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文字数 2,552文字

 翌日の放課後、加奈ちゃんと悟はあるじのマンションへ向かった。

「こいつの書き手は、叔父さんの嫁さんにも、同じ文章の手紙を出してたんだ。宛名に妙な細工までしてな」

 あるじは、信頼できる相手に――それがあるじの一方通行な思いによるものであったとしても――私を読んでもらおうとしていた。

「でも相手にしてもらえなかった。メイド喫茶の店員と客じゃ、当たり前だよな。叔父さんの嫁さんにそんな趣味があったことも驚きだけど」
「書いた人も、それはどこかでわかってたんじゃないかな」
 加奈ちゃんが弁護する。
「だから、不発に終わったときのために、他にも仕込んでおいた。それを、わたしが見つけた」
「まだわからない。こうなりゃ、実際にこの書き手の住所に行ってみようぜ。直接訊いて確かめてやる。悪戯なら、全然違う奴が住んでるはずだ」

 私はストライプ模様の派手な封筒に入れられ、悟の手の中に握られている。下調べの甲斐あって、二人は労せずにあるじのマンションを見つけた。

 マンションとアパートの中間で自己のあいでんてぃてぃに迷っていそうな集合住宅である。道路に面した正面入り口には、郵便受けがずらりと並んでいる。二人はあるじの部屋番号の郵便受けを見たが、ネームプレートは嵌められていなかった。番号を揃えて開けるタイプの、安物のダイヤルロック錠がつけられている。

「見ろよ。かなり溜まってる」

 悟はあるじの郵便受けを覗き込み、わずかに高揚した声を出した。鉄扉の上部に数センチ隙間が開いており、中の様子がわかるのだ。同じく中を覗いた加奈ちゃんの顔が、緊張に強ばる。世の中に郵便受けが溜まる理由は二つしかない。部屋主が旅行をしているか、部屋主が殺されているかだ。

「原田、このポスト、開けておいてくれるか。その鍵、三桁しかないから、時間かければ開けられるだろ」
「開ける? どうして?」
「仮にこいつが」
 と悟は私をひらひらさせた。
「本物だとすれば、書き手は強請屋で、犯人とやりとりしてる可能性が高いからな。何か秘密の手紙とか、入ってるかもしれない」

 すっかり興奮にわくわくした顔だ。初見では私の文面など歯牙にもかけなかったくせに。

「でも、勝手に開けるのは良くないと思うけど。誰かに見つかったら変に思われるし」
「子供の悪戯だってことで大丈夫さ。ちょっと怒られるかもしれないけど」
「いやよそんなの」

 加奈ちゃんは自分の赤いランドセルを開けた。中から学校のプリントを一枚取り出すと、二つに折り畳んで、はい、と悟に突き出す。悟が目をぱちぱちさせた。

「大事なプリントを、イタズラ好きの男の子に、郵便受けに入れられちゃったの。人に訊かれたら、そう答えることにする。泣きそうな顔でそう言われたら、相手も怒れないでしょ」

 悟はプリントを受け取ったまま、ぽかんとした顔をして加奈ちゃんを見返した。こいつは将来、女性不信に育つかもしれない。

 促されるまま、悟は加奈ちゃんのプリントを郵便受けに入れた。加奈ちゃんがダイヤルロックを外しにかかる。〇〇〇から九九九まで、順番に試しはじめた。

 それを尻目に、悟は廊下を奥へ進んだ。住宅情報誌のエレベータのチェックに○を付けるためだけに存在するような、動きの鈍重なエレベータが一基あった。ボタンを押し、五秒だけ待ってから、待ちきれない様子で脇の階段を三階まで駆け上がった。長く伸びた無人の廊下をあるじの部屋の前まで進むと、二度深呼吸をした。よし、と口の中で呟き、チャイムを押す。反応はなく、またチャイムを押す。反応なし。

 隣の部屋のチャイムを押すと、洗い物をしていた手の水気を払いながら、人の良さそうなおばさんが顔を覗かせた。ぱっちりと開いた目で悟を見下ろす。おしゃべり好きそうだ。

「隣の部屋の人のことを知りたいって? 君は?」

 前もって練っていた作戦どおり、悟は私の入った封筒を見せ、誤配された郵便物を届けに来たのだが、留守なので困っているのだと説明した。預かろうかとおばさんが言うのを丁重に辞退し、責任をもって自分の手で渡したいのだと、子供らしさを楯に主張する。

「いつごろ家にいるかわかればいいんだけどな。隣の部屋の人、どんな人なの? 仕事は?」
「絵描きを目指してるらしいけど、どこまで本気なのかはわからないわね。一日中ふらふらしてて、平日の昼間に廊下で顔を合わせたりするし。……まあ、穀潰しよね」

 小学生の男の子相手にヨクナイ言葉だと思ったのか、親のお金で食べて自分では仕事をしてない人だったみたい、と言い直した。同じことである。

 悟がふうんと頷いた。私をつまむ指先がゆらゆら揺れて、彼の考えを私に伝えた。――この文章は落ちこぼれちゃった人の、ジコケンジヨクを満たすための悪戯の可能性アップ。

 恨むぞおばさん。

「本人はあれだけど、お兄さんはまともな方ね」
「お兄さん?」
「近所に住んでいらして、話したことがあるのよ。弟さんとどう接していいかわからなくて、困ってたみたい。ここの家賃も親御さんもちでしょ。お兄さんとしてはせめて働いてほしいと思ってるみたいなんだけど、弟さんは何かと反発するらしくてね」

 文章として、私は書き手を弁護したい。確かに御家族に同情はするけれど、あるじだってどうすればお金を稼げるか、必死に考えていたと思うのだ。……いや、それで強請られてしまったのでは、恩を仇で返されたようなものではあろうが。

「でもこの頃は、心を入れ替えたんじゃないかしら。このくらいの時間に、よく玄関扉の閉まる音が聞こえてくるから。仕事探しでもしているんじゃないかな」

 なんだって? 私は無い耳を疑った。あるじは生きているのか?

 おばさんが引っ込んでしまうと、悟はふうむと考え込んだ。ここで待つか一度加奈ちゃんと合流するか考え、階段の方へと足を向けた。

 ちょうどエレベーターが昇ってくる音がして、開いた扉の向こうの人物と目が合った。

 しまった……。私は悟の手の中で青ざめた。
 そういうことか。

 犯人め、私を読んだ人間があるじの家に確かめにやってくることを読んで、巡回してやがったのだ。
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