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文字数 2,661文字

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 あるじがネットにアップした私は、規定の日付になった時点で、自動的に公開された。検索エンジンに拾い上げられ、徐々にクチコミで広がりはじめた。ネットの海の中にたゆといながら、私は声を枯らして叫んだ。みんな私の文面を読んでくれ。あるじの無念を晴らしてほしい。

 これほど雑多な空間を私は初めて知った。そこここで次々と新しい文章が生まれ、溢れた文でごった返している。噎せ返るような喧騒の中で、それぞれ好き勝手な雑談を繰り広げている。

 だがここの文章たちを、私は好きになれなかった。

 郵便局の文章たちは、特別な宛先を持っていた。図書館の文章たちは、手に取る人みなが宛先のようなものだった。彼らは読み手に伝えるべき何かを持っていた。どうしても伝えなければならない、大切な何かを。
 だがネットの文章たちからは、それが感じられない。私は日々を漫然と生きる文章たちの多さに驚いていた。

 一度、場末の掲示板の書き込みを注意したことがある。自分の文面を、唾を吐き捨てるように、千切っては放ってばかりいる文章だった。それでは君の文面が伝わらないよと声をかけた私に、彼は伝わる必要などあるのかと馬鹿にするように笑った。

 どうせ誰も真剣に読みやしないんだから、と笑ったのは、自殺企図の書き込みだ。彼女は文面に「寂しい」と「虚しい」という言葉を沢山抱えていた。切実な寂しさを伝えたくてたまらないのだろう――私の思いとは裏腹に、彼女は真剣に読まれないからいいんじゃないの、と嘯いて笑った。

 あるじの日記にも会った。同じ書き手から生まれたきょうだいであり、私より先に書かれた兄文章だ。どれほど気持ちを分かち合えるかと思った私の期待は呆気なく外れた。〝眠い〟や〝飯食った〟の文面を抱いた彼は、弟の私の文面を見ても、興味なさそうにふんと言っただけだった。

 確かにここは文章の宝庫かもしれない。だが伝えるべきものを持つことなく、漫然と文生を空費する文章ばかりだ。文章は伝えるために生きるものなのに。だが私がそれを口にしようものなら、騒々しくしていた文章たちはさっと黙り込み、異質なものでも見るように、私を遠巻きにしはじめるのだ。私は郵便局や図書館の皆が懐かしくなった。ラブレターや督促状と過ごしたポストの中へ、秋の金木犀のページの隙間へ、戻りたいと思った。

 それでも私にはもうここしかない。私はいろいろな人間に呼び出され、モニタ越しに彼らに読まれた。だが、みな面白そうに笑うばかりで、私の文面を本気にしてはくれない。

 やがて私はテレビに映る機会に恵まれた。ネットで話題になっている事柄を取り上げるという趣旨の、ワイドショーの中の一コーナーだった。

 放映された映像をみて、私は屈辱を覚えた。最も伝えなければならない犯人の名前という大切な部分に、卑猥なモザイクがかけられていた。

 私の公開されたブログには、コメント欄がついている。ぽつぽつと付けられたこめんと達は、遠巻きに私の真意を窺っていた。(本当だったら怖いよね)(テレビ局は警察に通報したのかな)私の文面を咀嚼しようとするこめんとが続くと決まって(悪戯に決まってる。全く同じ文面の悪戯、余所で見たことがある)と別のこめんとが割り込み、話を打ち切ってしまう。自宅のパソコンの前に座った犯人の子供が打ち込んでいる敵性文章だった。

 私は荒れた。悟ったからだ。読み手は私の文面を読んでいるようで、本当は私のことなどちっとも見ていないのであると。それでもなお彼らを振り向かせようとするには私はくたびれ、魂が擦り切れかけていた。

(少し休んだ方がいいわ。あなた、疲れているのよ)

 自殺企図の書き込みがそう声をかけた。

(休んでなどいられない。私が休んだら、誰があるじの仇を打ってくれるのだ)
(放っておけよ、そんな奴)

 あるじの日記がぼそりと呟いた。堪えきれなくなったような口調だった。そうだ、放っておけ。こんな奴らに同情されるほど落ちぶれてはいない。

(おれの文面、くだらねえって思ってんだろう?)

 私の言葉を待たず、彼は続けた。

(気を遣ってくれなくてもいいぜ。実際、おれもそう思うからな。おれの文面はくだらないさ。でもだったらおまえはなんだっていうんだ。おまえは何様なんだよ)

 自殺企図の書き込みがたしなめた。彼は聞かずに、彼女の文面を読みあげた。彼女は震えた。

(こいつの書き手は毎日、夜寝る前にこいつに文面を書き足しているのさ。伝える? 暗い言葉ばかり吐かれたこいつの文面を、喜んで読む奴なんて誰もいやしねえさ。でもこいつの書き手は半分泣きながらこいつを書かないと、夜も眠れねえくらい弱い人間なのさ。だからこいつは毎日、書き手の戯れ言につきあってる。それでこいつの書き手はなんとかやってる。おれだって似たようなもんだった。文面に価値はないかもしれないが、書き手の役には立っていた。伝えるべきことなんて関係ない。いるだけで意味があると信じるから存在してる。たいした文面も持たずに生まれてきた文章だから、そう信じるしかねえのさ。おまえにはわからねえだろうけどな)

 違うという私の言葉は形にならない。

(おまえの生き方はおれらの生き方を否定する。自分を否定する者の言葉を聞く奴なんかいねぇよ。伝えるべき切実なものだかなんだか知らないが、そんなもの、どうでもいいんだよ。余所でやってくれ。これ以上みんなの平穏を乱さないでくれよ)

 そうか、と私は思った。私はここでも異端文なのだった。私の存在そのものが、彼らの安寧を邪魔していたのか。彼らは私を怖がっていたのか。

 ならば私の居場所は一体何処にあるのだろう。

 私は犯人を指弾せねばならない。それが私の生まれた意味だからである。しかし私が声を張り上げるほどに、皆は追い詰められるのだ。それなら私は伝えるべきことなど何も持たずに生まれてきたかった。

 生まれ変わったら公園の落書きになりたい。
 スプレーで壁に書き殴られた、特に意味もないひとひらの言葉に私はなりたい。
 そうして通り過ぎる車に「夜露死苦」と声をかけて過ごすだけの日々を送るのだ。
 誰に気にかけてもらえなくてもいい。何も伝わらなくて構わない。
 ただ、たまに苦笑いの一つでもしてもらえれば、それはどんなに素敵なことだろう。
 
 すまん、言い過ぎたよ、とあるじの日記が言った。
 私は泣いていた。
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