第8話 フェイクの技法

文字数 3,482文字

(経験科学の利害関係者が、フェイク情報を流しています)

1)フェイクとは何か

構造計算が、経験科学の建築より安全なように、冷静に考えれば、経験(科学)は(理論)科学には、勝てません。

構造計算をしていない経験科学で設計された建築に、敢えて住みたいひとはいないと思われます。

しかし、「経験(科学)は(理論)科学には、勝てないと」不都合な人がいます。


1-1)経験(科学)固執グループ

第1のグループは、経験(科学)の手法を捨てないで継続したい人です。(理論)科学をリスキリングすることは容易でないか、不可能なので、経験(科学)は、(理論)科学と同等であるというキャンペーンを張ります。

クーンは「科学革命の構造」のなかで、パラダイムという用語を使って、(理論)科学をリスキリングすることは不可能であると断じています。パラダイムチェンジには、世代交代が必要であるという意見です。

クーンの言うようにリスキリングが不可能かは、わかりませんが、容易でないことは確かです。

なお、日本の大学には、看板が、自然科学系の学科でも、実態は経験科学で、理論科学になっていない学科が多数あります。

1-2)(理論)科学ユーザーグループ

筆者は、「技術をコピーして導入するのであれば、(理論)科学でなく、経験(科学)でも、何とかなる」と言いました。

第2は、一見すると(理論)科学に見えますが、実態は経験科学で問題解決をしているグループです。

このグループは、新しい理論を生み出しませんが、既存の理論を活用したり、改良することは上手です。

言い換えれば、正解のある問題を解くのが得意な試験勉強のできる秀才タイプです。

既存の理論を活用するグループと新しい理論を開発するグループ(科学グループ)の間には、大きなギャップがあります。

これは、カーネマン流に言えば、既存の理論を活用するグループはファスト回路を使うのに対して、新しい理論を開発するグループはスロー回路を使うためです。

ファスト回路では、既に定評のある効果が確認されている理論や手法を引用します。

スロー回路では、新しい理論や手法を提案しますが、その9割は検証に耐えず、生き残りません。

スロー回路では思考時間がファスト回路の10倍くらいかかります。

トータルで考えると、(理論)科学が、時間当たりでアウトカムズに達するヒット率は、科学ユーザーグループの数パーセント程度です。

こうした状況から、科学ユーザーグループもまた、科学を追放する方に加担します。

正解を良く知っている方が偉いという考えは、ファスト回路全開になりますので、スロー回路の科学を追放してしまいます。

スロー回路を使うことは、頭の中が、混乱して、どこかが間違っていると感じるが、問題点がわからないような状態に対峙することです。

高度人材を雇用したら、給与に応じて成果が出る、研究費を増額したら、金額に応じて成果が出るという発想は、ファスト回路そのもので、スロー回路を使う科学とは関係がありません。

科学が進むときは、進歩を促すデータやツールが揃った時です。そのような時には、進歩が急速に進みます。AIの画像認識は、クラウド上で、大量の画像データが利用可能になって始めて実用化しています。

研究費があれば、科学が進むというエビデンスはありません。科学の進歩の速度は変化しますが、それに対して、研究費の寄与は部分的です。

一方、理論を実用化して製品にするためには、工場を建設します。これには、資金が必要です。ソフトウェアのアイデア(科学)があっても、これを実装するには、資金が必要です。しかし、アイデアなしに、資金があっても、実装はできません。アメリカでは、良いアイデアであれば、ベンチャー資金が集まります。資金制約はありません。

アイデアの評価の出来ない人が、補助金をばら撒いても、実装できる内容がないので、無駄になります。

とはいえ、補助金や研究費の欲しい科学ユーザーグループは、取りあえず、お金があれば、(理論)科学のような、それ以外の事項には関心がありませんので、フェイクで構わないと考えます。

1-3)政治家と官僚

政治家と官僚は、自分たちが、新産業振興ができると考えています。

この仮説は、過去のエビデンスから、否定されています。

この人たちは、間違った仮説でも、自分たちに都合のよい仮説であれば、それを流布させたいのです。

2)フェイクの誕生

こうして、経験(科学)は、(理論)科学と同等で、時には、それ以上に役に立つというフェイク情報が発信されます。

自然科学のリテラシーがあり、冷静に考えられれば、情報がフェイクであることはわかります。

フェイクを継続するためには、「自然科学のリテラシー」を否定すること、常に感情に訴えて、「冷静に考えられ」なくすれば良いことになります。

2-1)感情のスイッチ

感情のスイッチを入れるもっとも簡単な方法は、不幸を見せつけることです。

ビッグテックがレイオフしたニュースは、拡大されますが、過去に、ビッグテックが雇用と所得を生み出した点は報道されません。

ビッグテックは、アメリカに雇用と富をもたらしました。貧富の差は大きくなりましたが、一人当たりGDPは増加しました。

功罪を差し引きすれば、明らかにプラスです。

一方の日本は、年功型雇用にこだわり、新産業をつぶしてきました。

年功型雇用は、レイオフは少ないですが、功罪を差し引きすれば、明らかにマイナスなので、冷静に考えれば、ジョブ型雇用に方針転換すべきです。

レイオフは、それが、新産業の成長に結びつくのであれば、喜ぶべき事象です。

しかし、経験科学派は、自分がレイオフされたら困るという感情を煽って、冷静な判断をさせません。

ここには、2つの問題点があります。

第1は、デジタル社会へのレジームシフトが起これば、新産業が起こり、企業は改廃しますので、レイオフを禁じて、社会保障を企業に丸投げしてはいけません。

社会保障を企業に丸投げすれば、企業は効率を度外視して、存続に走ります。これは、錐もみ状態で利益と給与が、落下することを意味します。

第2は、スキルをもっていても、雇用されないという恐怖を無視している点です。レイオフを止めてしまえば、高度人材の働き場はないので、努力して、所得を上げる道が閉鎖されています。

つまり、リスキリングは、トンデモないハイリスクになっています。

レイオフが多くあり、新規雇用の枠が多数あれば、その中の競争に残れば、就職できます。

しかし、現在の日本では、レイオフが少ないために、新規雇用の枠は、非常に少ないです。


2-2)二つの文化

1959年に、C.P.スノーは、「二つの文化と科学革命」を出版します。

その中で、スノーは、人文的文化と科学的文化があり、その間にはギャップがあり相互理解はできないと述べています。そして、国の経済発展には、科学が必要なので、エンジニア教育の拡充が必要であるといい、エンジニア教育を充実させました。

日本では、「二つの文化と科学革命」は、フェイクの対象になりました。

フェイクは、「スノーは、人文的文化と科学的文化の間のギャップを埋めることの重要性を指摘した」と言います。

つまり、人文科学(経験科学)は自然科学(理論科学)の代りになりうると言います。

これは、スノーの意図の反対です。スノーは、人文科学には、経済振興効果はないので、自然科学教育をしない国は、発展途上国になると言います。

人文科学には、経済的価値はありません。これは、人文科学を否定している訳ではありません。

物理学は自然哲学から、派生した学問です。人文科学も、必要に応じて、あらゆるツールを総動員して、派生形を作り続ければ問題はありません。


人文科学には、経済的価値がないという意味は、従前の人文科学の方法論に限定すれば、経済的価値が生まれないという意味です。

二つの文化のフェイクは、基礎教育のカリキュラムや科学技術基本法の改訂にも影を落としています。

日本だけに、文科系という謎のカリキュラムが生き残っているのは、フェイクの影響です。

人文的文化は、科学的文化の代りにはならないのですから、経済的価値のない人文的文化を教えるべきではありません。それは、発展途上国への近道です。

カリキュラムの策定に係る専門家の多くが人文的文化の専門家です。

カリキュラムの策定に係る専門家は、フェイクの利害関係者になっています。

1959年の「二つの文化と科学革命」以降、日本では、フェイクが発信され続けています。

このフェイクは、ゆとり教育の時期に急拡大しています。

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