず、記録を残すところから始まり、次第に優良事例を選んで残す形態に遷移したと思われます。ここで、経験科学としての農学が成立します。

つまり、農学が成立するまでは、文字は記録を残す(歴史を記述する)ものでしたが、生産性には関与しませんでした。


2)経験科学の手法

経験科学の手法を考えます。

自然科学の手法は、仮説の作成とエビデンスに基づく検証です。

自然科学の中にも進化論のように、エビデンスに基づく検証が困難な分野もあります。

自然科学にも博物学からスタートした分野では、現在でも、十分な検証ができていない部分があります。

こうした検証が困難な分野でも、可能であれば、エビデンスに基づく検証すべきであるという点については、合意形成ができています。

こうした歴史的な経緯から、経験科学の手法は、正面切って取り上げられることは少ないです。

筆者は、経験科学の手法は次のステップを踏むことにあると考えます。

(S1)観測されたエビデンスを記録します。

(S2)観測値の中から条件の良いものを抽出します。

(S3)選抜結果を参考して、前提条件を選択肢して、観測するエビデンスを絞り込みます。

(S4)(S1)に戻ります。


この手法の問題点は、次の2点です。

(C1)エビデンスが発生する前提条件が曖昧な上に、記録されているエビデンス属性は限定的で、属性の記録もれが多発しています。

(C2)選択された前提条件は、検証されていないので、前提条件の有効性には、再現性がありません。

例を上げます。

焼肉の場合です。

加熱温度と加熱時間を変えて、肉を焼きます。
(S1)加熱時間(短、中、長)と加熱温度(低、中、高)を変えると、3X3で、9通り(9回)肉を焼き、結果を記録します。

(S2)この中から、良い条件を1つ選び出します。

(S3)その条件の周辺で、加熱温度と加熱時間を微調整する変動を考えます。

(S4)(S1)に戻ります。

この方法は、実際には、失敗します。

それは、焼く前の9つの肉の条件(温度、水分量、重さ、形状)が、揃っていないからです。

オーブンも連続して使うと、順番によって温度条件が、変わってしまいます。

オーブンを購入すると付属のレンジ本には、レシピが載っていて、おまかせボタンで、料理を選んで、材料を入れて、加熱ボタンを押せば、美味しい焼肉ができると書かれていますが、実際には、失敗します。

最近のオーブンは、センサーで、材料の表面温度や重量を考慮しているものもありますが、効果は限定的です。

なによりも、レシピ本には、温度や重量など自動調理の有効範囲が書かれていませんので、レシピ本は、自然科学ではなく、経験科学で作られていることがわかります。

農学等の経験科学が生まれ、生産性に寄与しない人文科学に比べれば、経済活動への寄与は大きくなりました。しかし、自然科学に比べると、その実効性には大きなバラツキがあります。

3)自然科学へのレジームシフト

生物学者のジャレド・ダイアモンド氏は、自分の研究方法は比較であるといっています。つまり、ダイアモンド氏の生物学は、経験科学の手法を採用しており、レシピ本と同程度のエラーが含まれていると思われます。

ダイアモンド氏の研究対象は、検証可能なデータがぼぼ収集不可能な領域なので、経験科学の手法をとるのはやむを得ない選択です。

しかし、料理のように検証可能なデータが収集可能な領域で敢えて、経験科学の手法を採用する理由はありません。

情報科学やデータサイエンスによって、今まで検証可能なデータが収集不可能な分野が、収集可能な分野にレジームシフトしています。

つまり、経験科学から、データサイエンスへのレジームシフトが起こっています。

例を上げます。

(1)運転手

自動車の運転は、スキルです。しかし、運転手が自動運転に取って代わるのは目前です。この場合、自動車の運転という経験科学のスキルは、自動運転プログラム作成の情報科学のスキルに入れ替わります。

(2)シェフ

調理はスキルです。しかし、理論的に考えれば、調理プログラムは、人間のシェフ以上に、上手に料理を作れます。もちろん、自動車の自動運転と同じように、実装できるまでには、時間がかかります。調理という経験科学のスキルは、調理プログラム作成の情報科学のスキルに入れ替わります。


(3)カメラマン

カメラマンはスキルで、カメラとレンズの設計・製作とは分業していました。しかし、動画と静止画の区別はなくなりつつあります。数万カットの動画の中から、1枚のベストシーンを抽出することは人間ではできませんが、AIソフトなら簡単にできます。肌をなめらかにして、背景に綺麗なボケを入れることは人間には難しいですが、マスキングが上手くいけば、ソフトウェアにはできます。撮影という経験科学のスキルは、自動撮影現像プログラム作成の情報科学のスキルに入れ替わります。

(4)まとめ

運転手、シェフ、カメラマンは、2023年現在、まだ食べていける職業ですが、時間の問題で、9割の人は失業すると思われます。

政府の言うリスキリングが必要になります。しかし、プログラム作成の情報科学のスキルは、数学の習得を前提としています。

経験科学の学習方法では、リスキリングできません。

リスキリングの学習内容は、経験科学に基づく従来のスキルとは全く異質なものです。

4)レジームシフトの課題

運転手、シェフ、カメラマンの9割は、将来失業します。

その時までに、プログラム作成の情報科学のスキルの人材を育成する必要があります。

経験科学に基づく職人のスキルは、情報科学やデータサイエンスにとって代わられます。

古いシステムを破棄して、新しいシステムに乗り換える必要があります。

日本は、今まで変わらない日本といって、古いシステムを破棄して、新しいシステムに乗り換えることを拒否してきました。

これは、レジームシフトの拒否になります。

レジームシフトは拒否し続けられるのでしょうか。

筆者は、それは、不可能であると考えます。

自動運転のように、新しいシステムは、世界のどこかで開発されたものが、世界中で使われます。新しいシステムがビジネスとして成功して生き残るものは、トップ3くらいです。

スマホのOSのシャアが2つに分かれていることは、そのことを示唆します。とりあえず動くソフトウェアでは、直ぐに、淘汰されてしまいます。

ビッグテックが非常に高い給与を提示して、高度人材の獲得に走っている原因の1つはここにあります。できれば、1番乗りか、2番乗りが目標です。8番入賞では、全くビジネスになりません。

日本は、毎年数兆円のスマホ関連のソフトの使用料をアメリカに払っています。

分子設計レベルの新薬についても、毎年数兆円の使用料(特許料)をアメリカに払っています。

自動運転、ロボットシェフ、ロボットカメラは、まだ、未完成です。

現在は、デジタル社会へのレジームシフトの入り口に立っていますが、デジタル社会が本格化するのは、これからです。
デジタル社会が本格化して時に、日本の企業が、世界のトップ3に入る稼ぐことのできるソフトウェアを開発できなければ、ソフトウェアの使用料をはらい続ける発展途上国のままになります。

そのためには、アメリカ企業の先を行くソフトウェア開発が必要です。

人材の基本は教育です。

STEAM教育のように、アメリカで流行している教育理論を導入するという発展途上国の発想では、永久に追いつくことはできません。

欧米の後追いをすればよいという権威主義では、ソフトウェアの世界では、後手にまわって完敗になります。

追いつくために必要な変化の速度から、逆算すれば、古いものは止めて、新しいものに切り替える過激な改革を直ぐに着手しないと間に合いません。


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