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文字数 3,631文字

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【犯罪者から金を強請るのは、そう悪いことじゃないだろ】

 あるじはカップラーメンのフタを剥ぎ取りながら、片手でキーボードを打ち込む。ラーメンから立ちのぼる湯気で、モニタがうっすらと曇った。

 あるじの住む部屋は、独自の物理法則を持った一つの小宇宙だった。パソコン前を中心に、物体が放射状に散乱している。プラスチック容器の詰め込まれたゴミ袋と、漫画の単行本、猥褻な雑誌に、卑猥に丸まったティッシュ。テレビとゲーム機とパソコンから伸びた配線コードが、蛇の集団交尾のように絡み合っている。本棚には漫画と小説がぎっしりと詰め込まれ、大学数学の教科書が、隅っこに仕舞い込まれたまま埃をかぶっていた。

 パソコンのモニタ上には、いろいろなウェブサイトが開かれていた。掲示板、SNS、メッセンジャーにネットゲームチャット。あるじは親鳥が小鳥たちにエサをやるように、忙しなく文章たちをそこに書き入れている。

 いま書き込んでいるのは掲示板の一つだ。質問者が自分の疑問に思っていることについてトピックを立て、不特定多数の人間から回答を募るという趣旨の掲示板だった。パソコン操作や法律に関してなど、正解が決まっている質問は、一問一答で決着がつく。けれどあるじが開いているトピックは『人が人を裁くのは良いことか? 悪いことか?』という、一問一答で決着をつけてしまうといろいろ困りそうな種類のものだった。犯罪者を裁くことの功罪が、法律論、感情論、宗教論、DNA論など様々な角度から語られ、ちょっとしたカオスを形成している。
 私的制裁の議論から、強請りが話題に挙がり、あるじは反応した。

【むしろ強請りとか良いことじゃね。だってマイナスにマイナスを掛けたらプラスだからな。この場合、犯罪者がマイナスで、金を強請ることもマイナスだが、掛け合わせてプラスってこった】

 初等数学の知識をよくわからない方向に応用した文面を打ち込んで送信してしまうと、あるじは食事にとりかかった。ラーメンを胃袋におさめつつ、十秒置きに画面を更新し、議論の流れと自分への返事を確認する。
 ぽろぽろとついた返事は、あるじの意見を完全には支持しないものの、消極的同意を示していた。

【強請り屋を擁護するわけじゃないが、勝手にやる分には自分の責任の範囲でやればいい。それで警察に捕まっても同情できないが】
【どんどんやれ。犯罪者同士潰し合ってメシが美味い】
【普通に暮らしてる人に迷惑かけなきゃどうでもいい】
【強請りは死亡フラグ。推理小説好きから言わせてもらうと、強請りに走った奴は五ページ以内に真犯人に殺される】

 あるじはトピックに目を通しながら、ラーメンを完食した。もうしばらく誰かからの返事がないか確認してから、ようやくブラウザを閉じた。
 画面の隅へ退避させていた私を中央へ呼び出した。

「そりゃ保険くらいかけるって」

 私の身体を一字一字確認しながら、あるじは得意げにそう独り言をこぼした。まだ読まれることに慣れていない私は、身体をじっと凝視されることに恥ずかしさを覚えた。

 あるじは私を印刷することにした。あるじがマウスを操作すると、私の意識は二つに分かれ、一つがケーブル越しにプリンターへ流れ込んだ。プリンタヘッドが小刻みに揺れ動きながら、黒インクのシャワーを迸らせている。それを上から見下ろしていたはずなのに、いつの間にか下から見上げていることに私は気付いた。紙に転写され一丁上がりとローラーから送り出されたときには、私は紙の上の文章になっていた。
 あるじは紙の上の私を、ごちゃごちゃと雑誌や漫画が置かれたテーブルの、一番上にのせた。

「これで俺に手出しはできない。俺を殺したところで、奴の悪事は暴かれちまうからな。正義は勝つ」

 ご満悦の様子だ。正義だったらまず強請りをしないのではないだろうかと私は考えたが、あるじが満足そうなので気にしないことにする。

「でも、ちゃんと気付いてもらえるかなあ」

 あるじは私を見下ろすと、ううむと顎に手をやり考え込んだ。雑誌やゴミが堆積し数千年の歴史を形成しているテーブルの上で、私は目を惹く存在ではない。
 よし、と一念発起して、あるじはテーブルを片付けた。テーブルの上から物を取り除き、テーブルの下に積み上げた。目につくところは綺麗になったが、つかないところはより一層汚くなった。まるで人間社会の縮図のようだな、とあるじはしみじみ呟いた。私は視界に入りやすくなった。
 あるじはやりきった様子だったが、綺麗になったテーブルの上に広げられた私に目を落とし、またぞろ顔を曇らせた。

「読んだ人、ちゃんと通報してくれるかな。警察沙汰は面倒くさいからとかいって、通報しないかもしれない」

 腕を組んでううむと考え込むあるじ。

「そもそももし俺が殺されたとしたら、誰が初めにこの文書を見つけるんだろ。一番最初に俺の部屋に踏み込んでくるのって誰だ?」

 部屋の中をうろうろしはじめた。

「殺され方にもよるか。きちんと死体が発見されれば、即日警察が踏み込んでくる。死体が完全に処理されちゃった場合は……しばらくしてから家賃滞納で怒った大家が来るのかな。最初に発見する人間によっては、この文書、無視されるかもしれない」

 あるじは難しい顔をして、メモ帳に何やら箇条書きに書き出した。『警察』と書き、下に◎をつけて、『確実』と書き足す。『大家』は△で『店子の噂を気にして揉め事を避ける危険有り』。
『両親』は×で『信じない』。『妹』も×で『留学中』。知人の名前を書き連ね、○から×まで様々な評価をつけた。『面倒くさがり』『表面的には軽薄だが根はまじめ』『借りた金を返さないような人間』と人間洞察を展開する。ちょっと私怨が混じっている。
『桃華ちゃん』と書いて◎をつけた。『愛の力』と達筆で書き、ハートマークを添えた。

 私は段々不安になってきていた。

 私は、生まれてくる場所を間違ったのではないだろうか。

「安全措置を講じないと駄目だな。確実に奴が捕まるようにしないといけない。この文書が気付いてもらえなかったり、通報してもらえなかったりしたら、俺の死が無駄になる」

 あるじは悲痛げに呟くと、目立つようにしなきゃと言って、ペン立てからマーカーペンを取り出した。

「いや、こういう場合は、犯人自身に証拠隠滅されるリスクもあるんだ。とすると、目立ちすぎても良くないのか。見つからないように隠しておいた方がいいのか?」

 しばらく考え、両方あればいいのか、と手を打った。OA用紙を束でプリンタにセットすると、もう一度私の印刷を開始した。私が一枚印刷されるたび、いろいろな場所に配置しはじめた。善意の人に見つけてもらうため、玄関の扉の裏やテレビの画面などにテープで貼りつけ。犯人の目をかいくぐるため、テーブルの裏や押し入れの天袋、大学の教科書のページの隙間などに挟みこんでいく。

 あるじは凝り性のようだった。ひとたび掃除を始めたら爪楊枝を手に針の先ほどの埃を抉り出すことに人生のすべてを賭けてしまうタイプだ。殺された場合の考えに没頭するあまり、当初の目的はすっかり頭から吹っ飛んでしまったようだった。

 おまけにあるじは、目立ちたがりでもあるようだった。せっかく滅多にない刺激的なことをやっているのに、誰にも秘密にしておくことに、早くも耐えきれなくなったようだ。ビデオカメラをパソコンに接続し、動画の撮影をはじめた。

「シリーズにしてネットにアップしてこうっと。コメントが楽しみだぜ」

 動画の編集をしながら、口笛を吹いている。そうやってあるじは、数日を過ごした。

 いよいよ強請り本番の日、上着のポケットに折り畳んだ私を忍ばせ、あるじは意気揚々と犯人の家に向かった。口止め料を要求したあとは、自分が殺されたあと犯人の犯行が露見するよう、いかに周到に準備を重ねたかを熱っぽく語った。

 犯人は黙ったままそれを聞き終えると、やがて項垂れたように首を振り、部屋の隅に立てかけてあったゴルフクラブを手に取った。

 あるじの顔に、あれ? と疑問の表情が浮かんだ。なんかおかしくね? 間違ってね?

 あのねあるじ、殺されること前提で話すから、向こうも殺すこと前提で考えちゃったんじゃないかな。プレゼンテーションがなってないよ。

 あるじは五番アイアンでぼかりと頭を殴られ、床に倒れて動かなくなった。犯人はあるじの脈を確認すると、上着を脱がせて紙袋に突っ込み、クロゼットの奥へと放った。あるじが運び出される音と、車が走り去っていく音を、私はあるじの上着のポケットに収まったまま、真っ暗なクロゼットの中で聞いた。

 願わくば、あるじがせめて五ページ以上は生き延びれたことを、祈るばかりである。
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